英語を通して言語の本質を知る

  • 2014.09.10 Wednesday
  • 12:18
苫米地英人氏は、知る人ぞ知る大先生(?)だ。じぶんも、今風に言えばリスペクトしている。『英語は逆から学べ!』は2008年出版で近くの書店では見つからず、一年ほど前にアマゾンで購入した。2〜3度読んでいるのだが、今回、改めてその内容の面白さに気がついた。

英語は逆から学べ英語は逆から学べ!
フォレスト出版(amazon
2008年3月 初版
2009年5月 29刷

著者 苫米地英人
1959年東京都生まれ。脳機能学者・計算言語学者。曾祖父はラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の同僚であったことでも有名な英文学者の佐久間信恭で、明治42年に出版された当時の代表的な和英辞典である『和英大辞林』の共編者。また、祖父の苫米地英俊は長い間日本中の大学の教科書にもなっていた『商業英語通信軌範』の著者で、苫米地英人は英語教育の家系に生まれた脳機能学者と言える。


しかし何とも見た目に派手な本である。表紙だけではなく、中味も文字は少ないが図が多く読みやすく工夫されている(?!)。しかしながら、内容は濃く刺激的である。著者は「日本の中学校、高校、そして大学の英語教育を任せてくれたなら、会話能力であれば中学、高校の六年間でネイティブレベルまで引き上げ、日本人を『タイム』や『ニューズウィーク』を英語のまま読める人に育て上げることが出来る」と豪語する。

一貫して日本の英語教育に批判的態度を貫いている。人間は、遺伝的に(「クリティカルエイジ」という)、8〜13歳ぐらいまでに母国語としての言語習得が止まり、母国語の「言語空間」が固定化されてしまうという。現在の英語教育は、この固定化された「言語空間」に新たに英語能力を追加しようとする。これが間違いだと言うわけである。著者は、新たな「言語空間」をつくりあげなければならないとする。

そして、このことは、著者らのニューラルネットワークの数理モデルを利用した研究でも、一度なんらかのタスクを学習した神経ネットワークは固定化して、その上にさらに新しい神経を利用して効率的に学習することが可能であることが確認できるという。さらに、理論的背景として、MITの教授で著名な言語学者であるノーム・チョムスキーの「ユニバーサル文法説」(※)があると述べる。
※脳は生得的に文法能力を潜在的に持っていて、言語ごとに経験によりパラメーター(設定)を調整するだけという説。

問題はその具体的方法だが、著者は「やってはいけない英語勉強法」として以下の4つを上げる。
  ・日本語の説明を聞きながらの勉強
  ・英和辞典、和英辞典などを使った勉強
  ・各単語の日本語の意味を暗記する勉強
  ・英文の音を聞いて日本語の意味を覚える勉強

これらは、我々が今やっている、あるいは過去にやってきた勉強方法そのままである。これでは、いつまで経っても英語が身につかないというのだから問題である。じぶんには、著者の主張の正当性がどれほどのものかを判断する力はない。しかし、なぜか個人的に著者の説に惹きつけられる。思考パターンが好みなのかもしれない。

じぶんも、一年ほど前から、 iPhone 、Kindle 使って英文とスピーチに触れるようにしている。もちろん、脳が勝手に母語にホンヤク(翻訳)しないように気を遣いながら、意識を先へ先へとすすめる。そのため、ほとんど認知できない。しかし、日本語でも同じぐらい認知できない文章とおしゃべりがあることを思い起こせば、英語が認知できないのは当たり前で驚くに当たらないことが分かってくる。ただ、意識(脳)の英語に対する拒絶反応が少しずつ減少してくる感覚は実感できるようになる。やはり、何かが変化するのである。

本書で、言葉(自然言語)の本質を象徴するような例えを上げている。著者は、次のような英文を紹介する。
   The horse raced past the barn fell.
    「馬が納屋を走って通りすぎたら転びました」
    「馬が枯れ草の横を走り去りました」
    「馬が納屋のある荒れた丘を走って通り過ぎました」
さらに、「馬が倒れた納屋の横を走り抜けました」という解釈まであるという。

これは複数の状況が想定され意味が確定しない例として紹介されている。しかし、著者は「見ればいいだけ」と言う。確かに、その状況を目で確認すればその文が何を言いたいのかは明確である。このことは、言葉(自然言語)の本質を言い表しているのではないだろうか。どんなに単語を分解しても、文法を振り回してみても意味を認知することはできない。” 意味は状況の中しかない!” というのが著者の主張である。

著者の提唱する英語学習法は、このことを実際に体験させてくれる。今読んでいる最中本の中に、法然が自ら書いたとされる『一枚起請文』の一部が紹介されている。
 念仏を信ぜん人は、たとい一代の法をよくよく学すとも、一文不知の愚鈍の身にになして、尼入道の無智のともがらに同じうして、智者のふるまいをせずしてただ一向に念仏すべし。

” 愚者になって往生しろ ” という意味のようだが、やはり、これも安易に現代語に翻訳してしまうと、その意味するところを体感するところまでは行けない気がする。古文を読むのも英語を読むのも極意は同じ。安易に翻訳しようとせずに、多くの文例に触れ、脳内に新しい言語空間をつくりあげていく。” 脳は、勝手に文法を学んでいくのです! ” と、苫米地先生は語る。しかも、この勉強法は他の多くの科目の習得にも応用できる。

この春から「統計」を学び始めた。しかも、学びの視座を「言語」に置いている。「英語」を学ぶように「統計」を学んでみたい。実際に始めてみれば、やはり、言葉の問題であることを思い知らされる。数学特有の「記号/式」等に振り回されそうになるが、喩えれば「記号/式」も「四文字熟語」のようなもの。「統計」の場合、テキストが「母語」と「記号/式」の組合せであり、「母語」を可能な限り遠ざけるという「英語」の学びのケースよりも事は少し厄介だが、安易に分解、翻訳しようとしないことが肝心であることには変わりがない。
参照:おしゃべりとチャリンコ (08/29)

さて、苫米地氏は、バイリンガル化することにより、モノリンガルのときよりも脳のランドスケープが広くなる、つまり、バイリンガルの脳はより広く、より深く活性化される、というリポートを紹介している。「英語脳」(実は「外国語」なら何でもよい) をつくるというのは脳の訓練としても勝れているという話である。単に語学力が有る無しの話ではないということだ。要熟考。

関連投稿:「英語脳」を育てるというはなし! (2013/09/24)
     英語という外国語のはなし (2012/01/18)

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