再・脱TVのすすめ

  • 2015.05.14 Thursday
  • 20:12
さて、このブログで何回目になるか、TVの悪口は。TVと言ってもハード、つまり受像機に対する悪口ではない。ハードに対しては変わらぬ関心がある。問題は、ソフト、つまり番組の方である。ちょうど定年の頃を境にTVに対する印象が180度変わってしまった。かつて、新聞は一番後ろのTV番組表から見るのが常だったが、今は一番後ろだけ見なくなってしまった。必要性と関心が無くなってしまったのである。

初めは 、”TVは無くてもよい” だったのだが、今は、”TVは無いほうがよい” になってしまった。これは、勿論、TV業界あるいは社会環境が変わってしまったことも大きいが、むしろ個人的な問題であると思っている。定年が過ぎたころから、時間に対する感覚に余裕が無くなってきた。

人生の終わりは「死」、このことが徐々に真実味を帯びてくるのである。若いころは、元気な{脳}と{身体}で理解しようとしても「死」は実感がないのである。これが一定の年齢に達すると、老いによる機能低下よるものか、あるいは老いによって新しい感覚が誕生するからなのかは分らないが、若い頃に比べて「死」に対する感覚が現実味をましてくる。

じぶんは、このTVに対する拒否反応は、この{身体}と{脳}の老化によって始まったと想像している。この{身体}と{脳}の老化は、足腰、記憶力の低下、感情のゆらぎなどに現れてくる。じぶんの{脳}はそれに対する対策としてTVを拒否するようになった。共感してくれる人は少数かもしれないが、TVというものは、他人の時間を奪って(食べて)生きる{モンスター}である。しまいには{脳}が犯される

残された時間を有効(?)に活かしたいという、個人の小さな希望など構ってはくれない。ある調べによると、日本人の一日の平均TV視聴時間は5時間とか。誤差があるにしても、これが現実ならば驚異(脅威)である。勿論、なかには自主的に有効な利用の仕方をしている人たちもいると思われるが、多くは一方的に流されてるくるものを飲み込まされていると想像する。

特に驚くのは、バラエティと呼ばれる番組である。毎日毎日、TV族(TVの中で生きている人々)がとっかえひっかえで出てきて、食べて、おしゃべりして消えていく。かと思うと、また別のchに出ていたりする。情報発信とか、娯楽の提供としては中途半端な存在で、要するに仲間内でワイワイやっているだけなのである。不思議なのはこれがスポンサー番組として成立しているということだ。制作側も視聴者側も無頓着で危機感がない。

しかし、じぶんの考えでは、視聴側は被害者である。制作側は、少なくとも生活の糧、要するに「飯のタネ」になっている。仮に、視聴者も番組を楽しんでいるとしても、それには時間の浪費と、依存症という{脳}障害を伴う恐れを孕んでいる。このネットの時代、防災関連等の報道、そして一部の民間有料放送は除かれるが、通常のTV番組はもはや不要のものとなっている。

改めて ”TVは無いほうがよい” と提唱したいのだが、それには一つの大きなマイナス要因がある。それは日本のGDPに占めるTV関連産業の割合である。どっかにデータがあるのかもしれないが、結構大きいのではないかと危惧している。一人ひとりの心身の健康を考えれば、TVは無いのがベストだと思うのだが、国の経済にとっては致命的な問題なのかもしれない。悩ましい問題である。

この歳になってTV離れをして思うのだが、何の不便も感じないし、かえって気持ちが軽い。かつて、タバコを止めて初めて、身体への害もさることながら、タバコが切れることを気遣う日常がどれほどの負担だったのかに気がついた。TVもそんなものである。一度止めてしまえば何のことはない。

花見のシーズンになると思うことがある。TV番組と花見が似ている。例えば、花見にでかけてみると、たくさんの人々がある宴席を取り巻いている。そこは芸能人やら、著名人らの宴席で、華やかに色取られ、賑やかな音楽が奏でられ、目を見張る御馳走がふるまわれている。取り巻きの見物人は我を忘れて見入っている。

しかし、そこから早く離れて、本物の桜を愛でることのできる場所に移りなさい。たとえ、自分のぶら下げている袋にお茶とオニギリしか入っていなくても、自分だけの桜咲く空間を心ゆくまで味わうほうが、縁のない華やかな宴席を見学しているよりはるかにマシだ。

桜

過去の投稿文を調べて、反TVの内容が多いのに驚いた。じぶんにとって、かなり根が深いテーマのようだ(^^)。個人的には、TV族とは無縁で生きていきたい。それは、じぶんにとって、出来ればウラの社会の人たちと関わらずに生きていきたいというのと同じである。社会は多様なレイヤーで構成されている。これは個人でどうなるものでもない。ただ、強くコミットしたいレイヤーとそうでないレイヤーがあるのは自然なことだ。出来ることなら、終わりまで{脳}が健康であるために。

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