久石譲を語ってみたいと・・・

  • 2016.10.28 Friday
  • 17:33

一人の夜、youtubeで ”ジブリ、チェロ” と検索したら検索コンテンツの中に「久石譲 in 武道館」が出てきた。2008年に公演されたものだがその内容は圧倒的だった。元来ジブリ好きなので久石譲氏の作品はサウンドトラックでお馴染みである。しかし、改めてコンサートとして演奏された楽曲は新たに再生したものに感じらるほど感動的だった。

 

 

しばらくして、「NHKワールドTV」の久石譲氏を紹介する番組でも同じコンサート画像が流れていた。久石氏は1950年生まれなので三歳下になるが、まあほぼ同世代と言っても差し支えない?かもしれない。じぶんにとって、『風の谷のナウシカ』がジブリ(宮崎駿氏)、そして久石譲氏との出合いの場となった。『風の谷のナウシカ』は1984年の作品というから32年前になる。久石氏は34歳、じぶんも37歳だったわけだ。う〜ん、若い!!。

 

「NHKワールドTV」のインタビューで久石氏が語っていた言葉が耳に残る。

「宮崎駿作品の仕事は四年に一回のオリンピックに挑戦する選手のような気分だった」  

「自分は全くドメスティックに深く掘るスタイルで仕事をしてきた。それが今、外国でコンサートやっても大勢の人たちが聴きにくてくれる。結果がインターナショナルだっだんですね」

 

近頃は常にグローバル、グローバルと叫ぶ声が大きく、ドメスティックがマイナス・イメージに固定されてしまった感がある。しかし久石氏の実績と言葉を思うと、果たしてそうなのかと考え直してもよいのではないだろうかと思う。

 

ウィキペディアによると、

「グローバル」と「インターナショナル」、「グローバリゼーション」と「インターナショナリゼーション(国際化)」という語は、意味する範囲が異なる。「インターナショナリゼーション」は「国家間」で生じる現象であるのに対して、「グローバリゼーション」は「地球規模」で生じるものであり、国境の存在の有無という点で区別される、とある。(「グローバリゼーション」→wikipedia

 

上記解釈によるとすると、今騒がれているグローバリゼーション(グローバル化)の意味がなおさら分からなくなる。経済も文化も国境が無い地球規模で存在することを目指す、というのは分かるようで終に分からない。もしこの具体的な実例が、 タックス・ヘイヴンの地に本社を置くというようなことだとすると、これはもう何とも次元の低い思想だと考えるのは間違いだろうか。

 

ガラパゴスということも叫ばれた。これもマイナス・イメージで使われる。しかし、これも過大に批判しすぎると元の木阿弥になりかねない。そもそも、現実にグローバルなものは天気など自然現象であって、社会的なものはドメスティックが基本ではないのか?。そして、強くグローバルを叫ぶのは何か魂胆があってのことではないのかと疑ってしまう。

 

これからも、コンポーザー・久石譲にはますます深く掘り下げて欲しいものだと思う。この地も深く堀抜けばアースを突き抜けてユニバーサルに至るのである。

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