困った隣人、中国

  • 2012.12.10 Monday
  • 21:08
どこにも困った隣人というもは居るもので、個人間でも、事件にまで発展してしまうことがあるのは周知のことだ。が、話が国のこととなると事は重大だ。 近くて遠い隣人、中国は何かとお騒がせな国だと思う。個人的なイメージだと、中国は ”ジャイアン” 、日本は ”のび太” という感じがする。いずれにしても、悩ましい存在である。

尖閣での漁船衝突事件以来、多くの日本人の感情は反中国に傾いているように思う。反中国は、自然に反中国人へと移行する。じぶんもご同様で、しばらく、中国人は困ったもんだという感情しか持てなかった。しかし、さすがに、これだけ相手の行動が理解できないとなると、単に感情的な反応だけでは済まないのではないかと思うようになってきた。そんなことで、近頃は、少なくとも反中国人という感情は薄れ、むしろ、中国人って何だという興味に変わってきた。

黄文雄氏と言えば反中国の権化のようなイメージがある人物だが、じぶんはどちらかに大きく偏った考え方には抵抗があり、何となく黄氏の著書を避けてきた。しかし、じぶんの反中国人の感情が弱まってきたことも関係があるのかしれないが、黄氏の本の挑発的なタイトルもそんなに抵抗がなくなってきた。今なら読めるという感覚があり、たまたま書店で見つけた本を買ってみた。黄文雄著 『世界中に嫌われる中・中国崩壊のシナリオ』 (WAC:amazon) である。

直後、前に同じ様なニュアンスの本を買ったことを思い出して、書棚を探り豊田有恒著 いい加減にしろ中国』 (祥伝社:amazon) を見つけた。2000年発行の本なのだが、著者は、中国は数年前から軍備拡張に狂奔していると記しており、もう20年ほど前から、既に中国はお騒がせな存在になりつつあったのだと、今さらながら呆れる思いがした。

せっかくなので、今回は2冊を読み比べることにした。先に 『世界中に嫌われる国・中国 崩壊のシナリオ』 を読んだ。
崩壊のシナリト著者 黄文雄(こう・ぶんゆう)氏 プロフィール

文明史家、評論家。1938年、台湾生まれ。1964年来日、早稲田大学商学部卒業。明治大学大学院修士課程修了。『中国之没落』(台湾、1991年)が大反響を呼んで以来、旺盛な執筆・評論活動を展開している。巫福文明評論賞、台湾ペンクラブ賞を受賞。著書に『捏造された昭和史』『近代中国は日本がつくった』『満州国は日本の植民地ではなかった』『日中戦争は侵略ではなかった』『戦争の歴史・日本と中国』『それでも中国は崩壊する 改訂版』『森から生まれた日本の文明』『これからの中国は、こうなる!』『改訂版韓国は日本人がつくった』『それでも、中国は日本を越えることができない』『哲人政治家 李登輝の原点』など多数。

著者の中国&中国人論が展開されているのだが、予想以上の過激な表現内容だった。第1章が、いきなり 「中国は二十一世紀に存在してはいけなかった国である」 とくる。 中国という国の行動は中国人に起因するということを考えれば中国人否定の命題ということになる。過激である。しかし、全編を通して読むと、著者は、民が国を作り国が民を作るの譬えの通り、いつか中国が十数域の列国に分裂して 「普通の国」 そして 「普通の民」 になることに賭けているように思われる。

国民性というものがあるのか、あるとすればどのようにして作られていくのか、という課題はそれだけでも大きなテーマと思われる。しかし、一人ひとりの個性は有るとしても、その国に住む人々全体から表出される特質というもの、つまり国民性というものはあると考える方が妥当のような気がする。

どんな国の民族も歴史と文化に培われた国民性−長所もあり短所もある−を持っていると思われるのだが、それにしても、黄文雄氏の考える中国人の国民性は強烈である。短所ばかりあげつらっているようにさえ思えてしまうのだが、それでも、記述されていることが事実とすれば深刻である。

著者は、中国人は 「公」 より 「私」 を優先する、と言うより、自己中心的行動をとる国民と強調する。この文化伝統は長い歴史的背景の故に改められず現代まで引き継がれているとする。このことは人類史上特筆すべきことであり、中国人固有のメンタリティの源泉であるという。著者の高校時代の中国人教師の口癖が、中国人は「辛災楽禍」(シンツァイロオフォー”人の不幸を愉しむ”)であったという。

著者のように過激な反中国論者は、日本の中では少数派であると思う。しかしながら、日本人も隣人の一挙手一投足に過敏に反応するばかりではなく、著者の次の言説に耳を傾けてみるのも良いかもしれない。

 政治でも経済でも軍事でも、中華民族を創出することはできなかった。
 多分明、他文化、多宗教、多言語、しかも利害関係の対立、有限資源を巡る争奪の激しい中国では、中華民族の創出(統合)は有史以来に未曾有の挑戦である。そんなことは所詮、無理な話なのだ。
 イスラム教文明vs.キリスト教文明の衝突を見よ。十字軍の派遣から現代に及んでも、なお解決できないでいいる数百年来の難題である。
 極端に世俗化した人間集団である中国人の宗教と民族への無知は、ダライ・ラマの「文化的虐殺」という一言に象徴的に表れている。
 中国人の経済力、軍事力の強化が、逆に文化・文明の砂漠化を加速させていることについて、それが文明自殺の昂進だと気がつくことのできる中国の国家指導者は、はたしているのだろうか。


次に、 いい加減にしろ中国』 を読み直した。読み直したと言っても、内容はほとんど憶えていなかったのだが。

いい加減にしろ中国著者 豊田有恒氏 プロフィール

1938年、群馬県前橋市生まれ。
SF、歴史小説、社会評論・歴史評論など、幅広い分野で旺盛に執筆活動を続ける傍ら、2000年4月から島根県立大学教授に就任、教鞭を執る。韓国・朝鮮問題に詳しく、中国古代文化にも造詣が深い。
参照 wikipedia

『いい加減にしろ 中国』 祥伝社
平成12年4月15日 初版第1刷発行


12年前発行の本だが、既に現在の日中間問題の伏線となるべき事象が記されている。当時の中国は反日で有名な江沢民主席の御世である。この頃からマイウェイを行き始めたようだ。著者は、SF作家として著名だが、中国、韓国の歴史・文化にも造詣が深いという。著者は、基本的に日本人は中国が好きだ、と語る。そう言われれば、三国志、西遊記は好きだし、中華料理も大好きである。著者は、本書の「まえがき」で 「この本は、誤解を恐れずに、日中友好のために書いた」 と記している。

日本と中国のつきあいは、「邪馬台国」 の頃からで2000年以上に及ぶ。「朝貢」 から始まり、歴史的には日本にとって師と仰ぐ存在だった。中国の価値は本物の 「中華思想」 にあった。中華とは、世界に冠たる文化、文明のことであり、その民族のことではない。しかし、それが偏狭なナショナリズムと化し今や地に堕ちた、と著者は言う。

著者は、客観的にみて、中国は、パックス・シニカ−中国の覇権の下での平和−を志向しているとしか思えないと言う。日本人等が中国を尊敬するのは、漢字をはじめ、多くの文物を東アジア一帯に、惜しみなく流布させ、人類史に貢献したからである。決して軍事力ではない。かつての中華王朝の面目は、いったい、どこへ消えたのか?、と著者は嘆く。

著者は、これから中国とどう付き合っていくべきか、という章で、次のように述べている。12年前の提唱だが、今でも充分傾聴に値すると思う。

 軍事費の伸びが、一種の自趨性を持ってしまうことは、戦前の日本を考えれば、すぐにでも判る理屈だろう。高度成長によってパイが大きくなるのを、わざわざ待ってから、軍事費が伸張するわけではない。北朝鮮のような軍国主義国家を見れば、すぐ判るはずだ。経済はガタガタでも、GDPのほとんどが軍事費に消えてしまうのだ。
 もし、中国がそうなったとき、国際社会に対して、北朝鮮が行っているような方法で、支援を要求してきたら、いったいどう対処するというのだろう。北朝鮮のような僅かな人口ではない。12億人が、飢え始めたら、世界中が必死になって援助しても、とうてい支えきれるものではない。しかも、食料援助を行わなければ、核の恫喝が待っているとなれば、もはやアメリカのような国が我慢することはないだろう。
 中国が、食料輸入国に転じる兆候は、すでに現れている。中国は、食用油を自給できなくなっている。また、穀物生産が難しくなっているため、肥料の輸入が急増している有様なのだ。
 われわれ日本人は、中国脅威論という批難をいたずらに弄んでいるのではない。隣の中国経済が崩壊したら、われわれも大きな影響を受けることになる。真の友人として心配しているのだ。
 軍事的な拡大政策には、声を大きくして抗議すべきだろう。


12年前と今では中国の経済力が違うという声が聞こえてきそうだ。いずれ、アメリカを抜いてGDPがNO1になるとも言われている。しかし、本当にそうだろうか。ここ数年の趨勢がそのまま推移するという保証がどこにあるのだろうか。最新の天気予報でさえ明日の予報が外れることもある。経済という仕組みは気候に劣らず複雑系(wikipedia)の範疇に属するものだと思う。

例え、中国を GDP NO1 の国にしようとする 「影の力」 があったとしても、その意志、行為も複雑系に飲み込まれる。やはり、10年先は闇だろう。今は、中国の経済面、軍事面の脅威論のみが強調されているが、経済の右肩上がりが継続する保証はない。しかし、豊田氏が言うように、経済の如何にかかわらず軍事費のみが右肩上がりという恐れはある。もし、中国の経済が失速した場合、上記の豊田説が現実となる恐れが出てくる。

一方、中国の経済の発展が今後も継続した場合、今よりも中国人が陰に日向に世界中に進展することになるだろう。今度は黄氏の危惧する中国起因の 「黄禍」(※) の問題となってくる。どちらにしても、アジアばかりではなく世界に与える影響の大きさを考えると、今や中国は超大国なのである。

我々日本人は、一時の感情に流されることなく、中国&中国人のことを考えるべき時なのかもしれない。顔は似ているが、日本人と全く異なる氏育ちの隣人を、冷静に見取る力を身につけなければならない。そう思うのである。


※ 黄禍 − 黄色人種の進出によって白色人種に災禍が加えられるであろうという人種主義的感情論。日清戦争に際して,ドイツ皇帝ウィルヘルム二世が唱えた。 「 −論」 (大辞林)

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