タモリと戦後ニッポン、と私

  • 2016.02.29 Monday
  • 20:34
近藤正高著『タモリと戦後日本』(講談社)

武田鉄矢「今朝の三枚おろし」で取り上げられていた本で、面白そうだったので近藤正高著『タモリと戦後ニッポン』買って読んでみた。とても興味深く懐かしい感じがする内容の本だった。タモリは1945年生まれで、じぶんは1947年生まれ、同じ戦争を知らない子どもたちの世代だ。著者は、終戦の一週間後に生まれたタモリに戦後日本を重ね、戦後日本の文化の一面をえがこうとしている(と思う)。しかし、じぶんは今まで知らなかったタモリの側面に強く惹かれた。

以前からある程度の認識があったことだが、本書を通して、じぶんが、青春時代の一時期に、タモリの足跡に近いところをウロウロしていた頃があったことを改めて認識した。じぶんは、タモリこと森田一義氏の芸能界デビューに、ジャズピアニスト山下洋輔氏が強く関わっていたこと、そしてそれに関わる逸話も知っている。しかし、今回、本書によってその詳細とニュアンスの異なる幾つかのストーリーが存在することも初めて知った。

その逸話とは、1972年公演のため福岡を訪れていた山下洋輔トリオが、公演後にホテルで飲んで大騒ぎしていたところに、突如一人の男(実はタモリ)が現れて、フジ製の椅子(かゴミ箱)をかぶって踊っていた中村誠一(サックス奏者)に近より、彼の頭からかぶり物を奪い取り自ら被って踊り出し、明け方まで中村誠一とデタラメ外国語の応酬をしたという話だ。あまりの面白さに、山下洋輔がベッドから転げ落ちたというオチがつく。

早稲田大学に入学したタモリはモダンジャズ研究会に入る。初めは演奏者を目指していたらしいが、実力的に無理と断念し、後にマネージャー兼司会に転向する。しかし、これがはまり役で大活躍?の大学生活となる。この当たりから既に ” 奇人ブリ ” を発揮していたらしい。タモリがモダンジャズ研究会で活躍していたころ、じぶんはエンジニアを目指して都立の工科系短大に居た。タモリは高校時代にジャズに目覚めたらしいが、自分は上京してからモダンジャズという音楽を知った。友人がバイトをしていた赤羽の喫茶店でコルトレーンなどを聞いたのが最初だった。

タモリは、4年の大学生活の後、授業料未納で大学を除籍となり福岡に戻ることになる。タモリが失意?の中故郷に帰るころ、じぶんは諸事情?によりエンジニアを諦めて就職し、最初の職場がボーリング場だった。奇しくも、タモリも福岡に戻ってから、ある時期、ボーリング場の支配人などもやっていたらしい。ボーリングの最盛期に、タモリもじぶんもボーリング場で働いていたことを思うと不思議な感じがした。そして、じぶんが新宿のジャズ喫茶にマメに通っていたのもこの頃なのである。

本書の中にも、タモリが出入りしていた新宿のジャズ喫茶「DIG」とか「ポニー」等が記載されているが、じぶんも2年ぐらいのタイムラグがあるが、これらのジャズ喫茶に出入りしていた。タモリは、喋らずに静かに聞いていなければならない「DIG」よりも、下品な?「ポニー」の方が好きだったらしい、と本書に記されている。確かに、「DIG」の客は大音響で流されるモダンジャズのサウンドにひれ伏しているような感があったが、「ポニー」の方は普通の喫茶店に近い雰囲気だった。

タモリは、福岡に戻ってから、72年に山下洋輔と劇的な出合いをして、それが縁となりラジオ、テレビで大活躍するようになるのである。じぶんが、新宿の「ピットイン」で山下洋輔トリオを聞きに行くようになった頃は、テナーサックスの中村誠一がアルトサックスの坂田明に替ってからである。坂田明の加入が72年末らしいので、おそらく73年以降なのだろう。じぶんも既に25歳になっている。じぶんの記憶では、もう少し若い頃だったのではないかという気がしていた。

じぶんと山下洋輔との出合いは、タモリと山下洋輔が出合った時期と重なる。もっとも、出合いと言っても、じぶんのは山下洋輔トリオ・アルバムとの出合いである。山下洋輔トリオの生の前にアルバム『木喰』『ミナのセカンドテーマ』に出合っている。タモリの芸能界デビューには山下洋輔だではなく、様々な著名な文化人、業界人らが関わっていたことが本書に詳しく記されている。そして、そのステージとなったのが新宿のスナック「ジャックのマメの木」である。これらは山下洋輔の広い交友関係と、当時の新宿が日本のサブカルチャーのコアの一つであったことの証である。

そんな文化人の中のひとりにSF作家 筒井康隆がいる。 筒井康隆と山下洋輔とは互いに各々の作品のファンであることは周知のことだが、じぶんも同じ頃に両名の作品に出合っているのである。ただ、今となっては、どちらが先だったのかは曖昧である。筒井康隆に触発されて山下洋輔に向ったのか、山下洋輔に触発されて筒井康隆に行ったのか。しかし、筒井康隆の作品はフリージャズのようにハチャメチャで、山下洋輔トリオは筒井康隆SFのようにクレージーだった。

タモリはTV画面から知るのみだった。コメディ好きのじぶんは、やはりその特異な芸風がとても面白いと思った。スタジオアルタから「笑っていいとも!」 が始まると、タモリという名前は全国区になっていく。縁は異なもので、タモリも通ったジャズ喫茶「DIG」はスタジオアルタの裏手にあった。また、おそらくタモリも利用したと想像するが、安くて旨いロールキャベツが売りだった「アカシア」は、「笑っていいとも!」 が始まってからは若手お笑い芸人たちが立ち寄るレストランになったらしい。

この頃になると、じぶんも妻子持ちとなり郊外に住居を構え、新宿界隈は縁遠いものになっていた。同時に、ジャズからも自然と離れていく生活になってなっていく。それでも、出先の施設や店で軽快なジャズがBGMで流れているところに出くわすと、その心地良さにしばし耳を傾けることがあった。しかし、還暦を過ぎてiPodを手に入れてから、また音楽が身近な存在になってきた。そして、3年ほど前iPhoneに替えてからは、ジャズもクラシックもなお一層お手軽なものになった。

「笑っていいとも!」 が終わったとは言え、タモリはリタイアしたわけではない。さらに、ジャズピアニスト山下洋輔はまだまだ現役ど真ん中という感じだ。しかしながら、サラリーマンのような定年はないにしても、タモリも大きな人生の転換期にいることは確かだろう。彼がボーリング場(大分県日田市)の仕事をしていたときに、休みを利用してクルマで一時間ほどの集落に出かけ寺院などの探訪をしていたということなので、若いころから歴史に関心があったのだろう。今も歴史探訪的番組を静かに継続しているが、趣味と実益を兼ねた仕事と言えるのかもしれない。

さて、本書でじぶんが一番に興味を持ったのは、なぜタモリはジャズに惹かれ、山下洋輔に惹かれたのか、あるいは山下がタモリに惹かれたのかということである。タモリは早稲田大学文学部哲学科に入学している。

 高校の倫理社会で、何か偉そうなことをこいとるやつがいるなと。ぼくは能書きが大好きだから、これはこれは能書きばっかりことる学問があるぞ、これはいいなと。何を言っとるのかわからないがと、何だろうこいつはと、ムラムラッとのめりこみたくなるんですね。(PLAYBOY日本版編集部編『プレイボーイ・インタビュー セレクテッド』)

 ぼくが音楽を好きだというのは、意味がないから好きなんですね。(「ほぼ日刊イトイ新聞」)

 今でも、沖縄放送の公開番組とか、コスタリカのDJとか、まったく最初から何だかわかんねぇと、音の響きだけ聞いてるほうが、ぼくはものすごく気持ちがいいし、飽きずに聞いてられるんです。意味が入ってくると、とたんにもうつまらなくなる。(『プレイボーイ・インタビュー セレクテッド』)

本書に紹介されているタモリ本人の弁明はとても興味深い。なぜなら、じぶんが今一番知的な興味をそそられるのが言語体系だからだ。そう言えば、タモリの持ちネタは「四カ国語麻雀」、「ハナモゲラ語」など言葉に関する芸が多い。意味のない言葉はまさに音楽である。モダンジャズ、特に山下洋輔等がやっていたフリージャズなどは音の響きだけが意味を持つコミュニケーション空間である。

タモリは数学は嫌いだったと語っているが、哲学のような能書きは好きだったと言うのだから、根っこでは繋がっているのではないかと、じぶんは思う。じぶんは、若いころから数学、物理などの論理系に興味があった。しかし、そんなじぶんが、なぜモダンジャズ、特に山下洋輔のフリースタイルに惹かれたのか。当時は意識もしなかったが、「音楽の世界とは、クラシックのようなキッチリとデザインされたものと、ジャズのようにカオスを内包したモノの双方で構成されているのではないか」と内心感じていたのかもしれない。

筒井康隆のSF作品もそうだ。筒井康隆は、正気を保っていなければ狂気は書けない、と語っていたように記憶している。ハチャメチャな物語もクレージーな演奏も見た目より難しい。じぶんは当時からそう思っていた。タモリの偽外国語の芸もそうだろう。ベースに哲学(能書き)を語るタモリがいるのである。言葉の意味って何だろう。何でもかんでも言葉(母国語)に翻訳しようとするのは、もしかして間違いではないか。今、そんな想いに捕らわれている。

タモリとは「日本の戦後」そのものだった。著者は、戦後日本の文化を支えた下部構造であるサブカルチャーの象徴としてタモリを捉え、戦後日本を語ろうとしたのだと思う。さりながら、じぶんは、老年期のじぶんと青年期のじぶんが繋がった存在であることを再確認するための情報ネタとして、本書を読んでしまった。
 


タモリタモリと戦後日本

講談社(
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著者 近藤正高

1976年愛知県生まれ。ライター。サブカルチャー紙「クイック・ジャパン」の編集アシスタントを経て1997年よりフリーランス。「ユリイカ」「週刊アスキー」「ビジネスニュース」「エキサイトレビュー」など雑誌やウェブへの執筆多数。著書に『私鉄探検』、『新幹線と日本の半世紀』。現在、ウェブサイト「cakes」にてコラム「一故人」を連載中。

 

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