「永遠の0」を観て思うこと

  • 2014.07.27 Sunday
  • 11:55
DVD『永遠の0』を借りて観た。昨年、原作が話題になっていて少し気になってはいたのだが小説も読まず映画も観なかった。原作者 百田尚樹氏のちょっと元気な言動(?)が気になり観る気にならなかったのである。ただ、脚本・監督が 山崎 貴 ということで映画作品としては興味があった。

永遠の0

ヒコーキ好きの少年だったじぶんにとって、初めから ” ゼロは永遠 ” だった。その関連で戦記物もよく読んだ。そう言う意味で、結果として、少年の頃から戦争を多く疑似体験していたことになる。そんなじぶんからすれば、『永遠の0』に登場してくるゼロ戦パイロットと戦記は、いつかどっかで読んだか見たものであり驚きの内容ではない。しかし、多くの普通の現代人にとっては新鮮な物語として映ったかもしれない。

VFX映像の出来栄えなどはまた別のテーマとして、何でこの映画があんなに話題になったのだろうというのが正直な感想だ。現代に生きる我々が、家族のために生きて帰りたいという本音で生きようとした主人公 宮部久蔵 に対して、強い共感を覚えるのは理解できる。しかも、宮部久蔵 が最高の技量を持ったゼロ戦パイロットでありながら、生きて帰るために極力戦闘を避ける人物として描かれている。最後は特攻に死すのだが、宮部の孫達が祖父の謎に迫るというミステリータッチの作りは観る者を惹きつける。原作者の力量だろう。

しかし、じぶんがもっとも感銘を受けたのは、おそらくこれが原作者の意図でもあろうと想像するのだが、” 戦争体験者は十年もすれば誰もいなくなる、その前に今の若者たちに伝えておくべきことがある ” という強いメッセージである。これにはじぶんも強く共感する。問題は何を伝えるべきなのかということだ。『永遠の0』も一つの物語にすぎないということである。

昨年、ジブリから宮崎駿監督の『風立ちぬ』が公開となった。奇しくも、こちらもゼロ戦がモチーフの作品だった。先日、DVDで改めて『風立ちぬ』を観た。やはり、以前の宮崎作品とは一線を画しているように思われる。娯楽作品として割り切れないのである。『風立ちぬ』も『永遠の0』と同様のメッセージ性を持つ作品と言える。戦後七十年を経て同じ時期に公開となった二つの作品、これは偶然なのか。しかも、二つの作品の伝えようとするメッセージは異なる。宮崎駿 と 百田尚樹 は互いの作品を観てはいないと想像する。

今近隣国には、あの時代の一部を深くえぐって物語化しようとする勢力がある。そんなことをして何の意味があるのか、素朴にそう思うのだが、そのことに執念を燃やす「魂」が存在することだけは否定できない。今後、我々がどれだけの普遍性ある物語を紡ぎ出すことができるのかが問われる。

この国、そしてかの国に、たくさんの成熟した、そしてピュアでクレバーな「魂」が現れることを願わずにはいられない。

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