ファンタジックなやまい(病)のはなし

  • 2017.02.20 Monday
  • 14:17

安保徹著『人がガンになるたった2つの条件』(講談社)

 

著者の数ある書の中から偶然選んだ本だが感動ものだ。「どうしてガンになるのか」というのがテーマなのだが、これはガンというより生命がテーマの本だと思う。そしてこれは著者の他の本でもきっと同じ印象を受けるのではないかと想像する。そこには著者の一貫した思想が流れていると考えるからである。

 

結論から言ってしまえばガン(他の病気も同じ)は低体温と低酸素によって引き起こされるというのである。そして、ここで”引き起こされる”と悪いイメージで表現してしまったが、本当はガンは体が生きるための自然な適応反応であり決して間違いでできた細胞ではないと言う。さらに低体温・低酸素の主たる原因は過剰なストレスであると説く。

 

著者はこの現象を38億年前の原始細胞にまで遡り解説していくのだが、これが実にファンタジックな物語なのである。生命の発生時の地球は未だ酸素がなく原始細胞(嫌気性)は食べ物の栄養素(糖質)だけでエネルギーを作り出せるシステムだった。そして後に地球上に酸素の量が増えてきた環境の中で酸素からエネルギーを作り出す新たな生命体である好気性細胞が誕生する。ミトコンドリアはその仲間なのである。

 

 私たち生命体としての人間は、もとをたどれば一個の細胞からなる単細胞生物にすぎませんでした。それが長い年月をかけてこの地球の環境に適応していくなかで、エネルギー工場であるミトコンドリアが新たに備わり、多細胞化し、組織器官が作られ、大型化し・・・・・ここまでの進化を遂げてきました。

 

二十億年前、嫌気性の原始細胞と好気性のミトコンドリアがウィンウィン(win-win)?で合体(ミトコンドリアが寄生するかたちで)する。そして十二億年前に我々の祖先となる安定した真核細胞が誕生しさらに多細胞化していく。こうして我々人類が誕生しその細胞内には解糖系とミトコンドリア系の二つのエネルギー工場を持つことになった。

 

この二つのエネルギー工場を持ったことが生物の進化をもたらしたわけだが、一方で無酸素で繁殖できた原始細胞が持つ不老不死の生態を失う。しかし著者は、人類がこの二つのエネルギー工場をもっともバランスよく活用できる生命体なのだと解説する。しかしこのアンバランスが病気(ガン)を発生させるのだと言う。

 

こうした著者の説は現代医学の常識ではないのかもしれないが医学素人のじぶんにはとてもリアリティのある話に感じられた。著者が実績ある研究者であるということもその根拠だが、著者の説の物語性がじぶんにとってリアリティの要因として大きいのではないかと思われる。医療の側面からみるとやはりエビデンスが重要になってくると考えられるので、著者が昨年12月に急逝されたのは誠に残念なことである。

 

じぶんと同じ1947年生まれで親しみを覚える一方で、ネット上に著者の説を危ぶむ意見が散見されることも認めなければならないだろう。しかしながら、じぶんにはまだまだ活躍が期待される人物ではなかったかと思われるのである。

 

本書には「ガンにならない八つのルール」が書き記されている。医学的根拠は確立されてはいないのかもしれないが、ガン(病気)の最も根源にあるのは「生き方(考え方)」 であるという著者の思想が表れているように思われる。

 

1.心の不安やストレスに目を向ける

2.頑張りすぎの生き方を変える

3.息抜き・リラックスの方法を見つける

4.身体を冷やさない工夫をする

5.暴飲暴食はやめて体にやさしい食事をする

6.有酸素運動生活を取り入れる

7.笑いや感謝の気持ちを大事にする

8.生きがい・一生の愉しみ・目標を見つける

 


 

人がガンになるたった2つの条件

2012年4月 発行(講談社_Kindle版:amazon

 

著者 安保 徹

1947年(〜2016年12月)、青森県に生まれる。医学博士。新潟大学大学院医科歯科総合研究科教授。1972年、東北大学医学部卒業。米アラバマ大学留学中の1980年、「ヒトNK細胞抗原CD57に関するモノクローナル抗体」を作製、「Leu−7」と命名。1989年、「胸腺外分化T細胞」を発見し、1996年には「白血球の自律神経支配のメカニズム」を解明するなど、数々の大発見で世界を驚かせる。著書には『病気は自分で治す』、『「薬をやめる」と病気は治る』、『免疫革命』など多数。

生命を知る

  • 2017.02.09 Thursday
  • 12:00

前回が「AI」で次が「生命」(心と体)のはなし。AIを知るというのは結局人間という生命体を知ることにほかならないわけで、切り離せないテーマということになる。さらに、今月の初めにちょっと風邪?で体調を崩してしまい、新年早々のインフルエンザ騒ぎに続き、この所風邪で37度を超える熱を出すようなことがなかったので、少し戸惑って身体/健康のことが気になっているところなのである。

 

しかしながら、昨今の健康に関する出版本の多さには驚く。その内容もさまざまで、どれを信じていいものやらと迷うようなタイトルの本が次々に出版される。このことに関しては、今はじぶんなりの結論?を持っていて、実際は迷ってはいない。「それらすべてが正しい」と思うことにしている。すべてに一理あるのだと納得しているのである。

 

例えば、肉食を勧める著者と反対の著者がいるが、肉食中心、野菜中心、さらに半々と、じぶんは食生活にも多様性を認めるのが現実的と考えるのである。一人ひとりが自分の身体と心に相談して決めればいいと思っている。去年は不食という生き方があることも知り、これほどまでにこの世界はダイナミックな存在なんだと確信した。だから、健康法もバラエティに富んでいるのが当然で、まして” 思えばそうなる ” ということもあり得るのだと考えている。

 

しかし、じぶんはこれらの健康法の本よりも、より生物学的な側面に重点を置いた本に興味がある。健康法も多様だが、生物学/医学も本当は多様性に富んでいるのが現実ではないかと思っている。しかしながら一般には、ある偏った説が正しい常識として信じられているのが実情だろう。今、『人がガンになるたった2つの条件』(安保徹著:講談社)を読んでいる。ネット映像で科学者・武田邦彦氏が著者・安保徹を紹介しているのを見て、アマゾンを検索して取り敢えず本書を選んだ。

 

常識というものはコミュニティ(家庭を含む)がスムーズに機能するために必要な要因であると考えられるのだが、時に、コミュニティ進化の阻害要因になる。科学者・武田邦彦氏はいつも常識外れ?の考え方を提示してくれるので、その正当性は別にして希有な人物である。安保徹は昨年の12月に逝去されているが、免疫学の権威だった方であることを初めて知った。『人がガンになるたった2つの条件』は読み途上だが、非常識で魅力的な説が記載されており刺激的である。

 

ホメオスタシスという生物学の用語がある。恒常性と訳されるが、体温を一定範囲に保つなど重要な役割を持つ機能である。しかし免疫などの場合、この作用の過不足が問題になると言う。不足すれば感染症に侵され、過剰だと自己を破壊してしまう。やっかいで悩ましい問題だが、我らの「常識」も社会のホメオスタシスの任を担っているのだろうか。ただ常識については、その働きが常に過剰気味ではと危惧しているのだが。

 

机に、未読の『日本人の9割が知らない遺伝の真実』(安藤寿康著:SB新書)がある。著者が「岡田斗司夫のPodcast」にゲスト出演しているのを聞いて早々に入手した。こちらの先生も非常識?な方の様子でとても期待できる。著者は、才能、収入にも遺伝がかかわっていると主張している。世間では努力が一番ということになっていると思われるのだが、しかし、著者のこの主張は現実に皆うすうす感じていることなのではないだろうか。

 

さらに、PODCAST(「武田鉄矢・今朝の三枚おろし」)で紹介されていた『生命記憶を探る旅:三木成夫の生命哲学』(西原克成著:河出書房新社)にも強い興味を覚えており、ぜひ本書も入手して、と言うより積んどかないで読み通したいと思っている。そして、これらの書は、昨夜散歩の途中に立ち寄ったTSUTAYAで目に留まった『ビッグヒストリー』(日本語版監修 長沼毅:明石書店)とか、先月ネットで知った『サピエンス全史』(ユヴァル・ノア・ハラリ著:河出書房新社)に対する興味へとつながっていく。

 

関連投稿: 「生命記憶」ということば (2011/07/16)

洞窟壁画を描いたクロマニヨン人

  • 2016.12.16 Friday
  • 21:00

特別展 「世界遺産ラスコー展」(国立科学博物館

http://lascaux2016.jp/highlight.html

 

東京に所用のついでに上野の国立科学博物館で開催されている「世界遺産ラスコー展」を見てきた。師走の平日にもかかわらず、我らがシニアを中心に大勢の見学者が来ていた。

 

 

半年前にも本館を訪れたのだが、人類史研究家・海部陽介氏の著書『日本人はどこから来たのか?』の影響で関連の展示を見たかったからだった。今回の展示も海部氏等の活動によるもので、事前にPODCASTで情報を得ていた。ラスコー洞窟の壁画と言えばあまりにも有名な遺跡だが、現在は非公開になっており、再現物とは言えその精度が1ミリ以下というものでホンモノの洞窟壁画を見ているような迫力がある。

 

まがいものとは思えないほどの壁画もさることながら、じぶんがもっと驚いたのはこれらの壁画を描いたと言われるクロマニヨン人(ホモサピエンス)の復元像である。現代西洋人そのままではないか?と思わせる出来だ。専門家が製作したものとは言え、本当にそうなの?と訝った。その着用している衣類などもエーッと思わせるものだ。

 

 

現代人が思うほど、古代人と我々との間の心身の相違は大きくはないのではないか。じぶんもいつ頃からかそう思い始めていたのでビックリ仰天とまでは行かないまでも、展示の復元像を見てやっぱり驚いた。専門家の間でもまだまだ意見の分かれるところかもしれないので安易に思い込んでしまうのは危険かもしれないが、やはり我々の古代人(古代史)に対する常識を洗い直さなければならない時期にきているのかもしれないと思った。

 

生物としてのホモサピエンスが、少なくとも、ラスコーの壁画が描かれたと思われる二万年前のクロマニヨン人で既に完成形?だったと想像することは、我々現代人がより謙虚な人間性を獲得するための鍵になるのではないかと思われた。一方、もはや自然な生物学的進化が考えられないからこそのDNA操作/AI技術だとすると、高揚感よりも何とも言いようのない不安感を覚える。

 

関連投稿:遠足気分で! (2016/05/30)
     日本人のルーツ (2016/05/25)

奇跡のリンゴ_土に学ぶ

  • 2016.10.20 Thursday
  • 17:37

木村秋則・石川拓治著『土の学校』(幻冬舎)

 

青森県のリンゴ農家・木村秋則氏を知ったのは石川拓治著『奇跡のリンゴ -「絶対不可能」を覆した農家 木村秋則の記録』であったと思う。何処に行ったか、その本が見当たらないのである。

 

アマゾンでチェックしても他に該当するような本が無いのでこれに間違いないと思う。『土の学校』は同じ著者が、木村さんの話をまとめたもので『奇跡のリンゴ』の続編と言えるものかもしれない。

 

『奇跡のリンゴ』が2008年発行と記されているので、じぶんが読んだのは発行同年か翌年だったと思う。そのストーリーに感激しながら読んだことを憶えている。本書には、肥料と農薬で栽培するのが常識だったリンゴ栽培を、木村さんが無肥料・無農薬栽培(自然栽培)に成功するまでの葛藤が描かれている。

 

さらに、その成功に至るまでの物語自体が心揺さぶられるものである上に、木村さんが体験したという超常現象?が少なからず記されているのである。じぶんはそういう類の話にさほどビックリしない方なのだが、多くの一般読者の中にはリンゴの自然栽培と超常現象の話がごちゃまぜになって、本書全体を怪しげな?なものと思ってしまった方も多かったのではないかと危惧している。

 

しかし、『土の学校』は自然栽培に特化した内容となっているので、多くの人が惑わされることなく(?)、奇跡のリンゴの足跡をたどれるものと思う。この本で、木村さんには自然栽培の道を進む上で精神的支柱になった人物がいたことを知る。『奇跡のリンゴ』の中にその記載があったかどうかの記憶は定かではないが、福岡正信(wikipedia)という方である。

 

木村さんはリンゴの無農薬栽培に取り組むことになったのは福岡氏の本がきっかけだったと言っている。自信を失いかけたときに勇気をくれたのも福岡氏の本であり、木村さんの出発点は福岡氏が提唱する不耕起、無農薬、無肥料、無除草という考え方だった。しかし、木村さんは自分と福岡正信氏との違いをも明言している。

 

 これは私の考えですが、福岡さんは、私からすれば哲学者に近い。あの方は、科学とは何かとか、人間とは何かというような、哲学的な問題を考えることがまず先にあって、それを考えるために農業という問題に取り組んでおられたのではないかと思うのです。つまり真理を追究するための、ある意味での実験としての農業です。

 

木村さんは自分が百姓で、単に無農薬、無肥料で栽培できればいいというものではなく、それで家族を食べさせていけなければどんなに素晴らしいリンゴができても意味がないと言う。そんな木村さんの自然栽培成功のきっかけとなったものは岩木山で触った柔らかい土壌だっだ。岩木山の木々は無肥料・無農薬なのに生き生きと元気にしている。山の土を持ち帰り畑の土を比べてみる。ここから木村さんの様々な実験、勉強が始まる。そして「土=微生物」であることを悟る。土の中は動物の腸の中のように様々な細菌が住む世界だったのである。

 

 人間が、自然の生態系とリンゴの木の間に入って、リンゴの木がそこの生態系の中で調和して生きていけるように仲立ちとなる。

 人間と自然が共存していくシステムを作る。

 それが私たち百姓の役割であり、これからの畑というものはそういうものであるべきだと私は思っています。

 

木村さんは同じ品種のリンゴの木はDNAが同じのクローンだと言う。しかし、このクローンのリンゴの木がそれぞれ異なる個性を持っているのだという。そして今、木村さんが向かい合っているリンゴの木の性格は、一対一で生身の心と体で自然と向き合うことからしか得ることが出来ず、決してインターネットの世界からは得られないのだと語る。

 

木村さんの話はリンゴの木から人間の子どもに移る。クローンであるはずのリンゴの木にしても個性があり、さらに一本のリンゴの木になるリンゴの実だって、ひとつとして同じものがない。まして、人間の子どもたちがみんな違っているのは当たり前のことである。しかし、世間では違う個性の子どもたちをひとつのリンゴ箱に詰めようとする。木村さんはこれは大人側の都合で効率がいいからそうするのだと考える。

 

ちょっと乱暴な喩えかもしれないが、リンゴを育てるのも人の子を育てるのも同じだと木村さんは考えているのかもしれない。生態系(土壌環境)がしっかりしていれば、無肥料・無農薬でリンゴは育つ、しかも個性豊かに。人の子も又そうなのかもしれない。過剰な肥料や農薬で却ってダメにしているのではないか、という木村さんの提唱を考えてみる価値はありそうだ。

 

 土は生きているのです。それは、無数の微生物の生命活動が織りなすひとつの生態系なのです。そういう土の持つ力は、そこに含まれている養分を分析するだけでは、とても理解しきれるものではありません。

 それは健康診断をするのに、人間をすりつぶしてどんな養分が含まれているかを測るのと同じことだと言ったら、言い過ぎでしょうか。

 

木村さんは土の中の生態系を動物の腸内細菌に喩える。腸内環境は動物種によっても異なるが同一種の中にも個体差がある。腸内環境をどう整えるかによって個体の健康の度合いに差が出てくる。木村さんの無肥料の畑には連作障害がないのだという。それは畑に生えている雑草のおかげで、土の中の微生物が単一化していないからだ、と木村さんは考える。

 

 農薬や化学肥料が広まってからは、そんなことを考える必要がなくなった。百姓と土との長年にわたるつきあいに、ひびを入れたのが農薬や化学肥料ではないのかと思うのです。

 

木村さんは安易に肥料・農薬を否定しない。これが無くては成り立たない農業(これは社会の在り方が問われていることなのかもしれないが)も存在するからである。しかしながら、木村さんの取組みは子どもの教育ばかりではなく、今の社会全般に投げかけられたテーゼなのではないかと思われるのである。

 

関連投稿: 映画『奇跡のリンゴ』を観る (2013/06/14)

 


 

土の学校

発 行 平成27年12月 幻冬舎(Kindle版:amazon

 

本書は、木村秋則が話した内容を、『奇跡のリンゴ -「絶対不可能」を覆した農家 木村秋則の記録』の著者であるノンフィクションライターの石川拓治氏がまとめたもの。

 

 

 

 

 

 

狼という不思議な動物のはなし

  • 2016.09.29 Thursday
  • 16:36

Shaun Ellis『The Man Who Lives with Wolves』( HarperCollins )

 

ショーン・エリス著『狼の群れと暮らした男』の英語版を読んでみた。ラジオ番組「武田鉄矢・今朝の三枚おろし」で知った本である。まあ、仕事とはいいながら武田さんはいろんな本を見つけてくる。同世代ということも無関係ではないのかもしれないが関心の傾向が似てきており、紹介される本が割と参考になる。

 

英語版にしたのは、英語という外国語への興味と、オオカミと暮らす?ということの意味を知りたいという、一石二鳥を狙ったためである。興味あるストーリー(テーマ)を英語版で読んでみること自体が、今、じぶんの関心事になっている。しかしながら、読書量自体が減少している中で英語版を読むというのは容易ではない。本書も三ヶ月以上を要した。それでも、じぶんの日本語への取組み方の変化も感じてきており、これはこれでも意味があるかなと思っている。

 

さて本書だが、英文なので誤解と勘違いもあり本当にどこまで理解出来たか怪しいが、テーマが興味ある事柄だったのでストーリーと英語表現を同時に愉しむことができたと感じており満足している。始めに、著者と母国イギリスについてである。著者はじぶんより17歳下である。じぶんは戦後のベビーブーマー世代なので、まだまだ日本社会が貧しかった時代である。しかし、著者が誕生した’64年はじぶんが高三の頃で、随分と日本社会も豊かさを増して来ていた頃ではなかったかという印象がある。

 

しかしながら、本書に表現されている著者の生い立ちでは、当時のイギリスの田舎の生活が想像以上に貧しい面を持った社会だったことを思い起こさせる。小作農?の祖父母に育てられたシングルマザーの子どもだったのである。母親は仕事でほとんど家にいなかったが、豊かな自然に囲まれて、祖父母の愛と智恵で育まれた自然児?だったようだ。このことが、後に著者が狼に魅せられて信じ難いライフスタイル -狼と共に生きる- を選択することになる伏線になっていたように思われる。

 

著者は狼に魅せられ、ふとした事から動物園の中で囲われた狼の群れ(pack)の中で過ごすという体験をすることになる。そして、狼の群れ(pack)では各狼に役割があることを知る。ヒエラルキーのトップにいるのがアルファ(α)、おもに子を産める雌がその地位につくのでアルファ・フィメール(alpha female)と呼ばれる。

 

そして、ベータ(β)は用心棒的(目付)の役を担う。これは雄の役割のようで、繁殖期にはアルファのパートナーになることも期待されるのだろう。囲い中で初めて著者に接触してきたのもこのアルファである。徐々に著者に近づいてきて、匂いをかいだり、膝などを噛んだり(甘噛み以上本気以下?)する。これを何日も繰り返された後に、やっとアルファは他の仲間を著者の前に連れてくるのだという。これは野生で群れを離れた狼(ローンウルフ)が群れに入れてもらうための作法らしい。

 

著者はこうして狼の群れの仲間に入ることを許された。しかしこの後も、アルファのきつい躾?が待っていた。特に食べることにおいて、食べるもの、食べる順序などの規制(regulation)が厳しく、違反を犯すとアルファのお仕置き、それも著者が命の危惧を感じるほどの強いお仕置きがなされる。狼と人間では体力的に比較にならず、まさに一噛みで勝負がつく。

 

こんな比類の体験をした著者はこれに飽きたらずに、米国アイダホ州ロッキー山脈の野生の狼の群れに接触を試みる。著者が頼ったのはネイティブ・アメリカン Levi Holt が部族管轄の土地で運営するWolf Education and Research Center である。この施設では多くの野生動物の専門家が研究をしており、飼われている狼を野生に戻すという試みも行っていた。

 

野生の狼の生態に関しては未だ不明なことも多かったのだが、Levi Holt は野生の狼の行動範囲は想像以上に広く、遠くカナダの方からアイダホまで移動するようなルートもあるのではないかという仮説を持っていた(?)。しかし、専門家の間では主流の説ではなかったらしい。そして何やかんやで、著者が自分のキャリアを基に調査のために山に入りたいとの具申をしたところ、Levi Holt の賛同を得て実行に移されることになる。

 

著者が語っているように、詳細な記録を取っていないので狼の群れと暮らしたことの実態、特に期日・時間等に関しては曖昧な部分があることは否めない。さらに第三者の観察もないので、狼の群れと暮らしたという事実自体を疑われても仕様がない側面もある。しかしながら、多くの関係者、読者はこの体験を事実であると認めたのだと思う。じぶんも、その根拠を示すことはできないが本書に記載されていることは事実であると信じたい。

 

このことを前提にしても、著者の体験はトンデモない物語である。徒歩で一週間以上もかかるロッキーの山奥で、およそ二年間も狼の群れ、しかも後にリリースした狼ではなく野生の狼であると判断された群れと共に暮らしたということが、とても現実とは思えない。しかし、じぶんの座右の銘 "事実は小説よりも奇なり" の喩え通り著者の体験は真実なのだと確信する。

 

著者がロッキーの山奥で初めて狼の気配を感じたとき、初めてその姿を垣間見たとき、長い時間をかけて接近・接触するまでのプロセスの表現は稚拙な英語力でもドキドキする。気難しいアルファ・フィメールに謁見を認められるまでの緊迫した表現も息を呑む。さらに、実際に群れと暮らし始めてからの物語は本当に好奇心をくすぐる。

 

繁殖期が近づくと、雄のアピールが始まり互いに唸りながら噛み合い、身体のぶつけ合いが始まるのだという。著者もその対象になるというのだから堪らない。ひ弱な人間にとってこれは命に関わるほどのものだという。しかし、肝心な時だけは著者を巣に置いたまま狼たちだけで姿を消したというのだから、当たり前と言えばそうなのだが、著者は狼の雄とは一線を画す存在だったのだろう。

 

アルファ・フィメールが出産の準備を始めるころ、著者は自分の役割(roll)を乳母(nanny)ではないか、これが群れが自分を迎え入れた理由ではないか、と感じ始める。乳母といってもお乳を与えるわけではなく子どもたちを躾けることがその役割だ。この乳母(nanny)も群れの役割の一つで、前にアルファ・フィメールだった狼が担うことが多いという。しかし、なぜ群れが、或いはアルファ・フィメールが著者を乳母(nanny)に選んだのかは興味深い謎である。

 

著者がアイダホを訪れた際に、ネイティブ・アメリカンに伝わる話として、かつて人間と狼はパートナー?だったという逸話を聞く。じぶんの読解力が未熟なので過ちかもしれないが、狩りをするとき人間と狼は時に互いにパートナーとして働いた。智恵という意味において、かつて人間と狼は互いに認め合う存在だったということだ(?)。これはネイティブ・アメリカンだけではなく、広く世界中で見られた現象なのかもしれない、などとじぶんは空想している。

 

著者が深く狼に惹かれるのはこのことと関係しているのではないだろうか。著者は、自然の狼は決して「赤ずきんちゃん」に出てくるようなjイメージの動物ではないと断言する。また、世界中の多くの狼ファンたちもこのことに気づいているのではないか。著者は二年に及ぶ狼の群れとの共棲の後に母国イギリスに戻り、軍の仕事に復帰しつつ又国内の動物園の狼たちと関わりを持つ。さらに犬のトレーニングの仕事にも就くのだが、じぶんは著者の犬も狼と同じ群れ(pack)で生きる動物であるという著者の提唱に興味を覚えた。

 

永い囲われの身の生活が犬の本能にも多大な影響を与え続けたと想像できるのだが、本来、犬たちは飼い主を含めて群れ(pack)と捉え自分の役割を果たそうとする。アルファ、ベータの役割本能を持った犬を飼う場合はよほど注意しないと自分が飼われるはめになる危険もあるという。三年前に14歳で死んだわが家のヨーキー(雄)は飼い主も噛む珍しい?ワンコだった。一体彼はどんな役割本能を持ったワンコだったのか。そんなことは全く考えたこともなかったことにちょっと後悔しつつ在りし日が思い出される。

 

著者の名声は世界中に広まり、要請を受けてポーランドの森まで出かける。ポーランドの森は数少ない野生の狼が住む地域らしい。時折、田舎で農家の家畜が被害を受け、どうにかならないものかという相談である。被害の状況を調査した著者は、狼が家畜を襲うのは餌不足でも興味本位の狩り(kill)ではないと結論づける。

 

狼の群れではアルファ・フィメールがいつ何を食べる(feed)かを決め、それにはちゃんと道理が通っているのだと著者は言う。腸内のバイ菌を排出するために、わざと腐った肉を食べこともあるという。著者は、そんな狼が餌の豊富な森を出て家畜を襲うのは、家畜の体内に狼の必要とする成分があるからだと推測する。そして、おそらくそれは人間が家畜に投与した栄養剤、薬剤の成分であろうと。このような話には驚きの念を禁じ得ない。

 

著者は、前述のように狼の群れ(pack)には役割(roll)とランクがあると言う。そしてそのランクにより餌の食べる部位(diet)が異なるのだという。アルファは内臓、ベータは脚と尻、ミドルランクは首と背中、そしてローランクは腹部を主に食べる。この食べる部位(diet)と群れのヒエラルキーが密接に結びついていることになる。これは単に群れの規制(regulation)としての意味だけではなく、実際に食べる部位(diet)が直接に狼の肉体に作用すると考えた方がいいようだ。

 

人間の食は全く狼の生態とかけ離れてしまったものになっているが、本当にこれでよいのだろうか。単に感性が鈍ってしまったというようなことはないのだろうか。人間らしくあるための食という考え方もあるのではないだろうか。などと、読後感として、” 人間と狼 ” を考えることは ” 食と生体 ” を考えることに通じるのではないかと思ったりしている。

 


 

The Man Who Lives with Wolves

出版社:HarperCollins _2010/1/30 (amazon)

 

著者 ショーン・エリス(Shaun Ellis1964年10月12日〜)

英国イングランド、ノーフォーク州の草深い片田舎に生まれ育つ。幼少時代から林野に親しみ、狩猟犬ほか多くの野生の動物と遊んだ。育ての親である祖父母との別れが若い著者の生活を暗転させた。農家の家禽を襲うキツネを偏愛したため住民の反感を買い孤独が深まった。環境にも培われた生得的な動物愛と、動物園で目にして心を奪われたたオオカミに対する傾倒が、著者の運命を決定づけた。

各種の肉体労働や数年に及ぶ軍隊生活の後、軍用犬の訓練で生活を支えながら動物園で飼育されているオオカミとの型破りな交流を経験した後、単身アメリカのアイダホ州に渡り、ネイティブ・アメリカンのネズパース族が飼育するオオカミの群れに交り仲間として受け入れられた。それにも飽き足らず、ついに野生のオオカミとの接触を求めてロッキー山脈に単身、決死的な探検に出かける。長い期間飢餓と恐怖、孤独感にさいなまれながら、ついに野生の群れに接触し、仲間として受け入れられ、人間として初めて2年に及ぶオオカミとの共棲を経験した。


その後は故国イギリスの自然動物園を本拠にして、飼育オオカミの養育に没頭しながらも、私生活では紆余曲折に富む生活を送る。著者が信じるオオカミの生態学的発見は、必ずしも学会の全面的な支持を得ていないが、オオカミ自身およびオオカミと犬の共通性に関する知見は直接的な観察に基づいており説得力がある。

著者とパートナーのヘレンが出演した記録映画でBBC放送の『ウルフマン』や、米国の動物チャネルであるアニマル・プラネット制作の『ウルフマンと生きる』、および同じく米国のテレビ局ナショナル・ジオグラフィック・チャネルで放送された『オオカミの中の男』は高い評価を受けた。著者は、その他数多くのテレビ出演をしており、世界の多くの国から調査を依頼されたり講演をしたりしている。著者はイングランドの南西部にあるクームマーティン自然動物パークに非営利団体の「ショーン・エリス・ウルフパック財団」を設立したが、現在は「ウルフ・センター」(www.thewolfcentre.co.uk)に発展的に解消している。


以前の結婚相手及びパートナーとの間に5人の子供がいる。新しい妻となった保全生物学者のイスラ・フィッシュバーン博士と共同で、社会がオオカミといかにつきあっていくべきか、自然界における多様な種の保存がいかに大切であるか、などの啓蒙教育に力を注いでいる。  (築地書館より)

科学と非科学の境に

  • 2016.08.08 Monday
  • 14:34

先月26日に起きた知的障害者らが入る施設「県立津久井やまゆり園」での19人惨殺事件だが、次は都知事選、そしてオリンピックの話題と、すでに忘れられた出来事のような状況になってしまっている。事件当初、 連日マスコミは相変わらず型どおりの報道を行っていた。とにかく容疑者を異常な人格の持ち主として片づけてしまいたいという意図が見え隠れしていた。

 

近隣の人々の取材などで容疑者の異常性が特定されないと、今度は大麻使用の痕跡を大げさに取り上げて薬物常用者の犯罪に決めつけようとする。しかし、このような異常?な犯罪の容疑者が日常生活で周囲の評判が良いというケースは意外に多い。じぶんは、このような状況を取りあえず有りのままに受け止めることが大事だと考える。無理に結論付けを急がないほうが良いと思うのである。大麻使用の善し悪しは別として、アメリカ・コロラド州の大麻合法化などを考慮しても、大麻と凶悪犯罪を安易に結びつけることには無理がある。

 

こういう言い方は好きではないのだが、じぶんはどちらかと言えば理系の人間だと思う。高二の頃に、微積分/無限の概念と、ニュートン運動法則/質量の概念に触発されて数学と物理に興味を持ってきた。同時に、なぜか非科学的?とされるいわゆる超常現象にも惹かれてきたのである。あの頃は、それぞれを違うモードで楽しんでいたのだと想像するのだが、大人になってからも科学性と非科学性の共存は続き、現在はより意味を持ったものになりつつあるような気がしている。

 

光と影の例えがあるが、物理的には光は闇から生まれたものである。ちょっと強引な説になってしまうのだが、じぶんは科学性(光)は非科学性(闇)に包含されると考える。闇の方が巨大なのだ。科学を闇の中の一筋の光と捉える。最先端の宇宙論も、ダークマター/ダークエネルギーという未確定の謎の存在を前提にしないと成り立たないのだという。全てのセオリーが背景にダークなものを前提にしなければならないというのは思うほど不自然なことではないのである。昔の人々にはそれが常識だった。

 

先日、ネットでアニメ『蟲師』を見た。 漆原友紀によるコミック『蟲師』(dic.pixiv.net )が原作だ。

蟲(むし):作者の創作であり、一般的な「昆虫」などの小動物の総称としての「虫」とは異なり、精霊や幽霊や妖怪な どにあたる生物としている。様々な怪異を、普通の人には見えない生命の原生体である様々な「蟲」の生命の営みから起こる現象と捉えている。大部分には名前 は無く、形態も生態も千差万別に多種多様で、自然現象に近いものもある。彼らとの接触が大きいと人間も蟲と同様の存在に化してしまい、普通の人には見えな くなってしまい、記憶や心も失ってしまう。

・・・と説明されている。

 

http://www.mushishi-anime.com/

 

蟲は昆虫ではない架空の生物?だ。しかしながら、作者の心中にあるムシと、昔から ” 虫の居所が悪い ” とか ” 虫の知らせ ” とか ” 疳の虫 ” とか普段の生活の中で語られてきたムシとの間に、何らかの関連があるのではないかと推察する。要するに巨大な闇の中には、まだまだ人間の科学(光)では認識できないものが数多く蠢いているという想像力である。

 

じぶんは、今の社会に、「県立津久井やまゆり園」 の事件の容疑者の中にも何か蟲が居た?と考えるぐらいの知的余裕(遊び)が必要なのではないかと考えるのである。いずれ、それを生物学、脳科学等の科学者等が何らかの形に言語化できるまで。

不食という生き方を考える

  • 2016.06.09 Thursday
  • 20:55
秋山佳胤著『不食という生き方』(幻冬舎)

大きな新聞広告だったので直ぐに目についた。不食?。断食、ダイエットとは違うというメッセージもある。いま身体と食に対して少し敏感になっていることもあり、さっそく外出時に書店に寄ってみたが、まだその店に置いてなかった。アマゾンでダウンロードする。

こういう本は免疫がないと読めないと思う。じぶんは若い頃から超常現象など怪しい話?が好きだったので割と平気である。しかしこういう本が新聞で大々的に広告されるようになるとは時代も変わったものだと思う。著者は弁護士で医学博士、ホメオパシーとか「不食という生き方」を提唱している。

司法試験に挑戦していた著者が不摂生で体を壊し、書店で見つけた気功の本に心機一転、生活に ” 気功 ” を取り入れ体力の回復ばかりか集中力がアップし、850ページの専門書も三時間程度で目を通すことができるようになったという。そして司法試験に合格、弁護士の道へ。本書はこんなストーリーから始まる。

具体的に気功をどのように生活に取り入れたのかは記載されていない。しかし東京工業大学理学部情報科学科卒業の著者がいきなり気功に惹かれたのである。しかしこの事はそんなに意外なこととは思わない。じぶんも理系体質だがずっと非常識的?な事象に関心を持っている。若い頃には自己催眠とかヨガに興味を持ったし、今も武術とか能などの身体操作に関心がある。

著者は司法試験合格の後にある空手団体に入門する。気功で体力が付き身体に目覚めたと言えるのかもしれない。毎日腹筋を1000回、拳立てを250回、さらに野山を走り稽古に励んだ。そして「毎食、魚か肉を」という食生活だったという。謂わばアスリートのライフスタイルだったと言える。

あることがキッカケでこのライフスタイルが一変する。ある日、ホメオパシーという考えを知り専門学校に通うことになる。この辺りの話になると何か運命めいたものを感じる。 ホメオパシーとは免疫力(自然治癒力)を使った療法のこと(らしい)。著者はこのことが縁で「不食という生き方」に出合うことになる。

キーパーソンはオーストラリア人のジャスムヒーン(wikipedia)氏だ。「不食者(ブレサリアン=呼吸主義者)」として世界中でワークショップを開催している人物とのこと。彼女は1996年から飲み物や食べ物の摂取を止めたのだという。因みに著者は2008年から一切の飲食が不要になったとある。プラーナ(気)を取り入れることにより生命の維持ができるのだという。

不食とは飲食をしなくても生きられるということではあるが飲食を否定しているわけではないという。著者もお付き合いで飲食することもあるが少量であるようだ。かつて聖人と呼ばれる人のなかに食べずに生きることの出来る人がいたというような話を聞いたことはあるのだが、市井の人々の中にそのような人が存在することを知ったのはごく最近のことだ。しかしこんな話題が世間で普通に語られるようになったことは刮目せざるをえない。

じぶんは、まだ一般常識の境界外にあると考えられているような、例えば青森の木村さんの無肥料無農薬の奇跡のリンゴとか、ヨガ修行者である成瀬雅春氏の空中浮揚とかの話を現実のものと信じている。しかしそれは極々稀なケースと考えいた。ところが本書を読んでいると「不食という生き方」がまるで誰もが達成できうる生き方のように思えてくるのである。

著者によれば世界には10万人程度の不食の人がいるのではないかという。70億分の10万なので非常に少数ではあるのだが、もしかしたらと思わせるような数字でもある。先日人類史に対する興味から国立科学博物館を観覧してきたのだが、人類と食べることは切っても切れ離すことのできない業(ごう)であろうとの認識を強くした。それこそ「生きる=食べる」だったはずだ。

それが何故、二十一世紀の今になって 「不食という生き方」 が出現してきたのだろう。ホモ・サピエンスがこの能力を取得するのに二十万年を経る進化を必要としたと言うのだろうか。しかしこんなことは、じぶんに分かるわけがない。ただ、眉唾ものと考える人々が多いことも想像できるが、じぶんは何事もこの事例を認めることからしか始まらない気がしている。

社会的にずっと支持されてきた「グルメという生き方」がある。 「不食という生き方」 とは対極にあるようなものに思われる。が、著者はムリをせず食を楽しむも良しとしている。そしてさらに不食という楽しみ?もあるよと提唱する。じぶんは、これが我々が存在する世界(物理空間+α(アルファ))のダイナミズムの証ではないかと考えるのである。

環境、食料、エネルギー、経済等、難問山積のこの新世紀になって現れてきた生き方。人類進化のターニングポイントを示唆しているのだろうか。エンディングノートに記す生き方として「美食」にするか「微食」にするかが問われる。どっちも是なのだが、今、「微食」に惹かれるじぶんがいる。

関連投稿: 技と食を考える (2016/04/02)
 

不食という生き方不食という生き方
平成28年5月 幻冬舎発行(amazon

著者 秋山佳胤(あきやま よしたね)
1969年東京生まれ。東京工業大学理学部情報科学科卒業。98年弁護士登録、2008年ロータス法律事務所設立。知的財産権を専門とする。12年医学博士号(代替医療)取得。日本ホメオパシー医学協会(JPMHA)・英国ホメオパシー医学協会(HMA)認定ホメオパス。一般社団法人シンキング・リン協会理事。
2011,12年熱帯雨林保護のミッションでアマゾンを訪問、地球サミットに参加し、NGOグリーンハート理事として環境保護活動にあたる。
2012,13年、平和使節団としてパレスチナ、イスラエルを訪問する。コーヒー豆の焙煎歴25年超、「ロータスコーヒー」として提供。08年より、不食を実践。本業の弁護士の傍ら、健康や腐食に関する講演や著作活動も行う。

 

中世の印し

  • 2016.02.22 Monday
  • 13:37
小保方晴子著『あの日』(講談社)

もうほとんど忘れかけていたのだが、小保方さんの本が出版されたと聞き、読んでみなければと思った。TVのバラエティ番組とラジオでもちょっと取り上げられていたが、どちらかと言えば批判的な評価だった。まず、タイトルが???だ。出版社の編集担当者が付けたのだろうが意味不明だ。もしかして、最初のページが「あの日に戻れるよ、と神様に言われたら、私はこれまでの人生のどの日を選ぶだろうか・・・・」の書き出しで始まっていたことと関連しているのだろうか。

じぶんが、この出来事の関連で、まとまったレポートを読んだのは須田桃子著『スタップ細胞事件の真相』が唯一のものだった。一年ほど前になる。『スタップ細胞事件の真相』は毎日新聞の記者が取材活動を通じて得た情報をまとめたものである。しかし、その内容が外部から取材する側の一方的なものになってしまうのは否めない。そういう意味で、今回、取材される側の小保方さんからのレポートが出版されたということは、出来事の真実に迫るためにも、また情報のバランス的にも良かったのではないかと思う。

『スタップ細胞事件の真相』もそうだったが、『あの日』も専門用語による説明・解説が多く、一般人が読み切るのは大変だ。まだ、じぶんは多少なりとも生物学に対する興味があったので、完全理解にはまだまだ程遠いが何とか読み終えることができた。また、この二冊のおかげで、生物学の発生・再生分野の一端をぼんやりとイメージすることができるようになったのも事実だ。

須田桃子氏は、最終的に、この出来事を事件として捉えようと決心した。記者として、積極的な取材活動を行い、真実を明らかにしようとした。ほとんど途中から事件記者モードになっていたのかもしれない。そして、その結論が「捏造」、しかし出来事の全背景を明らかにすることはできなかった。小保方さんは、本書で須田記者による取材攻勢が異常にきつかったと告白している。

本書の内容が、言い回しは別として、事実であるとするならば、今回の出来事のキーマンは若山教授であろうと推察できる。あの2014年1月28日の記者会見では、あたかも小保方さんがキーマンであるかのような雰囲気につつまれていたが、なぜそうなってしまったのか(あるいは、意図的にそうしたのか)。問題の「ネーチャー」の論文は、小保方さんがハーバードのバカンティ研究室と理研の若山研究室でポスドク(※)として在籍していた時に発見した現象が元になってはいるが、悪まで論文提出の責任はバカンティ教授と若山教授である。小保方さんが自分の研究室を持つのはこの後のことなのである。

※「ポスドク」とは、ポストドクターの略。 博士号(ドクター)を取得しながら、大学などで正規のポストに就けず、非正規の立場で研究活動を続けざるを得ない任期付き研究者のことです。 博士研究員とも呼ばれます。 主に数年間の研究プロジェクトごとに雇用されますが、その後の地位の保証はありません。
(人事労務用語Weblio辞書)


しかも、論文提出を決めたのは若山教授であり、特許申請?をも併せて進めようとしていたというのだからポスドクの立場でできる仕事とは思えない。さらに、ハーバード側の論文は「現象の発見」を主題としていたのだが、ネーチャーの要請で若山教授の成果である幹細胞株化を取り入れて「新たな幹細胞株の確立」が主題のごとき論文になってしまったという。

小保方さんが個人的に関心があったのは現象(所謂STAP現象)の方であったようだ。おそらく、若山教授と、後から指導者として参加した笹井さん(或いはCDBという組織)は幹細胞株化の方に関心があったのではないかと推測する。山中教授のiPS細胞が注目されていた時期で、研究者として強く意識するのは当然であり、お二人とも実力的に「新たな幹細胞株の確立」を目指せるポジションにいた。

ただ、それが小保方さんの基礎研究がベースになっていたことが悲劇の始まりとなった。また、STAP細胞はハーバードと理研の双方で研究されてきたものであり、双方に関係していた小保方さんが論文の執筆を担当したことも、この出来事で貧乏くじを引くはめになってしまった要因になったのかもしれない。

注目された理研内部での検証実験について、小保方さんは次のように書いている。

実際には私が行った検証実験においても、丹羽先生のところで独立して行われていた検証実験でも、「体細胞が他能性マーカーを発現する細胞に変化する現象」は間違いなく確認されていた。
しかし、検証実験のSTAP細胞の作製成功の基準と定められてしまった「多能性の確認」の実験はすべて若山先生の担当部分だった。若山先生の実験によって証明されたキメラマウスの作製が、検証実験では成功しなかったために、検証実験のすべては失敗に終わり、STAP細胞の存在は確認されなかったと結論付けられてしまった。


本書に小保方さんが記述した、疑惑問題が浮上してから彼女の身辺に起きた様々な事柄が事実とすれば、それはもう魔女裁判のごとくであったと言うしかない。さらにES細胞については、彼女にとってもはや寝耳に水という様相を呈する。昨年、時折覗いているウェブ版ニューヨークタイムズの中のビデオで、一人の女性がコーランを焼いたとの疑いで群衆に取り囲まれて罵声を浴び、石を投げつけられ、終には油をかけられ火で焼かれるという映像を見てしまった。胸糞が悪かった。小保方さんは焼かれなかった分ましだ、という問題ではないだろう。

仮称STAP現象が事実であるとするならば、何時の日にか、何れかの国で、何れかの人によって再発見されることになるのではないか。そして、その現象が世界をアッと言わせるような発見と開発に繋がることになるのかもしれないのである。その時、小保方さんはどう記憶、そして記録されることになるのだろう。

関連投稿:スタップ細胞事件の真相 (2015/03/11)
 

あの日あの日
講談社(
amazon
2016年2月 発行

著者 小保方晴子
早稲田大学、東京女子医科大学、バーバード大学医学大学院、理化学研究所発生・再生科学総合研究センター(CDB)で研究に従事。

 

生命のスピリチュアルなはなし

  • 2014.09.05 Friday
  • 18:00
最近、スピリチュアル系書籍の新聞広告が目につく。特に、東京大学附属病院救急部・集中治療部長である矢作直樹氏の著書が続く。じぶんも、以前、氏の著書を読んだことがある。
参照:死後の世界はあるか (2011/12/05)

個人的には、スピリチュアル系の話題に興味を持つようになったのは結構古い。初めに興味を持ったのは二十歳前後の頃なので、もうすぐ半世紀近くになる。しかしながら、半世紀近く経ってもなお、白黒がはっきりしないのだからこのテーマの難しさ、厄介さ、悩ましさを象徴している。

じぶんの興味の発端はUFOだったと記憶している。ジョージ・アダムスキーのUFO搭乗体験記は、下手なSF小説よりも面白かった。それから、他の超常現象などへと興味が広がっていった。初めの頃は、結構、信憑性があるのではと感じていた頃もあった。しかし、生活にかまけてる間に刺激も治まってきて、そんな話題からは自然に疎遠な日々になっていった。

しかしながら、あり得ない事と簡単に一掃することはせずに、取り敢えず、今は分からない事であると棚上げにしてきた。頭っから否定することはなかった。この姿勢は今も変わっていない。そういう意味で言えば、じぶんは、この手の話についての知識は半端だが、免疫力は十分に持っていると思っている。馬鹿にもしないが安易に信じることもない。完全否定は思考停止と同じだ。

しかし、現役の医師が霊界存在の可能性を公言する時代が来ようとは想像もしなかった。このテーマについては、「あり得ない」というよりは「あり得るかもしれない」ぐらいの方が、個人的には自然な感覚である。やはり、物質現象より生命現象の方に親和性のあるテーマなのであろうと推測もする。と言うことは、いずれ量子論との関わりも(?)と妄想がふくらむ。

さて、これからどうなる。定期的に訪れるスピリチュアル・ブームの一つとして終わるのか。それとも、何らかのステップ・アップが見られるのか。興味深いところだ。じぶんとしては、この変動の世紀に、人間に新しい次元の知性を覚醒させてくれる端緒になればと願うのだが。難しいだろうな(!)。しかし、まだまだ不思議な生命的現象に対する興味はつきない。

数理生物学 (?) のはなし

  • 2014.04.09 Wednesday
  • 15:22
iTunes_U をのぞき見するようになってから2年ほどになるが今も時折り愉しんでいる。 キッカケが慶應義塾大学藤沢キャンパス(SFC)の村井 純氏だったので、結果、SFCの講義をのぞき見することが多い。3ヶ月ほど前に「数理生物学 2013」という講座を見つけて開いてみた。
数理生物学内藤泰宏氏が講師を勤める講座なのだが、始まりの映像が不思議で面白かった。初めカメラは引いた映像から始まるのだが、講師とガラガラの教室の椅子だけで学生いる気配がない。後で、講師の語りの中で分かったのだが、大学院生向けの講座で履修生が10人ほどらしい。
(→内藤泰宏研究室

学生は全員教室の後ろの方に固まっているということか(?)。詳細は不明。しかし講師の内藤先生はよく声が通り聞きやすいので、しばらく聞いていたら内容も面白くなってきた。

講義は初回の「ガイダンス / ゲノムは物理法則を変えられない」でガイダンスが面白かった。本講座では ”こんなことを考えたことがありますか” というようなことをテーマにして行きたいとのこと。そして、「問題解決能力」より「問題発見能力」の重要性と難しさを伝えたいのだと言う。さらに履修生の採点は、講義の後に ”サイエンスとして先につながるような質問” を提出してもらうことにより行うと説明される。

まさに大学の授業!!と感心する。しかし残念ながら、ネット上では初めから終わりまで講師が映し出されているのみで、授業で使われている教材(画像など)は、学生は個人のPCで見ていると思われるが、ネットでのぞき見している一般の人は見ることが出来ない。

じぶんは、時間のあるときに、PCもしくは iPhone でこの講座をのぞき見、正しくは聞きながら他の事をしている。BGMならぬBGL(Lecture) に使っている。不思議なことに、これが使えるのである。内容はほとんど理解できない。内容が大学院生向けで、手元に教材もなく聞くだけでなので分かるわけがない。しかし講師の日本語は分かりやすい。

時折、講師の話にじぶんの脳が反応する。言葉とか表現に。分からないなりに感じる部分があるのである。第一この授業のタイトル「数理生物学」が分かるようで分からない。しかし、数理(数学)で生物を考えるという ”仕方” もあるだろうことは想像できる。細胞のエネルギーの話の時に、電子のエネルギーレベルという言葉を聞いたときは、本当に新しい生物学の分野なんだなと思った。電子は量子物理学の次元の用語である。

これは初回講義「ガイダンス / ゲノムは物理法則を変えられない」につながる。生命現象のキーとも言えるゲノムも物理法則を変えることはできない。講師は、このことがかならずしも当たり前のことと認識されてはいないのではないか、と語る。多くの生物学者にとって ”生命現象” とは自然界の特別な現象であり、物理現象以上のものであるという想いが存在するということだろうか。講師は、生命現象も物理現象の範疇であり、ゲノムは物理法則を少しねじ曲げて生命現象を生み出していると説く。

さらに、講師はサイエンスは一種の信仰であり宗教と同じであると言い、自分はサイエンスの信仰者であると語る。このような講師の物言いは、じぶんに心地よく響く。じぶんが、もし科学の研究者であるとするならば、同様のスタンスに立っているかもしれない。

本講座は11回の講義(90分〜100分程度)からなる。9回分をヒアリングし残り3回分となった。全講義を修了したとしても、じぶんに何らかの生物学に対する知識が残るとも思えない。しかし、生物学、物理学、数学などの統合された新しい研究分野が広がっていくに違いないとの思いを新たにすることは出来る。

じぶんには、サイエンスという「考え方」に対する期待がある。そういう意味で、じぶんもサイエンスの信者かもしれない。奇しくも、今日、小保方さんの記者会見が開かれた。その中で、彼女は「自分のいたらなさで論文を疵モノにしてしまい残念です。しかし、STAP細胞の作製については200回以上成功しており本物です」と語っている。

サイエンスとして認められるには第三者による再現実験しかない。しかし記者会見でもそうだが、科学的真実よりも周囲の出来事の方に多く注目されてしまうというのは残念なことである。これを機に、小保方さんばかりではなく、組織、マスコミ、そして我ら個人も反省、勉強しなおす必要があると感じた。

関連投稿:新型万能細胞の発見の報! (2014/02/01)

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