タモリと戦後ニッポン、と私

  • 2016.02.29 Monday
  • 20:34
近藤正高著『タモリと戦後日本』(講談社)

武田鉄矢「今朝の三枚おろし」で取り上げられていた本で、面白そうだったので近藤正高著『タモリと戦後ニッポン』買って読んでみた。とても興味深く懐かしい感じがする内容の本だった。タモリは1945年生まれで、じぶんは1947年生まれ、同じ戦争を知らない子どもたちの世代だ。著者は、終戦の一週間後に生まれたタモリに戦後日本を重ね、戦後日本の文化の一面をえがこうとしている(と思う)。しかし、じぶんは今まで知らなかったタモリの側面に強く惹かれた。

以前からある程度の認識があったことだが、本書を通して、じぶんが、青春時代の一時期に、タモリの足跡に近いところをウロウロしていた頃があったことを改めて認識した。じぶんは、タモリこと森田一義氏の芸能界デビューに、ジャズピアニスト山下洋輔氏が強く関わっていたこと、そしてそれに関わる逸話も知っている。しかし、今回、本書によってその詳細とニュアンスの異なる幾つかのストーリーが存在することも初めて知った。

その逸話とは、1972年公演のため福岡を訪れていた山下洋輔トリオが、公演後にホテルで飲んで大騒ぎしていたところに、突如一人の男(実はタモリ)が現れて、フジ製の椅子(かゴミ箱)をかぶって踊っていた中村誠一(サックス奏者)に近より、彼の頭からかぶり物を奪い取り自ら被って踊り出し、明け方まで中村誠一とデタラメ外国語の応酬をしたという話だ。あまりの面白さに、山下洋輔がベッドから転げ落ちたというオチがつく。

早稲田大学に入学したタモリはモダンジャズ研究会に入る。初めは演奏者を目指していたらしいが、実力的に無理と断念し、後にマネージャー兼司会に転向する。しかし、これがはまり役で大活躍?の大学生活となる。この当たりから既に ” 奇人ブリ ” を発揮していたらしい。タモリがモダンジャズ研究会で活躍していたころ、じぶんはエンジニアを目指して都立の工科系短大に居た。タモリは高校時代にジャズに目覚めたらしいが、自分は上京してからモダンジャズという音楽を知った。友人がバイトをしていた赤羽の喫茶店でコルトレーンなどを聞いたのが最初だった。

タモリは、4年の大学生活の後、授業料未納で大学を除籍となり福岡に戻ることになる。タモリが失意?の中故郷に帰るころ、じぶんは諸事情?によりエンジニアを諦めて就職し、最初の職場がボーリング場だった。奇しくも、タモリも福岡に戻ってから、ある時期、ボーリング場の支配人などもやっていたらしい。ボーリングの最盛期に、タモリもじぶんもボーリング場で働いていたことを思うと不思議な感じがした。そして、じぶんが新宿のジャズ喫茶にマメに通っていたのもこの頃なのである。

本書の中にも、タモリが出入りしていた新宿のジャズ喫茶「DIG」とか「ポニー」等が記載されているが、じぶんも2年ぐらいのタイムラグがあるが、これらのジャズ喫茶に出入りしていた。タモリは、喋らずに静かに聞いていなければならない「DIG」よりも、下品な?「ポニー」の方が好きだったらしい、と本書に記されている。確かに、「DIG」の客は大音響で流されるモダンジャズのサウンドにひれ伏しているような感があったが、「ポニー」の方は普通の喫茶店に近い雰囲気だった。

タモリは、福岡に戻ってから、72年に山下洋輔と劇的な出合いをして、それが縁となりラジオ、テレビで大活躍するようになるのである。じぶんが、新宿の「ピットイン」で山下洋輔トリオを聞きに行くようになった頃は、テナーサックスの中村誠一がアルトサックスの坂田明に替ってからである。坂田明の加入が72年末らしいので、おそらく73年以降なのだろう。じぶんも既に25歳になっている。じぶんの記憶では、もう少し若い頃だったのではないかという気がしていた。

じぶんと山下洋輔との出合いは、タモリと山下洋輔が出合った時期と重なる。もっとも、出合いと言っても、じぶんのは山下洋輔トリオ・アルバムとの出合いである。山下洋輔トリオの生の前にアルバム『木喰』『ミナのセカンドテーマ』に出合っている。タモリの芸能界デビューには山下洋輔だではなく、様々な著名な文化人、業界人らが関わっていたことが本書に詳しく記されている。そして、そのステージとなったのが新宿のスナック「ジャックのマメの木」である。これらは山下洋輔の広い交友関係と、当時の新宿が日本のサブカルチャーのコアの一つであったことの証である。

そんな文化人の中のひとりにSF作家 筒井康隆がいる。 筒井康隆と山下洋輔とは互いに各々の作品のファンであることは周知のことだが、じぶんも同じ頃に両名の作品に出合っているのである。ただ、今となっては、どちらが先だったのかは曖昧である。筒井康隆に触発されて山下洋輔に向ったのか、山下洋輔に触発されて筒井康隆に行ったのか。しかし、筒井康隆の作品はフリージャズのようにハチャメチャで、山下洋輔トリオは筒井康隆SFのようにクレージーだった。

タモリはTV画面から知るのみだった。コメディ好きのじぶんは、やはりその特異な芸風がとても面白いと思った。スタジオアルタから「笑っていいとも!」 が始まると、タモリという名前は全国区になっていく。縁は異なもので、タモリも通ったジャズ喫茶「DIG」はスタジオアルタの裏手にあった。また、おそらくタモリも利用したと想像するが、安くて旨いロールキャベツが売りだった「アカシア」は、「笑っていいとも!」 が始まってからは若手お笑い芸人たちが立ち寄るレストランになったらしい。

この頃になると、じぶんも妻子持ちとなり郊外に住居を構え、新宿界隈は縁遠いものになっていた。同時に、ジャズからも自然と離れていく生活になってなっていく。それでも、出先の施設や店で軽快なジャズがBGMで流れているところに出くわすと、その心地良さにしばし耳を傾けることがあった。しかし、還暦を過ぎてiPodを手に入れてから、また音楽が身近な存在になってきた。そして、3年ほど前iPhoneに替えてからは、ジャズもクラシックもなお一層お手軽なものになった。

「笑っていいとも!」 が終わったとは言え、タモリはリタイアしたわけではない。さらに、ジャズピアニスト山下洋輔はまだまだ現役ど真ん中という感じだ。しかしながら、サラリーマンのような定年はないにしても、タモリも大きな人生の転換期にいることは確かだろう。彼がボーリング場(大分県日田市)の仕事をしていたときに、休みを利用してクルマで一時間ほどの集落に出かけ寺院などの探訪をしていたということなので、若いころから歴史に関心があったのだろう。今も歴史探訪的番組を静かに継続しているが、趣味と実益を兼ねた仕事と言えるのかもしれない。

さて、本書でじぶんが一番に興味を持ったのは、なぜタモリはジャズに惹かれ、山下洋輔に惹かれたのか、あるいは山下がタモリに惹かれたのかということである。タモリは早稲田大学文学部哲学科に入学している。

 高校の倫理社会で、何か偉そうなことをこいとるやつがいるなと。ぼくは能書きが大好きだから、これはこれは能書きばっかりことる学問があるぞ、これはいいなと。何を言っとるのかわからないがと、何だろうこいつはと、ムラムラッとのめりこみたくなるんですね。(PLAYBOY日本版編集部編『プレイボーイ・インタビュー セレクテッド』)

 ぼくが音楽を好きだというのは、意味がないから好きなんですね。(「ほぼ日刊イトイ新聞」)

 今でも、沖縄放送の公開番組とか、コスタリカのDJとか、まったく最初から何だかわかんねぇと、音の響きだけ聞いてるほうが、ぼくはものすごく気持ちがいいし、飽きずに聞いてられるんです。意味が入ってくると、とたんにもうつまらなくなる。(『プレイボーイ・インタビュー セレクテッド』)

本書に紹介されているタモリ本人の弁明はとても興味深い。なぜなら、じぶんが今一番知的な興味をそそられるのが言語体系だからだ。そう言えば、タモリの持ちネタは「四カ国語麻雀」、「ハナモゲラ語」など言葉に関する芸が多い。意味のない言葉はまさに音楽である。モダンジャズ、特に山下洋輔等がやっていたフリージャズなどは音の響きだけが意味を持つコミュニケーション空間である。

タモリは数学は嫌いだったと語っているが、哲学のような能書きは好きだったと言うのだから、根っこでは繋がっているのではないかと、じぶんは思う。じぶんは、若いころから数学、物理などの論理系に興味があった。しかし、そんなじぶんが、なぜモダンジャズ、特に山下洋輔のフリースタイルに惹かれたのか。当時は意識もしなかったが、「音楽の世界とは、クラシックのようなキッチリとデザインされたものと、ジャズのようにカオスを内包したモノの双方で構成されているのではないか」と内心感じていたのかもしれない。

筒井康隆のSF作品もそうだ。筒井康隆は、正気を保っていなければ狂気は書けない、と語っていたように記憶している。ハチャメチャな物語もクレージーな演奏も見た目より難しい。じぶんは当時からそう思っていた。タモリの偽外国語の芸もそうだろう。ベースに哲学(能書き)を語るタモリがいるのである。言葉の意味って何だろう。何でもかんでも言葉(母国語)に翻訳しようとするのは、もしかして間違いではないか。今、そんな想いに捕らわれている。

タモリとは「日本の戦後」そのものだった。著者は、戦後日本の文化を支えた下部構造であるサブカルチャーの象徴としてタモリを捉え、戦後日本を語ろうとしたのだと思う。さりながら、じぶんは、老年期のじぶんと青年期のじぶんが繋がった存在であることを再確認するための情報ネタとして、本書を読んでしまった。
 


タモリタモリと戦後日本

講談社(
amazon



著者 近藤正高

1976年愛知県生まれ。ライター。サブカルチャー紙「クイック・ジャパン」の編集アシスタントを経て1997年よりフリーランス。「ユリイカ」「週刊アスキー」「ビジネスニュース」「エキサイトレビュー」など雑誌やウェブへの執筆多数。著書に『私鉄探検』、『新幹線と日本の半世紀』。現在、ウェブサイト「cakes」にてコラム「一故人」を連載中。

 

デビット・ボウイ逝く

  • 2016.01.16 Saturday
  • 21:18
 デビット・ボウイ死去のニュースが流れた。著名なミュージシャンであることは承知していたが、じぶんと同世代(69歳)であることを初めて知った。映画「戦場のメリークリスマス」ぐらいは認識しているが、彼の楽曲はほとんど分からない。しかし、同世代であることが気になって、ネットで検索してみた。

テビット・ボウイ作品のスタイルとしては、様々なジャンルに挑戦しており、ウィキペディアにもマルチ・ミュージシャンと記されている。

じぶんが青年期に集中的に聴いたのはモダンジャズだった。いわゆるロックスタイルの作品には、この歳まであまり縁がない。団塊世代で田舎育ちのじぶんには馴染まなかったのだろうか。

改めて、どうしてなのだろうと思う。ただ、今、じぶんの個性にちょっとロックのテイストがあったなら・・・などと思ったりする。そして、じぶんの人生がどんな風に変わっていただろうかなどと思いが廻る。

良い悪いではなく、じぶんに理解出来ない作品というものがある。以前から感じているものに尾崎豊の「卒業」(Uta-Net)という歌がある。この歌詞がほとんど理解出来ない。尾崎豊は1965年生まれと言うから、じぶんと比べ18歳も若い。

この歌は中高生の頃を歌ったものと思われる。とすれば、該当するのは1980年代初頭、日本が順調に経済成長を遂げていた時期ではないか。中高生の頃は、心の成長の早い者が体制に過敏に反応したりすることも分からないではない。しかし、この時代の中学・高校という組織が、この歌詞にあるように、こんなに若者にとって窮屈なものであったのかということが理解できないのである。

そういう意味で考えると、まだロック・スピリットの方にシンパシーを覚える。しかも、ロックンローラーの方は古希になってもまだ現役たろうとするわけで・・・。おそらく尾崎のメンタリティはそこまで持たないだろう。尾崎にもロックテイストがあったら良かったのかもしれない。

ボウイ死去のニュースからこんな話になってしまった。
シェキナベイベー(“Shake it up Baby”)!!

映画「スター・ウォーズ」のリアリティ

  • 2015.12.06 Sunday
  • 23:50
 映画「スター・ウォーズ」が復活する。12月18日に全国一斉に『スター・ウォーズ/フォースの覚醒 』が公開となる。ずっと話題になっていたので注目していた。特別に熱いファンではないのだが過去の作品は全て観ている。今回はディズニーが製作することでも注目だ。

STAR WARSさて、じぶんがどうしてこの作品の復活に惹かれるのか判然としない。何故か混沌とし始めたこの世界に関係しているのではないかという感覚はある。歴史は繰り返すというが、かつての帝国主義が甦ってきたのかと思わせる世界情勢と「スター・ウォーズ」のストーリーがダブる。

ジェダイのフォースの力でコントロールされていた銀河共和国が腐敗により弱体化し、フォースの暗黒面に囚われたシスによって銀河は帝国が支配するようになる。遺された少人数のジェダイと帝国の闘い、これが「スター・ウォーズ」の筋である。

「スター・ウォーズ」はアメリカの作品であり、やはり現実のアメリカ社会を反映した作品であろう。具体的に誰がジェダイで、誰がシスなのかというのではなく、社会のあらゆるレイヤーにこの構図があるのではないかと思えるのである。一人の人物や組織の中にフォースの光りの部分と闇の部分が共存しているのが現実ではないか。

しかし、アメリカを国という単位で計れば、やはり強大な軍事国家であり、光りと闇の力を使い分けてきた国と言える。先頃、GYAO!で M1エイブラムス戦車の再生工場のドキュメントを見た。暇つぶしに何気に見始めたのだが最後まで見入ってしまった。

M1M1戦車は1980年に正規採用されたが未だ現役バリバリの戦車である。ガスタービンエンジンを装備しているということも驚きだが、もはやこの新しい戦車は生産されていないのだという。

稼働中のものをメンテナンス、改良、再生して使い続けているわけである。そのために、二か所の巨大な工場を稼働させている。映像はこの再生過程を紹介しているのだが、新しいものを生産している工場とは違う凄味を感じる。国の戦闘力を維持していくという強い意志を感じる。こんな国が他にあるのだろうか。あの中国でさえここまでは・・・。

巨大な原子力空母とスターウォーズの宇宙船。じぶんの中で二枚のイメージがダブる。

空母

space-carrier

どちらもアメリカが作った?ものである。スターウォーズのストーリーだけではなく、登場するメカたちもリアルなアメリカとダブる。アメリカならばこその映画が製作できた。アメリカには、象徴的に、フォースのライト(光)な面もダーク(闇)な面も混在する。

弱まってると言われるが、良きにつけ悪しきにつけ、この世界におけるアメリカの影響はやはり大きい。何となく怪しくなってきた世界情勢の中でアメリカがどう動くのか。世界はどうなるのか。アメリカ大統領、いや「闇の権力者」ですら全てを見通せないのではないか。

今度封切りになるのは「フォースの覚醒」だが、やはりライト面ばかりでなくダーク面も覚醒することになるのだろう。何となく、この映画でリアル世界の未来を占ってみたい誘惑にかられる。年内はシネマも混雑しそうだ。明けてから、ゆっくり観に行こうと思う。

超リアリスト、副島隆彦という人 (2014/08/15)

下町ロケットを考える

  • 2015.11.07 Saturday
  • 20:47
先月、家で一人のときに何気につけたテレビでドラマをやっていた。阿部ちゃんが熱い演技をやっている。タイトルをチェックすると『下町ロケット』だった。池井戸 潤・小説のドラマ版とすぐ分かった。原作は読んでいない。最近はほどんどドラマを見ることはなく、すぐにチャンネルを変えるかテレビのスイッチを切ってしまうだろうと思っていたのだが、結局最後まで見てしまった。

下町ロケット
http://www.tbs.co.jp/shitamachi_rocket/

表現が多少大仰だが、それがイヤミになっていない(と、じぶんは感じた)。作風が、なんか ” 踊る大捜査線 ” っぽいなと思った。後でネットで調べたら、結構話題らしい。割と女性に受けているというコメントもあった。そうなんだ?、と思った。

じぶんが見たのは第一話だったようだ。そんなことも知らずに惹き付けられて見てしまった。一週間後、第二話を見た。そして第三話はネットで見た。やはり面白い作品だと思った。世間の評価はネットなどで散見できる。しかし、何故じぶんがこのドラマを面白いと思ったのかを、じぶんなりに考えてみた。

結論、この作品はファンタジーなのである。だから大仰な表現が許され、むしろそれが活きてくる。じぶんは昔からアニメが好きだ。アニメは作品の内容に関わらず、いつもファンタジー性を具有している。じぶんはそれが好きなのだと思う。実写は良くも悪くも出演者の生のイメージを引きずってしまう。何がリアリティなのかも分からない。

吉川しかし、ドラマ「下町ロケット」では、演出と出演者に依るところが大きいのかもしれないが、まるで歌舞伎を見ていると思わせるようなところがある。原作はもっとリアリティのある作品となっているのかもしれないが、ドラマの方はファンタジーなのである。

日本には元来、職人・匠をリスペクトする文化があるように思う。そこを上手にくすぐるファンタジー作品となっている。職人はカネだけでは動かない。かつてそんな生き方をした日本人たちがいた。現代人にもそんな生き方への憧憬が潜んでいる。だから、このドラマ成功したのではないか。そして女性にも受けた。

さらに、ドラマ「下町ロケット」は ”大人の童話” と言ってもよい。子どもは童話で育まれる。大人だって童話で育まれるのである。否、育まれるまでとは行かなくとも、疲れ切った大人たちへの一服の栄養剤に なる可能性を秘めていると思う。もしかしたら、このドラマは揺れる日本社会からの暗黙の要請によるものではないだろうか、そんな妄想も生まれてくるのである。

また、全く個人的な事情だが、今、「エンジニアリング」という言葉を再確認してみたいと思っている。かつてエンジニアを目指していた頃があった。ロケットならぬ航空機エンジンのエンジニアである。今思えば、あの頃のじぶんの精神はエンジニアを志向してはいなかった。むしろサイエンティスト志向であったのではないかと思う。

mrj

honda jet


今、MRJ(三菱リージョナルジェット)、そしてホンダジェット開発のニュースに触れて、その成功を願うと共に、その開発過程での「科学」と「工学」の葛藤を想像してしまうのである(経済も広く科学と工学の範疇に入る)。ドラマ「下町ロケット」はそれを象徴しているように思われてならない。

どちらにしても、このドラマ「下町ロケット」は、じぶんにとって本当に久しぶりに愉しめるテレビドラマであることは間違いない。でも、残念ながらじぶんのテレビ離れは止まらない気がする。

アニメ『バケモノの子』を観てきた

  • 2015.07.21 Tuesday
  • 20:19
ジブリの宮崎駿監督が『風立ちぬ』を最後に引退宣言をしてさびしい思いがあった。監督はジブリ美術館の関係で、まだアニメ制作等にも携わっていくようだが、嘗てのような大作を期待するのは難しだろう。今は、「辺野古基金」の共同代表に就任するなど、アートより社会活動に軸足を移されたように見える。

前の投稿では、安保法案を考える上で監督の会見内容を参考にするということでご登場願ったが、個人的にはちょっと残念な思いがある。しかし、会見の席では、困難な道を覚悟の上で永続的に「辺野古基金」の活動を続けたい、との固い決意を表明されていた。宮崎駿監督の人生の総括にとって、重要な一ページになるのだろうと推察できた。

細田守監督『バケモノの子』が封切りになったので観てきた。前に、ビデオで『おおかみこども雨と雪』、そして『サマーウォーズ』を観て愉しませてもらった。宮崎駿監督の引退もあり、細田守監督の最新作には大いに期待するものがあった。

バケモノの子
http://www.bakemono-no-ko.jp/index.html

細田守監督の『時をかける少女』は、多分?まだ観ていない。が、『サマーウォーズ』は愉快な活劇で、『おおかみこども雨と雪』は昔話を思わせる懐かしい感じのする作品だった。そして、今回の四作目『バケモノの子』は、前の二作の要素とジブリのファンタジー性を併せ持った作品という印象がある。

細田守監督の前二作品は、基本的にあり得ない話なのだが、妙に現実感のある作品となっている。アニメそれ自体は漫画なので、そもそもリアリティがあるわけがないのだが、それ故に却って、アニメは観る人に不思議な現実味(想像力?)を感じさせてくれるのだろうか。たとえCGを駆使した実写版と言えども、アニメ版と同じ味は出せないのではないかと思う。個人的には、アニメ版の方によりリアリティを感じる。実写版は、例えば「ハリーポッター」のように、ディズニーランドのアトラクション的である。

また、映画とメッセージ性はいつも議論になるところだが、個人的には、作者の意図的なメッセージ性は好まない。しかし、また全く何のメッセージ性も感じられない映画はつまらないと思う。観た後に、人それぞれが何かを感じ取れるのが一番だと思っている。その意味で、『バケモノの子』は何ヶ所か ”かくあるべき” と思わせるようなコトバがあり一瞬醒めてしまう場面があった。いつかビデオ版で再チェックしたみたいと思っている。

『バケモノの子』は東京の渋谷エリアと、異次元のバゲモノの世界が舞台となっている。主人公はとある路地からバケモノの世界に入り込んでしまうのだが、後に自由に出入りできるようになる。その ”科学的根拠は” などの野暮な話は抜きにして、この作品には、バケモノの世界への入り口は渋谷のどの辺りだったのか、などというミーハー的想いを生じさせるリアリティがある。

ともかく、一人のアニメファンとして細田守監督に期待するところは大きい。ぜひ、これからも愉しい作品を作り続けてもらいたいと願う。

巨人の次はパラサイト

  • 2015.05.09 Saturday
  • 16:39
この前、アニメ「進撃の巨人」の話題を投稿したのだが、またまたGyao!で、今度はアニメ「寄生獣」を見てしまった。以前、近隣のシネマのロビーで実写版の広告を見つけたのだが、その時は特に興味を持たなかった。ただ、監督が山崎貴だということがちょっと気になった。さりながら、アニメ版を見てしまった。初めは、??? だったのだが面白い。

原作は岩明均氏で、1988年 から1995年まで講談社から 出版されたということなので、物語としては完結している。あいだが何作か抜けてしまったが、Gyao!で、ちゃんと完結まで見ることができた。「寄生獣」も「進撃の巨人」と同様に、初めは単に奇をてらったものかと訝ったが、そのうちに段々と惹きつけられていった。

寄生獣

「寄生獣」は「進撃の巨人」に比べるとリアルな感じがある。「進撃の巨人」はなお物語が継続中であり、じぶんが見た部分は、アニメ版の二十数話とは言え、ほんのさわりでしかない。さらに、物語のステージも、展開も全てファンタジー(?)であることが前提になっている。対して、「寄生獣」はステージが今、現在の日本社会そのものである。人間に対するパラサイトというのは奇異ではあるが、なぜか妙にリアリティがある。

右手に寄生生物ミギーを宿す高校生・泉新一は、要注意人物として人間からもパラサイトからもマークされていた。いまや、新一の住む東福山市は、市長・広川 を中心に組織化されたパラサイト達が、一大ネットワークを作り上げていた。一方、人間側も、寄生生物殲滅を目的とした対パラサイト特殊部隊を結成。アジト と化した東福山市庁舎に奇襲を仕掛けようとしていた。激化する戦い…。人間の子を産み、人間との共存を模索するパラサイト田宮良子は、新一とミギーの存在 に可能性を見出したが、肝心の新一は、母親を殺された事件がきっかけで寄生生物への憎悪を募らせていた。そんな彼らの前に、最強パラサイト・後藤が、その 姿を現した。生き残るのは人間かパラサイトか。そして「寄生獣」とはいったい何なのか。新一とミギー、最後の戦いがついに始まる。
映画『寄生獣 完結編』公式サイト

このリアリティは何だろうと思った。ウィキペディアの解説なのだが、原作者岩明均氏を「残虐描写を特徴とするが、ストーリーは哲学的かつドラマティックな展開を両立させている。2000年代以降は歴史に題材を取った作品が多い」と解説している。岩明氏は社会風刺的志向が強いのかもしれないと思った。

「寄生獣」のストーリー展開はトンデモないが、人間も地球上に生きる生物の一つの ”種” にすぎないという前提に立てば、生物の生存をかけたサバイバル・ゲームの話と言えなくもない。突然、人間に寄生したパラサイト生物(寄生獣)は生きるために人間を餌として食べる。気持ちの悪い話ではあるが、ストーリーの中で、パラサイト生物が主張する説が段々と無茶な話に思えなくなってくる。人間が食物連鎖の頂点にいなければならない理由はない。

パラサイト生物は、街のビルの地下を ”食事場” として、時折り人間を連れ込んで食欲を満たす。突然、顔が肉食獣に変身して襲いかかる姿は恐ろしい。kiseiしかし、こんな恐ろしい画面が、スーパーの肉のコーナーで「おいしそう!」などと普通に会話している人間の姿とダブってくる。冷蔵棚の中の赤みを帯びた肉の塊が、少し前まで生きた牛や豚だったことなどは微塵も想わない。考えてみれば、これはこれで不気味な話である。

「進撃の巨人」、「寄生獣」と続けて怪奇アニメ(?)を見てしまった。しかも、「寄生獣」は既に実写版が公開されており、「進撃の巨人」も間もなく公開になる。ホラー映画とは一線を画すものだとは思うが、今この二つのコミック作品がアニメ化され、実写版も制作されたというのは偶然なのだろうか。ちょっと気がかりで好奇心をそそる。

関連投稿:「進撃の巨人」を知ってしまった (2015/04/11)

「進撃の巨人」を知ってしまった

  • 2015.04.11 Saturday
  • 17:44
 プロ野球の話ではない。大阪のUSJに顔が実物大の巨人のモックアップがあるとか、去年のNHKの紅白にアニメのテーマを歌っているグループが出たとか出ないとかぐらいの認識しかなかったのだが、年が明けてから、書店で『進撃の巨人と解剖学』(amazon)という新書版の表紙をチラッと見してから、頭の中に残るようになった。この本はぜひ読んでみたいと思っている。

そして、ついにGYAO!で期間限定の無料アニメ版が配信されているのを見つけてしまった。そして、第1話を見てびっくり仰天した。人がバリバリと巨人に食われる。こんな表現許されるのかと思った。初めは奇をてらった作品なのかと思ったが回を重ねるごとに、これはタダもんじゃないと考えるようになった。世間で話題になるだけのことはある。

進撃の巨人
http://shingeki.net/

アニメ版を25話まで見ることができたが、まだまだ入り口という印象だ。ウィキペディア(wikipedia)によると、
” 圧倒的な力を持つ巨人とそれに抗う人間たちの戦いを描いたファンタジーバトル漫画。2009年9月9日に講談社の少年マガジン編集部から発行が開始された『別冊少年マガジン』10月号(創刊号)で連載を開始。新人作家の初連載作品であるにもかかわらず2011年には第35回講談社漫画賞の少年部門を受賞するなど、各方面から高い評価を受けた ”
とある。

後に、岡田斗司夫氏が、Podcastで、原作者が「やっと半ばまで来た」と話しているということを紹介していた。まだまだ現在進行中のストーリーなのである。アニメ版25話を見ただけでも、このストーリーは一体どこへ行くのか??という印象だっが、原作の状況を考えればエンディングはますます気の遠くなる話だ。

作者 諌山創(いさやまはじめ:wikpedia)氏のデビュー作ということなのだが大変な作品である。マンガ(コミック)は少年の頃に『鉄腕アトム』『赤胴鈴之助』『まぼろし探偵』『鉄人28号』等々を月刊誌で楽しんでいたものだが大人になってからは縁遠くなってしまった。『カムイ伝』『明日のジョー』『巨人の星』、そして『沈黙の艦隊』ぐらいだろうか。週刊誌のマンガはあまり読まなかった。それと、5〜6年前、『風の谷のナウシカ』の原作を買った。

また最近、老いてから、マンガという表現形態に興味を持つようになったのは、養老孟司氏の「日本人がマンガ・リテラシーを持つのは、日本語が音と絵(漢字など)が無原則に結びつくという表記形態のためで、フキダシがルビの役割をする」という説とか、内田樹氏がマンガフリークであることを知ったことが影響している。

内田樹氏が称賛する井上武彦・作『バカボンド』を読んでみようかと考えたりもしていたが、まだ実行していなかった。そんな折りの『進撃の巨人』である。いま、どうしたもんかと思い悩んでいる。残念ながら、タイムもマネーも有り余るほど持ち合わせてはいない。

関連投稿:内田樹 日本のカルチャーとしてのマンガを熱く語る!!  (2011/02/11)

ブタさんのはなし

  • 2014.10.11 Saturday
  • 18:18
書店散策中、家人に教えられ書棚に見つけた文庫本『紅の豚』 、ジブリの教科書シリーズ(文春ジブリ文庫)があることも初めて知った。パラパラ捲って、とりあえず購入する。内心「ブタさん」と呼んでいる「紅の豚」はじぶんにとって特別な存在である。

第一、当ブログの管理者ニックネームはPORCOである。『紅の豚』の主人公 PORCO ROSSO からそのまま頂いた。さらに、じぶんのスマホの待受け画面はずっと「ブタさん」である。時折、いつまで使うのかなと思いながらも、今のところ替える気はない。

紅の豚ジブリの教科書7
紅の豚
文春ジブリ文庫(amazon
2014年9月 発行

万城目 学(ナビゲーター)
鈴木敏夫
宮崎 駿
加藤登紀子
佐藤多佳子
イタロ・カプローニ
村上 龍
稲垣直樹
青沼陽一郎
佐藤和歌子
大塚英志


この文庫本には幾つかのエッセーと制作関係者等の対談が載っている。執筆者の名前は、残念ながら、『紅の豚』の宮崎 駿監督、鈴木敏夫プロデューサーと、村上 龍氏しか知らなかった。

驚いたのは、中高生の頃に『紅の豚』を観たという若い執筆者たちのこの作品に寄せる想いである。因みに、じぶんが『紅の豚』を観たのは二十二年前(四十五歳)である。以来、ずっと、この作品は ”自分たちの世代” のために作られたと勝手に思い込んでいたので、二回りも若い世代の人たちにも共感するところがあるのだということが新鮮に感じられた。もっとも、娯楽作品としても一級なので、世代を超えて楽しめる作品にはなっている。

飛行艇

また、ダンディズムも普遍性を持っているものなのかもしれない、と改めて思っている。じぶんよりもずっと若い世代にも、「紅の豚」をかっこいい!と思える人たちがいるということは、多少の感覚の相違があるにしても、世代に関係のない共通の価値観なのかもしれない。

なぜブタなのか?。執筆者の中にも、そのことを問う人と、ほとんど無関心 −ありのまま− の人がいるようだ。因みにじぶんは後者である。作品の中でも、PORCO はブタのまま普通に生活し、スクリーンの社会ではなぜか普通に受け入れられている。しかし、我々が暮らすこの地上、世間にも、普通に非常識なことがまかり通っている。今さら驚くことでももない。
 
 豚が人間になりました、よかったよかったとやってしまったら嘘になる。そういうカタルシスを求めるのは間違っているんです。

宮崎監督の言葉だ。この辺は微妙だが解る気がする。そして、これはこの作品を本当に愉しむ(理解する)ための鍵だとも思う。じぶんでも、なぜ「ブタさん」が好きなのかなんて、あまり考えたこともなかったが、この本を読んで、作る側にも観る側にもいろんな想いがあることを再認識した。

じぶんも、もう一度問うてみる価値があるのかもしれないと思う。宮崎監督は、そしてじぶんも、ただのヒコーキ好きというわけではない。しかし、「飛ぶ」という行為に、何かしら拘っていることは確かのようだ。

じぶんは『紅の豚』のエンディングが好きである。作中、大人の女性ジーナの声を演じている加藤登紀子作詞・作曲のテーマ曲『時には昔の話を』が流れる。涙が出そうになる。この本には宮崎駿と加藤登紀子の対談が載っている。宮崎駿さんは1941年生まれ、加藤登紀子さんは1943年生まれ、そしてじぶんは1947年生まれである。

二人はほぼ同世代、じぶんは弟分というところか。「戦争を知らない子どもたち」と言われる戦後生まれの自分たちと、二人との間の歳の差は小さい。しかし、自分たちと二人との間には何か隔たりがあるように感じられるのは何故か?。 加藤登紀子さんは高校生、十六歳の時に六〇年安保のデモに参加していたという。じぶんは、六九年の東大安田講堂事件を上野公園から眺めていた。航空機製造のエンジニアを養成する学校に在籍していた。

『時には昔の話を』の中に「あの頃」という言葉が出てくる。 加藤登紀子さんは、安保の頃のセーラー服の自分がキラキラしていたという。彼女はその体験を「あの頃」に重ね合わせているのかもしれない。宮崎駿さんにとっての「あの頃」は、映画会社に入って労働組合をやりながら、出会った連中と、こんな映画を作りたいとさんざん語り合っていた頃だという。

それでは、じぶんにとっての「あの頃」と言えば、同世代が学生運動の中で、表向きはエンジニアを目指しながら、将来に悶々としていた頃である。『時には昔の話を』を聴くと「あの頃」を思い出す。いったい、どうしたかったんだろう?。青年海外協力隊が頭を過ぎったこともあった。宮崎駿さんもこの歌に触発されたという。

 サン=テグジュベリの『人間の土地』だったかな、当時の郵便飛行って命がけだったんですよ。その夜間飛行からパイロットが帰ってきてね、いつもの店で、いつものコーヒーとクロワッサンの食事をするんです。刺激的じゃない。あくまで日常なんです。でもとても威厳があるんですね。

エンディング・イラスト監督のこんな感覚ってじぶんにもあるような気がする。エンディングテーマ『時には昔の話を』が流れる中、スクリーンには「飛行機黎明期」をテーマにした二十二枚のイラストが映し出される。

その中で、じぶんの一番のお気に入りのイラストである。これから出かけるのだろう、フライトに。なぜか、この一枚が好きだ。一人静かに旅立つ。行く手には何が待ち構えているかは分からない。しかし、人生ってそんなものではないか。そんな象徴なのだろうか。この飛行機乗りの後ろ姿にじぶん自身を重ねてしまう。もちろん、顔は「ブタさん」である。

この本には、一遍の驚きのエッセーがある。イタロ・カプリーニ氏によるものだ。あの宮崎駿監督の『風立ちぬ』(『風立ちぬ 』を見たけれど (2013/07/27))に出てくるジャンニ・カプローニのお孫さんである。このエッセーの中には、イタロ・カプリーニ氏と宮崎監督との親交のきっかけになった出来事などが書かれているが、カプリーニ氏は監督を尊敬の念を込めてマエストロ・ミヤザキと呼ぶ。
風立ちぬ
また、驚きの真実として、ジャンニ・カプローニが、戦後 、”最後のファシスト” の烙印を押され不遇の人生だったことを知った。イタロ・カプリーニ氏は、祖父たちの成功があったからこそ工業国イタリアの成長があったと信じており、祖国イタリアでは評価の低い祖父ジャンニ・カプローニを、日本で映画の中に甦らせてくれた宮崎監督に最大の謝意を表す。

サン=テグジュベリ、ポルコ・ロッソ、ジャンニ・カプローニ、そして堀越二郎、宮崎監督がイメージする飛行機の設計者と搭乗員たち。どちらかと言うと、不遇な一生と思えてしまう人物たちばかりだ。しかし、社会的成功ばかりが人生ではない。監督はそう言いたいのではないだろか。言葉にしてしまうと陳腐に聞こえてしまうのだが・・・。

「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン2014」に参加しました

  • 2014.05.08 Thursday
  • 19:56
クラシックの祭典「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン」が10回目を迎えた。今年も5月3日から5日までの三日間、東京国際フォーラムを中心に大手町・丸の内・有楽町エリアの会場で有料、無料のコンサートが開催された。このイベントは第一回から認知していたのだが訪れる機会がなかった。昨年と一昨年は会場に出かけてみたのだが雰囲気を味わうだけで終わった。

ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン
http://www.lfj.jp/lfj_2014/

今年は5日に家人と一緒に出かけた。11時ごろ会場に到着したのだが、今年は早朝の震度5の地震とあいにくの小雨模様のせいか、国際フォーラム地上広場は昨年に比べ人出が少なかった。しかし、今回は3回目の挑戦で家人も同行しており何とか有料のコンサートを体験してみたいと思った。地下一階チケット売場の周辺は多勢の人で賑わい当日券を買う人が列をなしている。張り紙をチェックすると、ほとんどに SOLDOUT の張り紙がしてあったがAホールのコンサートに未だ空きがあった。

クラシックCDを楽しむことがあっても ” 通 ” ではないのでコンサート案内を見ても内容をさほど理解できない。開始時間が好都合ということでNO313(Aホール:14:00-15:00)のチケットを購入した。S席しか残っていないということだったが2枚6千円で買えた。出演者はレミ・ジュニエ(ピアノ)、ウラル・フィルハーモニー管弦楽団、ドミトリー・リス(指揮)で、曲目はラフマニノフ:交響詩「死の島」op.29とラフマニノフ:ピアノ協奏曲第3番 ニ短調 op.30(第1〜第3楽章)というもの。

” 通 ”  ならばお馴染のものなのだろうが当方には初のお目見え。ラフマニノフの名前だけは知っていた。こんな程度の者でも気軽に参加できるというところがこの祭典のミソなのだろう。席は2階席だがほぼ真ん中の席でグッドの位置だった。若いころ生ジャズはよく聴きに出かけたものだがクラシックの生フルオーケストラはこれで二回目だ。

もう少しステージに近い席ならばと思わぬこともないが、結論、しばらくぶりの生コンサートと最後盛り上がって終わる演奏に堪能できた。気持ちよかった。家人もまんざらでもなさそうな面持ち。来年も来よう。来年は最寄駅まで車を使うことを止めて、会場広場でワインを楽しみたい。一度やってみたかった。

帰りは東京駅まで歩く。途中、東京ビルTOKIA1階でピアノとフルート演奏を聴き、KITTEビルを散策、そして丸ビル1階でピアノとヴァイオリンの演奏を聴いてから駅に向かった。地下街で食事をして帰路についたのだが帰宅は10時を過ぎていた。家人とこんな夜遊び(?)をしたのは本当に久しぶりかもしれない。ドライブに出かけてももう少し早めの帰宅が多い。

さて、クラシック音楽とは何ぞや。現代の音楽体系の基であろうか。子供のころから学校で聴かされたりラジオで流れたりしていたが心惹かれるものではなかった。シニアと言われる年齢になってからよく聴くようになった。何故かと問われても答えようがない。幼少のころからクラシック音楽に親しんでいる人々もいるので年齢が主たる要因とも思えないのだが。しかし、じぶんに関して言えば老齢化が必要条件だったのかもしれない。

関連投稿:ラ・フォル・ジュルネオ・ジャポン2013 会場を散策 ! (2013/05/04)

芸術性について考えてみた

  • 2014.02.24 Monday
  • 19:55
佐村河内氏の偽装問題が大事になっている。この件で、楽曲と著書を購入したということでは、本人はあまり自覚がないのだが、じぶんも被害者ということになる。しかし、不思議と腹がたたない。これからも楽曲は聴くと思うし、著書は ”人間を考えるための本” として有用性があるように思う。なぜか、損をしたという感覚はない。

ただ、事がここまで大きくなると、世間も見逃すわけにいかないということなのか、2月19日(水)の読売新聞 に「佐村河内氏問題」という記事が載った。細川俊夫氏、岡田暁生氏、井阪紘氏の三人がコメントを寄せている。三人とも初めて知る方だった。

細川俊夫(ほそかわ としお)
作曲家。ベルリン芸術大などで作曲を学び、ヨーロッパで頭角を現す。ベルリン・フィルやウィーン・フィルでたびたび自作が初演されている。尾高賞、サントリー音楽賞など受賞歴多数。58歳。

岡田暁生(おかだ あけお)
音楽学者。京都大学教授。専門は西洋音楽史。2001年、「オペラの運命」でサントリー学芸賞、09年、「音楽の聴き方」で吉田秀和賞受賞。53歳。

井阪 紘(いさか ひろし)
レコードプロデューサー。カメラータ・トウキョウ会長。日本ビクターなどでクラシック・現代音楽のレコード制作に携わり、1978年に自らのレーベル「カメラータ・トウキョウ」を設立。73歳。


三人のコメントのタイトルは以下の通り、それぞれコメントの内容を端的に言い表しているように思う。
 本物を見抜く直感 不可欠 (細川俊夫)
 作品の真価 再考の機会  (岡田暁生)
 危うい 音楽以外の話題  (井阪紘)

個人的に共感できたのは岡田暁生氏のコメントである。岡田氏以外の二人は作曲、レコード制作と直接音楽の制作に関わってこられた方々で、岡田氏は音楽の研究者という立場なので、ちょっと一般愛好者の方に近いのかな、と勝手な思いを回らしている。

三人とも、専門家、業界人、そして一般の方々を叱っている。その中で、細川氏、井阪氏は ”真の芸術性” を強く問うているように思える。その意味で、佐村河内名義として発表された作品は初めから「本物」ではなかったとする。岡田氏も芸術性に重きをおいてはいるのだが、今回の一連の作品群については、偽りの物語を排して虚心坦懐に聞かれるべき機会を得たとする。じぶんも岡田氏と同じように考えたい。

真の芸術性とは? こんなとき、正月スペシャル番組『芸能人格付けチェック』が思い浮かぶ。芸能人が、ワイン、ステーキ、楽器、演出などの本物、つまり価格の高い方を鑑定するという番組である。価格の高いものと自分の好みが合うことを良しとする。この価値観を前提とする社会に対する憧憬と揶揄の気持ちがごちゃまぜになっているところが、この番組の面白さだと思うのだが、なかなか鑑定は難しいようだ。

あるあゆる分野のプロと言われる人は完全な鑑定というものができるものなのだろうか。また、”真の芸術性” というものは存在するものなのだろうか。今回の事件を通して、こんなことが脳裏をよぎった。

関連投稿:交響曲第一番 (2013/06/23)


[補足]

評論家の宮崎哲弥氏がラジオ番組で、今回の出来事に対しコメントしている。宮崎氏は多くのことに博識の方であり音楽(クラシック)にも造詣が深いようで、今回の一連の作品に対し、一人の作曲家がロマン派とバロック風という全く異なる作風の作品を現代音楽の手法も使わずに作るというのは理解できない、というようなことを語っていた。

残念ながら、じぶんには消化できないコメントだ。会話している中学生のグループに入れきれないというようなもどかしさを感じてしまう。宮崎氏の見解は、業界の人びとの間では ”常識” なのかもしれないが、じぶんには無縁の世界に思えてしまう。

また、宮崎氏は「シャコンヌ 〜佐村河内 弦楽作品集」のなかの「無伴奏ヴァイオリンのためのシャコンヌ」について、バッハの曲と同じようだとコメントしている。じぶんはこの作品を通して本家バッハのシャコンヌを知ったのだが、確かにバッハ風である。しかし、バッハの作品に触発されて作られた作品として、また演奏のすばらしさを考えても、高い評価が与えられるものではないかと思う。素人の評価で心もとないが。

問題とされている「交響曲第一番 HIROSHIMA」そして「シャコンヌ 〜佐村河内 弦楽作品集」、今聴きなおしてみても、特に「シャコンヌ 〜佐村河内 弦楽作品集」の8つの楽曲はiPod に入っている1000曲の中でもじぶんのお気に入りである。

calendar

S M T W T F S
    123
45678910
11121314151617
18192021222324
252627282930 
<< June 2017 >>

selected entries

categories

archives

links

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM