ライフ・スタイルとしてのジャズ

  • 2017.06.22 Thursday
  • 21:18

山下洋輔・相倉久人著『ジャズの証言』(新潮新書)

 

このところ、マスメディア・シーンを眺めていると、その出来の悪さに辟易する。特に、国会など政局がらみのTV報道・討論番組は酷い状況になっている。芸能人と所謂専門家が繰り広げる言論空間?は視聴に耐えない。こんなことが伏線になっていると思うのだが、夜のドライブ途中で見つけた本『ジャズの証言』にとびついた。本当は、言論空間はもっと魅力的で刺激的なものの筈だという想いがあるのである。

 

山下洋輔はずっと注目してきたジャズピアニストだがエッセイストでもある。相倉久人(’15年他界)は著名な音楽評論家であり、じぶんも若い頃から知っていたと思っていたのだが、本書を読んで肝心なことを知らなかったことが分かった。両氏の未発表対談をもとに再構成した本で、以前読んだような気がする箇所もあるが、多くはじぶんの知らないことだった。

 

まず、相倉久人が山下洋輔のメンター的存在だったことは知らなかった。よくジャズ喫茶通いをしていた二十代の半ばに、ジャズ関連の雑誌などを読んで(眺めて)いたのだが、この辺りの認識はほとんどなかった。まあ、いい加減なジャズファンだったわけだ。しかし、本書の中の両氏のやり取りはじぶんにとって啓蒙的ですらある。

 

山下洋輔の執筆活動の始まりは病床での「ブルー・ノート研究」(1969年)という論文だと思う(?)。演奏を諦めなければならないという状況に対する復讐だったと語っているが、これをきっかけに山下洋輔トリオのあのフリースタイルのジャズが始まったというのだから特筆すべき事柄なのである。

 

 理論で説明できないことや、学ぼうとしても学べないものが存在するのが音楽の本質だから、結局それらは「遺伝子から生まれ出たもの」だと解釈するしかない、というのがぼくの考えです。こうした言語化しづらい領域の解明に挑んだのが、山下さんの論文「ブルー・ノート研究」でもあるわけですよ。(相倉)

 

世の中には、音楽など言語化できない(しづらい)ものが多い。山下洋輔も「ブルー・ノート研究」について、” ある意味で整理はしましたが、同時に「分からないものだ」ということを明快に言ったつもりです ” と語っている。このことを感知しているかどうかが、好い表現(弁論、文筆、演奏など)ができるか否かの分かれ目になるのではないか。

 

現代の音楽は西洋の音階、和音が絶対的だが、現実の世界の音楽は昔からその範疇に納まるものでないことは自明のはずだった。しかしながら、近代西洋音楽理論はその歴史的成果・恩恵を考慮すれば評価せざるえないものであることも確かだ。一方、自然界が数学・物理学の理論と同一ではないように、音楽の世界も近代西洋音楽理論と同一でないことも確かであり、ジャズはその象徴なのである。

 

じぶんの音楽に対する嗜好の中心が、歌謡曲、ポップス、クラシック、そしてジャズへと移ってきたのは、それはそれで意味があるような気がしている。便宜上音楽をジャンル分けするのは、言語化すると分かったような気がするという人間(脳)の特性上、やむを得ないことなのかもしれない。

 

しかしながら、言語化する上で、どんなに頑張っても数学や物理学と同じようなモデル化は無理と悟るべきではないのか。音楽は実際に演奏して何ぼのものだ。いづれ、AIがフリーなジャズを演奏できるようになるのかどうかは分からないが、もしそうなったら、じぶんも考え直さなければならないのかもしれない。もっとも、それまで生き延びることができるとは思えないのだが。

 

どちらにしても、今、言論空間を構成する議員の方々、マスメディアの関係者、専門家の皆さまには、ぜひ討論ではジャズのように音色、リズム、創造性が重要であり、その論議の正しさの度合いではないことを分かってもらいたいと思う。もともと議論の性質が科学が対象にするものと異質のもので、初めから科学と同じような正確さなど求むべきものではないのだから。

 

閑話休題。

本書の中で、両氏は国家「君が代」に触れている。これがとても面白い。

 

 「君が代」の出だしは和音がつきませんが、これはつけられないからであって、一種のブルーノート現象なんです。出だしはユニゾン。「君が代」は頭と締めがユニゾンで、途中から和音が入り、最後は再びユニゾンで終わります。(山下)

 

そう言えば、多くの国の国歌は西洋のマーチの流れで作られているが、ずっと「君が代」の節だけは独自性を主張している。昨年のリノ・オリンピックの閉会式の「君が代」を思い出した。次のオリンピック開催国である日本のパフォーマンスが行われた。その映像を真剣に見ていたわけではなかったのだが、「君が代」が妙に印象に残ったのである。

 

 

気にはなっていたのだが、特に調べもせずに来てしまった。本書の「君が代」の件を機にネットで調べてみて驚いた。多くの内外の人々の称賛の記事が表示されていたのである。 ネットには、作曲家で編曲家、トランペット奏者としても活動している三宅純氏の編曲によるもので、 東ヨーロッパのブルガリア地方に古くからある女性合唱・ ブルガリアンヴォイスで表現されたとある。

 

あえて不協和音を作りだすことで神秘的なハーモニーを生み出せるとあるが、山下洋輔の説を逆手にとったとも言える。アレンジで「君が代」が全く異なる曲に感じてしまう。しかし、本当に音楽の世界は広く深いと改めて思う。

 

両氏のセシル・ティラーの話も面白かった。山下洋輔とセシル・ティラーは、結果として演奏の外見が似たようなスタイルになったが、本当は演奏の志向性が正反対であるという説は興味深い。山下洋輔は終わりが閉じているが、セシル・ティラーは開いているというのである。

 

じぶんは、’73年の新宿厚生年金大ホールのセシル・ティラーのコンサートに行った。新宿の「ピットイン」で山下洋輔トリオを聴くようになった後である。その時の詳細な記憶はないが、山下洋輔トリオと演奏スタイルは似ているがテイストが違うと感じたことを憶えている。

 

セシル・ティラーは無理かもしれないが、山下洋輔トリオは日本の祭りでもオッケーと思ったのである。日本の祭りのお囃子と共演できるかもしれない。山下洋輔は和風、何故かそう思ったのである。

 

それにしても、著者の山下洋輔、相倉久人のやり取りはジャズセッションのようでもある。いや、本文中にも出てくるが、両氏の人生がそのままフリージャズ演奏そのものなのかもしれない。何とも羨ましいかぎりである。

 


 

ジャズの証言

2017年5月発行(新潮新書:amazon

 

著者 山下洋輔

1942年東京生まれ。ジャズピアニスト、エッセイスト、国立音楽大学招聘教授。著書に『ドファララ門』『即興ラプソディ』など。

 

著者 相倉久人

1931年東京生まれ。音楽評論家。東京大学文学部中退。著書に『ジャズの歴史』『されどスウィング』など。2015年7月他界。

 

 

 

共謀罪可決に思う

  • 2017.06.15 Thursday
  • 20:12

15日午前7時「共謀罪」(「 テロ等準備罪 」)可決の報道がなされた。まず夜通しやってたんだとオドロいた。しかしながら昨今の国会の中の議論にはうんざりしている。かつて民主党をずっと支持してきたじぶんが現民進党をうっとおしく思うようになり、近頃はそれを通り越して気持ち悪ささえ感じる。

 

TV番組は時折り垣間見る状況にしかない中で、映し出される野党議員(特に女性議員)の質問の仕方の品の無さに思いっきり引いてしまう。前の「安保法制」についても今回の「テロ等準備罪法案」についても、正直言うとじぶんは原文を読んでいないしその内容がよく分からない。ただ今の状況ではアンチ野党なので、結果として政権支持の側に立ってしまうことになる。

 

何でこうなってしまったのか、教えてくれ〜と言いたいくらいである。じぶんの政治的スタンスはどちらかと言えば若いころからリベラル寄りだった。反権力、革命的、アウトロー的なものに惹かれた。その度合いが年齢とともに薄れてはきたとしても未だ色合いを残していた。あの民主党政権誕生の頃までは。

 

民主党(現民進党)から自民党の安倍政権に変わっても、選挙では民主党に投票し続けた。三行半をつきつけたのは昨年の参議院選挙においてである。我ながら我慢強さに感心する。しかしそれは坂道を転げ落ちるような勢いである。次の選挙において民進党を外すことだけは決めている。

 

国会で議論される各種法案において、仮に本当の理解というものがあるとして、議員、評論家も含めてどれだけの人たちがその法案の原文及び関連法案を読み込み、そして理解しているのかを訝る。正直にそう思うのである。あの国会でギャーギャー騒ぎ立てる議員さんたちがこの範疇に属する人たちとはとても思えない。情動しか感じられない。もっともある意味ではそれも是なのだが。

 

本当にどうにかならないものかと思う。昨今の国会の議論(質問)は本質の輪郭を明らかにしようとするのではなく、逆に周囲から土埃を被せて本質を意図的に隠そうとしているとしか思えない。もっともその意図すらなく幼児の砂場遊び程度のものでしかないという危険すらある。

 

続く「学園騒動」では、”総理のご意向”という表現があったというメモ?の存在が取り沙汰されているが、些細な我が社会経験を踏まえても、それがどうしたの?という印象しかない。公であれ民であれ、権力者たるもの陰に日向に自分の意向を通そうとするものである。しかしその違法性を問うのは甚だやっかいな行であろう。

 

また、現野党が政権をとったとしても、表ざたになるか否かは別として、「学園騒動」のみならず、様々な「ご意向騒動」の種をまき散らすにちがいないと確信する。むしろ政権慣れをしていない無垢な集団だけになお深刻な問題を引き起こしかねないのではないか。

 

いい加減に、国会で本当の議論(ディベート)を始めてみてはどうか。その中から双方が眼から鱗の核心が現れたとしたら、と想像するだけでわくわくする。複雑化していく人間社会、国会も創発の場でなければならないのだろう。

健康という妄想に

  • 2017.06.11 Sunday
  • 11:52

 四十年ほど前に十二指腸潰瘍で下血、入院して輸血を受けた。これが原因?で肝臓のGOT、GPT(40前後)が上がり何らかの障害が生じたことが判明した。しかし当時は、ウイルス性の肝炎はA,B型しか判明できない状況で、非AB型と診断された。将来の治療薬は期待されたが、当面は定期的な検査という手段しかなかった。

 

 幸い、GOT、GPTも大きくアップすることもなく、健康診断でも要観察というチェックが表記される状況が続いた。20年ほど経過して、健康診断でGOT、GPTの数値が70ほどに上がった。こんな数値は初めてだったので再検査した方がいいということで、既に解明されていたC型肝炎ウイルスの検査も受けることにした。

 

 結果は陽性だった。しかし既往歴からみてさほど驚かなかった。ただ症状が悪化しているのではという懸念があったので、診療所の先生に大学病院に紹介状を書いてもらった。これが平成9年で、取り敢えず処方してもらったウルソ(錠剤)でGOT、GPTの数値が通常の40前後に戻り、これが長いC型肝炎ウイルスとのお付き合いの始まりとなった。

 

 数年後に病院の先生のすすめで、インターフェロンとリバビリン服用の治験に参加した。一年の治験治療でウイルス検査が陰性の結果となったが、半年の経過観察が始まってまもなく腸閉塞となり地元の病院に入院、併せてGOT、GPTが200以上に跳ね上がった。後に、治験時のリバビリンが偽薬で、ウイルスも完全に消えていなかったということが分かった。

 

 腸閉塞は手術を経て退院したが、C型肝炎は前のウルソ服用に戻り、同時に腸閉塞手術後の腸の機能低下に対応するという生活が始まった。C型肝炎については、治験から十年後の平成26年に、インターフェロン、コペガス、ソブリアード三薬併用の治療を半年間受けてウイルスは消滅した。先月、治療から二年後の検査結果で、ウイルスは不検知、GOT、GPTを始め他の関連数値も良好で、C型肝炎卒業?のお墨付きをもらった。

 

 しかし、15年前の腸閉塞手術の予後は、悪いとは言えないが良いとも言えない状況が続いている。初め、病院で腸の働きを補助する薬を出してもらっていたが3〜4年で止め、しばらくしてまた別の病院で別の薬を出してもらい3〜4年で止めてしまった。その後は、時に市販の薬、サプリを服用し、健康体操、ウォーキングなどで体調を整える生活を続けている。

 

 さらに、20年前に病院通いを始めてから数年の間に、耳鳴りと飛蚊症のために耳鼻科と眼科で診察を受けた。幸か不幸か、両方とも加齢によるもので治療不要(不可)とのこと。飛蚊症はやがて慣れ(諦め)てきたが、耳鳴りもまだ時折り生じるものの、これもまた慣れと諦めで何とかなっている。

 

要するにじぶんの半生を考えると、生活に大きな支障をきたことはないものの、ずっと健康上の問題を抱えていたということだ。現代は過度の健康ブームで健康診断の数値に一喜一憂する世の中だ。しかし、今、これって変だろうとつくづく思う。健康と不健康の間に明確な境界線などあるわけがない。これは七十年生きてきたじぶんの実感だ。健康の定義などはほとんど意味をなさない。

 

医療機器が高性能になるにつれ問題点?も発見しやすくなった。しかしこれも時に善し悪しだろう。人間を含め生命体とは複雑怪奇な存在である。単純な論理で説明できるものとも思えない。健康不健康もその通り。少なくとも、我らご同輩はもはや健康を問うことを止めにしてはどうだろうか。

 

しかし、いかにしたら自分自身の心身が少しでも快適でいられるか、このことに死ぬまで気遣いを続けることは大事なことであろうと考える。吉田松陰だったろうか、処刑を前にしてなお身体をいとうていたという逸話を残したのは。最後に息を引き取るまで人生は終わらない。よくよく心しておきたいことだと思う。

ポルコ・ロッソ と サン=テグジュペリ

  • 2017.06.05 Monday
  • 21:19

じぶんはずっと、アニメ映画『紅の豚』の主人公ポルコ・ロッソとサン=テグジュペリの生きた時代はほぼ同時期と思っていた。しかし、昨年、サン=テグジュペリが未帰還になった時に搭乗していた飛行機がF5B(P38の偵察型)であることを知って、直ぐに時代背景を間違えていたと思ってしまった。ところが。

 

『紅の豚』は大恐慌(1929年)の頃が時代背景なので、サン=テグジュペリ(1900年生まれ)は29歳で処女作『南方郵便機』を執筆した時期である。個人的に、ポルコ・ロッソはドイツの撃墜王リヒトホーフェン(1892年生まれ)と同世代なのかなと勝手に想像したりしていたのだが、もしそうであるとすると『紅の豚』の時代背景では37歳となる。しかし、映画のシーンを思い起こすともう少し若いのかなと思ったりもする。

 

 

ネットに、”ポルコは初めて飛んだときの話をするとき「1910年、17の時だったな」と言ってます ” という記事があった。じぶんはその台詞までは憶えていないが、この説を取ると『紅の豚』の時代背景では36歳になる。じぶんの説に近い。どちらにしてもポルコ・ロッソはサン=テグジュペリの5〜6歳年上の先輩格になる。同世代とは言えないかもしれないが、やはり同時期に大戦の複葉機を飛ばしていたことになる。一人はアドリア海を、もう一人はサハラ砂漠を。

 

宮崎駿監督はサン=テグジュペリを意識し続けていたに違いない。じぶんも昨年の終わり頃からサン=テグジュペリを強く意識するようになった。間大戦期の一定の時期だけに存在した限られた精神性を持った飛行家たち、大地を鳥のように飛ぶことができた最初で最後の人間たち。サン=テグジュペリのおかげで奇跡的にその生きざまを後世に遺すことができた。

 

じぶんの余生がどれほど残されているのかは分からない。しかし、その生きざまは彼ら飛行家たちのそれと対極的と言える様相だ。高齢化社会などサン=テグジュペリの意識には存在しなかったに違いない。飛行家は1944年7月31日、地中海上空で消息を絶つ。妄想を逞しくして、もしサン=テグジュペリが戦後まで生き残っていたとしたら、どんな人生を送ったのだろうと思う。しかし、これはタブーかもしれない。

 

ポルコ・ロッソのその後も気にかかる。先日、宮崎駿監督が最後?の復帰宣言をした。それならばと、体力的にきつかろうと想像しながらも、『紅の豚』の完結編を期待してしまう。監督個人の与り知らぬことと思いつつ、何とか我ら彷徨える老いた羊たちに引導を渡してもらえないものか。

 

関連投稿: サン=テグジュペリを想う (2016/12/28)

偉人の精神

  • 2017.05.31 Wednesday
  • 10:36

わが七十年の人生を振り返ればじぶんの俗人的人生は異論の余地がない。さらに、身辺の多くの人々が俗人的であることも疑いない。しかし、これが避難されるべきものでないことも間違いない。俗世間が核の人間社会が俗人によって構成されるのは自然なことである。

 

しかしがら、サン=テグジュペリを想いつつ、偉人について考えてみる。サン=テグジュペリを偉人というのは適切ではないとは思うが、彼の精神は偉人を思わせるものがある。そしてつくづく思うのは、この地上には偉人が必要なのだということである。歴史上、少なからぬ偉人が存在した。イエス、ムハンマド、ブッダは誰もが知る代表的な偉人(聖人)である。

 

しかし残念ながら、ブッダ、イエス、ムハンマドの精神がそのまま今に生きているとは言い難い。現に存在するのはブッダ、イエス、ムハンマドの精神を俗世界に投影した影だけである。しかし、それでも尚、それを生きる支えにしている多くの人々がいる。ここが肝要だ。

 

近い将来の世界再構築の胎動を思わせる近頃の世界情勢を見るにつけ、各国の指導者たちの面子が注目される。現在、グローバル化などと称し、俗な社会が地球規模まで巨大化しているのが現状である。このような世界のステージ上で指導者たちは何を演じようとしているのか、また人々は指導者に何を演じさせたがっているのか。役者が出そろったのかどうかは分からない。しかし何か大きな歴史的事象が進行しようとしている気配は感じられる。

 

偉人とはと問えば、いまサン=テグジュペリの生き方を身近に感じる。彼は、他(人、観念等)のために自らを滅却することを是とする。このことが我ら俗人との違いである。我らはせいぜい家族のために生きるのが精一杯で、それすらあやしい人々も大勢いる。大方、俗人は”自己中”である。

 

しかも、世界的にこのような社会が広まり、さらに住人が七十億もいるというのだから言葉を失う。さて、この中にどれほどの偉人がいるのだろうか。また、人類社会が保持されるにはどれくらいの偉人を必要とするのだろうか。いま世界の指導層が揺れ動いている。そして、この中に精神の風に吹かれた指導者がどれほどいるのだろう。これが鍵のように思えてくる。

 

俗な指導者は弊害をもたらす恐れがある。一方で、偉人の精神にも影がある。宗教的に言えば、悪魔とでも表現するのだろうか。光と影、神と悪魔が同根の精神から出づるのかどうかは分からない。それでも、この地上に偉人の精神が存在しなければ、人類は救いようのない状況に陥るような気がしてならない。

大地を耕した飛行家たち

  • 2017.05.25 Thursday
  • 20:18

サン=テグジュペリ著(堀口大學訳)『人間の土地』(新潮文庫)

 

タイトルも内容(訳)も難しい本だ。文のスタイルとしてはエッセーと言っていいのだろうか。先に『星の王子さま』『夜間飛行』『南方郵便機』を読んでいる。この歳でサン=テグジュペリの作品を知ることができたことは、じぶんにとってとても大きい出来事だと感じている。

 

さらに本書の巻末に宮崎駿氏の解説「空のいけにえ」が載っている。宮崎氏が飛行機に拘りを持っていることは周知の事実であり、じぶんもヒコーキ好きが相まって、ずっとジブリのアニメ作品に注目し愉しんできた。本ブログの管理者_ニックネームのPORCOもアニメ『紅の豚』からとったものだ。

 

宮崎駿氏がサン=テグジュペリ作品に傾倒しているのは何かの記事で読んだことがある。ところが、今までその詳細を全く知らなかった。しかし今回、一連のサン=テグジュペリ作品、特にこの『人間の土地』を読んで分かってきたような気がしている。本書は著者サン=テグジュペリと仲間たち(飛行家)の壮絶な体験記である。さりながら、訳者があとがきに記しているようにこれは決して冒険談ではない。

 

文学に不慣れなじぶんにとって、堀口氏の訳文はなかなかに消化するのが難しい。これはある程度の熟練を要することに違いなく、それはこれからの楽しみでもあり、また不安要素でもある。しかし、本書は、訳者あとがきと宮崎駿氏の解説がとても重要なメッセージとなっている。これだけも本書を読んだ甲斐があるというものだ。

 

 この書の真価はじつに、著者サン=テグジュペリが、これらの体験から引き出したそのモラルのすばらしさにあるのだから。一見ばらばらなように見えるこれら八編のエピソードは《人間本質の探究》という深いつながりで緊密に結びつけられている。

 ・・・『人間の土地』は、物質的利益や、政治的妄動や、既得権の確保のみに汲々たる現代から、とかく忘れがちな、地上における人間の威厳に対する再認識の書だ。この書を書くには、だれよりも果敢な行動人にして、だれよりもきびしい精神を備えた人を必要とした。幸いぼくらは、サン=テグジュペリの中に、飛行家として、文学者として、二つの才能の邂逅をもった。(1955年、詩人・仏文学者 堀口大學)

 

さすがに、リビアの砂漠のまっただ中に不時着、一滴の水もなしに何十キロも歩き生還したサン=テグジュペリ、アンデス山中の吹雪の中を五日間彷徨い生き延びた親友ギヨメなどの物語は想像を絶する。訳者は、この奇跡的出来事を二人の責任観念に帰する。これが他の動物にはなしえない困難に打ち勝つ努力を続けさせる動因だと解説する。じぶんには、この解説が世間でいかほどの説得力を持つものなのかは分からない。

 

しかし、サン=テグジュペリの生きた時代、社会環境の中でも彼ら飛行家たちの生き様が一般的でなかったことは想像できる。サン=テグジュペリ自身、本書の中で、彼がもはや生きているとは感じられない地上の人々の姿を描写している。多くの一般の人々はこちらの範疇に属しているのではないか。このことに関してはあの時代も今の時代もさほど変わっていないのかもしれない。

 

人間の本然とは、このテーマに真正面から見据えようとしたサン=テグジュペリ、これは名門貴族の子弟として生まれたことと関係があるのだろうか。個人的には、無関係とは思えない。やはり一般庶民とは異なる精神性を保持していたのではないだろうか。

 

 間大戦期のデカダンスの中に、地上の雑事への軽蔑と憧れをかくしつつ、若者達は砂漠へ、雪をいただく山々へと出かけていった。サン=テグジュペリが存在しなかったら、おそらくこの若者達の物語はとうに忘れられていたにちがいない。凶暴に進化する技術史の中のほんの一頁の、一行分位のエピソードで終わっただろう。実際、郵便飛行士が英雄になった時代はほんのわずかであり、一代限りの物語にすぎなかったのだ。(1998年、アニメーション映画監督 宮崎駿)

 

宮崎駿氏のこの思考には共感を覚える。もし飛行家であり文学者であるサン=テグジュペリが存在しなかったら、ジブリのアニメ映画はどうなっていたのだろう、そんな妄想に捕らわれる。

 

 風景は人が見れば見るほど摩耗する。今の空とちがい、彼らの見た光景はまだすり減っていない空だった。今、いくら飛行機に乗っても、彼らが感じた空を僕らは見ることができない。広大な威厳に満ちた大空が、彼ら郵便飛行士たちを独特の精神の持ち主に鍛えあげていったのだった。

 

宮崎駿監督の文学性を感じさせる文章である。科学志向の強いじぶんにもこの文章には感じるものがある。彼らが翔んでいた大気と、現代の飛行機たちが飛び交っている大気とは異なるという思想を受け入れたい。あの時代だけ、選ばれた飛行家たちだけが見ることができた大空と大地があった。

 

『人間の土地』、文末のメッセージ、

精神の風が、粘土の上を吹いてこそ、はじめて人間は創られる。

 

現代にも風は吹いているのだろうか。たとえ限られた時間の中で、たとえ限られた数であっても、高い精神性の風に吹かれる人々が存在することを願う。それが人間社会にとって取るに足らなくとも、人類にとってかけがえのないことだと思うから。

 


 

人間の土地

昭和30年4月発行

平成27年6月87刷(新潮文庫:amazon

 

著者 サン=テグジュペリ

訳者 堀口大學

 

 

 

 

 

 

 

高齢化社会がリアルに

  • 2017.05.17 Wednesday
  • 20:43

じぶんのことは棚に上げ、街場に高齢者が多く見かけるのに改めて驚く。まだ足取りがしっかりした人もいれば、ちょっと足元があやしい人もいる。じぶんの住むローカルの小さな市では女性の高齢者の自転車走行が目立つ。車を走らせていると、前方の自転車が急に道の反対側に横断したりすることがあってドキッとする。

 

高齢化社会と言われて久しい。またも、じぶんのことは棚に上げ、最近そのことを本当に実感するようになった。パート先の公共施設でも、このところ認知症と思われる人を見かけるようになった。二ヶ月ほど前、施設の休館日に、高齢者の車が駐車場入り口の鉄製のチェーンを車でぶち切るという事故があった。このパートを始めて6年近くになるがこんな事は初めてだ。

 

高齢者による事故、事件などのニュース報道があると、じぶんは根拠のない共同責任感のようなものを感じてしまう。われわれのような高齢者は存在するだけで社会のお荷物というような側面がある、じぶんはこのことを認識すべきだと考えている。再三にわたりじぶんのことは棚に上げ、本当に高齢化社会はこの国にとって深刻な問題ではないのかと懸念する。

 

4、5日前の11時頃、バーバーの帰りに駅前広場のベンチにすわり、コーヒーを飲みながら通りすがりの人を眺めていた。リアルに高齢者が多いのを実感した。この時、コーヒーを駅前のセブンイレブンで買ったのだが、店員さんがじぶんと同世代の女性(七十前後)だった。コンビニにシニアの店員が増え始めているということは耳にしていたが、じぶんが直面するのは今回が初めてかもしれない。

 

「ホットコーヒーを一つ」と注文、最近じぶんの喉の調子が少し悪いのは自覚してはいたのだが、シニアの女性店員さんが「えーっ」と言いながら顔を寄せてきたのを見て思わず身を退いた。今までも聞き直されることはあったが、顔まで寄せてこられたのは初の体験であった。これも高齢者同士でこそのビヘイビアということであろう。

 

駅前広場で、改めて、当ブログを始めたころのことを考え始めた。定年を間近にして、じぶんの高齢化と社会の高齢化がリンクしていることは初めから感じていた。そして、これからこの国が体験する社会の高齢化は、大げさな物言いになるが、人類が未体験の歴史的事象かもしれないという感覚すらあった。ブログを始めたのは定年後だが、この問題意識がブログのテーマの一つとなったのは自然な成り行きだった。

 

そして思いついたのが、個人的にも社会的にも ”学び直し” が必要ということだ。定年以前と以後の生活の間には何か一線を画すあり方がいいのではないかという思いもあった。若者には社会人になるための儀式として成人式というセレモニーがある。そして、定年期(50〜60歳)の人々にも転換期を意識的に迎えるための何らかの社会的制度があるのが望ましいと思った。

 

この考えは今でも変わらない。あの駅前広場でそのことを再認識した。高齢者自身の自覚が非常に重要になるのである。若者の教育無償化が問われているが、併せて、定年期の人々の学び直しの仕組み、補助金制度等の整備も検討に値すると考える。増大する社会保障関連予算の抑制には、一見遠回りのようにも見えるが、上記制度等の整備がより効果的ではないかと思うのである。

現代に生きる歴史上の人物

  • 2017.05.11 Thursday
  • 21:32

内田樹という人物がいる。著書を読んで、彼の哲学、身体論に惹かれ好意的な心情を抱いて人なのだが、最近ちょっと戸惑いを感じるようになった。podcastで聞いたトーク番組での発言とか、ブログでの政治的発現内容に疑問を感じるようになったのである。政治的発現は政権、特に安倍晋三という個人?に対する批判なのだが、とても過激的?なのである。

 

内田氏はウィキペディアによれば。

内田 樹は、日本の哲学研究者、コラムニスト、思想家、倫理学者、武道家、翻訳家、神戸女学院大学名誉教授。京都精華大学人文学部客員教授。合気道凱風館館長。 東京大学文学部卒業。東京都立大学大学院人文科学研究科修士課程修了。学位は修士。合気道七段、居合道三段、杖道三段。

 

武道家なのである。内田氏の理論は頭(脳)だけではなく、身体からの思考を思わせるところがあり、とても魅力を感じている。これは内田氏が武道家であることが大きく関係しているのだと思う。内田氏の守備範囲(攻撃範囲?)は広く、政治的発現も率直に展開される。

http://blog.tatsuru.com/

 

政治、社会問題に対する批評も、そんじょそこらのジャーナリスト、評論家も敵わぬほどの方である。これはブログを見ればすぐに分かる。展開が断定的で切れ味がいいのである。これも武道のなせる技なのだろうか。しかし、じぶんにはあまりに切れ味が良すぎてついていけない感じがあるのである。

 

これは全く個人的な事情によるものなのだが、じぶんの中で内田氏の身体論と政治的思想(解釈)が相いれないのである。身体論では慎重?な言い回し−と言うより言語化すること自体に無理があるのかもしれないが−が感じられるのだが、政治的発現となると断定的な表現に変わる。

 

このことがしばらく悩み?の種だったのだが、何とか解決できそうだ。それは内田樹を歴史上の人物と同じに捉え直すことである。考えてみれば、じぶんの身の回りの家族、近所の人、職場の人、友人・知人などに比べれば、内田樹という人物はずっと遠い存在なのである。それは歴史上の人物が遠いのと同じようなものだ。

 

現代では、著名な方々の声を気軽に聞くことができ、また書いたものをいつでも読むことができる状況にある。だからそのような人物を身近な存在と勘違いをしてしまうのである。歴史上の人物はと言えば、どんなに有名な人物であろうと、おおよそ先人たちが残した書きものなどからしか知ることができない。しかし考えてみれば、それは今に生きる著名な人物とて同じような存在であろう。

 

ただ上記のように、旧い時代に生きた人物たちとは異なり、現代に生きる著名人たちはその一挙手一投足が日々公開されているような状況にある。故に、妙に感情移入がし易く、そしてこれが間違いのもととなる。そこで、今に生きている人物とは言え、時に、歴史上の人物と捉え直してみる方がずっとスッキリすることが分かったのである。これはじぶんにとってコロンブスの卵だった。

 

歴史上の人物・内田樹と考えると面白くなる。精神的にも技的に優れた武道家で、道場を構え、しかしながら思想的に現政権に対し激しく対立する人物。幕末期にはこのような人物がいたのではないだろうか。あの時代は活動家が顕著だったが、内田氏は思想家である。さほど歴史に通じていないので具体的人物が思い浮かばない。


内田樹氏と対極的?な位置にいる人物がいる。現参議院議員・青山繁晴氏である。ネットTVとラジオのトーク番組をよく聞く。前参議院選挙で一票を投じた。因みに、内田氏が’50年生まれで青山氏が’52年生まれ、そしてじぶんは’47年生まれである。大きく離れているわけではない。

 

青山 繁晴は、日本の政治家、参議院議員、安全保障および国家政策研究員、作家。前独立総合研究所代表取締役社長、近畿大学経済学部総合経済政策学科客員教授、東京大学教養学部非常勤講師。(ウィキペディア)

 

歴史上の人物・内田樹と青山繁晴を考えると面白い。どちらも歴史上、絶対に存在したような人物に思えるからである。内田氏は思想家で武道家、青山氏は活動家でスポーツマンである。政治的思想は対峙的立場にいる。じぶんは安易な二者択一には与しないようにと思いながら、今は青山氏寄りか。取りあえず、歴史小説を読むように、じっくりと観察を続けようと思っている。

 

関連投稿:時の人? (2016/06/24)
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ひとりで生き、逝くということ

  • 2017.05.07 Sunday
  • 20:45

山折哲雄著『「ひとり」の哲学』(新潮選書)

 

久しぶりの書店散策で ”ひとり” という言葉が目に留まった。人生もここまでくると ”ひとり” という言葉が身にしみるようになる。現在の社会事情を背景にしたエッセーと思い安易に買ってしまったのだが、中味は一般向けとは思えないほどで、じぶんにとっては難解だった。

 

 ひとり暮らしの淵に立たされるようになって、はじめてそのひとり暮らしの足元が底無しの危機にさらされていることに気がついた。ひとりで存在するエネルギーが、みるも無残に何者かによってどこかに吸いとられてしまっている。

 ひとりで立つことからはじめるほかはない。そして、ひとりで歩く、ひとりで坐る、ひとりで考える。ひとりの哲学を発動させなけれればなるまい、そうも思う。からだの関節と筋肉をもみほぐす。そこに新しい血流を通す。

 

著者の序章の弁である。さらに著者は、いま世間には「ひとり」を孤立とか孤独の親戚であるかのように扱う風潮があると語り、本書はそのことへのアンチテーゼになっている。この辺までは、じぶんにも身にしみるように理解出来るのだが、本論に入ると内容が高尚となり、ついて行くのが困難になってくる。

 

しかし、これは著者の所為ではなく当方の問題である。著者は、ドイツの哲学者カール・ヤスパースの唱えた人類史の「基軸の時代」から日本の基軸の時代を考察し、それを十三世紀の鎌倉時代においた。ある意味、本書はこの著者の説を解説するという主旨があったのかもしれない。

 

著者は「ひとり」という概念を西洋の「個」と区別して日本の思想の源流と考える。十三世紀はその基軸の思想と人物を生み出した。本書は序章、終章を挟んで四つの章からなり、それぞれ親鸞の「ひとり」、道元の「ひとり」、日蓮の「ひとり」、そして法然と一遍の「ひとり」を論じている。

 

本書と関連図書の熟読により、著者の語る日本の「基軸の時代」を捉えることができるのかもしれないが、残念ながら現時点ではそこまでの気力はない。さりながら、じぶんにも、日本人の中に意外に多いような気がするのだが、鎌倉時代を壮絶に生きたこれらの人物に関心がある。

 

しかも、これらの人物と「ひとり」という思想が密接に関わってくるとなれば、また新たな視点でこの時代、人物を捉えなおすことができるのかもしれない。著者は、世間が「独居老人」「孤独死」などと呼び、まるで社会悪でもあるかのように言うのは間違いであり、むしろ「孤独」と向き合うことでより豊かな生を得ることができると語る。

 

 窒息しそうな「個」の壁を突き破り、広々とした「ひとり」の世界に飛び出してこないか、そんな思いをこめて、私はこの本を書いた。

 

じぶんはこの本のタイトルを見たとき、こんな著者のメッセージを聞いたような気がしたのかもしれない。オビの裏に記されていたのだが、初め気がつかなかった。著者の本旨「基軸の時代」を理解するまでは行かなくとも、せめて「ひとり」の思想の一片でも捉えることができればと説に願う。

 

法然、親鸞、道元、日蓮、そして一遍。それぞれが時代の中心から大きく外れた道を選択し生きた。親鸞、道元、日蓮から派生した宗教組織は後に大きく発展した。しかし、著者はその発展が開祖たちの思想を起動力にしたものではなく、ひとえに先祖供養を中心とする土着の民間宗教がその発展を支えたのであると論じる。

 

宗教団体の内情は知らない。しかし著者の説によれば、宗教に関わらぬ一般人が親鸞、道元、日蓮の生き方からから学べることが多く、むしろこっちの方が本筋と思えぬこともない。さりながら、「個」ではなく「ひとり」を現実に生きるということを考えると、語るは易しという思いが強くなる。

 

しかし、もし「ひとり」の生き方が日本古来の思想の源流であるとするなら、あらゆる日本人にその文化的DNAが引き継がれているのではという想いが湧いてくる。そして今、じぶんは切に切にそのことを願わずにはいられない。

 


 

「ひとり」の哲学(Kindle版)

発行 2016年10月(新潮社:amazon

 

著者 山折哲雄

宗教学者、評論家。1931年、サンフランシスコ生まれ。1954年、東北大学インド哲学科卒業。国際日本文化研究センター名誉教授、国立歴史民俗博物館名誉教授、総合研究大学院大学名誉教授。著書に『髑髏となってもかまわない』『義理と人情 長谷川伸と日本人のこころ』『これを語りて日本人を戦慄せしめよ 柳田国男が言いたかったこと』など多数。

 

 

 

進化し続ける益子焼き

  • 2017.05.03 Wednesday
  • 21:20

今年のGWも半ば、というよりも今日からがメインか。1日と2日はGWの中休みという感じで行楽地も空いているかもしれないと思い、天気晴朗の昨日、3年ぶりに益子春の陶器市に出かけてみた。最近は国道4号バイパスも車線が増えて走行に快適で、信号が無ければ高速道路かと見紛うばかり。実際、高速道路と同じような走行をしている車が多い。

 

今やスピード抑制走行(法定速度遵守)?が普通になったじぶんでも二時間ほどで益子に到着。この時期は渋滞必至の県道もすんなりだったが、会場近くまでくるとさすがに車列の滞りが見られるようになった。今回は、会場の中心からちょっと離れた窯元の駐車場に車を駐め、歩いて中心地に向かうことにした。

 

これは初めての試みだったのだが、爽やかな五月晴れの日だったので気持ちよく歩くことができて、15分ほどで会場中心に着くことができた。3年ぶりということで、またいつもと異なる方向から歩いて会場に向かったこともあり、今回は何か新鮮な感覚を覚えた。

 

いつの頃からか、益子で働く外国人陶芸家も多くなり、さらに陶器市には益子以外地域からの作品が展示されるテントも増えて、30年ほど前から比べるとずいぶんと華やかなイベントになってきたという印象があった。

 

今回、特に強く印象に残ったのはLISA  LARSON の展示コーナーである。近頃は異色の作家の異色の作品展示にも慣れていたのだが、LISA  LARSONの展示には今までとは異なる雰囲気を感じたのである。

http://lisalarson.jp/
mashiko_lisa/

 

最初目についたのはポスターのネコのイラストである。このキャラは良く見かけるよとの家人の話に、そう言えばどっかで見たことのあるようなと思った。じぶんが知らないだけで、有名な作家だったのである。しかし、そのメジャーな外国の陶芸家の作品がなぜ益子の陶器市に?。

 

パンフレットに、”今年の春も、益子陶器市にリサ・ラーソンが出展!” と記されていたので、初めてではないらしい。

 

しかも、ポスターに「りさや」とあり、またその作品群が洗練されたバラエティにとんだものであり、頭の中が???の状態になった。これらの作品はどこの土で作られ?、どこで焼かれたもの?。

 

「りさや」のウェッブサイトで少しばかり分かってきた。陶芸家リサ・ラーソンと益子焼きとの縁は1970年の大阪万博で人間国宝・濱田庄司との出会いからというので驚いた。長い歴史があった。これら作品のなかには益子で作られたものもあるということだろう?。

 

歳の所為か、最近、じぶんもリサ・ラーソンの作品のようなカワイイものに弱くなってきた。それにしても、その善し悪しは別として、益子焼きもずいぶんとイメージが変わってきたものだ。どんな文化もそうなのだろうが、益子の陶器市も期待と懸念が入り交じった新しい雰囲気のイベントになってきたような気がした。

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