ジャズが戻ってきた!!

  • 2017.03.26 Sunday
  • 14:48

年が明けてからさらに傾向が強まったのだが、家にいる時は居間のTV(TVスティックに接続)でyoutubeのジャズを流していることが多くなった。半世紀前に高校を卒業して、一年遊んでしまったのだが、専門学校に行くために田舎から上京した。まもなく、友人がアルバイトをしていたジャズ喫茶がキッカケとなりモダンジャズを聴くようになる。

 

店のオーナーの嗜好だったと思うのだがよくコルトレーンが流れており、田舎の子にとっては妙な音楽だなと思いながらも、徐々にその不思議な魅力に惹かれていった。二十代の初めから終わりに結婚するまで、モダンジャズはじぶんの生活の中で大きな比重を占めるようになっていた。当時はLPレコードだったがレコード店を覗くのが楽しみの一つだった。

 

 

LPレコードは当時二千円前後、じぶんにとって安価なものではなかったので買えるのは限られており、二十代に買ったLPレコードは全部で100枚程度だったと思う。コレクターの部類には全く入らない程度のものだ。LPレコードの購入は限られ、その代わりに新宿、渋谷のジャズ喫茶によく通った。ドリンク一杯で二〜三時間を過ごす。

 

後に新宿のピットインなど、生演奏のジャズクラブにも行くようになった。年に一、二回は大会場のコンサートにも出かけた。しかしジャズ喫茶もジャズクラブも出かけるのは一人だった。知人と一緒だったのはほんの数えるほどの記憶しかない。一人で飲むことはなかったが、ジャズはほとんどアローンだったのである。読書に近い行為だったのではなかったかという気がする。

 

二十九で結婚した。今思えばこの頃からジャズ離れが始まり、子どもが生まれてそれが加速する。それからずっとジャズとは縁の薄い生活が続く。立ち寄った施設のBGMでジャズが流れていたりするとちょっと聞き耳をたてたり、ショップでジャズのCDを見つけ思い出したように買ってみたりしたが、気持ちを入れて聴くことはなかった。

 

それが、youtubeで音楽を視聴できることを知り、初めはPCでBGMとして使うようになった。さらにTVスティックを接続してからは使い易さが向上し、いろんな音楽コンテンツを試してみるようになった。アマゾンによればyoutubeでは数百万の音楽コンテンツが利用できるという。

 

そして、ジャズを検索して驚いた。昔聴いたLPアルバムやら、色んなジャズフェスティバル、コンサートの録画やらが満載なのである。これらのジャズを聴き始めて再発見したのは、イージーリスニング曲より本格的に演奏しているハードな曲の方がじぶんにとってはBGMに向いているということである。

 

 

ジャズ、特にバップ以降のものがいいのだが、今、じぶん一人の空間を満たすにはジャズが最適であることが分かった。何かをしながら聞くのにピッタリなのだ。読書、作業のジャマにならない。むしろ何らかのパワー?がもらえる感覚がある。しかも不思議なのは、BGMとして流しておきながら曲に集中しようと思えばそれが可能で、またBGMに戻せるのである。じぶんにとって他にこんなジャンルは見当たらない。

 

ジャズが戻ってきた!!

 

とは言え、これは螺旋の戻りで二次元で同じ位置でも三次元では異なるの例え、二十代のじぶんと今のじぶんが同じの道理はなく、この後にジャズから受ける生理的、心理的影響もあの頃とは随分と異なるのではないかと考えている。これから先どうなるのかは皆目見当がつかない。

 

三日ほど前から、マイカーのオーディオHDに手持ちのジャズCDのセーブを始めた。しかし手持ちは十枚ほどしかないので、後はレンタルCDである程度の枚数をセーブしようと考えている。マイカーがジャズ喫茶になる。二十代の独身時代には持てなかった環境だ。老後は芸術性と宗教性が頼りなのだ、と又じぶんに言い聞かせる。

 

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夜・間・飛・行

  • 2017.03.21 Tuesday
  • 21:02

サン=テグジュペリ著(堀口大學訳)『夜間飛行』(新潮文庫)

 

文学に不慣れなじぶんが、 古稀にならんとする歳になって、一人の飛行家の生きざまに興味を持って『夜間飛行』を読み始めた。本書には著者の処女作『南方郵便機』も併せて掲載されている。『南方郵便機』が1929年、『夜間飛行』が1931年の作品で、翻訳本が昭和31年(1956年)の発行というので、堀口大學の名訳と言われる作品ではあるが読むのに難儀した。

 

難儀したと言っても、それで読むのが嫌になったということはなかった。ただ、じぶんの語彙の未熟さを思い知る体験となってしまった。この歳でこんな体験をするのも何だが、それでも言葉(言語)の奥深さを改めて認識することになった。作家サン=テグジュぺリを知ってから未だ半年も経っていない。また、飛行家サン=テグジュぺリについてもほとんど無知であることを知った。尚のこと、作家/飛行家サン=テグジュぺリについてはゼロベースである。

 

『夜間飛行』『南方郵便機』共に読み切れていない。今回は、文学というより、空飛ぶ機械の黎明期に一万キロに及ぶ郵便航空路が事業展開されていたという事実を記した記録書として注目、さらにその内容に困惑している。ライト兄弟が有人動力飛行に成功したのは1903年である。そして1914年から始まった第一次大戦に早々と兵器として登場する。この速い展開も驚きだが、じぶんが今知りつつある、大戦後の郵便機の冒険的な進展もまた驚異的と言わざるを得ない。

 

郵便機の操縦士を実体験した著者サン=テグジュぺリによる文学的な飛行の表現は今まで知らなかったものだ。何せヒコーキに興味を持ったのが中学生の頃からで、第二次大戦の軍用機からであり、読んだ操縦士の体験記が坂井三郎の『大空のサムライ』と言うのだから文学の香りのしない世界だ。そう意味で、作家/飛行家サン=テグジュぺリは老いたじぶんにとって希有な存在になりそうな気配を感じている。

 

じぶんは読み物と言えばノンフィクション偏重の人生だった。ただ年齢?と共にエモーショナルな要因の重みを思うようになり、昨年、数学者・岡潔の著書で「数学は感情を入れなければ成り立たぬ」という表現を読んだとき、僭越ながら我が意を得たりと思ったものだ。そして人生の晩秋を迎えようとする今、芸術性と宗教性がじぶんと余生の鎹(かすがい)になるような気がしている。

 

『夜間飛行』は、若い頃に読めばまた違った印象を持ったのかもしれないが、何ともやるせない気持に苛まれる作品だ。フランスの著名な作家アンドレ・ジッドの序文、訳者 堀口大學のあとがき、そしてフランス文学者 山崎庸一郎の解説は本書を理解?するに重要なメッセージに思えるのだが。しかし、じぶんが残された時間でこれらのメッセージを真に理解できるようになれるかどうかは判らない。

 

 恐怖は死と直面したときにあるのではない。僕はこれまでに、四度死にかけたが、一度も恐怖は起こらなかった。こう言うと、僕には決して恐怖はないように聞こえるかもしれないが、実はそれどころが、僕はたびたび恐怖に襲われる。(サン=テグジュベリ)

 

サン=テグジュぺリの生立ちと、時代背景が関連するのかもしれないが、彼の心性が武士(騎士)であったと言うのは達観かもしれない。『夜間飛行』の冷徹な?主人公リヴィエールも、パタゴニアからの飛行中遭遇した暴風雨の中に見えた切れ目に陥穽(落し穴)と知りつつ機を上昇させた操縦士ファビアンも、著者サン=テグジュぺリの分身であろうと推測できる。

 

嵐の中で格闘するファビアンの描写は想像を絶する。まだ黎明期の飛行機である。現代人の常識では未だ事業化できるような代物ではないと考えるのが普通だ。そんな飛行機で夜間に嵐の中を飛行するのである。正気の沙汰とは思えない。しかしながら歴史的な事実なのである。そして、それを支えていたのが主人公リヴィエール、操縦士ファビアン、会社の関係者、そして家族たちの心性だったのである。

 

 僕は七歳の時から、ものを書いてきた。飛行機が僕に筆を執らせたのでは決してない。僕は信じている、自分がもし炭鉱夫だったら、必ず地下に人生の教訓を掘り出そうと努力したであろうと。これもすでに幾度も言ったことだが、僕にあっては、飛行機は決して目的ではなくて手段だ。自分を創り上げる手段だ。農夫が鍬を用いて田畑を耕すように、僕は飛行機を用いて自分を耕すのだ。(サン=テグジュベリ)

 

サン=テグジュぺリが生きた時代と現代の間には半世紀以上の開きがある。この差を大きいと見るか否かは見解に相違のあるところだろうが、個人的にはそんなに遠くの出来事とは思えない。じぶんの祖父の世代である。持て余すほどには残されていないじぶんの余生、サン=テグジュぺリのおかげで多少文学の香りのする生活が期待できるかもしれない。そして、これは僥倖としか言いようがないではないか。

 


 

夜間飛行

昭和31年 新潮社発行

平成28年 九十七刷(amazon

 

著者 サン=テグジュペリ(1900−1944)

名門貴族の子弟としてフランス・リヨンに生まれる。海軍兵学校の受験に失敗後、兵役で航空隊に入る。除隊後、航空会社の路線パイロットとなり、多くの冒険を経験。その後様々な形で飛びながら、1928年に処女作『南方郵便機』、以後『夜間飛行』(フェミナ賞)、『人間の土地』(アカデミー・フランセーズ賞)、『戦う操縦士』『星の王子さま』等を発表、行動主義文学の作家として活躍した。第二次大戦時、偵察機の搭乗員として困難な出撃を重ね、’44年コルシカ島の基地を発進したまま帰還せず。

 

訳者 堀口大學(1892−1981)

東京・本郷生まれ。詩人、仏文学者。慶應義塾大学を中退し、10数年間外国で暮らす。『月光とピエロ』に始まる創作詩作や、訳詩集『月下の一群』等の名翻訳により、昭和の詩壇、文壇に多大な影響を与えた。’79年文化勲章受章。

脱地デジのはなし

  • 2017.03.16 Thursday
  • 21:51

『バカの壁の』の養老孟司氏が日本国民が参勤交代−都会と田舎の生活を交互にする−を行えば個人も社会も変わると提唱した。このことに完全に共感するが、同様に全員が脱地デジを行えば個人も社会も変わるとじぶんは思う。当初は脱TVと言っていたのだが、今は脱地デジで充分だと思っている。しかし、参勤交代も脱地デジも出来そうで出来ないということも同じだ。

 

個人的に脱地デジ(地上波TV放送)になったのは2015年の12月なのでもう1年以上前になる。家のTVにはアマゾンのTVスティックとビデオプレーヤーに接続されているがほとんどTVスティック専用の状況だ。

 

 

 

 

 

 

 

TVスティックのアプリの数も多いが、じぶんがよく使っているのは「YouTube」「GYAO!」「NHK WORLD」「YAHOO!」などだ。特に「YouTube」では視聴できる楽曲は膨大なものと推測され、最近、家のTVはジュークボックスと化している。LPレコードで聴いていたころのジャズアルバムも聴けて、青春の頃に通ったジャズ喫茶を思い出す。

 

さて地デジ、つまり地上波テレビのはなしだが、個人的にはほとんど見るに値しないと思っている。もちろん中には優れた番組があろうことは承知のうえだ。先ずその番組を探すことが一仕事である。リサーチにかかる時間とその番組を視聴する時間が要るわけで、これに値する番組もゼロではないだろうがチャレンジする気力も時間もない。

 

まして、ほとんどがバラエティに埋め尽くされている今の地デジ番組にはどう反応していいのやら戸惑いを感じるばかりだ。これらの番組でやられていることはもはや見るものではなく、むしろ視聴者自らが職場で、学校で、家庭で、仲間内で同じことをやればいいのだと思うのである。なにもわざわざ第三者に仕事でやってもらって、それを傍観している必要もなかろうと思う。

 

プロ・スポーツ選手のプレイを観るのと同じだという考えもありかもしれないが、個人的にはバラエティ番組でやられていることがそんな大層なモノとは思えない。勿論、出演者(芸能人等)もやっているうちにそういうことに長けてくるのだろうが、それでもそれが観るべきアート、芸として評価しうるのかということはまた別の話だ。

 

確かに、現在の民間放送のビジネスモデル−スポンサーが番組、CM制作と放送に関わる全費用を負担する−はよく出来ているモデルだと言える。巡りめぐって、最終的に購買というかたちで一般消費者が費用の負担をすることになっている。本来はスポンサーと一般視聴者が主役のモデルなのかもしれないが、実態は中間の制作業界(局、芸能関連)が肥大肥満化しているということだろう。

 

何やら医療関連業界を思わせる。本来は医者と患者の関係こそが主流であるべきところ、中間の医療機関/製薬業界が肥大肥満化する。そして、元々何を目的としたモデルなのかが曖昧なままになってしまう。いつのまにかツール(業界)が主役となってしまったステージになる、何ともやりきれない気持ちだ。

 

放送というメディアも、NHKモデルは論外だが、何か新しいモデルの構築はできないものだろうか。キーは中間業界なのだろう。書籍の出版では「編集」という機能が重要だという。ネットに溢れているコンテンツの脆弱さはこの編集機能が無いことだと言われる。そういう意味で、放送メディアも編集機能を持つキー局のガバナンスが問われるということになるのだろう。

 

と、これは正論だが現実に起動しうるかどうかは疑問だ。結局、社会的に脱地デジ運動にまで高まるようなところまで行かなければ、大組織が変革することは難しいことなのだろうと考えてしまう。

 

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     再・脱TVのすすめ (2015/05/14)
     脱TVのすすめ (2011/01/19)

七回目の3.11の日に

  • 2017.03.11 Saturday
  • 14:46

東日本大震災から六年目の今日をどう過ごそうかと考えていた。家で静かにしていようか、それとも時折出かける唐沢山から北に向かって祈る日にしようか。結局ありきたりのニュースの影響を受けて、開通したばかりの圏央道を走ってみることになってしまった。境古河IC-つくば中央IC間が完成して全線開通ということになったのである。

 

五霞から乗って、とりあえずつくば中央までと思いながら走り出したのだが、途中で家人が成田空港まで行ってみたいと言い出し、しかも空港に隣接した「航空科学博物館」を提案され、ヒコーキに弱いじぶんは二つ返事で了解してしまった。しかし話に聞いてはいたが、ほとんどが高架で対面交通の高速道は眺めはいいのだがはっきり言って走りにくいと感じた。

 

 

出かけたのがお昼過ぎでまだ交通量が少なかったので往きはよかったのだが、復りが想像以上に大変なことになるとは思いもしなかった。1時間半ほどで成田空港周辺に辿り着いた。成田空港は何度か搭乗者として利用したことはあったが、その時は電車かバスで空港乗り入れという感じたったので、マイカーで周辺を走るのは今回が初めてだ。

 

そこで、空港周辺の道路、施設の状況があまりに雑然としている印象に驚いた。ここが日本の代表的国際空港界隈とは思えないほどに道路の作りと標識が分かりにくいのである。何とか「航空科学博物館」周辺に辿り着いたのだが、このエントランスのあまりの色気の無さ?にまたビックリした。

 

そして、じぶんが想像していたミュージアムにはほど遠い施設だった。それでもヒコーキ好きのじぶんにはワクワク感を抑えることができなかった。巨大な星形エンジン、ジャンボのターボファンエンジンには興味津々だった。

 

 

館内で2時46分を迎えた。館内放送の案内に従い45分から黙祷をさせて頂いた。

結局閉館の5時まで滞在することになったのだが、収穫は星形エンジンのセスナ195と生のエアバスA380をみれたことである。

 

 

それにしても、エアポート界隈とミュージアムはもっとクールなデザインと運営を期待したかった。加えて、土曜日であることを考慮しても、帰路の圏央道はアウトレットと常磐道とのジャンクションのためと思われる渋滞が酷かった。この後、一車線のデメリットをイヤと言うほど知らされることになる。

 

何とか渋滞区間を通り抜けて流れだしたのだが、日が落ちて車は照明を点灯し、反対車線の交通量が増して眩しい前照灯の列が流れてくる。この高速道は一車線のみならず路肩が狭く、中央に分離帯はなくポールが並べられている区間が多。なおさら一車線の幅が狭く感じられる。インフラとしては高速道路ではなく60km/h程度で走る一般道路の体しかなしてないと思われた。

 

近頃、目が弱ってきているせいか一般道路でも夜はあまり走りたくないと思う。今日走った圏央道の区間は80km程度だと思うのだが、まるでゲームをやらされているような感覚だった。一般道路かと思わせるような道をある程度以上の速度で走らなければならないという意識と、前から向かってくる灯りの列で、まるTVゲームのようだった。違うのは事故ったら死ぬということである。

 

この区間はほどんど休憩所が無く、車を寄せるスペースも無い。もう途中でゲームを終わらせたい(高速を降りる)と思ったが、もう少しで着くとじぶんに言い聞かせて五霞ICまで戻ってきた。正直本当に疲れた。途中、レストランで食事をして家に帰ってからも、頭の疲れがとれなかった。こんなに疲れたドライブは初めてかもしれない。

 

家でネットでニュース等を見ると、言うまでもなく3.11震災のニュースが多い。6年経ってもまだまだ町が復興途上であることが報道されている。まだ地盤のかさ上げ工事が続いている現状をみるとコミュニティの復活、再興はほど遠いのが現状のようだ。

 

 

今日、半日の体験だったが、空港界隈と幹線の高速道路というインフラの現状を見て、この国のデザインの力が意外に弱いのではないかという印象と危惧を持った。インフラは文化、生活の基盤である。ぜひ、被災地の町の復興には確固としたデザイン・力を発揮してほしいと願う。

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auひかりにしてみたが

  • 2017.03.08 Wednesday
  • 15:05

今月からインターネット接続をCATVからauひかりに切り換えた。長い間、テレビ、インターネット、固定電話をCATVからサービスを受けていたのだが、一昨年の12月にインターネットと固定電話のみのサービスに契約を変更した。契約変更に伴う工事?もあり、その時から我が家では地デジが受信できなくなった。

 

しかしながら、このインターネットと固定電話のみのサービスというものがこのCATV会社にとっては本当に稀なケースのようで会社のスタッフが充分に認識できていなかった。地デジ受信解約の直後にNHKの団体一括支払いがされてしまった。しかも、電話スタッフからの何のエクスキューズすらなく直接NHKと交渉するように言われた。何とかやりとりの末に支払額の一部を取り戻した。CATVもNHKも怖い。

 

このCATV会社には契約変更に伴う業務整理のフローが無いか、もしくは鼻っから地デジなしのサービスは網にかからないようになっているとしか思えない。しかし、サービスメニューの中にちゃんとこのサービスも載っているのである。さらに一年後、CATV会社の調査担当員?らしき人物が来訪して、TV周辺を散々にいじくり回して地デジが受信できないことを確認して、首を傾げながら帰っていった。???。

 

そして先月インターネットが時々接続エラーを起こすようになった。一時的なものかと思ったが収まらず反って頻度が増えていった。はじめはモデムの不良かと思ったが、それにしてはいつの間にか復帰するので変だと思った。事前にauひかりに変えても料金がほとんど変わらないことは調べてあったので、この機会に脱CATVしようと決心した。

 

先にauひかりの申し込みをして、後でCATV解約の電話をすると、電話スタッフは何とか解約を思いとどまらせようとあれやこれやの脅かし?の言葉を並べる。そしてこの時もまた、地デジの話を持ち出してきた。調査員がチェックしていった後にもかかわらず、CATV会社は未だにこちらの契約内容を認識できてはいないらしい。

 

解約まで残り二週間程度だったが、撤去工事が別途発生するということなので、接続エラーの対応を依頼することにした。電話をかけ直すと、この期に及んでまた、電話スタッフはまた地デジの話を持ち出してきた。結局、サービス担当に来てもらうことになったのだが、この時の電話スタッフの終わりの言葉に耳を疑った。もし、電源コンセントが抜けていた場合は有償になります。現状認識ゼロ、何をか言わんやである。この時、解約申し込みをして本当によかったと思った。

 

来訪したサービス担当はまともな青年だった。やはり端末の状況はモニターできるようで、モデムの過去の受信状況を示して、わが家のモデムの信号レベルが ”黄色” (不良)の状況であったことを説明してくれた。そして、てきぱきとケーブル引き込み部分の機器の交換とモデムに装着してあった二つの抵抗器のうち一つを外して帰っていった。この後接続エラーは起きなかった。

 

この後、終わりの支払い(一か月の利用料、撤去費用、電話移転費用)について紙ベースで領収書を出してほしいと電話で依頼すると、その場で回答できずに二度も通話保留にされ、何とか有償(50円/部)で送ってくれることになった。じぶんはそんなに変な依頼をしているとは思っていなかったのだが、電話スタッフ嬢の対応は焦っているふうで早口で落ち着きがなく、先方には何か特別な事情?があるようだ。それにしても疲れる。

 

さて、こんな事情で現在わが家のインターネットはauひかりで接続されている。しかし、これで万々歳かと言えば、こちらはこちらで色々と検討しなければならない案件がありそうだ。成り行きで、今、わが家はスマホ(iPhone×2、タブレット×1)、電気、そしてひかり(インターネット、固定電話)のサービスをauから受けることになった。

 

おまけにポイント還元に惹かれてau-WALLETまで使うようになっている。今さらながら思うのは、身の回りのネット環境の速い進化と複雑化である。気がつかぬ間にその中にどっぷりと浸かって(浸かされて)しまっている。しかしながら、じぶんの受給しているサービスの質と量が消費している時間と金額に見合っているのか否かと考えるとクエスチョンマークがつく。

 

脱地デジには慣れた。ネットから提供される各種映像の量の豊富さは驚愕的である。脱地デジでも ”映像ロス” はあり得ない。ウェブ上のビデオ・サイトも競争が激しく、映画、ドラマ、音楽、スポーツなどのコンテンツが安価に視聴できるようになった。初めはとてもラッキーなことと思ってはみたものの、現実にはさほど利用してはいない。

クラウド化は無条件に社会の進化と評価できるのか。auショップで店員の話を聞きながら、店員自身が自分の話の内容をどれだけ理解しているのだろうかと訝る。顧客側はなおさらである。今回のauひかりは3年契約である。この3年が正念場かと思う。3年後に身の回りのネット環境の整理が不可欠と思いながら、もしかしたら脱ネットもあり得るのだろうかと思いを廻らしている。

幻のジャパニーズ・ホスピタリティ ”お・も・て・な・し” ?

  • 2017.03.02 Thursday
  • 20:36

2020年東京オリンピック誘致活動の中で話題になったフレーズが ”お・も・て・な・し” だ。今流に言えばホスピタリティということになるのだろう。じぶんもこの国の ”お・も・て・な・し” の精神は実在すると信じたいのだが、十年前に定年を迎えようとする頃から少し疑問に感じるようになってきたのである。

 

前に当ブログでもそのことを書いているのだが、正直、これが客観的な認識と言えるかどうかは定かではない。もしかしたら、この感覚はじぶんの老化現象によるものではないかという思いもある。そしてこの思いは今も続いている。じぶんは終戦後まもない1947年の生まれだ。いわゆる団塊世代である。

 

ふるさとは宮城県で福島県との県境に程近い小さな町である。今から思えば、子どものころは質素な、どちらかと言えば貧しい暮しではなかったかと思う。農家が多く、学校の先生、医者などを除いて高学歴の人はほどんどいない社会である。じぶんの両親も明治生まれで学校は尋常小学校だけだったと思う。

 

しかし子どものころを思えば、じぶんの周囲の大人たちは学歴はなくとも人格者が多かったような記憶がある。中には乱暴な人、怖い人もいたのだろうが、どちらかと言えば純朴な東北弁の記憶と共に ”優しい大人たち” の印象が強く残っている。要するにあの頃の田舎には、幕末から明治期にかけて日本を訪れた西洋人が書き残した ”古き良き” 日本人がまだ残っていたということではないのだろうか。

 

そしてじぶんは、これがこの国の ”お・も・て・な・し” の源泉ではなかったのかと思うのである。この精神が時代と共に形を変え今なお受け継がれきているというのであれば何も言うことはないのだが、じぶんの身近な体験から ”お・も・て・な・し” の精神は薄れてきているのではないかと思わざる得ないのである。

 

じぶんの些細な体験というのは、具体的には車のディーラー、携帯ショップ、ケーブルTV、医療機関、そしてパート先(公共施設)のセキュリティ会社などに関するものである。関係者の顧客目線が非常に希薄なのである。じぶんの関心はこの国のサービスはもっとマシだったのではなかったかということであり、一方これはじぶんの勘違い、思い違いではなかろうかという懸念もあるのである。

 

しかし、これが老化による勘違いとなると一人の情けない老人の話で終わるだけなのだが本当にそうなのだろうか。もし我々が思っている以上にこの国から ”お・も・て・な・し” の精神が薄れているのだとしたら、これは単にビジネス案件に留まらない国のあり方にまで関わる大きな問題だと思うのだが。しかしこれもまた老人の世迷言と切り捨てられるのだろうか。でも本当に気にかかるのである。

 

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ファンタジックなやまい(病)のはなし

  • 2017.02.20 Monday
  • 14:17

安保徹著『人がガンになるたった2つの条件』(講談社)

 

著者の数ある書の中から偶然選んだ本だが感動ものだ。「どうしてガンになるのか」というのがテーマなのだが、これはガンというより生命がテーマの本だと思う。そしてこれは著者の他の本でもきっと同じ印象を受けるのではないかと想像する。そこには著者の一貫した思想が流れていると考えるからである。

 

結論から言ってしまえばガン(他の病気も同じ)は低体温と低酸素によって引き起こされるというのである。そして、ここで”引き起こされる”と悪いイメージで表現してしまったが、本当はガンは体が生きるための自然な適応反応であり決して間違いでできた細胞ではないと言う。さらに低体温・低酸素の主たる原因は過剰なストレスであると説く。

 

著者はこの現象を38億年前の原始細胞にまで遡り解説していくのだが、これが実にファンタジックな物語なのである。生命の発生時の地球は未だ酸素がなく原始細胞(嫌気性)は食べ物の栄養素(糖質)だけでエネルギーを作り出せるシステムだった。そして後に地球上に酸素の量が増えてきた環境の中で酸素からエネルギーを作り出す新たな生命体である好気性細胞が誕生する。ミトコンドリアはその仲間なのである。

 

 私たち生命体としての人間は、もとをたどれば一個の細胞からなる単細胞生物にすぎませんでした。それが長い年月をかけてこの地球の環境に適応していくなかで、エネルギー工場であるミトコンドリアが新たに備わり、多細胞化し、組織器官が作られ、大型化し・・・・・ここまでの進化を遂げてきました。

 

二十億年前、嫌気性の原始細胞と好気性のミトコンドリアがウィンウィン(win-win)?で合体(ミトコンドリアが寄生するかたちで)する。そして十二億年前に我々の祖先となる安定した真核細胞が誕生しさらに多細胞化していく。こうして我々人類が誕生しその細胞内には解糖系とミトコンドリア系の二つのエネルギー工場を持つことになった。

 

この二つのエネルギー工場を持ったことが生物の進化をもたらしたわけだが、一方で無酸素で繁殖できた原始細胞が持つ不老不死の生態を失う。しかし著者は、人類がこの二つのエネルギー工場をもっともバランスよく活用できる生命体なのだと解説する。しかしこのアンバランスが病気(ガン)を発生させるのだと言う。

 

こうした著者の説は現代医学の常識ではないのかもしれないが医学素人のじぶんにはとてもリアリティのある話に感じられた。著者が実績ある研究者であるということもその根拠だが、著者の説の物語性がじぶんにとってリアリティの要因として大きいのではないかと思われる。医療の側面からみるとやはりエビデンスが重要になってくると考えられるので、著者が昨年12月に急逝されたのは誠に残念なことである。

 

じぶんと同じ1947年生まれで親しみを覚える一方で、ネット上に著者の説を危ぶむ意見が散見されることも認めなければならないだろう。しかしながら、じぶんにはまだまだ活躍が期待される人物ではなかったかと思われるのである。

 

本書には「ガンにならない八つのルール」が書き記されている。医学的根拠は確立されてはいないのかもしれないが、ガン(病気)の最も根源にあるのは「生き方(考え方)」 であるという著者の思想が表れているように思われる。

 

1.心の不安やストレスに目を向ける

2.頑張りすぎの生き方を変える

3.息抜き・リラックスの方法を見つける

4.身体を冷やさない工夫をする

5.暴飲暴食はやめて体にやさしい食事をする

6.有酸素運動生活を取り入れる

7.笑いや感謝の気持ちを大事にする

8.生きがい・一生の愉しみ・目標を見つける

 


 

人がガンになるたった2つの条件

2012年4月 発行(講談社_Kindle版:amazon

 

著者 安保 徹

1947年(〜2016年12月)、青森県に生まれる。医学博士。新潟大学大学院医科歯科総合研究科教授。1972年、東北大学医学部卒業。米アラバマ大学留学中の1980年、「ヒトNK細胞抗原CD57に関するモノクローナル抗体」を作製、「Leu−7」と命名。1989年、「胸腺外分化T細胞」を発見し、1996年には「白血球の自律神経支配のメカニズム」を解明するなど、数々の大発見で世界を驚かせる。著書には『病気は自分で治す』、『「薬をやめる」と病気は治る』、『免疫革命』など多数。

生命を知る

  • 2017.02.09 Thursday
  • 12:00

前回が「AI」で次が「生命」(心と体)のはなし。AIを知るというのは結局人間という生命体を知ることにほかならないわけで、切り離せないテーマということになる。さらに、今月の初めにちょっと風邪?で体調を崩してしまい、新年早々のインフルエンザ騒ぎに続き、この所風邪で37度を超える熱を出すようなことがなかったので、少し戸惑って身体/健康のことが気になっているところなのである。

 

しかしながら、昨今の健康に関する出版本の多さには驚く。その内容もさまざまで、どれを信じていいものやらと迷うようなタイトルの本が次々に出版される。このことに関しては、今はじぶんなりの結論?を持っていて、実際は迷ってはいない。「それらすべてが正しい」と思うことにしている。すべてに一理あるのだと納得しているのである。

 

例えば、肉食を勧める著者と反対の著者がいるが、肉食中心、野菜中心、さらに半々と、じぶんは食生活にも多様性を認めるのが現実的と考えるのである。一人ひとりが自分の身体と心に相談して決めればいいと思っている。去年は不食という生き方があることも知り、これほどまでにこの世界はダイナミックな存在なんだと確信した。だから、健康法もバラエティに富んでいるのが当然で、まして” 思えばそうなる ” ということもあり得るのだと考えている。

 

しかし、じぶんはこれらの健康法の本よりも、より生物学的な側面に重点を置いた本に興味がある。健康法も多様だが、生物学/医学も本当は多様性に富んでいるのが現実ではないかと思っている。しかしながら一般には、ある偏った説が正しい常識として信じられているのが実情だろう。今、『人がガンになるたった2つの条件』(安保徹著:講談社)を読んでいる。ネット映像で科学者・武田邦彦氏が著者・安保徹を紹介しているのを見て、アマゾンを検索して取り敢えず本書を選んだ。

 

常識というものはコミュニティ(家庭を含む)がスムーズに機能するために必要な要因であると考えられるのだが、時に、コミュニティ進化の阻害要因になる。科学者・武田邦彦氏はいつも常識外れ?の考え方を提示してくれるので、その正当性は別にして希有な人物である。安保徹は昨年の12月に逝去されているが、免疫学の権威だった方であることを初めて知った。『人がガンになるたった2つの条件』は読み途上だが、非常識で魅力的な説が記載されており刺激的である。

 

ホメオスタシスという生物学の用語がある。恒常性と訳されるが、体温を一定範囲に保つなど重要な役割を持つ機能である。しかし免疫などの場合、この作用の過不足が問題になると言う。不足すれば感染症に侵され、過剰だと自己を破壊してしまう。やっかいで悩ましい問題だが、我らの「常識」も社会のホメオスタシスの任を担っているのだろうか。ただ常識については、その働きが常に過剰気味ではと危惧しているのだが。

 

机に、未読の『日本人の9割が知らない遺伝の真実』(安藤寿康著:SB新書)がある。著者が「岡田斗司夫のPodcast」にゲスト出演しているのを聞いて早々に入手した。こちらの先生も非常識?な方の様子でとても期待できる。著者は、才能、収入にも遺伝がかかわっていると主張している。世間では努力が一番ということになっていると思われるのだが、しかし、著者のこの主張は現実に皆うすうす感じていることなのではないだろうか。

 

さらに、PODCAST(「武田鉄矢・今朝の三枚おろし」)で紹介されていた『生命記憶を探る旅:三木成夫の生命哲学』(西原克成著:河出書房新社)にも強い興味を覚えており、ぜひ本書も入手して、と言うより積んどかないで読み通したいと思っている。そして、これらの書は、昨夜散歩の途中に立ち寄ったTSUTAYAで目に留まった『ビッグヒストリー』(日本語版監修 長沼毅:明石書店)とか、先月ネットで知った『サピエンス全史』(ユヴァル・ノア・ハラリ著:河出書房新社)に対する興味へとつながっていく。

 

関連投稿: 「生命記憶」ということば (2011/07/16)

AI を知る

  • 2017.02.02 Thursday
  • 16:58

苫米地英人著『認知科学への招待』(サイゾー)

 

昨年はずいぶんとAI( artificial intelligence :人工知能)が話題になっていたような印象がある。将棋でプロがAIに負けたとか、車の自動運転技術の実用化等が争点になっていたが、もっともマスコミ受けしていた話題は ”AIの普及で人間が失業する” というようなことだったと思う。

 

しかし、なぜ急にマスコミはAIに注目し始めたのだろうか。昨年は多くのAI関連本が出回っていたのは確かだ。しかし、マスコミと出版の関係は鶏と卵のような印象もある。どっちが仕掛けたのかは分からないが、どちらにしても、社会的に機が熟してきたということなのだろう(?)。

 

AIという用語が作られたのは1950年代ということで結構歴史がある。じぶんがAIという言葉を知ったのは、日本が国家プロジェクトの一つとして第五世代コンピューター開発に取り組んでいた頃の80年代だと思う。ちょうどパーソナルコンピューター(PC)が普及を始め、個人的にも初めてPCに触れることができた時期と重なっている。

 

しかしながら、AIは永年夢のまた夢という感じで小説や映画の中だけの存在だった。だが、今思えば、あっという間にPCの能力が向上し、さらに世界的なデジタル通信網であるインターネットが普及したことにより、AI開発環境の様相が一変する。世界中の研究者、技術者がインターネットを通じて情報交換、共同研究できるという環境が整備され、結果としてAIの開発を促すことになったのではないかと想像するのである。80年代には予想もしなかった急激な社会環境の変化である。

 

昨年出回った多くのAI関連本に関しては、実は未だどれも読んでいない。生活にかまけて読書が進まないので買う気にならなかったのである。しかし興味をそそるテーマであることは間違いない。ただ失業など、社会問題に着目した記事にはちょっと過剰にすぎる反応ではないかとの印象を受けた。

 

もちろん、AIが普及することになれば「ロボット工学三原則」(wikipedia)にあるような思想など、議論すべき社会的テーマが存在することは言うまでもない。ただ、今、じぶんがより関心を寄せるのはAIのベーシックな部分なのである。そういう意味では、ドクター苫米地の『認知科学への招待』はジャストミートだった。

 

2014年1月初版で、著者は「まえがき」にもAIの啓蒙書であるようなことは唱っていない。著者の意図は認知科学の啓蒙にある。しかし、本書の内容はAIの原理(思想)そのものと言っても過言ではない。つまり、「 AI ≒ 認知科学」 と考えても間違いではないということである。もっとも、著者は最終的に認知科学というパラダイムだけではAIの問題は解決しないという考えに立っている。

 

著者によれば、認知科学は人間の心を含めた知能の働きを探る学問で、まず哲学、心理学の分野で発展が見られた。心理学で中心的な考え方であった実験主義とか、行動主義の行き詰まりに呼応して認知科学が出現、心とか脳の機能に着目し「機能主義」(Functionalism)などと呼ばれた。

 

そして、この「機能主義」の特徴として、心とか脳の働きを「Function」つまり「関数」で表現できると考えることがある。そして、この特徴はコンピューターとの高い親和性を物語るのである。つまり、心と脳の働きをコンピューター内に作り上げるという研究スタンスなのである。そのままAIの研究開発に繋がることになる。

 

そもそも、著者の研究者としての出発点は人工知能に対する興味であったという。そして、アメリカ留学を志して認知科学に出合うことになる。アメリカで、著者は認知科学の巨匠であるロジャー・シャンク、マービン・ミンスキー、ノーム・チョムスキーに直接、あるいは間接的に教えを請う機会を得る。

 

ドクター苫米地の著者には長〜い著者略歴が記載されている。ふつうだったらイヤミに感じるところだが、じぶんはいつも眺めながら愉しんでいる。専門分野は機能脳科学、計算言語学、認知心理学、分析哲学、計算機科学、離散数理、人工知能、さらに天台宗ハワイ別院国際部長、そして自己啓発の世界的権威、故ルー・タイス氏の顧問メンバーとして能力開発プログラム「PX2」「TPIE」を日本向けにアレンジ、普及に努める。

 

理由も分からず、じぶんはドクターの「著者略歴」にも意味があると思ってきた。そして、本書『認知科学への招待』を読んで、その意味が分かったような気がした。著者は、本書でマービン・ミンスキー著『The Society of Mind (邦題:心の社会)』を紹介し次のように評価している。

 

 また、本全体の構成自体が、ニューラルネットのように、一つひとつ項目が密接に絡み合って、クモの巣のようになっていると言っています。

 「心とか知能というものは、単調論理では説明できない。だから、本書の構成自体も非単調論理で書くことにした」と宣言しているわけです。

 ある意味、潔い覚悟で書かれた本だと思います。

 もっとも、私の本も同じように非単調で書いているつもりですし、もっと言ってしまえば、それは一冊の本の中だけでなく、私の著作どうし、あるいは世の中のあらゆる本と密接に絡み合って、クモの巣のようになり、大きなゲシュタルトを形成していると言えるでしょう。

 読者のみなさんも、そこに気付いていただくと、本から得られる情報が一気に爆発的に増えるのではないかと思っています。

 

著者略歴に記載してある著者の多くの研究テーマもこの事に関連しているのではないかと思うのである。一つのテーマ(視点)からでは説明できない。心とか脳はそんな対象なのではないか。

 

AIには解決不能に見える「フレーム問題」が存在する。ロボット(AI)が膨大な計算処理に追われてストップ(フリーズ)してしまうという問題である。人(脳)は当面必要なものと不要のものを簡単により分けてしまうがAIにはそのことが簡単ではない。

 

著者は、本書で仮に「レストラン・フレーム」というものを例にあげて説明している。人はあらゆるバリエーションの店をレストランであると判断できるが、AIが判断に要するためのデータは無限?に出現してくるので切りがない。このような状態から抜け出すには新たなパラダイムが不可欠であるとして、著者は「超情報場仮説」を提唱する。

 

この世界は3次元の物理空間ではなく、高い抽象度を持った「場」である、というのが著者の主張である。著者はこれを「超情報場」と名付けた。人には五感とは異なる感覚器が備わっており、「超情報場」に書かれた「レストラン」という情報を読み取ることができるというわけだ。AIはいつかこの抽象度の高い世界に達することができるのか。著者は、今は誰にも分からないとしながらも、どちらかと言えば否定的だ。

 

著者は記述してはいないが、著者のパラダイムに寄れば、AIが普及することにより人がお払い箱になるというようなことは杞憂に終わるのではないか。個人的には、今後もさらにAIの進化が進み社会的対応策が不可欠になってくると考えており、失業も問題になってくるかもしれない。しかしそのことよりも、人と社会の人間性を高めること - 芸術性、宗教性の追求 - に視点を移していくことの方が肝心なのではないかと感じている。人とAIの共生に向けて。

 


 

認知科学への招待

発行 2014年1月 螢汽ぅ勝次amazon

 

著者 苫米地英人

1959年東京生まれ。認知科学者(機能脳科学、計算言語学、認知心理学、分析哲学)。計算機科学者(計算機科学、離散数理、人工知能)。カーネギーメロン大学博士、同CyLab兼任フェロー、株式会社ドクター苫米地ワークス代表、コグニティブリサーチラボ株式会社CEO、角川春樹事務所顧問、中国南開大学客座教授、苫米地国際食糧支援機構代表理事、米国公益法人The Better World Foundation 日本代表、米国教育機関TPIジャパン日本代表、天台宗ハワイ別院国際部長、マサチューセッツ大学を経て上智大学外国語学部英語学科卒業後、三菱地所へ入社。2年間の勤務を経て、フルブライト留学生としてイェール大学大学院へ留学、人工知能の父と呼ばれるロジャー・シャンクに学ぶ。同認知科学研究所、同人工知能研究所を経て、コンピューター科学の最高峰と呼ばれるカーネギーメロン大学大学院哲学科計算言語学研究科に転入。全米で4人目、日本人としては初の計算言語学の博士号を取得。帰国後、徳島大学助教授、ジャストシステム基礎研究所所長、同ピッツバーグ研究所取締役、ジャストシステム基礎研究所・ハーバード大学医学部マサチューセッツ総合病院NMRセンター合同プロジェクト日本側代表研究者として、日本初の脳機能研究プロジェクトを立ち上げる。通商産業省情報処理振興審議会専門委員なども歴任。現在は自己啓発の世界的権威、故ルー・タイス氏の顧問メンバーとして、米国認知科学の研究成果を盛り込んだ能力開発プログラム「PX2」「TPIE」などを日本向けにアレンジ。日本における総責任者として普及に努めている。著書多数。

星の王子さま_ぼっちの発見

  • 2017.01.27 Friday
  • 21:35

サン=テグジュペリ作・内藤濯訳『星の王子さま』(岩波書店)

先月入手した『星の王子さま』を読んでみた。箱根の「星の王子さまミュージアム」は、実際は子ども向けではなく大人向けの施設だった。じぶんはずっと『星の王子さま』は子ども向けの童話?と思っていた。しかし読んでみれば、これは子ども向けか?と考えさせられる作品だ。もちろん、子どもも読んでいいわけなのだが・・・。

 

童話とは言え、我々のよく知る日本の童話や、「赤ずきんちゃん」などとは随分と趣が異なる。正直、どう読んで(解釈して)いいのやら分からないというのが本音だ。ただ、何とはなしにしばらく手元に置いておきたいという感じはしている。はじめに、フランスの親友である ”レオン・ウェルト” にという文から始まる。

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著者が第二次大戦中、フランスからアメリカに亡命していた時期に書かれたものらしい。おそらく本作品は、いろんな研究者が作者の生立ち、時代背景などから、心理学的技法も使いながら分析し尽くされているのではないかと想像する。そのような側面にも興味がないではないが、しばらくの間、今の無知のままのじぶんでこの作品に接してみたいと思っている。

 

七十にして『星の王子さま』とは思いもしなかった。働き盛りの頃は、ほとんどノンフィクションものしか読まなかった。今にして思えばもったいないという感じがする。今は、ノンフィクションもフィクションの一形態なのではないかという気さえしている。壮大なフィクションの世界を取りこぼしてきたのは失態としか言いようがない。

 

この作品に登場するのは、「ぼく」(作者自身)、王子さま、王様、うぬぼれ屋、呑み助、実業家、点燈夫、地理学者、そしてキツネ、ヘビなどである。そして全員「ぼっち」(一人ぼっち)なのである。じぶんは「ぼっち」という使い方には不慣れなのだが、クリスマスに一人で過ごす人を「クリぼっち」などと使うらしい。

 

じぶんも家庭の都合で、一年前から一人暮らしになった。家人が隣町の息子のマンションに行ったきりなのである。と言っても、車で15分ほどの距離で毎晩夕食は一緒に食べ、じぶんも週に一二回はマンションに泊っているので、実際は ”一人暮らしもどき" かもしれない。

 

それでも誰もいない家に帰る時は、やはり ”ぼっち感” を覚える。少しずつ慣れ、感覚も微妙に変化してきているように思えるのだが、そんな折に『星の王子さま』に出合った。そして、この作品の登場人物たちと同じ ”ぼっち感” を共有しているように思えたのである。この作品をこんな風に解釈?している読者などは他にいるのだろうか(?)。

 

さて、じぶんの ”ぼっち感” は ”一人暮らしもどき" の生活だけから来ているものではないように思える。やはり年齢が関わっていると考えざるを得ないのである。じぶんもあまり意識はしたくないのだが、” 終わりは見えねど感じられるほどに近くなってきた ” ということではないか。これは若いころにはなかった感覚だ。

 

『星の王子さま』の登場者たちはそれぞれ自分の小さな星に一人で住んでいる。それはまるで、人間社会の自分のことで精一杯の大人たちを思わせる。そして、自分が「ぼっち」であることに気がつくヒマもない。王子さまも家ほどの小さな星に一人で住んでいた。ある日、他所から飛んできた種が芽を出し、きれいな一輪のバラの花が咲く。

 

王子さまはこの美しいバラが好きになる。王子さまはけなげに面倒をみるのだが、バラの対応は冷たい。このことをキッカケに王子さまは自分の星を離れ旅にでる。この時、バラは初めて自分の過ちに気づき後悔する。よくある話だ。

 

旅に出た王子さまは6個の星と孤独な6人の大人に出会う。7番目に地球に来て、王子さまはヘビとキツネ、そして「ぼく」に出会う。そして、この地球で自分が別れてきたあのバラが好きだったことを思い出す。世間の多くの人々は王子さまが出会った六つの星の住人のようだと思う。王子さまのように、また星に戻って好きなバラと暮らせるようになる人は稀に違いない。

 

じぶんは、作者が飛行機乗りであり、孤独な夜の単独飛行も体験しているに違いないと想像する。そんなとき、「ぼっち」の飛行機乗りは夜空の満天の星に何を感じたのだろうと想いが廻る。サン=テグジュペリは、1944年7月31日偵察飛行に飛び立ち帰らぬ人となった。『星の王子さま』を遺して・・・。

 

サン=テグジュペリを想う (1916/12/28)

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