英語という外国語のはなし

  • 2012.01.18 Wednesday
  • 17:16
先日、TVで英語教育に力を入れている小学校を紹介していた。何気に、画面は見ずに音声だけを聞き流していたので詳細は憶えていないのだが、小学生が教室でしっかりと英語を話していたようだ。番組の司会者と女性アシスタントが 「格好いい!」 と評価していた。ただ、ゲストの外交ジャーナリスト 手嶋龍一氏だけが、ちょっと危険な面もありますとコメントしていた。

司会者は ”ぺらぺら” という表現を使っていた。日本人は外国語、特に英語について”ぺらぺら”という言葉を多用する。英語を ”堂々”と、”ぺらぺら” と喋るという言い方をする。英語についてはこれらの語は感嘆詞の意味を持つ。

ある”朝のワイドショー”で、アメリカ留学経験のある女性タレントが一つの英単語をあげて、意味と使い方を説明した後、スタッフ一緒に発音練習をするというコーナーがある。大昔にTVでやっていた”ウィッキーさんのワンポイント英会話” (wikipedia) を思い出した。

昔のTV取材の一場面が甦った。横須賀米軍基地の兵士を目当てに集まる若い女性達がいた。そのなかの一人にインタビューする場面があり、リポーターの問いに彼女は答える。「英語で話している自分が愛おしい」 と。

もう卒業してもいいんじゃないか、と思う。なぜ、これほどまでに英語という外国語を ”上げ奉る” のか。他にも外国語は多数あるのに、このような反応を見せるのは英語に対してだけではないか。太平洋戦争の後遺症ではないかと疑う。

今、英語が世界共通語としての役割を果たしているのは、多くの人が認めるところだと思う。であれば、「コミュニケーション・ツールとしての英語」という捉え方をすれば良い。それは”学ぶ”というより”習う”(これは”倣う”に通じる)ものだろう。”学問” より ”運動” に近い。

神戸女学院大学教授 内田樹氏は「リンガ・フランカ」(wikipedia)を教えたほうがいいと言っている。共通の母語を持たない人同士の意志疎通に使われる言語のことらしいが、国際共通語なので、たまたま「英語ににたもの」ではあるが、「英語そのもの」ではない。「リンガ・フランカ」にはネイティブ・スピーカーが存在しないから ”正しい発音” というものも存在しない。通じれば良いということになる。

解剖学の養老孟司氏も、言葉に正しい発音はなく、あるのは正しい聴き方だと言っている。実際、母親は家族でも理解出来ない幼児のことばをちゃんと理解する。じぶんの経験でも、仕事中に同僚の話が理解出来ない、頭に入ってこないという現象に直面することがあった。日本人同士なのに、何を言っているのか理解できないのである。

”話の背景”が相手とずれていたり、誤解していたりすると、相手の言っていることが分からないのである。うん、と聞き直して、ああ、と理解する。なぜか、英語に関してだけは”正しい発音”があり、正しい発音をすれば分かってもらえるという誤解がある。おそらく、そんなことは無いのだ。

”堂々”、”ぺらぺら”もそもそも英語に付随するものではない。日本語でも”堂々”、”ぺらぺら”と話せる人は多くない。手嶋龍一氏の、幼少からの英語教育には”危険”を感じる、という意見に共感する。国際人とは”英語を話す人”のことではない。それでは英語圏の人は全て国際人になってしまう。まず、日本人としての背景を確立して、コミュニケーションのために英語を使うというのが順序である。日本人を形成するのは日本語であろう。

幼少の時期から英語を学び始めることは、当面の効果は目につくだろうが、発育盛りに母国語と外国語を同時に学ぶことによるマイナス面が、もしあるとしたら、おそらくそれは遅れてくるものであり目につきにくいに違いない。しかも、それは日々失われていく生物種に似て、後戻りできないものである恐れがある。

バイリンガルは二重人格脳機能学者 苫米地英人氏の著書に 『バイリンガルは二重人格』 (フォレスト出版:amazon) という本がある。タイトルに惹かれて買ってしまった。前から、二重人格とはそもそも{脳}が持っている基本的な機能に拘わるものではないかと思っており、関心があったので直ぐにタイトルに反応してしまった。

この本のなかで著者は、本格的な英語力を身につけるには自分のなかに「英語人格」ともいうべき「もう一人の人格」を作る必要があると説く。また、病的な二重人格は ”記憶障害” によるものだが、「英語人格」は ”記憶と臨臨場感世界” により形成される別ものだと言う。

そこで、やらねばならないことは、英語圏の価値観や考え方を理解することで、「英語人格」をつくるために重要なのは、英語を読む、聞くであり、話すではない、と強調する。それには、英語圏の人びとの教養を支えている古典を読むことが一番効果的であろうと言う。

もう一方の「日本語人格」も同様であろう。日本の古典などを通して日本人としての教養を身につけなければならないという考えになる。どうせ、特別な外国語 「英語」 という業からぬけられないのであれば、いっその事、「日本語人格」と「英語人格」をしっかり形成し、本物の二重人格者を目指してみてはどうだろうか。

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