ベビーブーマー大統領誕生 , Now!

  • 2017.01.21 Saturday
  • 22:14

実業家ドナルド・トランプ氏が第45代アメリカ大統領に就任した。1946年6月生まれと言うから70歳と7ヶ月になる。アメリカのベビーブーマーと言われる世代だ。日本で団塊世代と称される我ら世代と重なる。奇しくも、じぶんは1947年6月生まれなので丁度一歳違いだ。

 

” January 20th 2017, will be remembered as the day the people became the rulers of this nation again. ”

 

選挙期間中から何かと話題を振りまいてきた人物だが、大方の予想に反しヒラリー・クリントンを破って大統領に選任された。以後の世界情勢に与える影響は大であろうと想像される。米国内のみならず、海外でも支持、不支持の声が高まっている。就任時の不支持率も歴史的な数値で、就任式に併せて反対のデモが行われ一部が暴動化した。

 

まだ就任前に選挙活動中の言動だけで、これだけ大騒ぎになるというのは異例のことである。これは世界が激動の時代に入っていくことの象徴と見るべきなのか、正直じぶんには分からない。ただトランプ大統領就任で、個人的に注目するのはじぶんと同世代の男が、場合によっては8年間にも渡る激務に就こうとしているということである。

 

我ら一般人とは財力のみならず体力も比較にならないほど満ち溢れているのかもしれないが、それにしても気になる存在である。選挙に敗れたヒラリー・クリントン氏も1947年10月生まれでじぶんと同じ歳である。また、民主党予備選挙でヒラリー・クリントン氏と争ったバーニー・サンダース氏は何と1941年生まれの75歳である。

 

普通であればまさに引退する年齢で新たな途を目指す。そしてアメリカ市民も彼らに期待を寄せる。就任式の一日を、断片的ではあるがネットの映像で垣間見た。オバマ前大統領夫妻がヘリ「マリーンワン」で国会議事堂から去っていくのを新大統領夫妻が見送る。ハリウッドの洗脳?によるものか、まるで映画の一シーンのような印象を受けてしまう。良きつけ悪しきにつけ、アメリカという国の文化の影響力の大きさを思う。

 

 

世界中の見解の相違の混乱の中、今、じぶんは支持も不支持も好きも嫌いもなく、ただトランプという70歳の一人の男の生き様に注目している。じぶんの生き方の参考になどになるわけはないが、世界中の同世代の男たちに何らかの触発を与えるような存在になってほしいと秘かに願いながら。

 

関連投稿: USAはどこへ (2016/11/09)

サン=テグジュペリを想う

  • 2016.12.28 Wednesday
  • 21:16

箱根「サン=テグジュペリ 星の王子さまミュージアム」

 

先週、箱根の「サン=テグジュペリ 星の王子さまミュージアム」に行ってきた。今年最後のドライブになりそうだ。この秋、紅葉狩りの帰りに関越の寄居PA(上り線)に立ち寄った。ここは日本初のテーマ型パーキングエリア「星の王子さまPA」として有名?だ。この「星の王子さまPA」に立ち寄ったのは二度目だと記憶しているのだが、今回はじぶんにとっては大きな新発見があった。

 

サン=テグジュペリも、「星の王子さま」も誰でも?知っている名称だ。「星の王子さま」はともかくとして、飛行機乗りのサン=テグジュペリはじぶんにとって周知の人物と思っていた。ところが、今回の「星の王子さまPA」立ち寄りで、意外なものを見つけてしまったのである。それは展示してあった飛行機模型である。

 

ヒコーキ好きなら誰でも知っているのだが、それは第二次大戦のアメリカの戦闘機P38(実際は偵察型のF-5B)だったのである。その時は、サン=テグジュペリがテーマのPAなのだから飛行機模型の展示は分かるが、飛行機なら何でも良いというわけではないだろうと思った。

しかし、PAを出て車を運転しながらそのことが気になった。何で?、帰宅してからネットで調べてショックを受けた。この飛行機はサン=テグジュペリのラストフライトで未帰還となった時の機種だったのである。何故か分からないのだが、じぶんはずっとサン=テグジュペリを第一次大戦からアニメ『紅の豚』辺りの人物だと思い込んでいたのである。何でだろう?。

 

ここからサン=テグジュペリが気になり出した。そして箱根の「サン=テグジュペリ 星の王子さまミュージアム」が思い浮かんだ。箱根方面には滅多に出かけないのだが、いつだったか前を通ったことがあるような曖昧な記憶があったのである。年内は無理としても、来年はぜひ行ってみたいと思った。

 

ところが家人からの提案で、今年は富士山参りの回数が例年より少なかったので、年内にもう一度富士山を間近に拝んでおこうということになり箱根に行ってみようということになった。ならば目的地は「サン=テグジュペリ 星の王子さまミュージアム」ということになる。

 

結論は ”非常に良い” である。ミュージアムとして建物/展示の完成度が高いという印象だ。もっともネット評価を見てみると、当然のことながら、プラス評価とマイナス評価が混在している。しかしながら今回のミュージアム訪問で、サン=テグジュペリと童話「星の王子さま」は作者と作品という単純な関係ではなさそうだということが分かってきた。

 

ショップで『夜間飛行』、『人間の土地』そして『星の王子さま』を買い求めた。最近、買って積ん読く状態になっている本が多いのでいつ読み終えるのか分からないが、もしかして、読み終えた後でまたミュージアムを訪れてみたいと思うかもしれない。館内にジーっと掲示物を読んでいる若いカップル?がいた。おそらくサン=テグジュペリの作品を熟知している二人なのだろうと思った。

 

 

サン=テグジュペリの生い立ち(貴族出身)から、飛行機乗りを目指した時代背景、そして『星の王子さま』まで、興味を刺激する事柄が数多くある。前の投稿で取り上げた数学者・岡潔もそうだが、じぶんが七十を前にサン=テグジュペリを再発見できたことを幸甚と思うと同時に、もっと若い頃に出合いたかったという思いもある。しかし、若い頃のじぶんにはこの二人に注目するような感覚は閉ざされていたような気がする。これも運命なのだろう。

 

『カモメのジョナサン』(1970年)の作者リチャード・パック(1936年生れ)も飛行乗りだった。『カモメのジョナサン』 発売当時、じぶんは二十代半ばだったが、本書のみならず作者リチャード・パックの生きざまにも影響を受けた。米州空軍戦闘機パイロットから ”さすらいの複葉機乗り” に転身したパックに憧れたのである。この辺りの時代からだろうか、若者が ”自分探し” 的な生き方に傾倒するようになったのは。カモメのジョナサンはパック自身の投影だったのではないかと思っている。

 

しかしこの歳になれば、もはや元禄の世の ”自分探し” のリチャード・パックから、むしろ乱世に偵察飛行で帰らぬ人となった ”星の王子さま” のサン=テグジュペリへとシンパシーが移っていくのを感じる。来年は、年甲斐もなく、サン=テグジュペリの生きざまを探ってみたいと思う。

ゲゲ!! 寝耳に水??

  • 2016.06.24 Friday
  • 21:16

 

今日のブログで、政治家になろうとする意思はなさそうだと書いたばかりだったのだが・・・。

自民党の参院選比例区名簿に登録されていた。

昨日の新聞に候補者一覧が掲載されていたのだが、じぶんの選挙区分しかチェックしなかった。

それにしても、この情報は見逃した。政界は一寸先は闇だ。

時の人?

  • 2016.06.24 Friday
  • 11:09

青山繁晴著『壊れた地球儀の直し方−ぼくらの出番 』 (扶桑社新書)


青山繁治氏は、かつて「朝まで生テレビ」を見ていたころに知った人物だと思う。そういう意味では結構古い。その後、時折TV番組で拝見することはあったが特別に注目することはなかった。最近、著者のトークに耳を傾けるようになったのはTVよりもpodcastとネット配信のおかげである。

 

著者は評論家ではない。著者の略歴を見れば直ぐ分かる。それにしても著者の多忙さが伺える長いプロフィール紹介である。しかし本人の現実なのだろう、特に気負いは感じられない。 自分の本意かどうかは判断しかねるが、著者は評論活動?も行っている。 じぶんは、著者の評論の是非よりもその背景に興味を覚える。著者の評論は自分の身体を使って稼いだネタを使って構成されている。この点が多くの評論家・コメンテーターと異なるところだと思う。

 

本書は普通の新書の倍もあるようなぶ厚い新書版だが、2004年刊行の『日本国民が決断する日』を改題、改稿、加筆のうえで新書化されたもの。著者の解説によれば本書は5部構成からなる。第一部イラクの現地取材、第二部アメリカの世界戦略の転向とアジアの将来、第三部米朝戦争シミュレーション、第四部真実の日米関係の姿、第五部日本の現代政治の果たしてきたこと、の5部である。

 

著者が ”ぶと新” と称するこの新書は厚いばかりでなく中味が濃い。イラク戦争直後の突撃取材の内容は驚異的である。一般に報じられているニュースだけでは知れない事柄が著者の命がけの体験を通して伝わってくる。さらに戦争が単純な勧善懲悪で語れるものでないことを改めて教えてくれる。米中戦争のシミュレーションは、ここまで書いてしまっていいのだろうかと思わせる内容だ。先方が百も承知だとすればゾッとする話である。

 

著者が2004年に『日本国民が決断する日』 の中に書き記した日米関係、中東問題、東アジア情勢等の悩ましい問題は現在も変わらず存在する。さらに、著者が冷戦終結後に始まったとみる「元の状態に戻ろうとする動き」は2016年の現在も未だ脈動を続けているように思われる。 故意に分割、統合されたものが元に戻ろうとする動き。著者は当時、それがヨーロッパから始まりアジアへ向かおうとしていると読んだ。現実に、中東はカオス状態で中国、朝鮮情勢は予断を許さない状況になってきている。

 

著者は1996年2月に発生したペルー日本大使公邸人質事件に絡む取材における社内外との確執で共同通信を退社する。あの時、フジモリ大統領の兵はすでに降伏した少女を強姦し手足を切り落としたのだという。 この件は報道されることはなかったが、 公正な裁判にかければフジモリ大統領の政策が批判されることは必然で見せしめにするための虐殺だった。日本は瞞された、と著者は見る。

 

著者はこの人質事件を機に共同通信を退社し、三菱総研を経て2002年4月、独立総合研究所(独研)を創立した。しかも、著者は「 独研は会社だけれど、営利は追求しません 」と名言する。そして、その心は「自分で食っている組織だからこそ、言いたいことが言える。報道機関は言いたいことが全てです。それを実践していることだけが、国民の利益になります」と弁明する。著者は龍馬の亀山社中を仰ぎ見る。

 

この国には「国士」という言葉がある。著者はまさに「国士」たらんとしているのだろうか。 社名の「独立」にはいかなる借金もなくインディペントで行くということと、個人、有権者の自立によって祖国のほんとうの独立を目指すという意味を込めているのだとう。これが著者の活動の原点なのだろう。

 

この著者の在り方には個人的に共感を覚える。著者は、本意ではないかもしれないが、世間的には「右」と見られているのだろう。じぶんも、どちらかと言いうと、「右」よりの考えの方が理解しやすい。「左」の考え方に反対と言うのではなく、じぶんにとって 「左」 の方が分かりにくいのである。ちょっと乱暴な表現かもしれないが、「右」は「改善」で「左」は「改革」という考え方なのではないかと思っている。著者も改善派ではないかと推察するのだが。

 

それにしても、著者と某都知事の気質の違いに唖然とする。著者は政治家たらんとする意志はなさそうだが、その志は政治家向きではと勝手に思いを巡らす。個展(絵画)の計画もあると聞く。本当の意味でユニークな人物であると思う。ますます注目のキーマン_時の人であると確信する。

 


 

壊れた地球儀の直し方−ぼくらの出番

2016年6月 扶桑社発行(amazon

 

著者 青山繁治

1952年、神戸市生まれ。慶大文学部中退、早大経済学部卒。共同通信記者として昭和天皇吐血など歴史的スクープ連発。三菱総研に転じたのち日本初の独立系シンクタンク独立総合研究所の代表取締役社長・兼・主席研究員。熱血先生と呼ばれる近畿大経済学部客員教授(国際関係論)のほか東大教養学部特設ゼミ、防衛省幹部研修、総務省消防大学校、関東管区警察学校でも教鞭。公職は無償を原則に、内閣府原子力委員会原子力防護部会専門委員、文科省参与、海上保安庁政策アドバイザー、経産省総合資源エネルギー調査会専門委員、NSC創設の有識者会議議員、消防審議会委員など。国内外で第一級専門家として認知された分野は危機管理、外交・安全保障、資源エネルギー安保、政治論など類例なき幅広さ。「ザ・ボイス」(ニッポン放送)、「虎ノ門ニュース」(CS放送)、「TVタックル」(テレビ朝日)など番組参加が圧倒的人気。連続5時間前後の「独立講演会」も毎月、自主開催。会員制レポート「東京コンフィデンシャル・レポート」(TCR)を16年超、配信。著作に『ぼくらの祖国・新書版』『ぼくらの真実』(扶桑社)、「死ぬ理由、生きる理由」(ワニ・プラス)、純文学の『平成』(文藝春秋)など。趣味はJAF公式戦に参戦中のモータースポーツ(A級ライセンス)、水泳、映画。配偶者は日本女性初の大型船船長の資格を取りメタンハイグレード研究で世界の特許を持つ青山千春東京海洋大准教授。子息二人。愛犬はポメラニアンの繁子。2500万超アクセスのブログは「ON THE ROAD」(shiaoyama.com)

めげない人

  • 2016.06.14 Tuesday
  • 12:00
今日の午前中は舛添都知事を取り上げているTV番組を不本意ながら見てしまった。ずっと舛添氏の頑固さと、めげなさにある意味感心していたのだが、ここまでくるともはや呆れるしかない。しかし不思議なのは、報道では政治資金規正法に抵触するか否かばかりが取りざたされていることである。

政治資金法はザル法であるとは聞いてはいたがその意味がよく分からなかった。でもこの案件で多少理解することができた。 政治資金規正法は入ってくる方に対しては厳しく規制しているが出る方がザルということ。基本的に何にでも使えるものらしい。だから本人は専門家の意見を聞くと言いながら強気な態度だったのだろう。

しかし、この案件でじぶんが許せなかったのは、法律に抵触するか否かではなく本人の厚顔無恥な姿勢だ。こういう人に都知事であってほしくないというのが素直な気持ちなのである。おそらく多くの都民、国民も似たような感覚ではなかろうか。法律に触れようが触れまいが、平気で政治資金を家族旅行等に流用したり、税金を無駄遣いする心根が許せないのである。

過去に遡ると本当に法律に抵触する案件もありそうな気配もあるのだが、それよりも同じ団塊世代として恥ずかしく、さっさと辞めてほしいと思ってしまう。しかしながら、やはり問いただすべきは問いたださなければならないのだろう。

一時は首相になって欲しい政治家のナンバーワンに選ばれたことのある人物である。裏切られたという感が強い。でもこういうのは突然に始まったものではないだろうという気がする。根っこからそうなのだろう。リオ五輪まで不信任決議を待って欲しいとの答弁は議員の失笑をかっていたが、その本意が理解できない。

議長の辞職説得をも拒否したようだが、引き攣った顔は見苦しいとしか言いようがない。ともかく政治家は一刻も早く卒業してほしい。他にも生きる道はいろいろあるはずだ。

今回はちょっと悪意を含む投稿になってしまった。

団塊の人々

  • 2016.05.17 Tuesday
  • 15:21
第二次大戦(太平洋戦争)の終了後にベビーブームが生じたのは世界的な傾向のようだ。欧米ではベビーブーマー、日本では団塊の世代と称されている。 狭義でベビーブーマーとはアメリカ合衆国の1946年から1959年に生まれた人々を指すらしい。日本では堺屋太一氏が1947年から1951年に生まれた者たちを団塊の世代と名付けた 。日米では対象世代の幅が異なる。

どちらにしても、大戦が終了して一気に出産の環境が整って誕生した世代ということになる。他の世代に比較して概ね人口が多いので、良きにつけ悪しきにつけ社会に与える影響が大きいことを否定することはできない。今この国ではこの世代を良い意味で使われることがない。若い世代からだけではなくこの世代の中からも自虐的に批判 (悪口) する声が聞こえてくる。

しかし、じぶんも47年生まれでドンピシャなのだがこれらの批判に疑問を禁じ得ない。この批判を聞いていると、まるで隣国の反日運動のアジテーションように聞こえてくる。彼の反日運動には正当な根拠があるようには思えない。反日が目的と化している。かつての日本(旧日本軍)の行動が全て悪のように唱えられるが、現実の歴史はそんな勧善懲悪の話で割り切れるものではないだろう。

団塊の世代も旧日本軍と同様にとても絶賛できるような存在ではないかもしれないが、他の世代や他国の軍隊に比べて特別に悪質な存在と考えるのはあまりにも乱暴としか言いようがない。是々非々という言葉があるがこれが真っ当な立場ではないか。団塊の世代がしかり、旧日本軍もしかりである。しかし「空気」というものは怖いモノで何もかも一緒くたにしてしまう。

それにしてもこの世代はイメージダウンが目立つ。いま政治資金規正法で問題になっている都知事が48年生まれ(67歳)でドンピシャで、前都知事も46年生まれ(69歳)でほとんど的中の範囲だ。ネットで、団塊は人数が多いのに映画監督では北野武(47年生まれ:69歳)以外に才能のある者がいない、と揶揄した若い世代の書き込みを見つけたことがあったが何ともコメントの仕様のない無意味なコメントである。

しかしこの世代は今アメリカ合衆国でも注目を集めている。大統領選挙で党の代表に確定するであろう共和党のトランプ(46年生まれ69歳)と民主党のヒラリー・クリントン(47年生まれ68歳)である。現大統領オバマが61年生まれ54歳なので、どちらが選出さてたとしても前大統領ブッシュ(46年生まれ69歳)のベビーブーマー世代に逆戻りすることになる。

とても理知的で論理的な印象の若い世代の女性評論家が団塊の世代を批判していた。槍玉にあがっていたのが元首相の菅直人(46年生まれ69歳)と沖縄で辺野古基地建設反対運動をしている高齢者たち(かつての団塊世代左翼の男女?)である。いい加減にしろと言いたいのだろう。そう言えば宇宙人と言われた元首相も47年生まれ69歳の団塊だ。個人的には無関係な事柄なのだが何となく申し訳ないという気持ちになる。

もはや若い世代は「団塊世代」を無視してはどうか。無視と言っても敵対するということではなく「団塊世代」 という言葉の幻想から解き放されて欲しいということである。ある世代が社会に対して何らかの連帯責任を取るなどはあり得ない。批判するにしても評価するにしても 「団塊世代」 という幻想を相手にしているかぎり時間の無駄というものである。


関連投稿: 賢老社会に向けて (2015/11/29)
 

武田邦彦という人

  • 2016.03.18 Friday
  • 21:18
武田邦彦 氏
武田邦彦武田 邦彦 (たけだ くにひこ、1943年6月3日 - ) は、日本の工学者、中部大学総合工学研究所特任教授。東京都出身。1962年、都立西高等学校、1966年3月、東京大学教養学部基礎科学科を卒業後、4月旭化成工業に入社。ウラン濃縮等の研究開発に携わる。1986年、ウラン濃縮研究所長に就任。自己代謝材料の開発に取組み、所長職を1991年まで勤める。1993年、芝浦工業大学工学部教授となる。評議員、学長事務代理、大学改革本部長代理、教務委員長を歴任。江崎玲於奈が学長時に学長補佐となる[3]。2002年 名古屋大学大学院教授(工学研究科マテリアル理工学専攻)。2007年、中部大学へ移籍。大学院工学研究科総合工学研究所の教授となり、副所長となる。機械工学専攻)2014年、中部大学総合工学研究所 特任教授に就任。「高濃度CO2を活用した海藻の大量生産に伴う「死の谷」克服」研究を行っている。(wikipedia)

最近、「虎ノ門8時入り」という番組を youtube でよく見るのだが、武田邦彦氏がレギュラー出演している。正に、ユニークという言葉がピッタシの先生である。関心の対象は専門の基礎科学だけではなく、政治、経済、歴史と幅広い。

じぶんは、サラリーマン時代に最後の所属が総務部だった。地元の企業、町会、役所等とのお付き合い?が仕事だ。当時、社会的にゴミのリサイクルが注目を浴びていた。会社が規模の割には目立つ存在であり、役所に近かったことも禍?したのか、役所のリサイクル関連の委員会(諮問会議のようなもの)のメンバーに選ばれていた。じぶんも、ある期間、担当として委員会に参加することになった。基本的に、リサイクルを促進して廃棄ゴミを減らすことを目的としており、個人的に、そのこと自体は大変良いことであり社会的に意義のあることであるという認識を持っていた。しかし委員会では、企業の担当として変に言質をとられたりしないように、積極的に意見は述べず、訊かれても曖昧な態度で終始した。

この頃、武田邦彦氏はリサイクルに否定的な説を唱えて、物議を醸していた。じぶんが武田氏を知ったのもこの頃である。リサイクルはじぶんの仕事に関連していることでもあり、また個人的にその活動を評価していたので、リサイクルに批判的な武田氏に対し世の中には変な先生がいるものだと思った。とは言え、その主張を聞いてみるべきだと思い、その著書『環境問題はなぜウソがまかり通るのか』を買って読んでみた。詳細は憶えていない。しかし、その主張するところは分かるような気はするのだが理解するまではいかなかった。そんな記憶がある。同時に、視点を変えると全く異なる状況が見えるものだ、ということを再認識したような気がする。

半年前ほどから「虎ノ門8時入り」を見るようになり、武田氏の面白さにひかれた。自然・社会現象を独特?の視点で読み解いていく。本人は、自分の解釈が一般的なものとかけ離れている、ということを十分理解しているようだ。このことは武田氏が敢えて意識的にやっているのか、あるいは生来そのような資質なのかは分からない。もしかしたら、両方なのかもしれない。しかし、大方の専門家が右と言うときに、左かもしれないと解説してみせてくれるのは、大変重要なことであると思われる。

また、自分と反対の意見を尊重するという武田氏の姿勢は、その主張するところに関わらず、とりあえず見習うべきことかもしれない。いつだったか、「日中戦争の頃、中国はアジアではなく西洋側に就いた」という解釈にはアッと思った。これが絶対唯一の解釈でないことは言うまでもない。しかし、今まで、じぶんがこの視点で考えてみたことは一度もなかった。国際連合安全保障理事会の常任理事国五カ国の中に、アジアから唯一、中国が入っているのは象徴的である。

STAP問題においても、科学者として小保方さん擁護の姿勢を貫いている。武田氏は、ネイチャーの論文をちゃんと読んだ上で、さらに科学者としての自分の経験から、小保方さんの論文は指摘されているような過誤はあるかもしれないが、論文の内容は容認されるべきものであると説く。また、これも多くの専門家とは意見を異にするものに違いない。

しかしながら、武田先生のような方は日本社会にとって大変貴重な存在であろう。色んな意見を聞き、流されず、そして自分の意見を主張するという姿勢は、我々がもっとも苦手とするところである。残念ながら、聞く耳持たず、直ぐに流され、そして受け売りを演じるのが関の山だ。
 

安倍晋三という人物

  • 2015.10.11 Sunday
  • 14:51
なりゆきで安倍晋三という人物に注目するようになった。安倍氏と言えば第1次安倍内閣での引退劇に正直ウンザリしていた。そのため、2012年12月に返り咲いたときも全くと言っていいほど関心がなかった。しかし、第2次安倍内閣(改造)、第3次安倍内閣をはさんで、今月7日の第3次安倍内閣(改造)となった。あっという間に3年が過ぎようとしている。

特段に政治にに対する関心が強いわけでもないが、しかし自然災害と同じで無関心ではいられない要件だとも考える。安倍晋三に関心が向くようになったのは、この度の安保法案にABE絡んで色んな安倍評が目に付くようになったからである。

初め、個人的にはどちらかと言えば安保法案賛成の方に傾いていた。後に、廃案にすべきというより、日本社会は廃案を選択した方が、結果として学ぶべきことが大きいのではないかと思うようになった。

さらに、なぜ反対運動が目立つような報道ばかりが取り上げられ、安倍晋三という人物に対する評価が辛辣さを帯びているのだろうということが気になった。

この人物はそれほどのワルなのだろうか。好きか嫌いかと問われれば、どっちでもないとしか言いようがない。シンパでもないが、特にアンチの旗を掲げる理由もない。しかし、アンチ安保法案、アンチ安倍の知識人たちのコメントを見聞きするたびに、じぶんの感性の方が変なのだろうか、じぶんのセンサーが鈍すぎるのだろうかと思うようになった。安倍晋三は、今やじぶんのリトマス試験紙なのである。

さて、この法案が起因となるような現象はいつ起こるのだろうか。それを見て、どちらか側が「それ見たことか」と自慢することになるのだろう。そして、安倍晋三の評価も決まる。さらに、じぶん自身の心(脳)の感度も計られることに。

問題はそれが数年後なのか、あるいはまだずっと先なのかということである。

何となくクリスタル!?

  • 2015.09.01 Tuesday
  • 18:36
 最近 PODCAST から触発されることが多い。そのメニューは時折変化する。今登録してあるのは「ザ・ボイス」「ラジオ版学問ノススメ」「未来授業」「岡田斗司夫のPodcast」「武田鉄矢・今朝の三枚おろし」「ESL-POD」である。これらはウォーキングしながら聞くことが多い。

最近面白いと感じ影響を受けているのが「岡田斗司夫のPodcast」だ。今日『#046_2015年8月23日ニコ生』を聞いて納得した。この日のトークにはアエラ編集スタッフがゲストとして参加していたのだが、社会学者 古市憲寿氏が話題になった。アエラ編集スタッフの女性たちが ”よく分からない” と言いだしたのである。
フォト
古市憲寿 ふるいちのりとし
社会学者。日本の評論家・大学院生。東京大学大学院総合文化研究科国際社会科学専攻相関社会科学コース博士課程に在籍中。現代日本の若者をテーマにした著作を発表している。朝日新聞信頼回復と再生のための委員会外部委員。日本学術振興会育志賞受賞。東京都出身。
ウィキペディア

古市氏と言えば、しばらく前になるが、個人的に新進気鋭の社会学者として注目していた。ところが、何かのトーク番組の中で 、その時の話の内容はもう記憶していないのだが ” この人何を言ってるんだ ” と感じたことがあり、それから何となく彼をスキップするようになった。

しかし、今日、岡田斗司夫とアエラ編集スタッフの話のやり取りで、自分なりに納得した。岡田氏の解釈によれば、古市憲寿氏の専門は「アイドル」だと言い、また、TV番組的には「オカマ枠」と言い切った。この言葉に、アエラの編集長も思いっきり共感していたが、じぶんもアーッと腑に落ちる気がした。

古市氏は、今、NHKを初めメディアの中で ”若者代表” として引っ張りだこ?らしい。その辺の事情はトンと知らないのだが、一方、マスメディアの中にも彼の言動に違和感を感じる人たちがいることを知った。若者代表、社会学者として見るから違和感があるのであり、アイドル(オカマ枠の)として見れば分かりやすいということだろう。

じぶんは、自分のことは棚に上げて、若い世代に過度の期待をしてしまうクセがある。現に尊敬に値する若者たちがいることも事実であり、古市氏がマスメディアに取り上げられるようになったとき、そのクセが出た。しかし、こんなことは彼からしたら迷惑なハナシだろう。勝手にイメージを作られてしまうのだから。

まあ、彼のTVタレントとしての成功を祈りましょう!!

まともな生き方

  • 2015.06.30 Tuesday
  • 20:03
まあ、随分と昔から名前だけは存じ上げていた外山滋比古氏だが、その著書は初めてだ。『思考の整理学』が東大・京大で一番読まれている本などと広報されていたこともあり、インテリのモデルのような人物かと思っていたのだが、『知的生活習慣』を読んでイメージが全く変わった。本当に「まともな人」という印象だ。

知的な人物であることは確かなのだが ”頭でっかち” ではないのである。1923年生まれ(92歳)で、なお、お元気でご活躍ということで、それだけでも尊敬に値する。本書によれば、著者が少年の頃は学問より運動の方に熱心だったようで、またそのパフォーマンスも相当のものだったようだ。知的集中力も天性のようで、キッカケがあれば学問に対してもその集中力が発揮される。

知的生活習慣知的生活習慣
発行 筑摩書房
2015年2月 初版
著者 外山滋比古
1923(大正12)年愛知県生れ。英文学者、文学博士、評論家、エッセイスト。東京文理科大学英文学科卒業後、同大学特別研修生修了。 '51(昭和 26)年より、雑誌「英語青年」(現・web英語青年)編集長となる。その後、東京教育大学助教授、お茶の水女子大学教授を務め、'89(平成元)年、同 大名誉教授。専門の英文学に始まり、思考、日本語論の分野で活躍を続ける。


著者の専門が、英文学、言語学、教育論からジャーナリズム論など、広範囲に渡ることも初めて知った。中学(旧制)の時に、「外山なんぞは、陸上競技がしたくて、わざわざこの学校へ来たんだから・・・」という英語教師の話を立ち聞きしてしまったことが、「それは心外だ。英語教師のハナをあかしてやろう」と考えたというのだから面白い。こんな人物なので ”頭でっかち” にならなかったのだろう。

 朝、目がさめる、たいてい、気分は爽快である。それもそのはず、何時間も眠って、頭の中がきれいに掃除されている。レム睡眠による選択的忘却のおかげである。頭の黒板はきれいになっている。あたらしいことを書きこむには好都合である。

これが現況だとすると驚きだ。著者はじぶんより二回り上の大先輩である。じぶんには、こんな快適な朝は年に数えるぐらいしかない。これができるだけで充分まともな生活者である。本書の中で著者が語る多くの示唆的な言葉の中で、じぶんにとって ”目からうろこ” だったのは、本書のタイトルにも関係するが、 ”人間的価値は生活から” の項である。

 生活はだれでもしている、といってバカにされる。
 人間的価値は生活から生まれる、という考え方が否定されている。生活を破壊するようなことも仕事のためなら、美しいことのような錯覚をするようになる。


当ブログのテーマの一つである「精神(心)と身体」に関わる事柄を一言で言い切っているような気がする。人間は生活があるから人間なのだ。特に、現代のようにコンピューターの時代になると、多くの仕事はコンピューターが担うようになる。終には、人間がコンピューターに勝るのは生活があるということだけである、となってしまうかもしれない。

 知的生活がしたかったら、仲のわるい生活と知識を結びつけることを工夫しなければならない。仕事も、さきにのべたように、生活との関係が怪しいことが多いから、改めて、生活の中で仕事をする、仕事の中で生活をするようにするには、どうすればよいのかを考えるのである。(省略)
 ここまでのべてきたことは、多くこの知的生活の発見、生活的知性の覚醒ということに収斂していくように考える。知識と生活の手を結ばせることができれば、これまでの生き方と違った人生が可能になる。知的生活習慣の確立はその具体である。

このことは老若男女に関わらず普遍であると思う。未だ若い時期に気づくことができればベターだろうが、じぶんのように七十路を目前にしても、なお、思い至るには遅くはないと自分自身に言い聞かせる。高齢化が社会問題になっているが、その社会の在り方としては、著者のようなまともな高齢者が増えるのであれば問題は少なかろうということだ。ただ、これが難しい課題であることも憶測できるのだが。

著者は知的生活習慣の例として、ご自身の体験をいくつか挙げている。それらは本書の章立ての各項目として構成されている。日記をつける、計画をたてる、忘れて頭を整理する、図書館の利用、辞書を読む、等などだ。しかし、これは著者が ”まえがき” に書いているように、同じようにやりなさいとは言っていない。

そもそも、生活とは衣食住・プラスアルファであろう。まず衣食住を整え、プラスアルファで生活の向上を目指すということになるのだろうが、プラスアルファを端的に表現すれば「生活習慣」と言える。著者も、「習慣は第二の天性である」というイギリスのことわざを紹介して、よい生活習慣を身につければよりすぐれた人間になりうると提唱する。

さらに、著者は、生活習慣には食事と運動中心のフィジカルな面と、心の生活習慣とも言うべきメタ・フィジカルな面があると言う。そして、このメタ・フィジカルな面に「知的生活習慣」と名付けたわけである。これらが近代において旨く働かなくなり、「生活習慣病」となってあらわれた。

そもそも、「知識は力なり」のごとく、近代社会は知識中心(偏重)で動いてきた。学校(社会)は、知識の伝授に多忙で生活の重要性を考えようとしなかった、と著者語る。このことは現代社会においても継続されている。本書の ”まえがき” に戻る。

 いま、われわれはコンピューターにおびやかされて生きていると言ってよかろうか。知識をふやすだけでは、コンピューターに勝つことは難しいが、よい知的生活習慣を身につければ、何もおそれることはない。この本は、そんな考えにもとづいて、生活を考えたエッセイである。生活はもともと個性的なもので、ひとの真似はできない。こういうのがいいとすすめることは考えていない。ささやかな例として参考になればよいと願っている。

名著『思考の整理学』は未だ読んではいないが、この『知的生活習慣』を読んでみて、その中で言わんとすることが何となく分かるような気がしてきた。そして、『思考の整理学』が長い間大学生に愛され続けているという事実を知って、なぜかホッとする気持ちになっている。そして、できれば、我らシニア世代の中にも、今一度著者の考え方・生き方を再認識しようとするトレンドの風が吹くことを期待したい。

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