言語ゲーム_選挙

  • 2017.09.28 Thursday
  • 20:53
衆院は28日午後の本会議で解散された。政府は解散後の臨時閣議で、衆院選を「10月10日公示−22日投開票」とする日程を決める。
衆院は28日午後の本会議で解散された。政府は解散後の臨時閣議で、衆院選を「10月10日公示−22日投開票」とする日程を決める。
衆院は28日午後の本会議で解散された。政府は解散後の臨時閣議で、衆院選を「10月10日公示−22日投開票」とする日程を決める。

衆院は本日28日午後の本会議で解散となった。今回は新党「希望の党」が台風の目となりそう?な様子もあるが、何やら未発達の旋風のままに終わってしまいそうな気配もする。一方、政府から解散の意向が示されたときに始まったメディア、議員等の報道・言動に「言語ゲーム」という言葉が思い浮かんだ。

 

「言語ゲーム」とは、もともと哲学者・ヴィトゲンシュタインが提唱した概念だ。が、今回じぶんの脳裏に映ったのは、そこまで哲学的なものではなく、言いたい放題の様々な舌戦の印象から生まれたイメージである。しかし、ヴィトゲンシュタインの「言語ゲーム」の概念と全く無関係ということではないような気がしている。

 

言語の中で、数学のような論理構造を持つものは別格としても、我々が通常に使用する言葉は曖昧さこそ本質ではないかとさえ思える。しかしながら、使う側の人間からすれば、自分の主張には明確な論理の筋が通っていると信じ語っているように見える。しかし、その多くは「風吹けばおけ屋が儲かる」式のロジックでしかない。

 

要は、その主張にどのような行動が伴うのか、或いは受け取る側にどのような行動を引き起こすことができるのかということであろう。そして、これを成すのは論理ではなく情動であるに違いないと思う。現に、最近の選挙結果を見れば、ほとんどムードに左右されているように思えてならない。

 

新党「希望の党」では、お騒がせ都知事が党首に就任した。さらに都知事を辞め自ら衆院選挙に立候補するのではとの噂もある。現都知事のこの一年の言動を見ていると「言語ゲーム」そのものという感じがする。「言語ゲーム_選挙」の名クリエーター&プレイヤーという称号を贈りたい。

 

ただ、「言語ゲーム_都政」は散々な結果だっというしかない。都民はこのことを冷静に判断すべきであろう。「言語ゲーム_衆院選」が始まろうとしている。否応なく我々もその中に取り込まれる。今回じぶんは、選挙の大義、争点、政策等から視点を外すことにした。さて、国民はどんな結果を創出することになるのだろうか。

 

健康診断の結果を待っているような心地である。

 

参照:言語ゲームって ? (2013/07/14)

ふしぎな珈琲のはなし

  • 2017.09.03 Sunday
  • 11:19

コーヒーを砂糖抜きにするようになったのは何時頃からだったろうか。定年を境にする時期だったのではなかったかと思うのだがはっきり憶えていない。若いころは積極的にコーヒーを飲む方ではなかった。たまたま、或いは付き合いでを飲んでいたように思う。勿論、砂糖/ミルク入りが普通だった。

 

しばらく前、コーヒーは身体に良いなどと言われた時があって、それが進んで砂糖抜きミルク入りコーヒーを飲むようになった時期と重なっているように思う。どちらにしても未だ十年経ったかどうかという位の年数だ。その後、ミルクも抜いて完全にブラック・コーヒーを飲むようになったのは数年前からである。

 

じぶんがコーヒーを好んで飲むようになったのには、周囲にコンビニ・コーヒーを始めさまざまなカフェが誕生してきたことも要因かもしれない。しかし、もっとも大きな要因はブラック・コーヒーを旨いと感じるようになったことだと思う。

 

この分岐点は定かではないが、何か体の生理(年齢がらみ?)の変化もあったのだろうかなどと思ったりもする。そして今は、真夏でもホットのブラック・コーヒーを好む。ミルクは未だしも砂糖が入ったコーヒーは別の飲み物としか思えなくなってしまった。

 

家で飲むコーヒーはお湯を注ぐだけのインスタントから、コーヒー粉を買ってきて自分でドリップするようになった。一年ほど前から、豆を買ってきて自分で挽いてみたりするようにもなったが、さすがに面倒なのでお手頃のコーヒー粉をドリップするのが主流となっている。ドリップするのは苦にならない。

 

それにしても、何故ある時期から急にブラック・コーヒーを美味しく感じるようになったのか、今でも謎である。若いころは胃腸が弱く、コーヒーはむしろ胃に負担がかかるような感覚があった。それが今は空きっ腹にブラック・コーヒーが心地よい。

 

何でこんな風になってしまったのか不思議だ。が、何か明快な理由/原因があるのであれば知りたいと思う。若い頃は体質的にお酒は常用にはならなかったが、老いてコーヒーが常用となった。想像もしなかったことだ。やはり、体質(脳も含め)の変化ということがあるのかもしれない。

 

「コーヒールンバ」(wikipedia)という流行り歌があった。日本では60年代の初めに西田佐知子が歌った曲がよく知られている。

 

コンガ マラカス
楽しいルンバのリズム
南の国の情熱のアロマ
それは素敵な飲みもの
コーヒー・モカマタリ
みんな陽気に飲んで踊ろう
愛のコーヒー・ルンバ

 

歌詞の一部だが、少年の耳にはコーヒー・モカマタリが ” コーヒーのカマタリ ” に聞こえて、”鎌足?” などと歴史上の人物を思い浮かべツッコミを入れたことを思いだす。モカマタリとはイエメンで産出されるコーヒーの呼称?らしいのだが、「コーヒールンバ」の頃と同じものを今でも飲めるのかどうかは知らない。

 

どちらにしても、昔からコーヒーは歌になるほどふしぎな飲みものだったのだ。それがやっとこの歳になって分かってきたということか。このことは数少ない老いて得したことの一つだ。それにしても、旨い色んなコーヒーを安く飲めるようになった今の環境は大歓迎だ。

 

先日、千葉県のKASHIWANOHA T−SITE(TSUTAYA)までドライブをしてきたが、本とグッズとカフェが共存した心地よい空間を作り出していた。やはり、書店とカフェはベストマッチングの組み合わせだ。

 

高齢化社会がリアルに

  • 2017.05.17 Wednesday
  • 20:43

じぶんのことは棚に上げ、街場に高齢者が多く見かけるのに改めて驚く。まだ足取りがしっかりした人もいれば、ちょっと足元があやしい人もいる。じぶんの住むローカルの小さな市では女性の高齢者の自転車走行が目立つ。車を走らせていると、前方の自転車が急に道の反対側に横断したりすることがあってドキッとする。

 

高齢化社会と言われて久しい。またも、じぶんのことは棚に上げ、最近そのことを本当に実感するようになった。パート先の公共施設でも、このところ認知症と思われる人を見かけるようになった。二ヶ月ほど前、施設の休館日に、高齢者の車が駐車場入り口の鉄製のチェーンを車でぶち切るという事故があった。このパートを始めて6年近くになるがこんな事は初めてだ。

 

高齢者による事故、事件などのニュース報道があると、じぶんは根拠のない共同責任感のようなものを感じてしまう。われわれのような高齢者は存在するだけで社会のお荷物というような側面がある、じぶんはこのことを認識すべきだと考えている。再三にわたりじぶんのことは棚に上げ、本当に高齢化社会はこの国にとって深刻な問題ではないのかと懸念する。

 

4、5日前の11時頃、バーバーの帰りに駅前広場のベンチにすわり、コーヒーを飲みながら通りすがりの人を眺めていた。リアルに高齢者が多いのを実感した。この時、コーヒーを駅前のセブンイレブンで買ったのだが、店員さんがじぶんと同世代の女性(七十前後)だった。コンビニにシニアの店員が増え始めているということは耳にしていたが、じぶんが直面するのは今回が初めてかもしれない。

 

「ホットコーヒーを一つ」と注文、最近じぶんの喉の調子が少し悪いのは自覚してはいたのだが、シニアの女性店員さんが「えーっ」と言いながら顔を寄せてきたのを見て思わず身を退いた。今までも聞き直されることはあったが、顔まで寄せてこられたのは初の体験であった。これも高齢者同士でこそのビヘイビアということであろう。

 

駅前広場で、改めて、当ブログを始めたころのことを考え始めた。定年を間近にして、じぶんの高齢化と社会の高齢化がリンクしていることは初めから感じていた。そして、これからこの国が体験する社会の高齢化は、大げさな物言いになるが、人類が未体験の歴史的事象かもしれないという感覚すらあった。ブログを始めたのは定年後だが、この問題意識がブログのテーマの一つとなったのは自然な成り行きだった。

 

そして思いついたのが、個人的にも社会的にも ”学び直し” が必要ということだ。定年以前と以後の生活の間には何か一線を画すあり方がいいのではないかという思いもあった。若者には社会人になるための儀式として成人式というセレモニーがある。そして、定年期(50〜60歳)の人々にも転換期を意識的に迎えるための何らかの社会的制度があるのが望ましいと思った。

 

この考えは今でも変わらない。あの駅前広場でそのことを再認識した。高齢者自身の自覚が非常に重要になるのである。若者の教育無償化が問われているが、併せて、定年期の人々の学び直しの仕組み、補助金制度等の整備も検討に値すると考える。増大する社会保障関連予算の抑制には、一見遠回りのようにも見えるが、上記制度等の整備がより効果的ではないかと思うのである。

政治とメディアの本分

  • 2017.04.11 Tuesday
  • 21:44

二大政党を理想と考えるわけではないが、政権交代できる政党が二つ以上あった方が良いという思いで、前回の衆議院選挙までずっと民主党を推してしてきた(必ずしも支持ではない)。しかしながら、あまりの体たらくぶりに気を喪失して、前回の参議院選挙は自民と日本のこころに投票した。

 

国の平成29年度予算が成立した。そして肝心の予算委員会で、野党とマスメディアは「森友問題」に終始した。この両者いったい何をしたかったのか、未だに全く意味不明だ。じぶんは特別に自民党支持ではなかったのだが、いつのまにやら、心情的に政権よりの立場になってしまった。

 

日本が「森友問題」に明け暮れていた頃、太平洋対岸のアメリカでは北朝鮮問題がマスコミに取り上げられていたというのだから、この国の社会状況がますます理解不能だ。4月4日イラン政府軍が化学兵器を使用したという理由で、6日トランプ大統領がトマホークによるシリア空軍基地の攻撃を指示した。さらに、米海軍の原子力空母カールビンソンがシンガポールから東アジアに向けて航行中だという。

 

10日参議院議員・青山繁晴氏が「虎ノ門ニュース」で警鐘を鳴らしている。トランプ大統領には「森友問題」と比べようもない深刻な大統領選に関わる疑惑があるという。選挙中にロシアからの支援?を受けていたという疑惑らしいが、大統領選挙が無効になりかねないような大問題だという。

 

青山氏は、アメリカという国の本質は軍事国家であり、機に乗じて軍を動かすことに躊躇しないと言う。北朝鮮は核実験、ミサイル発射実験と挑発的行為を続けている。さらに、ミサイルもICBM、SLBMとアメリカにとって無視できない段階にまで来ており、トランプ大統領としては軍事オプションを採用する表向きの理由が整ってきたということになる。そして、さらに大統領の選挙に関わる疑惑を一掃したいというウラの事情もあり、軍事行動を起こす動機が十分というわけだ。

 

この青山氏の読みが全てとは言いがたいが、しかし国会で「森友問題」を争点にしているような時期でないだろうことは、一市民のじぶんにも分かる。この危うい国会の状況の中、都議会までが「豊洲問題」で妖しい空気になってきている。国では野党とマスメディアが主役?を演じていたが、都では知事とマスメディアがまた同じような役を演じようとしているとしか思えない。

 

今、本当に議論しなければならないことは何なのか、真剣に考え行動してほしいと思う。「森友問題」も「豊洲問題」も真にコンプライアンスに違反するようなことがあるのであれば当局に対応してもらえば良い。しかし、国会も都議会もやらねばならぬことが他に山積みなのではないのかと危惧する。政治家もマスメディアも政局で遊んでほしくはないのである。

USAはどこへ

  • 2016.11.09 Wednesday
  • 17:04

 

次のアメリカ大統領に、大方の予想に反してトランプ氏が決まった。他国の指導者の選挙などはどうでもいいと言えばそうなのだが、ことアメリカの大統領となると無関心でもいられない。しばらくTV番組もこの報道で持ちきりとなるだろう。

 

また、一部のジャーナリスト、評論家たちの中に「それ見たことか」と虚勢を張る人たちが出てくるに違いない。しかし、この結果を読んでいたなどの話は聞き流したほうが良い。しかしながら、USAは何処へ向かうのか?。

 

選挙活動中の言動がそのまま実施されるとも思えないが、USAがこれまでとは随分と異なる方へ舵を切る可能性が出てきたことは否定できないのだろう。環太平洋の行く末は?。プーチン、 習 近平金 正恩、 朴 槿恵アウンサンスーチーロドリゴ・ロア・ドゥテルテ、そしてトランプ、安倍 晋三となると、日本を取り巻く環境は天気晴朗なれど波高し状態になるのだろうか。
 

社会環境が国内、国際ともに大きく変わりつつあるのではないか。じぶんが定年を迎える辺りからそんな想いを抱いてきたのだが、今回のアメリカ大統領選挙の結果を踏まえるとますますその想いを強くする。じぶんが五十代前半まで想定していた成熟した国際社会などというイメージは最早崩れつつあると考えざる得ないのかもしれない。

 

もっとも、ヒラリー・クリントン氏が選出されていたとしても問題山積みの現実は変わらなかっただろうが、何とも難しい世の中になってきたものだと思う。

 

関連投稿: トランプ氏再考 (2016/05/07)

地方自治を考える

  • 2016.10.08 Saturday
  • 21:04

地方自治、地方行政など、どの用語が適切なのかどうかさえよく分からないが、今回の都知事選によって東京都の妖しげな部分が少しずつ浮き彫りになりつつある?。やはり一番驚いたのは都議会のドンと言われる人物の存在だろう。都知事でさえアンタッチャブル?というのだから一体どんな存在なんだと勘ぐる。

 

定年になってから、じぶんの住むコミュニティを身近に感じるようになってきたの事実である。サラリーマン時代は会社が存在する、あるいは会社が関連しているコミュニティの方がより身近な存在に感じられた。しかし、最後までじぶんの生活に関わってくるのは自分が住むところのコミュニティであり自治体である。

 

5年ほど前から、隣町の公共施設で指定管理業者のパートをしている。間接的ではあるが地方行政側の立場にいることになり、これは人生で初めての経験である。指定管理者制度(wikipedia)については、施行当時、会社の総務部に所属していたこともありボンヤリとだが記憶にある。会社に隣接した公園を民間企業が請け負うことができるようになったというような話を聞いた憶えがある。

 

当時は、行政が民の力を借りて合理化をはかる、というような認識で何となく良いことではないかと思っていた。しかし今、間接的ながらこの制度関わることになって、何やらモヤモヤした判然としない気持ちが残る。キーワードは税金である。公共施設に関わるステークホルダーは三グループあり、役所、企業(指定管理業者)、そして利用者(一部の住民)である。

 

じぶんのイメージを言ってしまえば ” 獲物(税金)に集(たか)る三匹の蠅 ” である。役所は税金を利権として事業者に振りかざし、事業者は安定収入として税金を狙い、利用者(特にシニア世代)は安く利用できる施設を当然の権利と思い込む。一方、これに関わらない大多数の団体、個人は傍観者になる。さらに、地方自治体が経済的に余裕がないのは言うまでもない。

 

どちらにしても、役所が偉そうなことを言える立場にないことは確かだろう。しかしながら、役所は権力を笠に指定管理業者に無理強いをする。業者は仕事欲しさに役所にへつらい、片や非正規のスタッフには地域の最低賃金を強いる。役所は、自分たちのことは棚に上げて、これを知らんふりをする。利用者は納税者の当然の権利でもあるかのようにサービス収受を要求する。しかし、利用者は自治体が借金経営であることには全く無知か、知らぬふりをする。

 

これは個人的に小さなパート体験から作り上げた勝手なイメージだ。こんな些細なことでも、じぶんにはそれなりのダメージがある。そんな折の都知事選、そして都議会の案件である。じぶんにはダメ押しのように感じられた。もう戦後七十年を経過しているのである。いくらなんでも、もう少し増しなコミュニティが育っているだろうと期待していたのに。

 

都の豊洲市場移転に関わる疑惑、オリンピック開催に関わる予算の問題がニュースで報道されるたびに、いったいこの国の地方自治はどうなってるんだと訝る。東京は地方自治の要ではないか。かつて外務省を「伏魔殿」(wikipedia)と称した外務大臣がいたが、今や東京都に相応しい呼称となってしまいそうな気配である。

 

組織、それも富に余裕のある組織ほど腐るというが、何ともやり切れない思いだ。税金の無駄遣いというのなら、無論許せるものではないが、有るものを浪費しただけと言えなくもない。しかし、もし未来の分にまで手を伸ばしたとなれば、一体何を盗んだことになるのだろうか。

 

関連投稿: 階級に目覚める (2014/07/07)

悩ましい人

  • 2016.09.20 Tuesday
  • 15:04

先日、民進党の代表選挙で蓮舫氏が代表に選出された。しかしながら、政策論争よりも蓮舫氏の二重国籍問題が話題、争点?になるという何ともスッキリしない結末となった。蓮舫氏と言えば、民主党が政権政党だったときに事業仕訳で一躍時の人となった女性である。スパコン(スーパーコンピューター)開発の案件で、「二番じゃダメなんですか」という発言をして批判の的になった。

 

しかしあの件で、少数意見かもしれないが、個人的に蓮舫氏はいい問題提起をしたと思っている。一番でなきゃダメなんだよ、と周囲の政治家、評論家、専門家の方々にぼろ糞に批難されていたが、スパコンの重要性は前提としても、結局、一番でなきゃダメなことの議論が曖昧なままに終わってしまった。とてもいい議論のチャンスだったと思っていたのだが。

 

そんなことで、じぶんの蓮舫氏に対する印象は悪くはなかった。また、政権を担える政党は複数がいいという個人的な信念に基づいて、前回の衆院選までは民主党に一票を投じてきたのだが、今回の参院選では民進党を外した。民進党の言動が分かりにくいのである。特に今の野党共闘は全く不可解だ。

 

蓮舫氏だが、都知事選では党公認のジャーナリスト候補者の応援で熱弁をふるっていた。立場上応援をせざるを得なかったのかもしれないが、結果的にお粗末なジャーナリスト候補者を強く支持してしまったことへの責任は感じないのだろかと不思議に思った。そして、今回の代表選である。

 

詳細は分からないが、本来そんなに大騒ぎしなくてもよい案件ではなかったのかと思う。野党第一党の党首を目指すにあたり二重国籍を解消しておくぐらいの問題で、メディアで大騒ぎするほどのものではないだろうと思っていた。しかし、断片的な情報なのだが、蓮舫氏の過去の言動などを考え合わせると、どうも本人のウッカリ問題だけではないのではないかという疑問が生じてくる。

 

何かイヤな感じなのだが、蓮舫氏とあの都知事候補者のイメージがダブってくる。まさか似たもの同士ということはないと願いたいが ” 不誠実な ” という形容詞が見え隠れする。参院選では圧倒的な強さを証明してみせた。さらに党代表選でも大差の勝利という結果になった。しかしながら、女性の魅力とは何の関係もないのだが、何とも ” 悩ましい人 ” である。

 

関連投稿: スーパーコンピューター「京」が世界一に (2011/11/16)
      2位じゃだめなんですか? 発言復活 (2011/06/21)

 

 

 

 

 

NHK問題、と大橋巨泉氏の遺言

  • 2016.09.03 Saturday
  • 21:23

ワンセグ付きの携帯電話を所有する人がNHK受信料の契約を結ぶ義務があるかどうかを争った訴訟で、さいたま地裁が先月26日、契約義務がないとの判断を示した。これを受け 、 高市総務大臣は閣議のあとの記者会見で、総務省としては受信契約締結義務の対象と考えるとの見解を表明した。さらに、政府関係筋では義務化を検討しているというのだから、さてさてこの案件は何処へいくのやら。しかし、じぶんはこれを機会に大いに議論が高まる(揉める)事を願っている。

 

個人的には昨年の11月にケーブルTVを解約し、TV放送が受信できない状況なのでNHKも解約をした。私見だが、NHKは解体して国営化・民営化を考えた方が良いのではないかと思っている。この事は置くとしても、NHKに関しては問題山積みではないだろうか。一般的にNHKは空気のような存在になってしまっており、我々はあまりにもその実情を知らなさすぎた。これを機会にちょっと立ち止まってNHKの持つ意義を考えてみるべきだろう。

 

今回の法務大臣の表明が必ずしもNHKの支援になるとは限らないと思う。NHKにとって、結果として墓穴を掘るハメになるかもしれないのである。西欧の例にならってというような意見もあるようだが、例に倣うのではなく例を作るぐらいの心構えが欲しい。先の都知事選に出馬した立花孝志氏の活動なども参考になる。 → http://nhkkara.jp/ 

 

7月に亡くなった大橋巨泉氏(82)が、 20年近く続けてきた「週刊現代」(講談社)の 連載コラム「今週の遺言」の最終回の原稿が、

 「今のボクにはこれ以上の体力も気力もありません。だが今も恐ろしい事や情けない事、恥知らずな事が連日報道されている。書きたい事や言いたい事は山ほどあるのだが、許して下さい。しかしこのままでは死んでも死にきれないので、最後の遺言として一つだけは書いておきたい。安倍晋三の野望は恐ろしいものです。選挙民をナメている安倍晋三に一泡吹かせて下さい。7月の参院選挙、野党に投票して下さい。最後のお願いです」 だったという。

 

しかし、全く個人的な思いだが、巨泉氏は長くTV業界で活躍され影響力もある方だったと考えられるので、出来れば最後の原稿は『TV業界に一言 』のようなものであって欲しかったと思わずにはいられない。 巨泉氏はNHKをどのように認識していたのだろうか。実際に遺されたメッセージは、残念ながらじぶんには何も伝わってこない。これが氏の終活のエンディングだ思うと何とも侘しい想いが残る。

 

関連投稿: これって少数意見?? (201602/07)

都知事選が始まったが

  • 2016.07.16 Saturday
  • 15:38

都知事選がスタートした。ローカル在住なので選挙権はないのだが、やはり首都の知事となれば気にかかる。今回は21名の立候補者(NHK選挙情報)がいるというから凄い。しかしながら、やはり党推薦とその周囲の人物が有力候補者と言えるのだろう。

 

その中で気になる人物が野党推薦ジャーナリストのT氏である。大変申し訳ないのだが ”何をしたいのかサッパリ分からない人” なのである。立候補会見でのボケ振りが話題になっているが、 立候補の真の動機?を考えれば、参院選に出るべきではなかったのかと単純に思ってしまう。参院選の結果を憂いて都知事選に出るというのはどう考えても腑に落ちない。やはりウラを考えてしまう。

 

T氏はキャリア、そして外見からも善人?であることは万人が認めるところであろう。しかしながら、その言動が不可解に見えてしまうのは如何ともし難い。先の安保法制における委員会での意見供述では、「どうして(中国が)日本を攻めてくるんですか」と語って(居直って)いた。しかし、攻めるか否かはこちら側ではなく先方(例えば中国)の要件であろう。

 

かつて、じぶんが子どもの頃の田舎は鍵をかけない家が多かった。先輩T氏の子どもの頃もそうであったろう。しかし、今そんな生活は考えられない。ローカル在住だが、今、夜に鍵をかけないで寝る度胸はない。残念なことだが、やはり変な人が増えているように思うからである。用心に越したことはない。基本的に、安全保障問題も同様なのではないか。

 

安全保障に関わることをこちらの一方的な願望で整理しても始まらない。こちらの願い通りになるように画策/努力することは意味あることではあるが、それを大前提に国の組織、法制を構えてしまうのはやはり問題だろう。アンチ政権であることは諾としても、そうであれば一般の人々が理解しやすい対案を提示すべきではないか。

 

そういう意味で、いわゆる「左」側の視座からのイメージが伝わり難いというのは大変残念なことである。それにしても、都知事選において安保(憲法)問題は二の次三の次の案件ではないのかと思えるのだが・・・。

リオ五輪が迫っているが

  • 2016.05.13 Friday
  • 17:39
今年の8月に開幕するリオ五輪が間近になってきている。しかし世間でもマスコミでもあまり話題になっていない。podcastでリオ五輪を話題にしていた国際政治学者の話を聞いた。今ブラジルは大変な状況らしい。地球の裏側で遠いということもあるが、大統領が弾劾裁判でオリンピックの式典に参列できないかもしれないなどのニュースがあっても何か他所事という感覚が強い。
リオ五輪
しかし現実にオリンピックが開催され選手団が派遣されるのだからと政治学者は言う。もともと決して治安が良いとは言えない社会なのだがますます悪化していて、さらに交通機関/インフラも不安定な状況なのだという。今までのオリンピックと同様に考えることはできない。選手を派遣する組織は事前準備(治安・食事・健康など)をしっかりとしなければならないと政治学者は警告する。

経費などを理由に聖火ランナー支援を拒否する自治体もあるというのだから前代未聞のオリンピックである。 個人的にはそもそも現代オリンピックに懐疑的なのだが、間近に迫ったリオ五輪の現状を見聞きすると、やはり現代オリンピックは曲がり角にきているのではないかと切実に思う。

しかし四年後に東京で開催されると考えると他人事ではない。 この国でも選手によるギャンブルが問題として取りざたされている。 リオ五輪がどのような結末になるかは東京五輪に影響を与えるに違いない。リオの結果しだいでは東京五輪は仕切り直し五輪の役割を担わなくてはならなくなるかもしれない。
東京五輪
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