危機意識の有り様について

  • 2017.04.24 Monday
  • 21:10

東日本大震災の福島原発事故から6年が経った。あの時、政府からの情報は危機的状況にはないというものだったが、そのまま信用できるかどうかは不明確だったので、最悪のケースの場合、関東エリアも避難区域になる恐れがあるのではと思っていた。そして、じぶんの年齢を考えて、先ずは息子たちの家族の非難ということが頭を過ぎった。

 

当時は、放射能による被害は地震、津波と違って急激的なものではなく緩慢なものだろうと考え、家の通風口にフィルター、マスク、メガネなどの対処である程度の時間稼ぎができるのではと思っていたのだから、本当に危機意識があったのかとなると疑問だ。また当初から、非難区域では農産物どころか普通の生活が出来なくなるだろうから、ソーラー発電とか無人ロボット化工場でやっていくしかないのではないか、というようなイメージが想起されていた。

 

こんな話は、当時も今も、家族も含めて他人と話をしたことがない。近所の住人、会社の同僚たちは本当はどうだったのだろうかと今でも思う。このことは国として総括しておいた方がよいのではと思うのだが、果たして現状はどうなのだろうか。先の戦争の総括さえ出来ていないことを考えると期待薄なのかもしれない。

 

この列島は地震、台風、火山と自然災害のデパートの状況を呈している。さらに最近はゲリラ豪雨、竜巻とかレパートリーも増えている。この国の人々は、東日本大震災、熊本地震を見ても、災害を坦々?と受け入れてしまうという印象がある。このことはある時は称賛の対象にもなるが、適切な危機意識の有り様を考えると反省すべき事象であるのかもしれない。

 

一方、現在の北朝鮮を取り巻く東アジア情勢は戦後最大と言っていいほどの状況ではないかと思われる。しかしながら、そんな状況の中で国会とマスメディアは森友学園問題に明け暮れ、さすがに最近はそれにも飽きて国際情勢に目を向けるようになってきたようだが。それでも今度は反動のせいか、外交、安保等を乗り越えてミサイル防衛の可否、敵地攻撃の是非へと一気に話題が飛ぶ。

 

いま原子力空母カールビンソン北上中、場合によっては今月中に一触即発の状態に、未だにマスメディアの乗りは森友学園問題と同じだ。本当の危機意識が動機となって番組作りがなされているのかとなると甚だ疑問に思う。もし本当に、故意か事故かは別として、本土にミサイルが着弾して大きな被害を被ったとき、やはりこの国の人々は坦々とそれを受け入れてしまうのだろうか。あるいは何か別の精神が覚醒することになるのだろうか。

 

そこまで行かなくとも、もし周辺の戦闘に巻き込まれて自衛隊員が戦死するような状況があったとき、我々はそれにどう反応するのだろうか。じぶんが未だ若いころ、未だ平和にボケていられたころに、こんなことを考えてみたことがあった。とても言葉にしにくいのだが、この国に本当に危機意識が芽生えるには人身御供が必要となるのかもしれないと思った。どのような防衛力を必要とするのかというような話は次のステップになるのだろう。

 

原発事故は未だ終焉していない、ほとんどの国民の関心からは遠ざかってしまったが。この国の人々は、自然災害に比べると紛争等に対しては不慣れである。しかし今、適切な危機意識を考え、身につけなければならない時期が来ているのかもしれない。

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