記念艦「三笠」を訪問する

  • 2015.06.25 Thursday
  • 20:50
先週、息子たちが、私ども夫婦(二人とも6月生まれ)の誕生祝いを横浜の中華街でやってくれた。当日はそのまま横浜に一泊して、翌日、横須賀の三笠公園に向かった。30代の半ばに司馬遼太郎の『坂の上の雲』を読み終えた頃から、機会があれば、記念艦「三笠」を訪れてみたいと思っていたのだが、やっと念願がかなった。

記念艦三笠
http://www.kinenkan-mikasa.or.jp/

東郷平八郎像を前にした「三笠」を目にしたとき、よく遺せたものだと感慨深かった。旧日本海軍の軍艦で、現在残っているのは「三笠」だけかもしれない。少し前、戦艦「武蔵」の生映像が話題になったが、「大和」も「武蔵」も今は深い海の底だ。

『坂の上の雲』は歴史小説だ。勿論、著者が豊富な取材と資料に基づいて書かれたものであるにしても、一人の作家が紡ぎだした物語であることには違いない。よって、史実と異なる表現があるかもしれない。と言うより、唯一絶対の史実(事実)などは想像し難く、人により資料の解読の仕方も異なるだろうし、特に人の心の中の話になると、歴史学者、作家などの想像力に頼るところが大なのは致し方がない。

宇宙から見える人工物は万里の長城だけだったという話は有名だが、人類の遺産として最後まで残るのは、ピラミッドなど自然の鉱物で作られたものだけかもしれないと思ったりする。しかし、少なくとも、歴史の遺産として残された人工物の存在のインパクトが大きいことは間違いない。「三笠」は本物の歴史遺産である。

「三笠」は明治35年、イギリスのヴィッカース造船所で竣工した。明治38年5月27日、28日の日本海海戦で旗艦を務め、ロシアのバルチック艦隊を撃破し、日露戦争を勝利に導いたという話はあまりにも有名だ。この勝利が他のアジア諸国ばかりではなく、西欧諸国にも強い影響を与えたことは歴史的事実である。

個人的には、好むと好まざるとに関わらず、国民の総意とも言うべき力が富国強兵という国の方針を支えたという事実に驚愕する。 『坂の上の雲』の冒頭の文「まことに小さな国が、開化期を迎えようとしている」にあるように、西欧の列強に比べれば本当にひ弱な共同体であったに違いない。

先月は、世界遺産「富岡製糸場」を見てきた。今見ても斬新に見える木材とレンガを組み合わせた建物群には感心する。自動繰糸機は昭和62年の操業停止まで稼働していたという最新のものしか見ることが出来ないのは残念だが、この製糸場に始まった生糸の生産が国内に広がり、後に女工哀史に語られる劣悪な労働環境もありながら、数少ない外貨を稼ぐ製品として国を支えたことを思うと、現在の日本と比べ今昔の感がぬぐえない。

富岡製糸場
http://www.tomioka-silk.jp/hp/index.html


「三笠」を建造するのにどれだけの生糸を必要としたのだろう、と思うと気が遠くなる。日清・日露戦争を回避できなかったのかという問いに、じぶんは答えることができない。しなしながら、時の指導者たちの心情はまるで綱渡りを目の前にした者のようであったろうことは推測できる。バルチック艦隊との会戦に際し掲げられたZ旗はそんなことを物語っているような気がする。

元々Z旗は国際信号旗で固有の意味を持つが、アルファベット終わりの文字で ”後がない” の意味を込め、日本海軍は「皇国の興廃コノ一戦ニアリ、各員一層奮励努力セヨ」の信号旗とZ旗して使用した。

これは単なる檄文ではなく、日本軍幹部の本音だったのではないか。本当に国の存亡をかけた戦争だったのではないか。少なくとも当事者たちの深層心理はそうであったと推測する。

繰り返しになるが、じぶんに彼の戦争の正誤を判断することはできない。内心、このことは多数派ではないかと想像しているのだが、じぶんはこの明治期の国体と国民を理解する上で、司馬遼太郎著『坂の上の雲』によるところが大きい。前に記したように本書は歴史書ではなく小説である。作者の歴史観というバイアスがかかっているのは言うまでもない。

小説『坂の上の雲』とは異なる視点があることを前提にした上で、今、じぶんの明治期に対する歴史観を変えるつもりはない。しかし、その明治期の歴史観を無条件で肯定するつもりもない。この小さな国が明治期に開化を成し遂げ、紆余曲折の末に昭和の敗戦を迎えることになった。その原点が明治期にあったのかもしれないことを否定することはできないのである。

しかし、時代の変動期に、どの道を選択をするかというのは単純な正悪論で埒が明くものではないことも確かだ。かつて、それぞれの指導者の決断の背後にはそれ相応の覚悟があったはずである。この覚悟を伴わない決断にはそもそも意味がない。このことは時代が移っても変わることはない。

今、安保法案が世間を騒がせている。それぞれ支持論、反対論が声高に叫ばれている。しかし、ほとんどの国民は、戦争することには反対に決まっている。このことはこの法案の支持者も反対者も同じだろう。また、支持者が好戦家で反対者が平和愛好家ということでもない。このことは議論の大前提でなければならないだろう。

所詮、どっちの道を選んでも、良いとこ取りですむわけがない。どちらにしても、清濁併せ呑む覚悟がいるのである。「三笠」はそのことを教えてくれる。イフとして、日露戦争が無かった歴史、日本がロシアに敗れる歴史もあったろう。しかし、どの歴史にも別の艱難辛苦が待ち構えていたであろうと想像する。

「永遠の0」を観て思うこと

  • 2014.07.27 Sunday
  • 11:55
DVD『永遠の0』を借りて観た。昨年、原作が話題になっていて少し気になってはいたのだが小説も読まず映画も観なかった。原作者 百田尚樹氏のちょっと元気な言動(?)が気になり観る気にならなかったのである。ただ、脚本・監督が 山崎 貴 ということで映画作品としては興味があった。

永遠の0

ヒコーキ好きの少年だったじぶんにとって、初めから ” ゼロは永遠 ” だった。その関連で戦記物もよく読んだ。そう言う意味で、結果として、少年の頃から戦争を多く疑似体験していたことになる。そんなじぶんからすれば、『永遠の0』に登場してくるゼロ戦パイロットと戦記は、いつかどっかで読んだか見たものであり驚きの内容ではない。しかし、多くの普通の現代人にとっては新鮮な物語として映ったかもしれない。

VFX映像の出来栄えなどはまた別のテーマとして、何でこの映画があんなに話題になったのだろうというのが正直な感想だ。現代に生きる我々が、家族のために生きて帰りたいという本音で生きようとした主人公 宮部久蔵 に対して、強い共感を覚えるのは理解できる。しかも、宮部久蔵 が最高の技量を持ったゼロ戦パイロットでありながら、生きて帰るために極力戦闘を避ける人物として描かれている。最後は特攻に死すのだが、宮部の孫達が祖父の謎に迫るというミステリータッチの作りは観る者を惹きつける。原作者の力量だろう。

しかし、じぶんがもっとも感銘を受けたのは、おそらくこれが原作者の意図でもあろうと想像するのだが、” 戦争体験者は十年もすれば誰もいなくなる、その前に今の若者たちに伝えておくべきことがある ” という強いメッセージである。これにはじぶんも強く共感する。問題は何を伝えるべきなのかということだ。『永遠の0』も一つの物語にすぎないということである。

昨年、ジブリから宮崎駿監督の『風立ちぬ』が公開となった。奇しくも、こちらもゼロ戦がモチーフの作品だった。先日、DVDで改めて『風立ちぬ』を観た。やはり、以前の宮崎作品とは一線を画しているように思われる。娯楽作品として割り切れないのである。『風立ちぬ』も『永遠の0』と同様のメッセージ性を持つ作品と言える。戦後七十年を経て同じ時期に公開となった二つの作品、これは偶然なのか。しかも、二つの作品の伝えようとするメッセージは異なる。宮崎駿 と 百田尚樹 は互いの作品を観てはいないと想像する。

今近隣国には、あの時代の一部を深くえぐって物語化しようとする勢力がある。そんなことをして何の意味があるのか、素朴にそう思うのだが、そのことに執念を燃やす「魂」が存在することだけは否定できない。今後、我々がどれだけの普遍性ある物語を紡ぎ出すことができるのかが問われる。

この国、そしてかの国に、たくさんの成熟した、そしてピュアでクレバーな「魂」が現れることを願わずにはいられない。

日本の物作り

  • 2014.01.19 Sunday
  • 10:55
昨日新聞を見ていたら、航空自衛隊の新型輸送機の試験中にトラブルが起きたとの記事が載っていた。

 防衛省が開発中の新型輸送機「C2」の地上試験中に、貨物扉が脱落した。2014年度末までに同機の開発を終え、順次部隊に配備する予定だったが、今後の計画に影響が出る可能性もある。C2は老朽化が進むC1輸送機の後継機種として01年度に開発が始まった。姉妹機の哨戒機「P1」と合わせて開発費は4300億円を超える。機体の強度などを巡るトラブルが相次ぎ、開発期間はすでに3年延長されている。

C2輸送機

ふーん、と思い何気にテレビに目をやると「下町ボブスレー」という番組(再放送?)をやっている。大田区の町工場が集まってオリンピックで出走するボブスレーのソリを作ろうというもの。結果は、惜しくもラトビア製のソリに日本代表の席を譲るかたちになってしまったのだが、町工場の社長たちの熱い想いが伝わってきて、思わず見入ってしまった。

下町ボブスレー
http://bobsleigh.jp/

今回は残念な結果とはいえ、短期間でゼロから世界に通用するところまで仕上げたというのは驚きである。大田区の町工場の意地をみせた結果と評価できるものだ。

さて、日本の物作りの実態はどうなのだろうか。大手家電メーカーの苦戦ばかりが大々的に報道されるので、他の分野も苦戦しているのだろうと勝手に思い込んでしまっているのだが、実際は結構善戦している分野も多いのではないだろうか。本当のところを知りたいと思う。メディアも頑張ってもらいたい。

じぶんは、ずっと日本の物作りに期待している。今や世界経済の中で、物作りの占める規模の割合は小さくなってしまったのかもしれないが、日本は金融商品よりも物作りのほうが合っていると思う。それも、これからはかつての少品種大量生産ではなく多品種少量生産という時代になる。そういう意味では、日本の町工場の実力はまだまだ世界に誇れるものを持っていると確信する。

航空・宇宙も期待できる分野ではないだろうか。昨年は宮崎駿監督『風立ちぬ』が話題になり、明けては百田尚樹原作の映画『永遠の0』が好評だという。奇しくも、どちらもゼロ戦がモチーフとなっているのは面白い。昨年のイプシロン・ロケットの盛り上がりといい、やはり日本人の物作りの血が騒ぐのだろうか。

それにしても、ソリにしても航空機にしても新しいものを開発するというのは大変なことである。思わぬトラブルにその都度対応していかなければならない。” 想定外 ”という言葉が飛び交った時期もあったが、物作りのスタンスとしては、開発段階で想定しておかなければならない課題にちがいない。そして実用の段階では、ハードウェア、ソフトウェア、ヒューマンウェアの三位一体のオペレーション・システムが不可欠となる。

「下田町のボブスレー」と「C2輸送機のトラブル」を見て、改めて日本の物作りへの期待と課題について考えてしまった。

2030年の世界を予測する!!

  • 2013.10.16 Wednesday
  • 13:48
あまり此の手の本は買わないのだが、久しぶりに買ってしまった。4ヶ月ほど寝かせてしまったが、一通りザーッと読んでみた。どんだけ信憑性があるのかなァと思ったり 、何となくそんな気もするなァと思ったり、どちらにしても、そんなにインパクトを与える内容とは思えなかったのだが、しかし。
 
2030年世界はこう変わる2030年世界はこう変わる
アメリカ情報機関が分析した「17年後の未来」
講談社(amazon
2013年4月 発行

評論家の立花隆氏が本書の序文を書いている。序文のタイトルが「本書を誤読する人と精読する人では大きな差がつくだろう」というのである。立花隆と言えば、じぶんが長年 ”ものの見方考え方” を学んできた人物の一人でもある。このところ、あまり著書に縁がなかったのだが、その先生の提唱することなので注目すべきであるとは思った。ただ、一読したところでは、本書の内容にそんなに目新しいものは感じられなかった。

本書は米国国家情報会議 NIC(National Intelligence Council)によって編纂されたものである。NICは、CIAや国防総省、司法省、国家安全保障省ほか、アメリカの各情報担当機関や著名大学の学者から提供された膨大な情報をもとに、15年〜20年程度のスパンで世界情勢の予測を行う国家の諮問機関として、1979年に設立されたという。よって、そもそも、この報告は大統領と閣僚、議会有力者などにしか公開されなかった。しかし、今は一般にも公開されるようになっている。もちろん、大統領などには別バージョンのディープ版が渡っているはずと、立花氏も述べているが、一般公開するようになったことの意味(?)は不明だ。

欧米、日本の後退と中国、インドの台頭。進む高齢化と食料・水・エネルギー問題、等々。どれも、以前から評論されている問題である。もっとも、本書では、上記問題についてもあくまでトレンドであり、現実にはそれらが複雑に交錯したものになると考察している。

報告書のまとめとして、2030年の世界の姿は無限に想像できるとしながらも、そのなかから4つのシナリオを紹介する。
    峅な橡徑遏弖
   ◆嵎特羔調」型
   「格差支配」型
   ぁ嵌鸚府主導」型
以上四つの型である。これについても、シナリオのどれか一つに沿って変化するというよりは、この四つのシナリオが複雑に絡まったものになるとしている。" ◆嵎特羔調」型 " がもっとも楽観的で世界経済全体が押し上げられるというのは、当事者国の強い潜在的願望であろうか。

やはり、天気予報を思わせる。天気予報の精度はむかしに比べれば隔世の感があるが、それでも翌日の天候さえ外れるわけである。17年後の世界(人間社会)など"当たるも ”八卦当たらぬも八卦" であろう。と、じぶんは正直なところそう思う。

しかし、このような報告書が無意味だとは思わない。本書のような報告書を前にも読んだことがある。『成長の限界』である。
 
成長の限界成長の限界
ローマ・クラブ「人類の危機レポート」
ドネラ H.メドウズ
ダイヤモンド社(amazon
1972年5月 発行

1972年の出版なので41年前の本である。じぶんも、出版後まもなくに買っているので、40年前に読んでいる本だと思う。手元にないので引っ越しの時に処分してしまったらしい。今なお再販されているというから超ロングセラーだ。内容はすっかり忘れてしまったが、指数関数で表される現象の異常さに初めて目を開かされたことは覚えている。環境、資源(食料・エネルギー)など、自然現象の影響下にある事象を対象にしていたためか、データを駆使して理路整然とした内容だったように記憶している。そして、この報告書が、以後、世界の関係者の意識・無意識に働きかけ、施策・研究等の促進に影響を与えたと確信する。

そういう意味で、未来予測の報告書は有益に機能する期待が持てる。本書『2030年はこう変わる』はどうだろうか。じぶんは、本書にはストーリー性を強く感じる。もちろん、元本の内容は知るよしもないのだが。本書を読んでいて、連想したイメージが 川尻徹著『滅亡のシナリオ』だった。これも古い本だが、まだ手元にある。

 
滅亡のシナリオ滅亡のシナリオ
川尻 徹 著
祥伝社(amazon
1985年 2月 発行

復刻版
クレスト社
1995年12月 初版発行


 
本書(復刻版)について、立花隆氏が「週刊文春」(平成7年7月27日号)に記事を載せている(じぶんは読んではいない)。奇しくも、オームによる地下鉄サリン事件が発生した年であり、麻原彰晃が本書(原本)の愛読者だったということで、復刻版が企画された経緯がある。

立花氏は記事のなかで、「なぜ(麻原は)ハルマゲドンを自ら起こそうとするなどという無謀な試みをしたのか。そこのところがずっと謎だったのですが、最近一冊の本を読んで、謎がやっと解けた思いがしました。それは川尻徹という精神科医が書いた『滅亡のシナリオ』というヒトラーについて書かれた本です。麻原はこの本の熱心な読者でした」と述べている。

本書は、ヒトラーはノストラダムスの予言を実現するために第二次大戦を起こした、という内容の本である。一般的には「とんでも本」の範疇に入れられてしまうのだろうが、じぶんは、簡単に割り切れないものを感じている。川尻徹・説の正否はともかく、人間社会ってそういうことがあり得るのではないか、そう考えておいた方がいいのではないか、と思うのである。事実、麻原彰晃はそれを証明するような事件を起こした。予言(予測)を実現するには、それを実行しようとする勢力が現実に行動を起こすことが、もっとも実現の可能性を高める方法となる。

『2030年はこう変わる』はその正確さを問うよりも、むしろ、ノストラダムスの予言と同じと考えた方が的を射ているのではないかという気がする。本書が広く世界中に広まり、各社会の多くの影響力を持つ人々に読まれれば、ヒトラー(事実は不明だが)のように、麻原彰晃のように、その予測(予言)の実現のために、意識的あるいは無意識に行動を起こす人物・団体が出てくるかもしれない。

本書のオビに立花隆氏のコピーが載っている。”「日本はもはや復活しない。アメリカは2年後、中国も12年後にはピークを過ぎる。すさまじい大変化が起きるだろう立花隆 ” と印刷されてあるのだが、これの意図は何か。確かに、本編に同様の内容が載っているのだが、断定的な表現ではない。このコピーが立花氏によるものなのか、出版社によるものなのか、聞いてみたいところである。同じく、序文の「誤読」と「精読」についても、もう少し詳しく解説してもらいたいものだと思う。

しかしながら、本書には、細かい記述だが「なるほど!」あるいは「なに??」と思わせるような箇所がいくつかあった。それは、” 欧米型の価値観と新興国側の考え方を混成させた「ハイブリッド型」のイデオロギーへの期待 ”、” 世界のインターネット利用の9割が民間企業30社を通じて行われているが、これらの企業の監視体制の強化によりインターネット犯罪の撲滅が可能 ”、”「遺伝子組み換え食物」は増え続ける世界人口の胃袋を満たすうえで有効な技術 ”、そして、” 無人トラクター、マイクロ灌漑などの農業技術 ” などである。

本書『2030年はこう変わる』にも、シナリオは無限にあると書かれている。未来社会は世界の人々の強いヴィジョンによって創られると考え、さらに、本書に記載されているシナリオは可能性の一つとして、良き未来のイメージを作りのための糧とするならば、本書も大きな役割を果たすことになるのではないだろうか。
 
関連投稿:東日本大震災は人工地震だった? (2011/04/30)
     脳を鍛える (2011/01/10)

平成の正念場を迎えて

  • 2013.09.28 Saturday
  • 21:19
オリンピック開催までの7年は、”平成・正念場の年間” と捉えることができるのではないかと思い始めている。この時機にオリンピック招致が決定したということは、本邦にとって大きな試練を与えられたことになると同時に、未来に向けての好機到来と考えることもできる。

長年低迷している経済問題、にわかに荒れ出した隣邦につながる海流、そして平成11年3月の大震災を考えると、本邦の将来は暗澹たるものに思えてしまう。一見八方塞がりに見えてしまうゲーム展開で、世間では、批評家たちが弱腰だとか、孤立するとか、それぞれ思い思いの勝手な意見を展開する。しかし、どれもこれも妖しげで曖昧なものに思える。

しかし、オリンピックに続き、次期駐日大使としてケネディ大統領の長女キャロライン・ケネディ氏の就任が確実となり、さらに新型ロケット「エプシロン」の打ち上げ成功、リニア新幹線の話題など、昨今、本邦を明るくするようなニュースがバックアップする。

しかしながら、オリンピック招致でも課題になった福島原発の汚染水問題、いつ起きるとも分からぬ東京直下型地震、今夏に体験した猛暑とゲリラ豪雨に暴風と竜巻など、自然の不安も拭いきれない。このような状況を前提としたオリンピック開催を考えれば、単に ”スポーツの祭典の開催” などと割り切れぬ思いが残る。

怪しくゆらぐ隣邦をみれば、この7年の間に、陰に日向に機を見て足を引っぱる行動に出てくることは想像に難くない。内に経済と災害、外に小難しい隣人への大人の対応と、頭の痛い問題を抱えながらオリンピック開催までの準備を整えることを考えると、まるで年老いた異邦人でもあるかのように、うつろな目で ”大変だなあ” と見てしまうじぶんがいる。

しかし、一方で、この7年で本邦の諸問題を解決するために、邦人一丸となってその解決に取り組むよすが(縁)とするならば、これを千載一遇の機と捉えることも可能だという強い想いもある。行政改革、財政改革、教育改革、法整備、原発・エネルギーの展望、インフラ整備、震災地と地方の再生、などなど。もし、7年後のオリンピックに向けて、これらの問題解決に本気で取り組みための動機付けになるとするならば、神風が吹き次の御代に向けての大きな進展になりうるかもしれないのである。

今、一人の団塊世代老人として思うところは、積極的な支援はならぬとしても、せめてお邪魔にならぬように生きたいうことである。じぶんの住まいの近隣にも老人が増えたなあと実感する。どこに出かけても老男女が目立つ。そして気になるのが、いろんな場で見かける無自覚・無神経な老人たち。老いの為もあるのだろうが、同胞として、見ていて本当にみっともなく恥ずかしい。

高齢者再生は本邦再生のカギであるというのが、じぶんの信念である。高齢化社会が避けることのできぬ現実であるとするならば、そのことに蓋をするのではなく、積極的に社会構造の改革をすべきであると考える。限られた人的資源を有効に活かさぬ手はない。この7年でどこまで実現できるか。それは、オリンピックのみならず、以後の本邦の行く末を占うカギにもなる。じぶんはそう思っている。

今どきの若者と日本の未来

  • 2013.06.28 Friday
  • 21:01
27日、韓国大統領が慣例を破り日本より先に中国を訪問した。マスコミは、すぐに ”日本外しか?” と反応、また、就任後異例の早さで中国国家主席が訪米し、米中首脳会談が行われたときも、”8時間”という長い会談時間に過敏に反応していた。

こんなマスコミの報道を見聞きするたびに本当に違和感を覚えてしまう。むろん、国を代表する人物の行動は重要な情報の一つではあろうが、しかしこの表面的に報道されていることが、この世界でどれだけの意味を持つのだろうか。大半の人びとはマスコミがスポットライトを当てる処しか見ない。しかし、スポットライトの当たっている処などほんのごく一部分にすぎない。ほとんどの社会的現象はスポットライトから外れた処にある。

世界がネット(インターネット)社会に向きだしてから、スポットライトの当たらない処にも、いろんな脈動が感じられるようになった。いつも旧態依然とした処にのみスポットライトを当てているマスコミも、時折そのライトを探査モードに切り替えるときがある。

税所篤快くんもそんなタイミングで発見された一人なのだろうか。じぶんは書店で著書を見かけるまで全く知らなかった若者だ。本のオビに、”朝日、日経、日経ビジネス、アエラほか各メディアで話題!”、”NHK「おはよう日本」 日テレ「ニュースZERO」ほか出演で大反響!”、”東大、ユニクロ、DELLがこぞって出資する24才”と記されているので「時の人」と呼んでいいだろう。税所篤快著『「最高の授業」を世界の果てまで届けよう』(飛鳥新車:amazon)を読んでぶったまげた。

「最高の授業」を世界の果てまで届けよう

税所篤快(さいしょ あつし)さん プロフィール
国際教育支援NPO「E-Education」代表。早稲田大学教育学部4年在学中。1989年生まれ。東京都足立区出身。2009年、失恋と一冊の本『グラミン銀行を知っていますか』をきっかけにバングラディシュうに渡り、19歳でグラミン銀行グループの研究ラボ初の日本人コーディネーターに就任。翌年、事業「e-educationプロジェクト」を立ち上げる。その後独立し、バングラディシュの貧困地域の高校生を対象に、DVDを使った映像授業を展開。初年度の2010年、最難関のダッカ大学に合格者を出す。現在は「五大陸ドラゴン桜プロジェクト」をかかげ、バングラディッシュ、ルワンダ、ヨルダン、ガザ地区などでe-educationの活動を展開している。2011年、世界経済フォーラム「グローバル・シェイパーズ・コミュニティ」選出。2012年、米DELL主催「ソーシャル・イノベーション・チャレンジ」世界3位に入選。2013年、ユニクロ主催のチャリティファンド”Clothes for Smiles”プロジェクト選出。現在、「ソトコト」「日本ビジネスオンライン」に活動レポートを連載中。著書に『前へ!前へ!前へ!』(木楽社)がある。

e-Education : https://www.facebook.com/eedu.jp


これが次世代を生きる新らしい日本人なのだろうか。じぶんの世代、じぶん等の子供の世代とはまた異なる日本人が誕生しているのではないかという思いがしている。著者は現在24才の大学7年生。足立区に生まれ、小中学校はそこそこの成績で何とか都立両国高校に入学したが、早々に落ちこぼれる。しかし、これが彼の人生を変える端緒となる。

高2の夏に、運命の出会いが訪れる。「日経エデュケーションチャレンジ」というイベントで一橋大学イノベーション研究センター教授の米倉誠一郎(wikipedia)氏との出会いだ。この出会いに触発され、落ちこぼれから心機一転 、T予備校に通い早稲田大学教育学部に合格する。

このT予備校(DVD授業)との出会いも、その後に繋がって行く。入学後、大教室の授業では、居眠り、マンガ、携帯電話、そしてそれを意に介さない先生に疑問を持ちやる気をなくす。しかし、ここからが彼の真骨頂、いろんな事に首をつっこみ、まずは行動を起こし失敗の体験を積み重ねていく。

そして、失恋を契機に「社会企業家」を目指すようになり、一冊の本と出会う。秋田大学 坪井ひろみ著『グラミン銀行を知ってますか』(amazon) である。これをきっかけに、彼はバングラディッシュまで出かける。

その後紆余曲折を経て、日本の予備校システム(DVD授業)で恵まれない子供たちの教育支援を目的とする「e-Education」を立ち上げ、2013年4月現在でバングラディシュ、ルワンダ、ヨルダンとガザ、フィリピン、ベトナム、ハンガリー、インドネシアで活動を続けている。彼らのDVD授業の特徴は講師に拘っていることだ。その国、その地域一番のカリスマ教師を探すところから始める。これは日本の教育にも有効な手立てだと思う。

ともかく、驚くのは彼の行動力と、世の役に立ちたいという一途さ、本当の動機は失恋だったと白状する素直さである。そして、少年期からネット社会に馴染んでいるため、ふつうに高いICTリテラシー(※)を身に着けている。瞬く間に、グローバルに仲間を形成する。まるで幕末期の青年(志士)を見る思いがする。
※ICTリテラシー:ネットワーク通信による情報・知識の共有化能力

世界の東方で、縄張り争いを続ける習さん、金さん、朴さん。そろそろ足を洗って、堅気になろうという気にはならないものだろうか。とくに、金さんは新人類、税所篤快くんに近い世代ではないか。辺境の晋さんも、旧い任侠道への憧れなどは捨てて、お天道様の下で恥ずかしくないような道を歩んでもらいたいものだ。

どちらにしても、ヤクザなオジさん、オバさんの時代は終わりに近づいているのではないだろうか。我々一般市民も、マスコミの報道ばかりに眼を奪われずに、しっかりと真の ”ながれ” を注視しなければならないのではないかと思う。このことはじぶん自身への戒めともしたい。

65歳雇用義務化による 「若者vs中高年」 問題?

  • 2013.04.17 Wednesday
  • 15:49
従業員を65歳まで雇用するよう企業に義務付ける 「改正高年齢者雇用安定法」 が、4月1日に施行された。 これも賛否両論あり、特に若者と中高年の世代間闘争に誘導するようなマスコミの記事も目にするが、これは本質から外れているように思える。じぶんがシニア世代だからと言うわけではないが当法律には賛成である。年金の受給開始が65歳に引き上げられることを考えればやむを得ないと思う。

ただし、中高年側の意識改革も必要である。法の権利を受容するだけでは能がない。これからの日本は、老若男女が広く参画して価値の創造に関われるような社会が必要になる。これがじぶんの信念である。そのためには、一般の人々も50歳を迎えた辺りから SECOND LIFE を真剣に考えるべきだと思っている。できれば、積極的に自分の人生を考え直して自分の LIFE STYLE を再構築すべきである。と、まあ偉そうなことを言ってしまったが、じぶんの定年後のあり様を見ればじくじたる思いがある。

しかしながら、今でも、若い世代に全てをおっ被せて済むことではないという考えに変わりはない。定年後まで面倒なことは負いたくない。第二の人生は趣味で楽しく生きたい。そんな声も聞こえてきそうだ。そういった意見に反論する気はない。それはそれで尊重すべきと思う。しかし、シニア世代の1割でも2割でも、社会参加の意識を呼び起こせたなら、どれほど日本の社会の力になるだろうかと想像するのである。却ってじゃまになるという意見もあろうかと思うが、それは ”考え方” 次第だ。

「改正高年齢者雇用安定法」 もいいが 「高齢者学び直し支援法」 でも作ってもらえないだろうか。じぶんがずっと思っていることである。シニア世代を一つの有望な消費マーケットとして考えるのも良い考えだが、逆転の発想で 「シニア市場」 の開拓という考え方はできないだろうか。 ”シニアの、シニアによる、シニアのための” と言えば語呂はよいが、”シニアのための” ではなく ”全世代のための” 市場を創造するのである。しかし、そのためには新たに学び直しの場が必要であるというのが持論だ。

シニア(例えば55歳以上)の学び直しのための場 −呼称は大学でも塾でもセンターでも良いと思う− を国内の要所に設立して、日本のシニアは等しく学ぶ権利を有するというものである。一例として立教セカンドステージ大学のような在り方あるが、他に多様な試みがあってよいと思う。重要なことは、いわゆる 「生涯教育」 とは一線を画するということである。ここでは最新の事実・理論等を本格的に学び、知識欲を充たすというより、何らかの具体的なアクション(起業・投資・NPO活動など) に結びつけることを目的とする。

こうして、シニア世代が 「改正高年齢者雇用安定法」 より 「高齢者学び直し支援法」 の方に興味を持つようになれば、新たな市場の誕生と雇用の流動性により社会に活気が出てくるのではないだろうか。じぶんの住む市に某大学のキャンパスがあり、その活用が縮小傾向にあると聞き、もったいないなと思っていた。たまたま、市のホームページに ”市長への提言” というコーナーがあることを知り、「シニア世代の学び直しの場」 として再生させることを提案してみた。返事を封書で頂戴したのだが、残念ながらさほどの関心を持ってはいただけなかった。

しかし、個人的に、この事は国策として実施してもいいのではないかとさえ思っている。少子高齢化への途をただ漫然と行くというのはつまらん話である。未来の日本を担っていくのは若者たちであるというのは、誰も異論のないところで当然のことだ。そこで、シニアの出番だ。巨大な金融資産を抱える(?)と言われるシニア世代。この国には 「若者 vs 中高年」 の構図があるとしても、むしろ、それを車の両輪として社会を支えあう存在にするという考えに転換すべき時に来ているのではないだろうか。

「ヤルタ会談」後の世界体制とは

  • 2013.02.04 Monday
  • 10:47
前回の投稿で、副島隆彦著 『ぶり返す世界恐慌と軍事衝突』 を参照した。その中で著者の持論 ”戦後の世界体制は「ヤルタ会談」で決められた” を取り上げた。その補足である。

近頃耳にする ” 「国際連合」- United Nations-は「連合諸国」と訳さなければならない ” という命題がある。つまり、連合諸国が敗戦国である日本とドイツ(とイタリア)を ”処分” してできあがったのが今の 「世界体制」 であるということ。今回、 『ぶり返す世界恐慌と軍事衝突』 を読んで、このことを改めて認識した。今まで、ほとんど念頭に無かったと言っていいほどである。

歴史で習っている事象ではあるが、それは過去のことであり、まさに”歴史”でしかないという思いだった。これは多くの日本人の意識ではないだろうか。しかし、まだこの命題が現実に生きているという主張は驚きだった。寝耳に水、目から鱗と言ったところか。そうすると、隣国の謂うところの ”歴史問題” とは、この 「世界体制」 を背景にした解釈と考えなければならないのかもしれない。

さて、著者 副島氏は、本書で尖閣問題に触れ、「施政権」 と 「領有権(所有権)」 の違いを問う。著者は、この「世界体制」 を前提にすると、尖閣諸島の 「施政権」 は日本にあるとしても、 「所有権」 は台湾か中国にあると考えるのが妥当と唱える。じぶんは、本書を読んだだけで、著者の説が正当なものかどうかは判断できないが、今の日本政府の 「領土問題は存在しない」 という見解だけで、果たして通しきれるものなのかどうかを危惧する。

著者の言うこの 「世界体制」 については、不当、時代遅れなど色んな意見を述べることはできるが、もしこれが国際的な現実とすれば、ここからスタートするしかない。個人的にも、この 「世界体制」 が前向きで未来志向の体制とはとても思えない。しかし、その想いも一方的な主張だけでは何ら解決には至らないのが道理だ。この 「世界体制」 の呪縛からの解放は、時間を要することではあろうが、日本の大きな外交テーマであり、また役割ではないだろうか。

 野田首相は、よくもまあ国連総会(2012.9.26)で 「国際社会の法と正義に訴える」 と言えたものだ。「国際社会」 とは何か、が分かっていない。国際社会とは 「戦後の世界体制」 のことであり、「ヤルタ=ポツダム体制」 のことなのだ。
 だから何としても話し合いをして、日本の主張と中国の主張を闘わせながら、折り合いをつけなければならない。何があっても話し合いで決着するべきだ。この海域の共同管理、共同開発で折り合うべきだ。アジア人どうしで、また欺されて、戦争をすることになったらどうするのだ。「アジア人どうし戦わず」 は、長年の私の血の叫びだ。
 日中両国は、これまで血のにじむ努力で平和にやってきたのである。共産主義の中国で、たくさんの人が殺された、だから中国人は残虐だ、というのは中国国内の話である。だから中国人は信用できない、不気味な民族だ、などと言うのは、自分のことを省みないで吐く暴言だ。それは右翼たちの歪んだ精神から出てくるコトバだ。他人のことを蔑むだけの言動は慎まなければいけない。人間はつねに努力して、他者に対して上品でなければいけない。

 私たちは、現在と将来にわたって責任ある行動をしなければいけない。この緊迫した時期に、真剣に知識を集め、深く考えなければいけない。すぐにでも日中の政府間の話し合いを始めるべきだ。それが大人の態度というものだ。日中の戦争だけは絶対に避けなければいけない。

著者のコトバである。著書に記載してあるストーリーの真実性を判断することはできないが、上記メッセージについては、ほとんど共感できる。今、日本の、日本人の採るべき道を示しているのではないだろうか。一時の感情に流されて道を誤ってはならない。もっとも、これは日本だけではなく、隣国の人々にも考えてもらわなければならないことではあるが。

「大日本帝国」 の亡霊

  • 2012.09.14 Friday
  • 19:35
今、 ”「大日本帝国」の亡霊” が極東を徘徊している。ヨーロッパでは1967年EC(ヨーロッパ共同体)が成立、後にEU(欧州連合)へと発展する。経済的側面が大きいのかもしれないが、やはり2度の大戦を経験して3度目のリスクをゼロにしたいという願いもあるのではないか。

一方アジアでは、1989年の冷戦終結後、日本のバブル経済の崩壊が始まり、対してアジア各国が力をつけ始める。そして、2010年にGDPランキングで中国が日本を抜いて2位となる。中国は経済力の発展と共に軍事力を増強し現在にいたる。昨今の尖閣問題もこのような中国の状況と無関係ではあるまい。

ヨーロッパでは不完全ながらも相互扶助を背景にした働きがなされているが、アジアでは全くそのような兆候が見られない。中国も国内に目を向ければ様々な利害が対立し、とても一枚岩とは言えないのが現実だろう。それは日本も同じこと。が、今の中国外交行動を俯瞰すると、どうしても ”大日本帝国の亡霊” に取り憑かれているとしか思えない。怨念と憧憬が絡みあった複雑な深層心理。

しかし、もはや 「大日本帝国」 は過去の歴史に葬り去ったもの。そんな亡霊に取り憑かれた国に未来はない。中国は一刻も早くその呪縛から自らを解放し新しい道を切り開くべきだろう。一方、日本は決して自らが ”「大日本帝国」の亡霊” を呼び込んではならない。しかし、現政府、さらに東都首長の言動を見ていると心配になる。

当面は対症療法で、あの手この手の手をうつしかない。戦後67年、我々は経済力は低下しても平和な生活が無条件に続くと思っていた。しかし、今、歴史的転換期に直面しているのかもしれない。不本意であっても、政府、官僚のみならず民間を含めた総力戦で取り組む覚悟が必要なのではないか。

しかし、亡霊に取り憑かれた異邦に対するには、最終的に 「高い精神性」 しかないだろう。

揺れる国境線

  • 2012.08.19 Sunday
  • 21:13
日本の国境線が揺れている。2010年9月の尖閣諸島での中国漁船衝突から始まった中国の領土問題アピール活動は、同年11月のロシアのメドヴェージェフ大統領時代(当時)の国後島上陸へと続き、今月10日の韓国 李明博大統領の竹島上陸、15日の香港漁船による尖閣上陸へとつながった。

”中露韓の包囲網” と評するネット記事も見かけたが、そんなに戦略的な組織だったものとは思えない。しかし、この機に乗じてという判断はおそらくあったろう。ロシアの場合は特にそんなケースに思える。いつもながら、理解困難なのは中韓両国である。前から囁かれているように ”内政問題” と見る方が的を射てるのだろうが。

”内政問題” を ”外交問題” にすり替えるというのが中韓両国の常套手段というのは、こちら側では常識になっているはずが、いつも振り回されるのは何故(?)。また、中韓両国が対日となると熱くなるのは何故(?)。”先の戦争” がトラウマになって、というよりトラウマになるように努力(あちら側では”教育”、こちら側では”洗脳”)し続けるのは何故(?)。

とにかく、理解困難なことが多い。今、香港の活動家たちが英雄扱いになっているというが理解に苦しむ。こちら側から見れば、この国が強硬な手段にでることはないというのが常識。そんな処に漁船で乗り付けるのは冒険家ほどのリスクもない。それで、何故英雄なのか(?)。それとも、あちら側からは ”尖閣上陸はエヴェレスト無酸素登頂に匹敵するほどの冒険” に見えているということなのだろうか(?)。

韓国大統領が ”日本はかつてのような影響力はない” と発言したらしいが、これは別に指摘されるまでもなく日本人自身が自覚している。そして、中国の強硬姿勢は日本の弱体化が誘因との見方もあるが、もしそうなのであれば、あの国の外交姿勢が意味不明だ。あの国が日本に比べて国力に本当に自信があるのであれば、日本などは放っておくのが得策に思えるのだが・・・。そうもいかない事情があるのか。

中国の若者だらけの反日デモを見ていると、教育の成果を思うと同時に中国政府の本音が揺らいで見える。中国政府、あるいは共産党は武力行使も辞さずの決意なのだろうか、もしそうなら何故なのか。益することが何もないように思えるのだが。また、デモに参加している若者たちの本心は何なのか。

中国政府、中国国民はアジアをどうしたいのだろうか。経済力、軍事力を強化したその先が見えない。まさか、かつての 「大日本帝国」 を範としているわけではなかろうに。そして、韓国も同様に、自分の国をどうしたいのか。韓国もまた 「大日本帝国」 の幻想に取り憑かれているわけではあるまい。

中韓両国の日本の歴史についての拘りは半端ではない。とすれば、過去の日本を反面教師としてアジアの協調関係構築に、先頭に立って尽力すべきは中国と韓国だと思うのだが。しかしながら、戦後の両国の対日外交を見ているととてもそんな気概は見当たらない。中国と韓国は、もうそろそろ日本の ”過去の幻想” から解放されてはどうか。本当にアジア、世界のために両国が貢献できる道を邁進してほしい。

この国においても、中韓両国とのお付き合いは悩ましいものではあるが避けて通ることのできない課題である。中韓両国の経済、外交政策を評価する意見もあるが、じぶんは範とすべきものではないと思っている。一時、経済面で中国、韓国がアジアの経済をリードする立場になったとしても、アジアそして世界の抱える政治経済問題が解決の方向に向かうとは思えない。日中韓、どの国もアジアをリードできるほどには熟成していない。

小さな領土問題に揺れるアジアを見ていると、アメリカの持つ経済的、文化的な底力、そしてヨーロッパの熟成した社会力には、残念ながらまだまだ適わないと思ってしまう。もともと、アジアは精神性こそ、欧米に対して誇れるものではなかったのか。経済力と引き替えにどこかに置き去りにしてしまったのだろうか。

いま、大前研一著 『企業参謀ノート』 を読みかけている。氏の大胆な発想力でスパッと解決策を提示してくれるかもしれない(?)。この問題については、また考えてみたいと思う。

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