進化し続ける益子焼き

  • 2017.05.03 Wednesday
  • 21:20

今年のGWも半ば、というよりも今日からがメインか。1日と2日はGWの中休みという感じで行楽地も空いているかもしれないと思い、天気晴朗の昨日、3年ぶりに益子春の陶器市に出かけてみた。最近は国道4号バイパスも車線が増えて走行に快適で、信号が無ければ高速道路かと見紛うばかり。実際、高速道路と同じような走行をしている車が多い。

 

今やスピード抑制走行(法定速度遵守)?が普通になったじぶんでも二時間ほどで益子に到着。この時期は渋滞必至の県道もすんなりだったが、会場近くまでくるとさすがに車列の滞りが見られるようになった。今回は、会場の中心からちょっと離れた窯元の駐車場に車を駐め、歩いて中心地に向かうことにした。

 

これは初めての試みだったのだが、爽やかな五月晴れの日だったので気持ちよく歩くことができて、15分ほどで会場中心に着くことができた。3年ぶりということで、またいつもと異なる方向から歩いて会場に向かったこともあり、今回は何か新鮮な感覚を覚えた。

 

いつの頃からか、益子で働く外国人陶芸家も多くなり、さらに陶器市には益子以外地域からの作品が展示されるテントも増えて、30年ほど前から比べるとずいぶんと華やかなイベントになってきたという印象があった。

 

今回、特に強く印象に残ったのはLISA  LARSON の展示コーナーである。近頃は異色の作家の異色の作品展示にも慣れていたのだが、LISA  LARSONの展示には今までとは異なる雰囲気を感じたのである。

http://lisalarson.jp/
mashiko_lisa/

 

最初目についたのはポスターのネコのイラストである。このキャラは良く見かけるよとの家人の話に、そう言えばどっかで見たことのあるようなと思った。じぶんが知らないだけで、有名な作家だったのである。しかし、そのメジャーな外国の陶芸家の作品がなぜ益子の陶器市に?。

 

パンフレットに、”今年の春も、益子陶器市にリサ・ラーソンが出展!” と記されていたので、初めてではないらしい。

 

しかも、ポスターに「りさや」とあり、またその作品群が洗練されたバラエティにとんだものであり、頭の中が???の状態になった。これらの作品はどこの土で作られ?、どこで焼かれたもの?。

 

「りさや」のウェッブサイトで少しばかり分かってきた。陶芸家リサ・ラーソンと益子焼きとの縁は1970年の大阪万博で人間国宝・濱田庄司との出会いからというので驚いた。長い歴史があった。これら作品のなかには益子で作られたものもあるということだろう?。

 

歳の所為か、最近、じぶんもリサ・ラーソンの作品のようなカワイイものに弱くなってきた。それにしても、その善し悪しは別として、益子焼きもずいぶんとイメージが変わってきたものだ。どんな文化もそうなのだろうが、益子の陶器市も期待と懸念が入り交じった新しい雰囲気のイベントになってきたような気がした。

ジャズが戻ってきた!!

  • 2017.03.26 Sunday
  • 14:48

年が明けてからさらに傾向が強まったのだが、家にいる時は居間のTV(TVスティックに接続)でyoutubeのジャズを流していることが多くなった。半世紀前に高校を卒業して、一年遊んでしまったのだが、専門学校に行くために田舎から上京した。まもなく、友人がアルバイトをしていたジャズ喫茶がキッカケとなりモダンジャズを聴くようになる。

 

店のオーナーの嗜好だったと思うのだがよくコルトレーンが流れており、田舎の子にとっては妙な音楽だなと思いながらも、徐々にその不思議な魅力に惹かれていった。二十代の初めから終わりに結婚するまで、モダンジャズはじぶんの生活の中で大きな比重を占めるようになっていた。当時はLPレコードだったがレコード店を覗くのが楽しみの一つだった。

 

 

LPレコードは当時二千円前後、じぶんにとって安価なものではなかったので買えるのは限られており、二十代に買ったLPレコードは全部で100枚程度だったと思う。コレクターの部類には全く入らない程度のものだ。LPレコードの購入は限られ、その代わりに新宿、渋谷のジャズ喫茶によく通った。ドリンク一杯で二〜三時間を過ごす。

 

後に新宿のピットインなど、生演奏のジャズクラブにも行くようになった。年に一、二回は大会場のコンサートにも出かけた。しかしジャズ喫茶もジャズクラブも出かけるのは一人だった。知人と一緒だったのはほんの数えるほどの記憶しかない。一人で飲むことはなかったが、ジャズはほとんどアローンだったのである。読書に近い行為だったのではなかったかという気がする。

 

二十九で結婚した。今思えばこの頃からジャズ離れが始まり、子どもが生まれてそれが加速する。それからずっとジャズとは縁の薄い生活が続く。立ち寄った施設のBGMでジャズが流れていたりするとちょっと聞き耳をたてたり、ショップでジャズのCDを見つけ思い出したように買ってみたりしたが、気持ちを入れて聴くことはなかった。

 

それが、youtubeで音楽を視聴できることを知り、初めはPCでBGMとして使うようになった。さらにTVスティックを接続してからは使い易さが向上し、いろんな音楽コンテンツを試してみるようになった。アマゾンによればyoutubeでは数百万の音楽コンテンツが利用できるという。

 

そして、ジャズを検索して驚いた。昔聴いたLPアルバムやら、色んなジャズフェスティバル、コンサートの録画やらが満載なのである。これらのジャズを聴き始めて再発見したのは、イージーリスニング曲より本格的に演奏しているハードな曲の方がじぶんにとってはBGMに向いているということである。

 

 

ジャズ、特にバップ以降のものがいいのだが、今、じぶん一人の空間を満たすにはジャズが最適であることが分かった。何かをしながら聞くのにピッタリなのだ。読書、作業のジャマにならない。むしろ何らかのパワー?がもらえる感覚がある。しかも不思議なのは、BGMとして流しておきながら曲に集中しようと思えばそれが可能で、またBGMに戻せるのである。じぶんにとって他にこんなジャンルは見当たらない。

 

ジャズが戻ってきた!!

 

とは言え、これは螺旋の戻りで二次元で同じ位置でも三次元では異なるの例え、二十代のじぶんと今のじぶんが同じの道理はなく、この後にジャズから受ける生理的、心理的影響もあの頃とは随分と異なるのではないかと考えている。これから先どうなるのかは皆目見当がつかない。

 

三日ほど前から、マイカーのオーディオHDに手持ちのジャズCDのセーブを始めた。しかし手持ちは十枚ほどしかないので、後はレンタルCDである程度の枚数をセーブしようと考えている。マイカーがジャズ喫茶になる。二十代の独身時代には持てなかった環境だ。老後は芸術性と宗教性が頼りなのだ、と又じぶんに言い聞かせる。

 

関連投稿: タモリと戦後ニッポン、と私 (2016/02/29)
           好きな音楽と絵 (2012/04/10)

夜・間・飛・行

  • 2017.03.21 Tuesday
  • 21:02

サン=テグジュペリ著(堀口大學訳)『夜間飛行』(新潮文庫)

 

文学に不慣れなじぶんが、 古稀にならんとする歳になって、一人の飛行家の生きざまに興味を持って『夜間飛行』を読み始めた。本書には著者の処女作『南方郵便機』も併せて掲載されている。『南方郵便機』が1929年、『夜間飛行』が1931年の作品で、翻訳本が昭和31年(1956年)の発行というので、堀口大學の名訳と言われる作品ではあるが読むのに難儀した。

 

難儀したと言っても、それで読むのが嫌になったということはなかった。ただ、じぶんの語彙の未熟さを思い知る体験となってしまった。この歳でこんな体験をするのも何だが、それでも言葉(言語)の奥深さを改めて認識することになった。作家サン=テグジュぺリを知ってから未だ半年も経っていない。また、飛行家サン=テグジュぺリについてもほとんど無知であることを知った。尚のこと、作家/飛行家サン=テグジュぺリについてはゼロベースである。

 

『夜間飛行』『南方郵便機』共に読み切れていない。今回は、文学というより、空飛ぶ機械の黎明期に一万キロに及ぶ郵便航空路が事業展開されていたという事実を記した記録書として注目、さらにその内容に困惑している。ライト兄弟が有人動力飛行に成功したのは1903年である。そして1914年から始まった第一次大戦に早々と兵器として登場する。この速い展開も驚きだが、じぶんが今知りつつある、大戦後の郵便機の冒険的な進展もまた驚異的と言わざるを得ない。

 

郵便機の操縦士を実体験した著者サン=テグジュぺリによる文学的な飛行の表現は今まで知らなかったものだ。何せヒコーキに興味を持ったのが中学生の頃からで、第二次大戦の軍用機からであり、読んだ操縦士の体験記が坂井三郎の『大空のサムライ』と言うのだから文学の香りのしない世界だ。そう意味で、作家/飛行家サン=テグジュぺリは老いたじぶんにとって希有な存在になりそうな気配を感じている。

 

じぶんは読み物と言えばノンフィクション偏重の人生だった。ただ年齢?と共にエモーショナルな要因の重みを思うようになり、昨年、数学者・岡潔の著書で「数学は感情を入れなければ成り立たぬ」という表現を読んだとき、僭越ながら我が意を得たりと思ったものだ。そして人生の晩秋を迎えようとする今、芸術性と宗教性がじぶんと余生の鎹(かすがい)になるような気がしている。

 

『夜間飛行』は、若い頃に読めばまた違った印象を持ったのかもしれないが、何ともやるせない気持に苛まれる作品だ。フランスの著名な作家アンドレ・ジッドの序文、訳者 堀口大學のあとがき、そしてフランス文学者 山崎庸一郎の解説は本書を理解?するに重要なメッセージに思えるのだが。しかし、じぶんが残された時間でこれらのメッセージを真に理解できるようになれるかどうかは判らない。

 

 恐怖は死と直面したときにあるのではない。僕はこれまでに、四度死にかけたが、一度も恐怖は起こらなかった。こう言うと、僕には決して恐怖はないように聞こえるかもしれないが、実はそれどころが、僕はたびたび恐怖に襲われる。(サン=テグジュベリ)

 

サン=テグジュぺリの生立ちと、時代背景が関連するのかもしれないが、彼の心性が武士(騎士)であったと言うのは達観かもしれない。『夜間飛行』の冷徹な?主人公リヴィエールも、パタゴニアからの飛行中遭遇した暴風雨の中に見えた切れ目に陥穽(落し穴)と知りつつ機を上昇させた操縦士ファビアンも、著者サン=テグジュぺリの分身であろうと推測できる。

 

嵐の中で格闘するファビアンの描写は想像を絶する。まだ黎明期の飛行機である。現代人の常識では未だ事業化できるような代物ではないと考えるのが普通だ。そんな飛行機で夜間に嵐の中を飛行するのである。正気の沙汰とは思えない。しかしながら歴史的な事実なのである。そして、それを支えていたのが主人公リヴィエール、操縦士ファビアン、会社の関係者、そして家族たちの心性だったのである。

 

 僕は七歳の時から、ものを書いてきた。飛行機が僕に筆を執らせたのでは決してない。僕は信じている、自分がもし炭鉱夫だったら、必ず地下に人生の教訓を掘り出そうと努力したであろうと。これもすでに幾度も言ったことだが、僕にあっては、飛行機は決して目的ではなくて手段だ。自分を創り上げる手段だ。農夫が鍬を用いて田畑を耕すように、僕は飛行機を用いて自分を耕すのだ。(サン=テグジュベリ)

 

サン=テグジュぺリが生きた時代と現代の間には半世紀以上の開きがある。この差を大きいと見るか否かは見解に相違のあるところだろうが、個人的にはそんなに遠くの出来事とは思えない。じぶんの祖父の世代である。持て余すほどには残されていないじぶんの余生、サン=テグジュぺリのおかげで多少文学の香りのする生活が期待できるかもしれない。そして、これは僥倖としか言いようがないではないか。

 


 

夜間飛行

昭和31年 新潮社発行

平成28年 九十七刷(amazon

 

著者 サン=テグジュペリ(1900−1944)

名門貴族の子弟としてフランス・リヨンに生まれる。海軍兵学校の受験に失敗後、兵役で航空隊に入る。除隊後、航空会社の路線パイロットとなり、多くの冒険を経験。その後様々な形で飛びながら、1928年に処女作『南方郵便機』、以後『夜間飛行』(フェミナ賞)、『人間の土地』(アカデミー・フランセーズ賞)、『戦う操縦士』『星の王子さま』等を発表、行動主義文学の作家として活躍した。第二次大戦時、偵察機の搭乗員として困難な出撃を重ね、’44年コルシカ島の基地を発進したまま帰還せず。

 

訳者 堀口大學(1892−1981)

東京・本郷生まれ。詩人、仏文学者。慶應義塾大学を中退し、10数年間外国で暮らす。『月光とピエロ』に始まる創作詩作や、訳詩集『月下の一群』等の名翻訳により、昭和の詩壇、文壇に多大な影響を与えた。’79年文化勲章受章。

シン・アニメ!

  • 2016.11.30 Wednesday
  • 19:45

いつも利用しているシネマで、26日からアニメ映画『この世界の片隅に』が公開されていることが分かり、さっそく観に行ってきた。しばらくして家人の感想は「不思議な映画だね」だった。確かに今まであまり見なかったアニメ作品だったように思う。素人の感想だが、ジブリの高畑 勲監督の作風と共通なものも感じられる。しかし、その制作手法は異質なものにも思える。

 

http://konosekai.jp/

 

クラウドファンディングで制作されたということなので十分な予算があったとは思えない。作画の経費も抑えなけれならなかったろうし、昨今のアニメ作品に比べ人物の表情描写が乏しいのはやむを得ない。しかし、このことがさほど気にならないほど、ストーリーも含めその制作は満足できるものだ。

 

昨今のリアリティーを目指すアニメ映画も嫌いではない。しかし、こういう表現方法も有りなのだとつくづく思った。最新技術を駆使して製作した絵本、紙芝居というような喩えもあるかもしれない。太平洋戦争の時代だが、主人公すずは十九で嫁に行く。祝言もそこそこに翌日の朝早くから家事に精を出す。そんな時代だったことを思い出す。戦後生まれのじぶんでも子どもの頃はそんな名残があったことを憶えている。

 

自他共に認めるちょっとボーっとしている主人公すずだが、小さいころから絵が好きで日記のように絵を描いている。そして、この主人公の特技がこの映画の描写の中で重要な役割を果たしていく。アニメの中の「絵」がこんなに面白い効果をもたらすものとは思いもしなかった。

 

門外漢だが、日本芸能である能は言うまでもなく、歌舞伎、人形浄瑠璃も見た目のリアリティーよりも印象的な表現方法に特徴があると思う。この作品もそんな制作手法が取られているように思えてならない。実写版『この世界の片隅に』はあり得るのだろうか???。個人的にはファンタジー的なアニメが好みなのだが、『この世界の片隅に』はアニメ(映画)として注目すべき作品になっていると思う。

映画に求めるもの

  • 2016.11.21 Monday
  • 15:34

映画『続・深夜食堂』

http://www.toei.co.jp/movie/details/1207519_951.html

 

先日、家人に請われて映画『続・深夜食堂』を観てきた。感想を聞かれて、「悪くはないけど、元気が出ないね」と答えた。確かに人情物語で温かい感じは伝わってくるのだが、個人的には積極的に観なくてもいいかなというのが印象だ。小さめの上映室だったのだが、観客は十人に充たないシニアだけだった。

寂しい (>_<)

 

 

「続」が付いているので第二弾ということになる。家人も含めそれなりにファンがいるということだ。コミックが原作のようだが原作も同じ印象なのかどうかは知らない。独身の頃こんな店に通っていたことがある。もっとも、深夜からではなく深夜までの店で、マスターではなくママのいる店だった。的屋組織の幹部の人から名刺をもらうというような体験はしたが、映画に登場するような強烈な個性の客はいなかった。

 

こういう作品で癒される人たちもいるのだろうと想像はするが、この歳になると沈んだ雰囲気のままで終わるような物語はつらい。TVドラマを観なくなってから久しい。と言いつつ『下町ロケット』は観たが。さらに映画を観る回数は年に片手がいいところ。そして、役者を売りにするような作品は好まないので、邦画より洋画、そしてアニメを観ることが多くなる。

 

こんなじぶんなので全く評論などはおこがましく、じぶんの好みしか表現できない。どっちかと言えば、シリアスなものよりファンタジーっぽいのが好きなのである。初めっから「あり得ねー」度が高めの作品がいい。これはテーマ、ストーリーもさることながら作り方にもよるのではないか。『続・深夜食堂』と同じ傾向の作品?と言えるのかもしれないが『三丁目の夕日』は好きである。こっちは元気がもらえる感じがある。

 

昨夜、ネットでアニメ『この世界の片隅に』(http://konosekai.jp/)の予告版を見つけた。クラウドファンディングで制作費を賄った作品だという。興味津々で見てみたいと思ったのだが、いつも利用するシネマコンプレックスではやっていないので、どうしようかと思っている。

久石譲を語ってみたいと・・・

  • 2016.10.28 Friday
  • 17:33

一人の夜、youtubeで ”ジブリ、チェロ” と検索したら検索コンテンツの中に「久石譲 in 武道館」が出てきた。2008年に公演されたものだがその内容は圧倒的だった。元来ジブリ好きなので久石譲氏の作品はサウンドトラックでお馴染みである。しかし、改めてコンサートとして演奏された楽曲は新たに再生したものに感じらるほど感動的だった。

 

 

しばらくして、「NHKワールドTV」の久石譲氏を紹介する番組でも同じコンサート画像が流れていた。久石氏は1950年生まれなので三歳下になるが、まあほぼ同世代と言っても差し支えない?かもしれない。じぶんにとって、『風の谷のナウシカ』がジブリ(宮崎駿氏)、そして久石譲氏との出合いの場となった。『風の谷のナウシカ』は1984年の作品というから32年前になる。久石氏は34歳、じぶんも37歳だったわけだ。う〜ん、若い!!。

 

「NHKワールドTV」のインタビューで久石氏が語っていた言葉が耳に残る。

「宮崎駿作品の仕事は四年に一回のオリンピックに挑戦する選手のような気分だった」  

「自分は全くドメスティックに深く掘るスタイルで仕事をしてきた。それが今、外国でコンサートやっても大勢の人たちが聴きにくてくれる。結果がインターナショナルだっだんですね」

 

近頃は常にグローバル、グローバルと叫ぶ声が大きく、ドメスティックがマイナス・イメージに固定されてしまった感がある。しかし久石氏の実績と言葉を思うと、果たしてそうなのかと考え直してもよいのではないだろうかと思う。

 

ウィキペディアによると、

「グローバル」と「インターナショナル」、「グローバリゼーション」と「インターナショナリゼーション(国際化)」という語は、意味する範囲が異なる。「インターナショナリゼーション」は「国家間」で生じる現象であるのに対して、「グローバリゼーション」は「地球規模」で生じるものであり、国境の存在の有無という点で区別される、とある。(「グローバリゼーション」→wikipedia

 

上記解釈によるとすると、今騒がれているグローバリゼーション(グローバル化)の意味がなおさら分からなくなる。経済も文化も国境が無い地球規模で存在することを目指す、というのは分かるようで終に分からない。もしこの具体的な実例が、 タックス・ヘイヴンの地に本社を置くというようなことだとすると、これはもう何とも次元の低い思想だと考えるのは間違いだろうか。

 

ガラパゴスということも叫ばれた。これもマイナス・イメージで使われる。しかし、これも過大に批判しすぎると元の木阿弥になりかねない。そもそも、現実にグローバルなものは天気など自然現象であって、社会的なものはドメスティックが基本ではないのか?。そして、強くグローバルを叫ぶのは何か魂胆があってのことではないのかと疑ってしまう。

 

これからも、コンポーザー・久石譲にはますます深く掘り下げて欲しいものだと思う。この地も深く堀抜けばアースを突き抜けてユニバーサルに至るのである。

アニメとファンタジー

  • 2016.10.03 Monday
  • 21:20

映画『君の名は。』を観てきた。8月に封切りになって好評判だというのは聞いていたのだが、我ら世代は「君の名は」と聞くと50年代の菊田一夫のラジオ番組を思い起こしてしまい、どんな作品?、ヒロインは誰?とか思いはしたが、特にストーリーに興味は覚えなかった。しかし、後で新海誠監督のアニメ作品と知り気になりだした。

 

新海監督(wikipedia)は、いつだったかネットでアニメ『星を追うこども』を見たときに知った。それははジブリ作品(宮崎駿)の影響を強く感じるアニメ作品だった。しかし、それはアニメ監督・宮崎駿へのリスペクトの故だと想い、じぶんには好印象がのこった。

 

http://www.kiminona.com/index.html

 

平日だったので入りは五割程度だったろうか。驚いたのはシニア世代と思われる人たちが多かったことである。暇?ということもあるかもししれないが、まさか「君の名は」を勘違いした?ということはないだろう。じぶんもシクスティズ最後の年を生きる充分すぎるシニアなのだが、もともとアニメ好きという言い訳?がたつ。しかし、御同輩たちの動機がちょっと気にかかる。

 

ラストに向けてのシーンは、感性が鈍ってきているじぶんにも、評価通り確かにちょっとジーンとくる。高校生ぐらいの若い世代ならより感動的なシーンとして捉えられるのかもしれない。全体的に印象的なのは、これも評判通りなのだが背景画がリアルで(と言っていいのか、ちょっと戸惑いを感じるが)綺麗なのである。これは監督の拘り(作風)であるらしい。街も自然も活き活きと描かれている。

 

メインのストーリーだが、やはりSFファンタジーだろうと思っていた。地方の女子高生(三葉)と東京の男子高校生(瀧)の人格が入替わるというはなし。人格入替わりのはなしは前にもどっかで聞いたことがある。今、現在のこの国の社会が舞台となっており、二人の今風高校生のごくごく当たり前の生活がコミカルに描かれていく。

 

この生活が、ある彗星の接近を境に徐々にクライマックスに向けて大きく変化を遂げる。二人が自分たちの入れ替わりが夢ではなく現実であることを悟ってから、しばらくして、入れ替わりが止まる。このことが気になりだした瀧は入れ替わったときの記憶を頼りに三葉を探す旅に出る。そして、驚愕の事実に直面することになる。

 

三葉の故郷の町は3年前の彗星の直撃を受けて町が全滅?していたのである。この辺りから物語の時間軸の変化が激しくなり爺の頭では付いていくのが困難になった。しかし、はなしが二転三転して結局、町の人々のほとんどは助かったという世界に戻る。これはパラレルワールドのはなしだろうか?、と取り敢えずじぶんを納得させる。

 

この解釈は監督の構想とは別モノかもしれないが、今のじぶんにはそれほど重要ではない。むしろ、前述したようにこれは本当にSFファンタジーなのかと疑い始めている。映画の始まりに、彗星が割れて光の塊が地上に落下していく映像がある。後半に、これが三葉の故郷の町を直撃する彗星だと判明するのだが、この衝突のシーンがとても恐ろしく感じられたのである。

 

じぶんにとってファンタジーとは、どんなに啓蒙的な内容であったとしても、初めからフィクションだという前提がある。子どもの絵本のようなものである。しかし、この作品は背景、生活の描写があまりにもリアルで、今じぶんの身の回りで実際に起きている現実だと感じさせるような気力を持っている。しかし、どんなにリアリティがあったとしても、人格の入替わりとかタイム・トリップのストーリーが挿入された途端にSF化するというのが一般的な考えだろう。

 

現代の最先端の粒子力学の世界はほとんど「不思議の国アリス」ワールドである。粒子力学の緒仮説を証明するための実験施設を考えてみればいい。 欧州合同原子核研究機構(CERN)の円形の大型ハドロン衝突型加速器(LHC)は山手線がそのまま地下に埋められたような規模の施設である。陽子を光の速度近くまで加速して衝突させて、そのエネルギーで宇宙創世期の頃の時空を一瞬出現させ、誕生・消滅する素粒子を追うという実験である。

 

 

その世界と、本作品の入替わり・タイム・トリップの世界はどれほどの違いがあるのだろうか。じぶんには同じようなものではないかと思えてしまう。じぶんの頭はファンタジーと捉えようとしたが、身体は別のことを感じていたという表現もできる。この映画を見終えた時、妙に身体が緊張していて疲れの気分が残ったことを思い出す。

 

新海誠監督、そして『サマーウォーズ』『おおかみこどもの雨と雪』の細田守監督は才能あるアニメ作家・監督だと思う。宮崎駿監督のアニメ作品を楽しみにしてきたじぶんにとって、これから期待を寄せるアーティストである。そう言えば、両監督とも今のリアル社会を物語のベースにしている作品が多い。それ故にファンタジーとは必ずしも親和性があるとは言い難い面があるのかもしれない。

 

しかし、現実の世界情勢を見ると、怪しげな雲が広がりつつあるような状況が感じられて不安に思うことが増してきている。こんな状況だからこそ、『君の名は。』のような作品を問うことに意味があるのかもしれないとも思う。正直言うと、じぶんにはあの彗星衝突の映像が原爆投下の映像とダブって見えてしまったのである。

 

それでも両監督には、いつか、老いも若きも男も女もどっぷりファンタジーの世界に浸れるような作品を期待します!!

ロックサウンドの魔力!!

  • 2016.05.10 Tuesday
  • 10:46
昨夜、youtubeで今話題のアイドルグループ?であるBABYMETAL(wikipedia)を覗いた。heavymetalと日本のアイドルグループとのコラボと言ってしまえばそうなのだが、何とも不思議なテーストのグループである。ハードなロックのサウンドとアイドル系女子の声、本来はミスマッチなのだが舞台作り・映像制作と相まってファンタジーっぽいショーになっている。



何本目かの映像でBABYMETALとX−JAPANと共演のものがあり、こんなプロデュースもあるのかと注目した。じぶんは人生の中でロックど真ん中の音楽とはほとんど無縁で生きてきた。しかし、いろんな日本のロックグループの中では、コンサートに行ったりCDを買ったりしたことはないが、X−JAPANの持っている音楽性は好きだった。

関心が X−JAPAN に移り X JAPAN World Tour, Live in Tokyo 2009.5.3 を見つけた。

 

視聴している間にどんどん惹きつけられていった。ビデオは4時間あったので初めっから全部は無理と思っていたが深夜までに半分を視聴した。夜中にひとりX−JAPANを観ているジイさんというのも異様に映るだろうが、6月でシクスティナインを迎えるじぶんの中にまだこんなパフォーマンスに惹かれる部分が残されていることに気づいて自分自身で本当に驚いた。

XJAPAN若い頃はモダンジャズ・クラブ、コンサートに出かけたものだがロックコンサートの雰囲気というものを味わったことがない。どちらにしても、コンサート空間は非日常性を作り出すための装置であり仕掛けであると言える。

マイAVシステム?はノートPCをHDMIでTVにつなぎTVの音響を利用している。じぶんの位置からはこんな感じに手元にPC画面、奥にTV画面が見える。狙ったわけではないのだが非日常的空間?を醸し出してくれる。

これも一役買っているのかもしれないが、昨夜は X JAPAN World Tour, Live in Tokyo 2009.5.3 の映像と音にしばし酔った。愉しく刺激的な映像作品だった。 ももいろクローバーZ に嵌っているいい歳のオジさんたちがいると聞く。じぶんもちょっと BABYMETAL のチェックを続けてみようかな(?)。若返りを期待はしないが、人生の下り坂を降りるための足腰を支えるビタミン剤にはなってくれるかもしれない。

タモリと戦後ニッポン、と私

  • 2016.02.29 Monday
  • 20:34
近藤正高著『タモリと戦後日本』(講談社)

武田鉄矢「今朝の三枚おろし」で取り上げられていた本で、面白そうだったので近藤正高著『タモリと戦後ニッポン』買って読んでみた。とても興味深く懐かしい感じがする内容の本だった。タモリは1945年生まれで、じぶんは1947年生まれ、同じ戦争を知らない子どもたちの世代だ。著者は、終戦の一週間後に生まれたタモリに戦後日本を重ね、戦後日本の文化の一面をえがこうとしている(と思う)。しかし、じぶんは今まで知らなかったタモリの側面に強く惹かれた。

以前からある程度の認識があったことだが、本書を通して、じぶんが、青春時代の一時期に、タモリの足跡に近いところをウロウロしていた頃があったことを改めて認識した。じぶんは、タモリこと森田一義氏の芸能界デビューに、ジャズピアニスト山下洋輔氏が強く関わっていたこと、そしてそれに関わる逸話も知っている。しかし、今回、本書によってその詳細とニュアンスの異なる幾つかのストーリーが存在することも初めて知った。

その逸話とは、1972年公演のため福岡を訪れていた山下洋輔トリオが、公演後にホテルで飲んで大騒ぎしていたところに、突如一人の男(実はタモリ)が現れて、フジ製の椅子(かゴミ箱)をかぶって踊っていた中村誠一(サックス奏者)に近より、彼の頭からかぶり物を奪い取り自ら被って踊り出し、明け方まで中村誠一とデタラメ外国語の応酬をしたという話だ。あまりの面白さに、山下洋輔がベッドから転げ落ちたというオチがつく。

早稲田大学に入学したタモリはモダンジャズ研究会に入る。初めは演奏者を目指していたらしいが、実力的に無理と断念し、後にマネージャー兼司会に転向する。しかし、これがはまり役で大活躍?の大学生活となる。この当たりから既に ” 奇人ブリ ” を発揮していたらしい。タモリがモダンジャズ研究会で活躍していたころ、じぶんはエンジニアを目指して都立の工科系短大に居た。タモリは高校時代にジャズに目覚めたらしいが、自分は上京してからモダンジャズという音楽を知った。友人がバイトをしていた赤羽の喫茶店でコルトレーンなどを聞いたのが最初だった。

タモリは、4年の大学生活の後、授業料未納で大学を除籍となり福岡に戻ることになる。タモリが失意?の中故郷に帰るころ、じぶんは諸事情?によりエンジニアを諦めて就職し、最初の職場がボーリング場だった。奇しくも、タモリも福岡に戻ってから、ある時期、ボーリング場の支配人などもやっていたらしい。ボーリングの最盛期に、タモリもじぶんもボーリング場で働いていたことを思うと不思議な感じがした。そして、じぶんが新宿のジャズ喫茶にマメに通っていたのもこの頃なのである。

本書の中にも、タモリが出入りしていた新宿のジャズ喫茶「DIG」とか「ポニー」等が記載されているが、じぶんも2年ぐらいのタイムラグがあるが、これらのジャズ喫茶に出入りしていた。タモリは、喋らずに静かに聞いていなければならない「DIG」よりも、下品な?「ポニー」の方が好きだったらしい、と本書に記されている。確かに、「DIG」の客は大音響で流されるモダンジャズのサウンドにひれ伏しているような感があったが、「ポニー」の方は普通の喫茶店に近い雰囲気だった。

タモリは、福岡に戻ってから、72年に山下洋輔と劇的な出合いをして、それが縁となりラジオ、テレビで大活躍するようになるのである。じぶんが、新宿の「ピットイン」で山下洋輔トリオを聞きに行くようになった頃は、テナーサックスの中村誠一がアルトサックスの坂田明に替ってからである。坂田明の加入が72年末らしいので、おそらく73年以降なのだろう。じぶんも既に25歳になっている。じぶんの記憶では、もう少し若い頃だったのではないかという気がしていた。

じぶんと山下洋輔との出合いは、タモリと山下洋輔が出合った時期と重なる。もっとも、出合いと言っても、じぶんのは山下洋輔トリオ・アルバムとの出合いである。山下洋輔トリオの生の前にアルバム『木喰』『ミナのセカンドテーマ』に出合っている。タモリの芸能界デビューには山下洋輔だではなく、様々な著名な文化人、業界人らが関わっていたことが本書に詳しく記されている。そして、そのステージとなったのが新宿のスナック「ジャックのマメの木」である。これらは山下洋輔の広い交友関係と、当時の新宿が日本のサブカルチャーのコアの一つであったことの証である。

そんな文化人の中のひとりにSF作家 筒井康隆がいる。 筒井康隆と山下洋輔とは互いに各々の作品のファンであることは周知のことだが、じぶんも同じ頃に両名の作品に出合っているのである。ただ、今となっては、どちらが先だったのかは曖昧である。筒井康隆に触発されて山下洋輔に向ったのか、山下洋輔に触発されて筒井康隆に行ったのか。しかし、筒井康隆の作品はフリージャズのようにハチャメチャで、山下洋輔トリオは筒井康隆SFのようにクレージーだった。

タモリはTV画面から知るのみだった。コメディ好きのじぶんは、やはりその特異な芸風がとても面白いと思った。スタジオアルタから「笑っていいとも!」 が始まると、タモリという名前は全国区になっていく。縁は異なもので、タモリも通ったジャズ喫茶「DIG」はスタジオアルタの裏手にあった。また、おそらくタモリも利用したと想像するが、安くて旨いロールキャベツが売りだった「アカシア」は、「笑っていいとも!」 が始まってからは若手お笑い芸人たちが立ち寄るレストランになったらしい。

この頃になると、じぶんも妻子持ちとなり郊外に住居を構え、新宿界隈は縁遠いものになっていた。同時に、ジャズからも自然と離れていく生活になってなっていく。それでも、出先の施設や店で軽快なジャズがBGMで流れているところに出くわすと、その心地良さにしばし耳を傾けることがあった。しかし、還暦を過ぎてiPodを手に入れてから、また音楽が身近な存在になってきた。そして、3年ほど前iPhoneに替えてからは、ジャズもクラシックもなお一層お手軽なものになった。

「笑っていいとも!」 が終わったとは言え、タモリはリタイアしたわけではない。さらに、ジャズピアニスト山下洋輔はまだまだ現役ど真ん中という感じだ。しかしながら、サラリーマンのような定年はないにしても、タモリも大きな人生の転換期にいることは確かだろう。彼がボーリング場(大分県日田市)の仕事をしていたときに、休みを利用してクルマで一時間ほどの集落に出かけ寺院などの探訪をしていたということなので、若いころから歴史に関心があったのだろう。今も歴史探訪的番組を静かに継続しているが、趣味と実益を兼ねた仕事と言えるのかもしれない。

さて、本書でじぶんが一番に興味を持ったのは、なぜタモリはジャズに惹かれ、山下洋輔に惹かれたのか、あるいは山下がタモリに惹かれたのかということである。タモリは早稲田大学文学部哲学科に入学している。

 高校の倫理社会で、何か偉そうなことをこいとるやつがいるなと。ぼくは能書きが大好きだから、これはこれは能書きばっかりことる学問があるぞ、これはいいなと。何を言っとるのかわからないがと、何だろうこいつはと、ムラムラッとのめりこみたくなるんですね。(PLAYBOY日本版編集部編『プレイボーイ・インタビュー セレクテッド』)

 ぼくが音楽を好きだというのは、意味がないから好きなんですね。(「ほぼ日刊イトイ新聞」)

 今でも、沖縄放送の公開番組とか、コスタリカのDJとか、まったく最初から何だかわかんねぇと、音の響きだけ聞いてるほうが、ぼくはものすごく気持ちがいいし、飽きずに聞いてられるんです。意味が入ってくると、とたんにもうつまらなくなる。(『プレイボーイ・インタビュー セレクテッド』)

本書に紹介されているタモリ本人の弁明はとても興味深い。なぜなら、じぶんが今一番知的な興味をそそられるのが言語体系だからだ。そう言えば、タモリの持ちネタは「四カ国語麻雀」、「ハナモゲラ語」など言葉に関する芸が多い。意味のない言葉はまさに音楽である。モダンジャズ、特に山下洋輔等がやっていたフリージャズなどは音の響きだけが意味を持つコミュニケーション空間である。

タモリは数学は嫌いだったと語っているが、哲学のような能書きは好きだったと言うのだから、根っこでは繋がっているのではないかと、じぶんは思う。じぶんは、若いころから数学、物理などの論理系に興味があった。しかし、そんなじぶんが、なぜモダンジャズ、特に山下洋輔のフリースタイルに惹かれたのか。当時は意識もしなかったが、「音楽の世界とは、クラシックのようなキッチリとデザインされたものと、ジャズのようにカオスを内包したモノの双方で構成されているのではないか」と内心感じていたのかもしれない。

筒井康隆のSF作品もそうだ。筒井康隆は、正気を保っていなければ狂気は書けない、と語っていたように記憶している。ハチャメチャな物語もクレージーな演奏も見た目より難しい。じぶんは当時からそう思っていた。タモリの偽外国語の芸もそうだろう。ベースに哲学(能書き)を語るタモリがいるのである。言葉の意味って何だろう。何でもかんでも言葉(母国語)に翻訳しようとするのは、もしかして間違いではないか。今、そんな想いに捕らわれている。

タモリとは「日本の戦後」そのものだった。著者は、戦後日本の文化を支えた下部構造であるサブカルチャーの象徴としてタモリを捉え、戦後日本を語ろうとしたのだと思う。さりながら、じぶんは、老年期のじぶんと青年期のじぶんが繋がった存在であることを再確認するための情報ネタとして、本書を読んでしまった。
 


タモリタモリと戦後日本

講談社(
amazon



著者 近藤正高

1976年愛知県生まれ。ライター。サブカルチャー紙「クイック・ジャパン」の編集アシスタントを経て1997年よりフリーランス。「ユリイカ」「週刊アスキー」「ビジネスニュース」「エキサイトレビュー」など雑誌やウェブへの執筆多数。著書に『私鉄探検』、『新幹線と日本の半世紀』。現在、ウェブサイト「cakes」にてコラム「一故人」を連載中。

 

デビット・ボウイ逝く

  • 2016.01.16 Saturday
  • 21:18
 デビット・ボウイ死去のニュースが流れた。著名なミュージシャンであることは承知していたが、じぶんと同世代(69歳)であることを初めて知った。映画「戦場のメリークリスマス」ぐらいは認識しているが、彼の楽曲はほとんど分からない。しかし、同世代であることが気になって、ネットで検索してみた。

テビット・ボウイ作品のスタイルとしては、様々なジャンルに挑戦しており、ウィキペディアにもマルチ・ミュージシャンと記されている。

じぶんが青年期に集中的に聴いたのはモダンジャズだった。いわゆるロックスタイルの作品には、この歳まであまり縁がない。団塊世代で田舎育ちのじぶんには馴染まなかったのだろうか。

改めて、どうしてなのだろうと思う。ただ、今、じぶんの個性にちょっとロックのテイストがあったなら・・・などと思ったりする。そして、じぶんの人生がどんな風に変わっていただろうかなどと思いが廻る。

良い悪いではなく、じぶんに理解出来ない作品というものがある。以前から感じているものに尾崎豊の「卒業」(Uta-Net)という歌がある。この歌詞がほとんど理解出来ない。尾崎豊は1965年生まれと言うから、じぶんと比べ18歳も若い。

この歌は中高生の頃を歌ったものと思われる。とすれば、該当するのは1980年代初頭、日本が順調に経済成長を遂げていた時期ではないか。中高生の頃は、心の成長の早い者が体制に過敏に反応したりすることも分からないではない。しかし、この時代の中学・高校という組織が、この歌詞にあるように、こんなに若者にとって窮屈なものであったのかということが理解できないのである。

そういう意味で考えると、まだロック・スピリットの方にシンパシーを覚える。しかも、ロックンローラーの方は古希になってもまだ現役たろうとするわけで・・・。おそらく尾崎のメンタリティはそこまで持たないだろう。尾崎にもロックテイストがあったら良かったのかもしれない。

ボウイ死去のニュースからこんな話になってしまった。
シェキナベイベー(“Shake it up Baby”)!!

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