ライフ・スタイルとしてのジャズ

  • 2017.06.22 Thursday
  • 21:18

山下洋輔・相倉久人著『ジャズの証言』(新潮新書)

 

このところ、マスメディア・シーンを眺めていると、その出来の悪さに辟易する。特に、国会など政局がらみのTV報道・討論番組は酷い状況になっている。芸能人と所謂専門家が繰り広げる言論空間?は視聴に耐えない。こんなことが伏線になっていると思うのだが、夜のドライブ途中で見つけた本『ジャズの証言』にとびついた。本当は、言論空間はもっと魅力的で刺激的なものの筈だという想いがあるのである。

 

山下洋輔はずっと注目してきたジャズピアニストだがエッセイストでもある。相倉久人(’15年他界)は著名な音楽評論家であり、じぶんも若い頃から知っていたと思っていたのだが、本書を読んで肝心なことを知らなかったことが分かった。両氏の未発表対談をもとに再構成した本で、以前読んだような気がする箇所もあるが、多くはじぶんの知らないことだった。

 

まず、相倉久人が山下洋輔のメンター的存在だったことは知らなかった。よくジャズ喫茶通いをしていた二十代の半ばに、ジャズ関連の雑誌などを読んで(眺めて)いたのだが、この辺りの認識はほとんどなかった。まあ、いい加減なジャズファンだったわけだ。しかし、本書の中の両氏のやり取りはじぶんにとって啓蒙的ですらある。

 

山下洋輔の執筆活動の始まりは病床での「ブルー・ノート研究」(1969年)という論文だと思う(?)。演奏を諦めなければならないという状況に対する復讐だったと語っているが、これをきっかけに山下洋輔トリオのあのフリースタイルのジャズが始まったというのだから特筆すべき事柄なのである。

 

 理論で説明できないことや、学ぼうとしても学べないものが存在するのが音楽の本質だから、結局それらは「遺伝子から生まれ出たもの」だと解釈するしかない、というのがぼくの考えです。こうした言語化しづらい領域の解明に挑んだのが、山下さんの論文「ブルー・ノート研究」でもあるわけですよ。(相倉)

 

世の中には、音楽など言語化できない(しづらい)ものが多い。山下洋輔も「ブルー・ノート研究」について、” ある意味で整理はしましたが、同時に「分からないものだ」ということを明快に言ったつもりです ” と語っている。このことを感知しているかどうかが、好い表現(弁論、文筆、演奏など)ができるか否かの分かれ目になるのではないか。

 

現代の音楽は西洋の音階、和音が絶対的だが、現実の世界の音楽は昔からその範疇に納まるものでないことは自明のはずだった。しかしながら、近代西洋音楽理論はその歴史的成果・恩恵を考慮すれば評価せざるえないものであることも確かだ。一方、自然界が数学・物理学の理論と同一ではないように、音楽の世界も近代西洋音楽理論と同一でないことも確かであり、ジャズはその象徴なのである。

 

じぶんの音楽に対する嗜好の中心が、歌謡曲、ポップス、クラシック、そしてジャズへと移ってきたのは、それはそれで意味があるような気がしている。便宜上音楽をジャンル分けするのは、言語化すると分かったような気がするという人間(脳)の特性上、やむを得ないことなのかもしれない。

 

しかしながら、言語化する上で、どんなに頑張っても数学や物理学と同じようなモデル化は無理と悟るべきではないのか。音楽は実際に演奏して何ぼのものだ。いづれ、AIがフリーなジャズを演奏できるようになるのかどうかは分からないが、もしそうなったら、じぶんも考え直さなければならないのかもしれない。もっとも、それまで生き延びることができるとは思えないのだが。

 

どちらにしても、今、言論空間を構成する議員の方々、マスメディアの関係者、専門家の皆さまには、ぜひ討論ではジャズのように音色、リズム、創造性が重要であり、その論議の正しさの度合いではないことを分かってもらいたいと思う。もともと議論の性質が科学が対象にするものと異質のもので、初めから科学と同じような正確さなど求むべきものではないのだから。

 

閑話休題。

本書の中で、両氏は国家「君が代」に触れている。これがとても面白い。

 

 「君が代」の出だしは和音がつきませんが、これはつけられないからであって、一種のブルーノート現象なんです。出だしはユニゾン。「君が代」は頭と締めがユニゾンで、途中から和音が入り、最後は再びユニゾンで終わります。(山下)

 

そう言えば、多くの国の国歌は西洋のマーチの流れで作られているが、ずっと「君が代」の節だけは独自性を主張している。昨年のリノ・オリンピックの閉会式の「君が代」を思い出した。次のオリンピック開催国である日本のパフォーマンスが行われた。その映像を真剣に見ていたわけではなかったのだが、「君が代」が妙に印象に残ったのである。

 

 

気にはなっていたのだが、特に調べもせずに来てしまった。本書の「君が代」の件を機にネットで調べてみて驚いた。多くの内外の人々の称賛の記事が表示されていたのである。 ネットには、作曲家で編曲家、トランペット奏者としても活動している三宅純氏の編曲によるもので、 東ヨーロッパのブルガリア地方に古くからある女性合唱・ ブルガリアンヴォイスで表現されたとある。

 

あえて不協和音を作りだすことで神秘的なハーモニーを生み出せるとあるが、山下洋輔の説を逆手にとったとも言える。アレンジで「君が代」が全く異なる曲に感じてしまう。しかし、本当に音楽の世界は広く深いと改めて思う。

 

両氏のセシル・ティラーの話も面白かった。山下洋輔とセシル・ティラーは、結果として演奏の外見が似たようなスタイルになったが、本当は演奏の志向性が正反対であるという説は興味深い。山下洋輔は終わりが閉じているが、セシル・ティラーは開いているというのである。

 

じぶんは、’73年の新宿厚生年金大ホールのセシル・ティラーのコンサートに行った。新宿の「ピットイン」で山下洋輔トリオを聴くようになった後である。その時の詳細な記憶はないが、山下洋輔トリオと演奏スタイルは似ているがテイストが違うと感じたことを憶えている。

 

セシル・ティラーは無理かもしれないが、山下洋輔トリオは日本の祭りでもオッケーと思ったのである。日本の祭りのお囃子と共演できるかもしれない。山下洋輔は和風、何故かそう思ったのである。

 

それにしても、著者の山下洋輔、相倉久人のやり取りはジャズセッションのようでもある。いや、本文中にも出てくるが、両氏の人生がそのままフリージャズ演奏そのものなのかもしれない。何とも羨ましいかぎりである。

 


 

ジャズの証言

2017年5月発行(新潮新書:amazon

 

著者 山下洋輔

1942年東京生まれ。ジャズピアニスト、エッセイスト、国立音楽大学招聘教授。著書に『ドファララ門』『即興ラプソディ』など。

 

著者 相倉久人

1931年東京生まれ。音楽評論家。東京大学文学部中退。著書に『ジャズの歴史』『されどスウィング』など。2015年7月他界。

 

 

 

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