健康という妄想に

  • 2017.06.11 Sunday
  • 11:52

 四十年ほど前に十二指腸潰瘍で下血、入院して輸血を受けた。これが原因?で肝臓のGOT、GPT(40前後)が上がり何らかの障害が生じたことが判明した。しかし当時は、ウイルス性の肝炎はA,B型しか判明できない状況で、非AB型と診断された。将来の治療薬は期待されたが、当面は定期的な検査という手段しかなかった。

 

 幸い、GOT、GPTも大きくアップすることもなく、健康診断でも要観察というチェックが表記される状況が続いた。20年ほど経過して、健康診断でGOT、GPTの数値が70ほどに上がった。こんな数値は初めてだったので再検査した方がいいということで、既に解明されていたC型肝炎ウイルスの検査も受けることにした。

 

 結果は陽性だった。しかし既往歴からみてさほど驚かなかった。ただ症状が悪化しているのではという懸念があったので、診療所の先生に大学病院に紹介状を書いてもらった。これが平成9年で、取り敢えず処方してもらったウルソ(錠剤)でGOT、GPTの数値が通常の40前後に戻り、これが長いC型肝炎ウイルスとのお付き合いの始まりとなった。

 

 数年後に病院の先生のすすめで、インターフェロンとリバビリン服用の治験に参加した。一年の治験治療でウイルス検査が陰性の結果となったが、半年の経過観察が始まってまもなく腸閉塞となり地元の病院に入院、併せてGOT、GPTが200以上に跳ね上がった。後に、治験時のリバビリンが偽薬で、ウイルスも完全に消えていなかったということが分かった。

 

 腸閉塞は手術を経て退院したが、C型肝炎は前のウルソ服用に戻り、同時に腸閉塞手術後の腸の機能低下に対応するという生活が始まった。C型肝炎については、治験から十年後の平成26年に、インターフェロン、コペガス、ソブリアード三薬併用の治療を半年間受けてウイルスは消滅した。先月、治療から二年後の検査結果で、ウイルスは不検知、GOT、GPTを始め他の関連数値も良好で、C型肝炎卒業?のお墨付きをもらった。

 

 しかし、15年前の腸閉塞手術の予後は、悪いとは言えないが良いとも言えない状況が続いている。初め、病院で腸の働きを補助する薬を出してもらっていたが3〜4年で止め、しばらくしてまた別の病院で別の薬を出してもらい3〜4年で止めてしまった。その後は、時に市販の薬、サプリを服用し、健康体操、ウォーキングなどで体調を整える生活を続けている。

 

 さらに、20年前に病院通いを始めてから数年の間に、耳鳴りと飛蚊症のために耳鼻科と眼科で診察を受けた。幸か不幸か、両方とも加齢によるもので治療不要(不可)とのこと。飛蚊症はやがて慣れ(諦め)てきたが、耳鳴りもまだ時折り生じるものの、これもまた慣れと諦めで何とかなっている。

 

要するにじぶんの半生を考えると、生活に大きな支障をきたことはないものの、ずっと健康上の問題を抱えていたということだ。現代は過度の健康ブームで健康診断の数値に一喜一憂する世の中だ。しかし、今、これって変だろうとつくづく思う。健康と不健康の間に明確な境界線などあるわけがない。これは七十年生きてきたじぶんの実感だ。健康の定義などはほとんど意味をなさない。

 

医療機器が高性能になるにつれ問題点?も発見しやすくなった。しかしこれも時に善し悪しだろう。人間を含め生命体とは複雑怪奇な存在である。単純な論理で説明できるものとも思えない。健康不健康もその通り。少なくとも、我らご同輩はもはや健康を問うことを止めにしてはどうだろうか。

 

しかし、いかにしたら自分自身の心身が少しでも快適でいられるか、このことに死ぬまで気遣いを続けることは大事なことであろうと考える。吉田松陰だったろうか、処刑を前にしてなお身体をいとうていたという逸話を残したのは。最後に息を引き取るまで人生は終わらない。よくよく心しておきたいことだと思う。

星の王子さま_ぼっちの発見

  • 2017.01.27 Friday
  • 21:35

サン=テグジュペリ作・内藤濯訳『星の王子さま』(岩波書店)

先月入手した『星の王子さま』を読んでみた。箱根の「星の王子さまミュージアム」は、実際は子ども向けではなく大人向けの施設だった。じぶんはずっと『星の王子さま』は子ども向けの童話?と思っていた。しかし読んでみれば、これは子ども向けか?と考えさせられる作品だ。もちろん、子どもも読んでいいわけなのだが・・・。

 

童話とは言え、我々のよく知る日本の童話や、「赤ずきんちゃん」などとは随分と趣が異なる。正直、どう読んで(解釈して)いいのやら分からないというのが本音だ。ただ、何とはなしにしばらく手元に置いておきたいという感じはしている。はじめに、フランスの親友である ”レオン・ウェルト” にという文から始まる。

amazon

 

著者が第二次大戦中、フランスからアメリカに亡命していた時期に書かれたものらしい。おそらく本作品は、いろんな研究者が作者の生立ち、時代背景などから、心理学的技法も使いながら分析し尽くされているのではないかと想像する。そのような側面にも興味がないではないが、しばらくの間、今の無知のままのじぶんでこの作品に接してみたいと思っている。

 

七十にして『星の王子さま』とは思いもしなかった。働き盛りの頃は、ほとんどノンフィクションものしか読まなかった。今にして思えばもったいないという感じがする。今は、ノンフィクションもフィクションの一形態なのではないかという気さえしている。壮大なフィクションの世界を取りこぼしてきたのは失態としか言いようがない。

 

この作品に登場するのは、「ぼく」(作者自身)、王子さま、王様、うぬぼれ屋、呑み助、実業家、点燈夫、地理学者、そしてキツネ、ヘビなどである。そして全員「ぼっち」(一人ぼっち)なのである。じぶんは「ぼっち」という使い方には不慣れなのだが、クリスマスに一人で過ごす人を「クリぼっち」などと使うらしい。

 

じぶんも家庭の都合で、一年前から一人暮らしになった。家人が隣町の息子のマンションに行ったきりなのである。と言っても、車で15分ほどの距離で毎晩夕食は一緒に食べ、じぶんも週に一二回はマンションに泊っているので、実際は ”一人暮らしもどき" かもしれない。

 

それでも誰もいない家に帰る時は、やはり ”ぼっち感” を覚える。少しずつ慣れ、感覚も微妙に変化してきているように思えるのだが、そんな折に『星の王子さま』に出合った。そして、この作品の登場人物たちと同じ ”ぼっち感” を共有しているように思えたのである。この作品をこんな風に解釈?している読者などは他にいるのだろうか(?)。

 

さて、じぶんの ”ぼっち感” は ”一人暮らしもどき" の生活だけから来ているものではないように思える。やはり年齢が関わっていると考えざるを得ないのである。じぶんもあまり意識はしたくないのだが、” 終わりは見えねど感じられるほどに近くなってきた ” ということではないか。これは若いころにはなかった感覚だ。

 

『星の王子さま』の登場者たちはそれぞれ自分の小さな星に一人で住んでいる。それはまるで、人間社会の自分のことで精一杯の大人たちを思わせる。そして、自分が「ぼっち」であることに気がつくヒマもない。王子さまも家ほどの小さな星に一人で住んでいた。ある日、他所から飛んできた種が芽を出し、きれいな一輪のバラの花が咲く。

 

王子さまはこの美しいバラが好きになる。王子さまはけなげに面倒をみるのだが、バラの対応は冷たい。このことをキッカケに王子さまは自分の星を離れ旅にでる。この時、バラは初めて自分の過ちに気づき後悔する。よくある話だ。

 

旅に出た王子さまは6個の星と孤独な6人の大人に出会う。7番目に地球に来て、王子さまはヘビとキツネ、そして「ぼく」に出会う。そして、この地球で自分が別れてきたあのバラが好きだったことを思い出す。世間の多くの人々は王子さまが出会った六つの星の住人のようだと思う。王子さまのように、また星に戻って好きなバラと暮らせるようになる人は稀に違いない。

 

じぶんは、作者が飛行機乗りであり、孤独な夜の単独飛行も体験しているに違いないと想像する。そんなとき、「ぼっち」の飛行機乗りは夜空の満天の星に何を感じたのだろうと想いが廻る。サン=テグジュペリは、1944年7月31日偵察飛行に飛び立ち帰らぬ人となった。『星の王子さま』を遺して・・・。

 

サン=テグジュペリを想う (1916/12/28)

老害のはなし

  • 2017.01.10 Tuesday
  • 21:38

新年初の投稿が「薬害」のはなしで、そして二番目が「老害」のはなしになるとは2017年も先が思いやられる。今日やっと新年初の朝のウォーキングに出かけることができた。とても快適な天気で気持ちよく歩くことができた。富士山チェックポイントでも雪に覆われた姿を拝むことができた。

 

住まいの近くまで戻ってきて、踏切を渡り田んぼの中を通る幅1m強の狭い道があるのだが、道の中ほどに我ら御同輩と思われる二人が立ち話をしている。一人は自転車で通りすがったものと思われ、自転車を降りて手で支えている。立ち話の相方は後ろ向きで何やら一生懸命に相方に講釈?している。

 

こっちが近付くと自転車の主は直ぐにこちらに気が付き、何とか道を空けなければと思っているという様子が見て取れる。しかし、相方はこちらに後ろ向きとは言いながら、相方の表情、目線を見れば何が起きているのか分かりそうなものだが一向に対応しようとする気配がない。

 

ついにこちらが目前までせまって、自転車の主は困ったという表情をしているので、こっちは頭を下げて立ち話しの二人の間をすり抜けるように通り過ぎた。しかしこの期に及んでも、講釈の主は何ら行為に変化が見られなかったのである。もし元来そういう性格の人物であったとしても異様である。完全に自分の世界に入りきった状態なのである。通常の社会生活の中では考えられないことである。

 

二人の間をすり抜ける時に何気に講釈の主をチラ見したのだが、こっちに対する気遣いが皆無なのが分かった。幼稚園児でもこんな行動は見かけない。じぶんの頭に「老害」という言葉が浮かんだ。さすがに精神が健康な状態なのか病的な状態なのかまでは分からない。しかし、このどっちつかずの異様な行為が社会に蔓延していくのではないかという不安が募る。

 

しかも、これはじぶんと無関係なことではなく、まさにじぶんも当事者になりうるという事象なのである。新年早々に熟考した「薬害」と「老害」という二つのワードは相互に関連した事象でもあり、今年もますます深刻な社会問題になっていくであろうと思えてならない。

 

関連投稿: 賢老社会に向けて (2015/11/29)

腹の底から人生を考えてみる

  • 2016.09.07 Wednesday
  • 21:39

甲田光雄著(日経ヘルス編)『腸をキレイにする!』(日経BP社)

 

今、食が面白い。不食から飽食まで出揃った。個人的には、じぶんの体調/体質と好奇心から、小食の方に関心がある。TV番組でやっている大食いのシーンは好きではない。食べた後どうなっているんだろうという興味はあるが。三ヶ月ほど前から、著者・甲田光雄氏の推奨する「半日断食」を始めた。

 

著者の推奨する健康法は西式健康法(wikipedia)をベースにしたもので、子どもの頃から病弱だった著者が取り組んできた健康法のようだ。世間には古今東西数多くの健康法が提唱されている。じぶんも若い頃より、病弱とは言わないまでも強健な方ではなかったので、ヨガのような体操とか、サプリメントなどに関心があった。

 

かつて、本格的に取り組んだことはないのだが、入門書などを参考に、自己催眠、ヨガ、気功などを試してみたことがあった。これらはやってみると、他人に説明出来なくとも、じぶん自身で感じるモノがあるのである程度納得することが出来る。ただ、個人的な試行だけでは限界があり長続きはしなかった。

 

健康体操に入るかどうかは分からないが、ずっと続いているのはウォーキングだけである。世間ではどうか分からないが、じぶんはウォーキングは奥の深い運動法だと思っている。最近、この国でも競歩というスポーツが注目され始めているが、ランニングとウォーキングの境にあるような運動法で興味深い。

 

西式健康体操は本当に久しぶりに始めた新しい運動法である。その動機は本書とじぶんの納得感である。著者の、健康の始まりはタイトル通り ”腸をキレイにする” ことにあるという説に共感する。腸は自身の体内にある外部環境である。身体の中を口から肛門まで一本のトンネルが突き抜けている。そしてその中に数百兆?もの腸内細菌が生息しており、宿主である自分と共生関係にある。

 

この腸内環境が健康の根底であるというのは納得がいく。そして、「半日断食」(午前中は固形物を、ベストは何もとらない、生水を飲む、西式体操を行う)をやってみると、その効果を即、主観的に体験することができる。これらが継続のモチベーションとなる。じぶんにもこれは続けられるという予感がする。

 

 天地の法則は入れるよりも出す方が先です。電車でもエレベーターでも、そうでしょ。まず中に入っているものが外に出て、それから外で待っているものが中に入るというのが順序です。それならば、午前中に断食して老廃物をまず完全に出して、それから食べる(入れる)という食パターンが、天地の法則にかなった食べ方であるはずです。

 

とにかく、腸の宿便(現代医学にない概念?)を取り除くことが肝要、腸を整えれば花粉症もなおると著者は語る。宿便は諸悪(諸症状)の根源というわけだ。さらに、狂牛病の原因とされる異常プリオンも腸の粘膜が健全なら、粘膜を通り抜けることが出来ずに体外に排出されるのだという。

 

腸粘膜が荒れる(傷がつく)のは ”これはもう食べ過ぎにですわ” と著者は言う。朝も、昼も夜もしっかり食べたうえに間食までする。これでは消化で傷ついた粘膜を修復する暇がない。対策は小食にすること、それも出来れば生菜食が良いという。野菜も熱を加えるとアルカリ性になってしまうので、酸性の肉、魚でバランスをとる必要があるとのこと。

 

考えてみれば我々はずっと、あれを食べるのが良い、これを食べるのが良いと、入れる方だけの話しか聞いてこなかったような気もする。本書が主張していることは、先ず出す方がずっと重要なんだということに尽きる。この歳になってやっと、このようなことを考える機会を得たわけで、もっと若い頃に知りたかったという思いがないわけではないが、人生のエピローグに向かって相応しいライフスタイルを装う一助になるものと感謝している。

 

さらに、著者の ”小食で健康に” という提唱は、世界の人口増による食糧問題、健康増進による医療費削減という社会問題にも関わる案件である。個々人の問題であると同時に、政府が取り上げるに値する課題であることも忘れてはならないだろう。

 


 

腸をキレイにする!(kindle版)

発行 2010年9月 日経BP社(amazon

   2003年12月発行の同タイトルの書籍を電子化

 

著者 甲田光雄

医師、医学博士。1924年東大阪生まれ。大阪大学医学部卒。子どもの頃から病弱で、休学を繰り返す。現代医学では回復せず、西式健康法、断食療法、生菜食療法などを実践しながら研究を深める。慢性疲労症候群、潰瘍性大腸炎、膠原病、ウイルス性肝炎、アトピー性皮膚炎など、治療が難しい疾患に意欲的に取り組み、数多くの治療経験をもつ。大阪大学医学部非常勤講師、日本総合医学会会長等を歴任。『断食・小食健康法』『あなたの小食が世界を救う』など著書多数。

 

甲田光雄氏は2008年8月12日に84歳で逝去。著者が長年研究し続けた健康法は、今も多くの人に愛され、実践されている。

晩節を汚すという生き方

  • 2016.08.01 Monday
  • 23:04

都知事選は小池百合子氏に確定した。個人的な見解では、とりあえず最悪の選択を免れたかという印象だ。保守の分裂で、野党連合候補が圧倒的に有利という大方の見方で始まった選挙だったが、結果は野党連合の大敗に終わった。野党連合候補のジャーナリストT氏は、選挙戦が始まると週刊誌をはじめネット等で「有る事無い事」情報?が流布された。

 

その案件を一つひとつ検証することは出来ないが、話半分にしても酷過ぎる。世間のT氏に対する印象は、知性的で格好良くダンディなジャーナリスト?というようなものではなかったか。じぶんもこれに近い印象を持っていた。ちょっと首を傾げ始めたのは安保法制委員会での意見陳述からだった。政府批判は納得するにしても陳述の内容があまりにも稚拙に思われたからである。

参照: 都知事選が始まったが (07/16)

 

T氏は選挙の期間中、ある意味時の人だった。しかし、賞賛の声よりも批判の声の方が圧倒的に大きかったように思う。これはじぶんのバイアスの所為かもしれないという思いもあったが、選挙の結果でじぶんの感覚が誤りではなかったと確信した。これから色々な評論家、コメンテーターが様々な説を展開することになると思われるが、そのことと関係なく、じぶんはT氏の敗因を彼のパーソナリティに帰する。

 

作られたイメージとはかけ離れたパーソナリティの人物だったということが明かされた。” 晩節を汚す ” という言い方があるが、まさにT氏はそのような生き方を自ら選択した。T氏はじぶんよりも7つ上で先輩格になる。これは勝手な妄想だが、じぶんにはあのような生き方は考えられない。彼も初めは自信満々だったのかもしれないが、もし自分のパーソナリティを内省していれば、今のリスクを多少なりとも想像することができたのではないか。

 

さりながら、一方で、彼の生き方を ” 潔し ” と思う気持ちもある。自分を飾ったものを全て脱ぎ捨て、自らを曝け出して往く。「遊行期」の生き方として理想的と考えられなくもない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まだまだ悟れない ”死”

  • 2016.01.26 Tuesday
  • 18:33
デビット・ボウイ、そしてハリーポッターのスネイプ先生ことアラン・リックマンの訃報で新年が始まった。どちらもじぶんと同世代だった。昨年買って机の上に置いたままになっていた立花隆著『死はこわくない』を読み始めた。

死はこわくない死はこわくない
2015年12月発行
文藝春秋(amazon

著者 立花隆
1940年長崎県生まれ。64年東京大学仏文科卒業、文藝春秋入社。66年退社し、67年に東大哲学科に学士入学。在学中から評論活動に入る。74年の「田中角栄研究」で金脈追求の先鞭をつけ、社会に大きな衝撃を与えた。その徹底した取材と卓抜した分析力による文筆活動で菊池寛賞、司馬遼太郎賞を受賞。著書に『宇宙からの帰還』『脳死』『サル学の現在』『天皇と東大』『がん 生と死の謎に挑む』『読書脳』『四次元時計は狂わない』のほか多数。


読み始めて、内容が前に読んだものとダブっていることに気づく。元々、NHK番組制作の取材記録で、昨年の「文藝春秋四月号」にNHKチーフプロデューサー岡田朋敏氏と立花隆氏の対談が掲載されている。参照:臨死体験を科学する (03/23)

このテーマは個人的にとても興味深いものであり、特に著者が立花隆ということで興味が増した。じ猫ビルぶんにとって、ノンフィクションライターと言えば立花隆の名前が一番に浮かぶほどになじみの深い人物だ。勤務していた会社の近所に事務所(猫ビル)あって、何度か近くでご本人を見かけたこともあり、勝手に身近な存在に感じている。

立花氏の作品の根底には、これはどこかで著者も語っていたことだが、「好奇心」があるように思う。身の回りにある自然、社会とは一体何なのか、そして自分がどこから来てどこへ行くのか。著者はこれらに突き動かされてノンフィクションライターになった。

この好奇心はじぶんにも当てはまる。社会人になって生活に追われながらも、自然・社会の構造と機能に対する好奇心は消えなかった。ただ、今、著者がこのタイトルの本を書いたということは、自身の療養体験、そして年齢が強く働いているように思われる。

著者は1940年生まれなので、じぶんと七つ違いである。じぶん自身のことを考えても、七十歳前後になれば ”死” に対する不安を身近に感じるようになるのは間違いない。『死はこわくない』は、この著者の不安と、生来の好奇心によって生まれたものに思えてならない。

本書の中で、著者は、今評判の東大医学部付属病院救急部の矢作直樹氏の言動 −死後の世界が存在するとTV番組等で主張− を批判する。ただ、じぶんは矢作氏の主張に対し白黒の判断をしていない。「あの世」の話は、未だ信じる信じないの対象と思われているが、個人的には最終的に宗教と無関係のテーマだと考えている。

著者の「あの世」に対する心情は理解できる。可能な限り論理的/合理的な解答を追及するするというのが著者の信念だと思う。このことは、著者の文系理系の違いを問わない取材の在り方にも表れている。

そして、哲学者ヴィトゲンシュタインの「語りえぬものについては沈黙せねばならぬ」を挙げて、死後の世界は語りたい対象ではあるが、まさに語り得ぬものであり沈黙しなければならないとする。

じぶんも著者のこの姿勢に大変共感を覚えるが、著者のようにきれいに割りきれていない。これは七つの年齢差だけではない。おそらく、人生修行の密度差によるものだろう。

著者は、24年前のNHK番組「臨死体験 人は死ぬ時何を見るのか」、そして2014年の「臨死体験 死ぬとき心はどうなるのか」の制作のため、二度にわたり欧米の第一人者たちの取材を行った。この取材も著者の論理的/合理的な精神が貫かれている。

そして著者は、最新の科学的見解に基づいて、臨死体験は人の死の直前に衰弱した{脳}が見る「夢」に近い現象であると結論づける。

 人間の心の平安を乱す最大の要因は、自分の死についての想念です。しかし、今は心の平安を持って自分の死を考えられるようになりました。結局死ぬというのは夢の世界に入っていくのに近い体験なのだから、いい夢を見ようという気持ちで人間は死んでいくことができるんじゃないか。そういう気持ちになりました。

 臨死体験は脳が最後に見せる夢に近い現象ですから、いい臨死体験ができるように、死に際の床をなるべく居心地よくしておくのが肝要です。臨死体験の研究が進めば、どういう環境に置かれたとき、人はハッピーな臨死体験・臨終体験ができるのかといった知見がもっと集まるでしょう

本書には、講演で看護学生に語った内容も記述されている。著者の目は死の最前線にも向けられており、社会的課題である尊厳死についても問題提起する。「死」は医療、科学、宗教を巻き込む大問題になると改めて感じた。さらに、上記引用の下線部分は、新たな医療倫理の必要性が問われる重要なメッセージであると考える。

関連投稿:死後の世界はあるか (2011/12/05)

インターフェロン治療始末記

  • 2014.11.29 Saturday
  • 13:57
35年間前、十二指腸潰瘍を発症し輸血をした。当時、保存血液のチェックが不十分で何らかの肝臓疾患を起こす恐れがあると思われていた。その為、医者も輸血だけは避けたいと言っていたのだが、夜中の点滴修了後に具合が悪くなり結局輸血をするはめになってしまった。

案の定、輸血後二ヶ月目ほど経ってから肝機能の数値が正常値を超えるようになった。それでも、GOT、GPTが40前後でそれ以上の大きな値になることはなかった。当時、まだC型のウィルスは確認されておらず、非AB型と呼ばれていた。C型肝炎ウィルスが確認されたのはその後10年ほど経ってからである。

会社の健康診断では、ずっと肝機能の数値が正常値をちょっと超えた値で推移し「要観察」の診断がなされていた。ところが、ちょうど50歳位の時の健康診断で肝機能数値が初めて60を超えて、再検査をすることになった。過去に輸血をしていたということもあり、ウィルス検査を行いC型肝炎であることが判明した。こうして、会社の診療所の紹介で東京の大学病院に通うことになった。

C型肝炎ではあるが、数値が低いレベルで安定していたということもあり、2〜3ヶ月に一回の血液検査と半年に一回の上腹部エコー検査を行うことになった。また、治癒のための治療は行わないが、肝機能改善に効果があることが判っていたウルソという薬を服用することになった。そして、この薬のおかげもあり、その後の数値は概ね正常の範囲で安定した。

7年後、担当医の勧めで「インターフェロン・リバビリン併用」の治験(一年間)に参加することになり、後で飲み薬のリバビリンが偽薬であることが分かったのだが、インターフェロンの注射で一旦ウィルス検査で陰性になった。しかし、治験修了後にまた陽性に戻ってしまった。そしてこの治療の反動のせいか、数値が一時200を超えることもあったが、ウルソを服用する前の生活に戻ると、肝機能もまた低めに安定した数値に戻った。

あれから10年後のこの年、再度インターフェロン治療に挑戦することになった。担当医の「今のインターフェロン治療法は治癒率が高く、医療費助成制度も整備されてきた。70を過ぎると副作用のこともありあまり勧められない。肝がん発生率を抑えるためにも、今がチャンスかもしれない」という話にじぶんも治療に踏み切ることにした。インターフェロン(注射)と飲み薬のソブリアード、コペガス(リバビリン)の3剤併用の治療である。こうして、6月9日に治療を開始した

インターフェロンは10年前の治験で体験済みだが、飲み薬併用は初の体験となる。この治療のポイントは飲み薬のソブリアードで、この薬のお陰で治癒率が向上し、さらに治療期間が一年から半年へと半減したという。このソブリアードは初めの3ヶ月のみ服用するのだが、もうすぐ3ヶ月を終えるという頃に、新聞でソブリアードの副作用で死者が出ているという記事を見つけた。複雑な思いがした。

じぶんは治療開始から一ヶ月目のウィルス検査でゼロとなり、何とか、11月21日に全治療行程を終えた。そして、半年間の経過観察に入った。治療を終える直前に、また新聞記事を見つけた。この一年ほどの間に、およそ1万8千人がソブリアードを服用する治療を行い、副作用の重症化により6人亡くなったとの記事だった。確率計算上はごく小さい数値(0.03%)となるが、気持ちがいいものではない。

日頃、薬はある意味毒とじぶんに言い聞かせているのだが、やはり必要最低限の使用に留めるべきだろうと改めて思った。もっとも、どこが必要最低限なのかとなると悩ましい問題だ。それは医者そして患者本人の死生観が直接関わってくるからだ。「人間は何で死ぬか分からないからね」は以前担当だった医者の言葉である。

『蜩ノ記』を観ました

  • 2014.10.23 Thursday
  • 10:13
 話題(?)の映画『蜩ノ記』を観てきた。家人からシネマのポイントが貯まったとの誘いに『蜩ノ記』を観にいくことにした。家人は原作本を買っていて、昨日急いで読みきっていた。じぶんは Podcast で小泉堯史 監督の話を聴いて、この作品が気になっていた。映画館は平日なのにシニアで七割ほど埋まっていた。

蜩ノ記蜩ノ記
原作 - 葉室麟 「蜩ノ記」
   
祥伝社刊(amazon
監督 - 小泉堯史
脚本 - 小泉堯史、古田求

キャスト

戸田秋谷 - 役所広司
檀野庄三郎 - 岡田准一
戸田薫 - 堀北真希
三浦兼通 - 三船史郎
戸田織江 - 原田美枝子


http://higurashinoki.jp/

小泉監督と言えば、『雨あがる』『阿弥陀堂だより』『博士の愛した数式』などの作品で、現在注目の監督の一人だ。個人的に好きなタイプの監督だが、「黒澤組」であることは自覚していなかった。本作品にも、スタッフとして『黒澤組』ゆかりの人物が大勢参加しているという。

十年後の切腹を命じられた男。残された時間をあなたならどう生きるか− 。映画のキャッチである。もちろん、じぶんと主人公が生きる時代は異なるわけで、さらにじぶんはサムライでもなく普通の一般市民である。主人公と同じような状況に陥ることはない。しかし、これはじぶんの願望もしくは勘違いかもしれないが、あの頃の日本人は人生を ” 諦観 ” していたところがあったような気がしてならない。現代人にはそのことに対する ” あこがれ ” のようなものがあるのではないだろうか。

小泉監督は、自分が会ってみたい人物を映画にしたいと語っていた。やはり、今回の主人公 戸田秋谷も心惹かれる日本人である。ある種の郷愁を感じさせるのも不思議だ。かつて、実際にこのような人物が存在したかどうかは分からない。しかし、あのような死生観(美意識)を持った日本人が現実に存在していたことは確かなことのように思われる。

戦後しばらくの間、じぶんが生まれた東北の農村には、まだそんな美意識が淡く残されていたような記憶がある。経済の発展は田舎まで豊かにしてくれた。しかし反面、そのような美意識を身に纏うことが困難な世の中を作ってきたことも確かだ。さらに、物質的に豊かになった現代人があの頃の日本人に比べて幸せであると言えるのか、となると単純には判断できない。

この作品は、そんかことを改めて我々に問うてくれる。小泉監督の師 黒澤明 は ”きれいな映画を撮りたい” と言っていたという。その心は愛弟子にも引き継がれているようだ。ストーリーとしては特にサプライズ − 武士社会そのものがサプライズと言えなくもない − はないが、美しい日本の原風景と共に坦々と武士社会で生きる人々が姿が描かれている。

この所、年の初めに富士山詣でに行くのが習慣になっている。詣でと言っても湖畔から拝むだけで登るわけではない。だが、何か気分がすっきりする。昨年は2月にワンコ同伴で出かけたが、そのワンコも11月に死んだ。今年は1月に家人と二人で出かけた。この時期はオフなので河口湖周辺も静かだ。

お昼に湖畔の小さなレストランで昼食を食べた。いつもワンコが一緒のことが多いのでレストランで食べるということが少ない。じぶん達と他にもうひと組の客しかいない。ランチをランチ注文した。正直、あまり期待してはいなかった。ごくごく普通のハンバーグ定食なのだが、食べてみると、スープ、ハンバーグ、サラダ、ライスがちゃんと料理されているのが分かる味だった。

特段に旨いというものではないが、手をかけて作りましたということが感じられて、美味しく頂けた。こんな普通のことを体験する機会が少なくなった。レト ルト −これも近頃はよく出来ているが− とか、スーパーの惣菜とかを思わせるようなメニューが出てくることが多い中、この小さなレストランで小さな感動を味わうことができた。

映画『蜩ノ記』もそんな料理を思わせる。” 丁寧に作り込みました ” というスタッフ、キャストの気持ちが伝わってくる良い作品だと思う。これもかつての日本人が持っていた美意識ではなかったかと思われるのだが・・・。温故知新。今、我々に必要な ” 在り方 ” かもしれない。

わんこ逝く

  • 2013.11.14 Thursday
  • 16:50

我が家のワンコ、ミッキーが今日11時半頃、14歳7ヶ月の生命を終えた。いつもの通り、補液を終え動物病院を出たところで、急に痙攣(?)のような症状を発症、急いで病院に戻ったが、診察室に入ったところで目を大きく開いたまま危篤状態に陥った。先生にいろいろ処置をしていただいがが、30分ほどで心臓が停止した。
ミッキー
3月の終わり頃、腎炎であることが分かった。人であれば透析をしなければならないような状態だったらしいが、犬ではそのような治療ができないということで、時間稼ぎの治療しかなかった。でも、よくここまで頑張ったと思う。全く餌も水もとれなくなり、動けなくなって逝くのかなと思っていたので、このような終わりは予想していなかった。昨日の散歩では、超スローではあるがまだ歩く元気があった。

ここ5日ほど、ほとんど食欲を無くしていた。昨日は、もしかしたらと思って用意した好物の茹でたてのササミを少し食べた。オー食べた、と喜んだばっかりだったので、こんなに症状が急変するとは思わなかった。後で考えれば、今朝は触れるのをいやがっていた。いつもそんなことは無いので、どうしたのかなと思った。動物病院の待合室でも膝の上でぐったりしていた。これもいつもの状態と違っていたので・・・、限界だったのかもしれない。

冷えた場所なら、そのままでも2,3日は大丈夫という話だったので、明日一日は家に置くことにした。業者に電話をして、明後日の火葬をお願いした。火葬後は骨を持ち帰り、しばらく家に置いておこうと思っている。その後のことは、まだ考えていない。

生と死のかたち

  • 2013.08.11 Sunday
  • 21:11
ずっと積ん読状態だった柳田邦男著『新・がん50人の勇気』を読み始めたが思いのほか進まず。どうしても気が外にいってしまう。とても興味深い内容なのだが、死に関わる事だけに興味と避ける気持ちがせめぎ合う。それでも、今日、何とか読み終えた。

がんで亡くなった50人の生きざまがリポートされている。著者は、1970年代後半に『がん回廊の朝』という長編ドキュメントを書き、続いて『ガン 50人の勇気』を書いた。そして、この『新・がん50人の勇気』へと続く。

新・がん50人の勇気新・がん50人の勇気
文藝春秋:amazon
2009年12月 第一刷
著者 柳田邦男氏 プロフィール
1936年栃木県生まれ。NHK記者を経て作家活動に入る。72年『マッハの恐怖』で第3回大宅壮一ノンフィクション賞、95年『犠牲(サクリファイス)我が息子・脳死の11日』などで菊池寛賞、97年『脳治療革命の朝』で文藝春秋読者賞を受賞。他の著書に『「死の医学」への日記』『「気づき」の力』『生きなおす力』『いつも心に音楽が流れていた』など多数。

著者は、がん問題に焦点を合わせて日本人の ”「生と死」のかたち” について深く考えるようになったと言う。前の二冊に関しては分からないが、本書では著名人を対象に取材をしている。この手法を選んだのは、編集担当者なのか著者本人なのかは分からないが、どうしてなのだろうと疑問に思う。

やはり、営業面とか、あるいは、取材のしやすさという側面があるのだろうか。確かに、誰でも知っているような人物の方が読者に訴える力があると思うし、取材の対象者としても選び易く公開の了承も得やすい気がする。

明確な定義があるとは思えないが、芸能界では芸能人と一般人という言い方をして使い分ける。特別な業界にいるという意味なのだろうか。本書で、著者が対象にしている著名な作家、芸術家、学者、役者なども一般人ではない人々の範疇に入るのだろう。しかし、じぶんとしては、当たり前だが、一般人の ”「生と死」のありかた” の方に強い関心がある。

著者は、本書のなかで、最後の刻(とき)まで生きようとする心を支えるものは何だろうか、という問いに、本書で取り上げた人々の場合は、仕事をやりぬくこと、とりわけ表現活動を続けることであると答える。それは、自分が生きて、何らかの意味のあるものを創りだしているという証を実感できるからではないかと。仕事として書くにせよ、描くにせよ、作るにせよ、世間に向かって何か創作することを生業としている著名な人々は、ある意味幸いである。そういった意味では、一般人ではない人々の方に分がある。多くの一般人の生き方などは、それに比べれば非力なものである。

とは言え、本書の著名人たちがガンと知ってから死を迎えるまでの生きざまには、参考にはならないにしても大いに啓発される。登場する人のほとんどは、自分の仕事に自分で終止符を打つことができる立場の人である。そして、自分の人生の終りに、それを重ね合わせることができる。登場人物の多くは、そうして人生を終える。

著者は、現代を「自分で自分にふさわしい死を創ろうとしないと、死ぬに死ねない時代」、つまり「死を創る時代」と呼んでいる。具体的には、自分の死の形、死の迎え方を、あらかじめ心に決めて家族や医療者に協力を求めておくこと、と語る。このことは、少し理解できるような気がする。これは、一般人もそうでない人々にも共通して当てはまることだろう。

そうは言っても。お前はどうかと問われて、覚悟ができてるとは、とても言えるものではない。ただ、本ブログのカテゴリーに「エピローグ -終演-」を設けているのは、そういったことを考えていこう(考えねば)、という覚悟の表れであるとは思っている。

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