無限(夢幻)のはなし

  • 2017.07.22 Saturday
  • 14:51

現代の肖像 森田真生 eAERA Kindle版

 

独立研究者と名乗る一人の若者がいることを知った。昨年、彼の著書『数学する身体』を読んで、その若者の生き方に驚愕した。年老いて、夜寝てから2,3時間で目が醒めてしまうことがある。そんなとき『数学する身体』を数ページ読むことをやってみた。一般に小難しい印象のタイトルの本だが、これが不思議に合うのである。妙に落ち着く。

 

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こんなことで気になる若者だったのだが、アマゾンでこの記事を見つけた。2012年10月1日号「AERA」に掲載された短い記事なのだが、実に愉しい。

 

 不思議なことに、数直線から適当に数を一つ選んだとき、それが計算可能数である確率は0ということが証明できます。(森田)

 

計算可能数というのは何かしらの計算手続きに置き換えられる数のこと。整数や分数は無論のこと、数学に出てくる数のほとんどは計算可能数であるという。一方、どんな計算手続きにも置き換えられない数があってこれを計算不可能数という。

 

しかし、研究者の上記の言葉によれば、数直線上のある数を指定?したとき、その数が計算可能数である確率が0という訳である。数学で扱う数のほとんどが計算可能数であると言いながら、舌の根の乾かぬうちに、計算可能数を選べる確率は0であると言う。

 

この話はカントールの「集合論」から来てるらしい。数直線上の計算可能数は可算無限個しか存在せず、さらに無限の中では一番小さい無限であるとのこと。一方、計算不可能数は非可算無限個も存在し、数直線全体からすれば計算可能数はないに等しいのだという。しかし、不思議なことに現実に手に取れるのは計算可能数ばかりである。無限空間の話は本当に面白い。ビックリ、ワクワクである。

 

 僕はこの世界もそうではないかと思うんです。僕らに見えているもの、意味がわかるもの、実態を持っているものって無数にあるように見えるんだけれど、それらの背後に一切アクセスできないものがあって、それらが世界を支えているのではないか。小学校で習う数直線という素朴な線ですら、そんな深遠なメッセージを伝えてくれる・・・。(森田)

 

もしかしたら、自然、社会という実世界も、数学という抽象の世界と同様に計算不可能数で埋め尽くされているのではないか。宇宙のダークマター、ダークエネルギーすら未確認ではあるが計算可能数の範疇であると想像すると、その背景には一体どんな無限(夢幻)の世界あるのかと気が遠くなる。

 

しかし何故か、このような意識はじぶんを力づけてくれる感覚を伴う。さらに、科学も宗教も関係者が思うほどには達しておらず、まだまだなんだなという認識を覚える。

 

 ですよね! 計算不可能数は、その数の存在そのものが意味となっていて、他のいかなる意味にも回収されない。そこが素晴らしいんです! たとえば映画でも『感動物語』とか圧縮した意味に回収されちゃうじゃないですか。だったら見に行かなくてもいい。どんな意味にも回収されないからこそ、その存在の全体が意味になる。数直線上にその数全体でしか意味を表すことができない数がほぼ100%というのは、なんか勇気づけられるな! 僕の人生も簡単な意味に回収されるなら、生きなくていいわけですよ。意味に回収できないからこそ、人は実際に生きてみるしかないわけです・・・。(森田)

 

関連投稿: 新しい数学の見方 (2016/10/16)

素粒子物理学「標準模型」のはなし

  • 2013.10.03 Thursday
  • 16:04
2012年の夏、ヒッグス粒子発見の報に世界中がどよめいた。マスコミの報道に、一般の人びとも、ほとんど訳も分からずに興奮した。神の粒子、素粒子に質量を付加する水飴のようなもの、等々。新聞、TVで賑やかに報道されたが、正直よく分からなかった。何か違うんじゃないかなという印象だけが残った。じぶんは、記事は科学関連専門の記者が担当するのだろうが、一般に分かりやすく説明するために無理な表現になってしまったか、もしくは記者本人がよく理解していないかのどちらかではないか、と思っていた。

じぶん自身も、物理学については、世間の人と同じくまったくの素人だが、少年の頃から秘かに憧れをいだいていた。いずれ、物理学(&数学)が ”神” をも証明してしまうに違いない、と考えるような少年だった。しかし、まとまった勉強をする機会もなく社会人となり、時折、一般人向けの科学啓蒙書を読むことはあったが、物理学の理解を深めるところまではいかなかった。

ただ、ずっと「質量」という概念が物理学の真髄に触れるものではないかという感覚を持ち続けていて、還暦近くになってから改めて現代物理学関連の書を読み始め、その感覚が正しかったことを改めて確認することができて、内心 ”やっぱり!” とひとりほくそ笑んでいた。その勢いで、アメリカの大学でテキストに使われてるという書(リサ・ランドール著『ワープする宇宙』)に挑戦してみたが、元々、一般向けとして著述された書というものの、結局、予備知識不足を思い知らされるはめに終わった。

そんな折、出合った書(大栗博司著『重力とは何か』:「重力のはなし (2012/09/18)」)で、現代物理学の概観を知ることができた。そして、今回、同じ著者の書『強い力と弱い力』(電子版) を読むことができて、一年前の ”ヒッグス粒子騒動” をじぶんなりに整理することができた。結論から言えば、ほとんどのマスコミ報道は不適切だったということである。少なくとも、”ヒッグス粒子が、自由に飛び回る質量ゼロの素粒子を水飴のようにまとわりついて、質量を生じさせる” というような解説は、一般の人の頭を混乱させるだけだということである。百害あって一利なし。

強い力と弱い力強い力と弱い力
ヒッグス粒子が宇宙にかけた魔法を解く
2013年2月 発行
株式会社幻冬舎 (電子版:honto

著 者 大 栗 博 司 

さて、それでは何を理解することができたのかと言えば、素粒子物理学は「標準模型(理論)」を知ることから始まるということにつきる。このような理論体系があることは前述の『ワープする宇宙』を読んだ時に初めて知ったのだが、じぶんはその位置づけ、重要性を理解することができなかった。とても重要な理論体系だったのだが。

「標準模型(理論)」は、多くの科学者たちが、しばしば道に迷い、つまづき、試行錯誤をくりかえしながら作り上げた理論である。アインシュタインが一人で作り上げた「相対性理論」とはここが違う。この分野に貢献したノーベル賞受賞者は40名以上に上る。著者は、この理論を大学で学んだとき、まるで増改築を重ねてきた温泉旅館のようだと感じたという。しかし、学び終えたときの達成感は、一般相対性理論を理解したときよりも深いものだったと回顧する。

その「標準模型(理論)」が、ヒッグス粒子の発見により一応の完成をみたことになる。理論が予測した 17種 全ての素粒子 −電子(電子・ミュー・タウ)、ニュートリノ(電子型・ミュー型・タウ型)、クォーク(アップ・ダウン・チャーム・ストレンジ・トップ・ボトム)、光子、グルーオン、wボソン、zボソン、ヒッグス粒子− が実験で確認された。

「標準模型(理論)」の中では、ヒッグス粒子よりその粒子を生み出す ”場” つまり ”ヒッグス場” が重要な役割を果たす。宇宙に遍在する ”ヒッグス場” が「対称性の自発的破れ」によって素粒子に質量を生じさせる。”水飴” ではないのである。日本人物理学者・南部陽一郎の提唱から始まった「対称性の自発的破れ」という魔法によって素粒子が質量を持つ。じぶんが、このことを理解できたかと言えば NO というしかないが、しかし、素粒子物理学が ”水飴” に例えるような、この三次元の物質世界を表現するような方法では表現できない言語体系にある、ことは理解していると思っている。

物質の「質量」の根源は原子にあるが、電子は無視できるほど質量が小さく、ほどんどは原子核が占めると考えてよい。原子核は陽子と中性子からなるが、これらも素粒子クォークから構成される。クォークは ”ヒッグス場” で質量を付与されるが、その大きさは原子核全体の1パーセントに過ぎないのだという。では、残りの99パーセントはと言うと、陽子、中性子を構成するクォーク間に働く「強い力(ストロング・フォース)」によるということになる。

アインシュタインの質量とエネルギーの等価性を表す関係式 E=mc² で力(E:エネルギー)を質量(m)に変換すると、「強い力(ストロング・フォース)」から生じる質量は原子核の99パーセントを占めるものだという。この世界に存在する物の質量は、そのほとんどがクォークとクォークをくっつけるために働く力が源だという話である。いったい「質量」って何だろう?

どちらにしても、本書で、現代物理学を知るには「標準模型(理論)」の概要を知る必要があることが分かった。とは言え、物理学の正当な記述言語である数学を使って理解することが至難の業であることは明白なので、せめて、何とか言葉を中心にした記述で「標準模型(理論)」の概略図を頭に描けるようにできないものだろうかと想いを巡らせている。幸いにも、リサ・ランドール著『ワープする宇宙』、そして本書のように最低限の数学的記述で一般向けの書を表してくれる研究者たちがいるので、努力は必要だろうが、何とかなりそうな気はしている。

物理、生命、経済は、ここ数年じぶんの好奇心の対象である。どれも難解なしろものだが、物理、生命の場合は「自然」が対象で、理解できぬのは ”自分のせい” と思えるだが、経済の場合は、なぜか ”そっちが悪い?” と逆ギレ状態になってしまうのは不思議である。自然科学の場合は、取り敢えず観察者を対象外にできるので、どちらかと言えば整理しやすいからだろうか。しかし、先日の投稿で取り上げた故 小室直樹(「小室直樹という人 (09/18)」)の社会科学に対する熱い想いを考えると、経済に対する心持ちも入れ替えねばと思っている。

関連投稿:またまた ヒッグス粒子のはなし (2012/07/05)
     この世の理(ことわり)を知りたい (2012/06/14)


著者略歴
大栗博司(おおぐりひろし)
1962年生まれ。京都大学理学部卒業。
京都大学大学院理学研究科修士課程修了。理学博士。
東京大学助手、プリンストン高等研究所研究員、シカゴ大学助教授、京都大学助教授、カリフォルニア大学バークレイ校教授などを経て、現在、カリフォルニア工科大学カブリ冠教授及び数学・物理学・天文学部門長、東京大学カブリIPMU(数物連携宇宙研究機構)主任研究員。専門は素粒子論。
超弦理論の研究に対し、2008年アイゼンバッド賞(アメリカ数学会)、高木レクチャー(日本数学会)、09年フンボルト賞、仁科記念賞、12年サイモンズ研究賞受賞。アメリカ数学会フェロー。
著書に『重力とは何か』(幻冬舎新書)、『素粒子論のランドスケープ』(数学書房)などがある。

久々に、ヒックス粒子の話題!

  • 2013.03.22 Friday
  • 21:12
あと何年残されているか分からない余生、この間、「そうなんだ!」「そうだったのか!」ということを少しでも多く体感したいというのが願い。それを実現している諸先輩はおそらく多士済々、そして方法も多彩と推察する。セカンドライフの定石 である ”旅行とグルメ” という手 も、やり方によっては充分にその願いをかなえてくれるものと想像はできるのだが、お金と時間がかかる割りには外れも大きい、とじぶんは思っている。しかし、その師を探す余裕もなく、となれば、我流でいくしかない。と言うことで、じぶんが選んだのは「学び直し」というお手軽なやり方。

このブログのカテゴリーはその「学び直し」のステージを意味する。カテゴリーのタイトル数はスタートした頃に比べると、少しずつ増加している。今後も追加・変更が続くだろう。そして、少年の頃からずっと気になっていた事の一つに「物理」の世界がある。宇宙ってなんだ、自然ってなんだという疑問は永遠のテーマだ。現代の「物理」はミクロの世界がメインステージになっている。昨年から話題になっている ” ヒッグス粒子発見か? ” のニュースは、そのことを我々一般人にも再認識させることとなった。

欧州原子核研究機構(CERN)は3月14日、イタリアで行われた年次会議モリオン国際会議において、発見された粒子の一部の基本特性が現時点で素粒子物理学のいわゆる「標準理論」の予想と一致していることを明らかにし、 2012年に発見した「ヒッグスらしき」粒子は、本当に長らく見つかっていなかったヒッグス粒子であるとの確信をこれまで以上に深めたと発表した。

日本の研究グループが、確定には5月頃までかかるだろうとの見通しを示したばかりだったところで、御大CERNによる今回の発表となった。しかし、これも本当に ”ファイナルアンサー?” と問えば、量子力学的に100%はあり得ないというオチでもつくのだろうか。物質を構成する原子、分子よりもなお小さな素粒子、粒子と波の性質を併せ持つ量子の世界は「現世」の常識では計り知れない。むしろ「あの世」の話とでも考えた方が腑に落ちる。

現代物理のはなしは入門書と言えども消化しにくい。さらに、新聞記事ですら尚という思いが多くの人の感想ではないだろうか。じぶんは、近頃、言語の問題ではないかと考えている。言語を共有する間でしかコミュニケーションはとれないものだ。現代物理は数学ベースの言語が話せないと理解困難な世界だ。しかも、外国語を考えただけでも分かるように、一つの言語をマスターするにはそれなりに時間と努力を要する。とても一般人が簡単に到達できるところではないという話になってしまう。

しかし、それでは身も蓋もなくなる。何とか、素人諸氏でも消化できるところまで ”こなれたモノ” に料理してくれる先生はいないものか。もっとも、第三者に期待するばかりではなく、自分の消化能力も高める修練が必要なことは言うまでもないのだが。この辺りが、このテーマにおける悩ましい事情なのである。現代物理学の真髄が在りか否かは分からない。しかし、在るのであればその気配だけでも感じたい。そうすれば、じぶんとしては充分満足だと思っている。こんな事を考えていたら、ある事を思い出した。「肩こり」 のはなしである。

欧米には「肩こり」という言葉がなく、その ”症状” も無かった。日本から「肩こり」という言葉が移転されると、「肩こり」という ”症状” も生じるようになったと言うのである。この記憶が曖昧で、ジョークだったのか、まじめなリポートだったのかは判然としない。しかし、常識的な話ではないが、これは ”在り” だなと考えている。

言葉(言語)には、環境を分析する力だけではなく創造する力もあると考えれば、「肩こり」のはなしなどは不思議でも何でもない気がする。今、現代物理学が行っている数学によるモデル構築と、モデルを立証するための実験 −メガ実験施設でビッグバン時のエネルギー空間を再現− という手法は、まさに言語(数学)による ”環境の創造” と言うべきものではないか。しかも、言語によって創り上げた世界(実験空間)は、また言語(コンピュータープログラム)によってしか見ることができない。時折、放射能のように、環境への影響でそのリアリティを感じ取ることができる時もあるのだが。

重力のはなし

  • 2012.09.18 Tuesday
  • 10:36
少し前、ヒッグス粒子の発見が話題となったが、、ヒッグス粒子は他の素粒子の「質量」に関わると言われる素粒子の一種。「質量」は物理世界を考える上で重要な概念だ。「物質」が存在する空間が「物理世界」であり、「物質」の本質は「質量」である。これは少年の頃に身についた考え。「質量」については wikipedia で次のように解説している。

質量という概念の内容や定義は、動力学、力学の歴史とともに推移してきている。 物理学的には厳密には、動かし難さから定義される慣性質量(inertial mass)と、万有引力による重さの度合いとして定義される重力質量(gravitational mass)の2種類の定義があるが、現在の物理学では等価とされている。質量の発生原理は長年研究されているが未だに解明されていない。 単位は、MKS単位系では kg (キログラム)、CGS単位系では g (グラム)。 質量は、重さ(重量)と混同される場合も多いが、両者は異なるものである。

本ブログで何度か触れているが、物理的世界観に興味を持つようになったのは上記解説にあるアンダーラインの文章が表す概念を感じた取れた(?)と思ったからである。当時は明確な言葉の定義は知らなかったのだが、今改めて整理してみると、「質量」 には 「慣性質量」 と 「重力質量」 の二つがあり、この二つは等価である、と言うことになる。しかし、上記解説でも ”質量の発生原理は長年研究されているが未だに解明されていない” とあるように、「質量」という概念の難しさは格別なものであり少年の頃に体験したあの ”分かった” という感覚はある種の錯覚だったのだろうと思っている。

しかし、この体験が 「物理世界」 そして 「物理世界以外の世界」 へと興味が拡がり自己形成の一要因となった訳で、今はじぶんにとって ”有意義な体験” だったと思っている。さて、この 「質量」 と切っても切り離せない概念に 「重力」 がある。「重力」 は 「質量」 を元に引き起こされる物理現象なので、この 「重力」 という概念も 「質量」 に劣らず難解度超特級の概念である。

先日、タイトルに惹かれて買ってしまった本、大栗博司著 『重力とは何か』(幻灯舎新書:amazon) で、ますます「重力」の不可思議さと現代物理学の奇妙さに取り憑かれてしまった。

重力とは何か著者 大栗博司氏 プロフィール

1962年生まれ。京都大学大学院理学研究科修士課程修了。理学博士。東京大学助手、プリンストン高等研究所研究員、シカゴ大学助教授、京都大学助教授、カリフォルニア大学バークレー校教授などを経て、現在、カリフォルニア工科大学カブリ冠教授および数物天文部門副部門長、東京大学国際高等研究所カブリ数物連携宇宙研究機構主任研究員。専門は素粒子論。超弦理論の研究に対し、2008年アイゼンパッド賞(アメリカ数学界)、高木レクチャー(日本数学界)、09年フンボルト賞、仁科記念賞受賞。著書に『素粒子論のランドスケープ』(数学書房)がある。

物理学の学び直しを思いついて初めて読んだ本がアメリカの大学で教科書に使われているという本。元々は一般の啓蒙書として書かれたもののようで殆ど数式が使用されていないのだが内容は豊富で中味が濃く、我々一般人が安易に読めるものではなかった。しかし、初めに現代物理学の抱える複雑で多岐に亘る課題、問題等をぼんやりとでも把握できたことは意味があると思っている。
参考:この世の理(ことわり)を知りたい (2012/06/14)

本書は、長年 「重力」 の研究をしてきた著者が卒業以来会っていない高校の同窓生を意識して書いたと言う。それ故、著者自身がやってきた仕事を分かりやすく説明しようとする姿勢は理解できる。素粒子の「標準模型」という考え方が分かりやすく説明されていたのはラッキーだった。しかし、現代物理学の持つ奇妙さはどんなに噛み砕いても簡単に消化できるものでないことを改めて認識することにもなった。

「万有引力」を考えだし 「重力」 を初めて科学にしたのはニュートン。高校時代に、じぶんもその一端に触れた。しかし、ニュートンは 「重力」 の仕組みまでは説明できなかった。その課題を引き継いだのがアインシュタイン。1905年の 「特殊相対性理論」 で物理空間が4次元時空であることを説き、1915年に 「一般相対性理論」 で 「重力」 を時空の歪みで説明した。

1947年生れのじぶんが高校生の頃には、既に相対性理論は発表されていたのだが、無論未だ教科書には載っていなかった。現代の高校物理学の教科書に 「相対性理論」 の話が載っているのどうかは知らないが絶対に載せるべきだと思う。最新の理論、考え方を難しいままでも載せるべきだと思う。そして、自分の頭を再構築する苦しさを味わうチャンスを与えるべきである。計算問題を早く解くテクニックとは異なる能力だ。これはスポーツのために基礎的身体能力を鍛えることと同じである。

本書では ” 「質量」 と 「重さ」 は実質的に同じものであり、区別して考える必要はない ” と述べられているが、上記 wikipedia 解説 では” 「質量」は、「重さ(重量)」 と混同される場合も多いが、両者は異なるものである ” と記載されている。じぶんはこの二つの表現はどちらも妥当だと考える。言葉で物理現象を解説することの限界を表しているものと思う。

同じ 「物質」 が地球と月の上では「重さ」が異なる。「質量」 は不変だが 「重さ」 は変わる。そいう意味では 「質量」 と 「重さ」 は異なるものと言えるが、「重さ」 を引き起こす元は ”「物質」 に特有の  「質量」 という性質” であるという考え方に立てば ”「質量」と「重さ」は等価あるいは別の表現” と言えるのではないだろうか(?)。

冗長度が高いというのは言葉の特質だと思うが、それ故に科学的表現が難しいとも言える。科学者が 「数学という言語」 に翻訳しようとする、あるいは 「数学」 で考えようとするのはこの為だろうか。本書でも、「重力」 のはなしはイメージしにくい 「相対性理論」 から、それよりもなおイメージ困難な 「量子の世界」 の深みへと入っていく。

「物質」 に密着していた 「重力」 という概念が非物質的な 「数学の世界」 に変化していく。今のじぶんには理解困難だが、これが最先端の物理学の姿なのかと思う。”「物質」 が在る 「物理世界(空間)」”  というイメージが問われる。137億年前に超高温超高密度の火の玉のようなものからビッグバンで宇宙が誕生し膨張を続けているというのが現在の宇宙誕生の通説。

混沌としたカオスの状態から素粒子が生まれ、原子、粒子からガス状星雲、銀河、そして恒星、惑星へと宇宙は分化を続け現在がある。初めは素粒子だけの 「量子の世界」 だったわけで、この宇宙(「物理LHC世界」)を知るには 「量子の世界」 を知らなければというのは道理だろう。しかし、 「量子の世界」 は目に見えない世界であり 「数式モデルの世界」 である。唯一この世界とつながるゲートはCERN(欧州原子核研究機構)のLHC(大型ハドロン衝突型加速器)のような特殊な実験施設の中にしかない。

市井の徒はこれらの実験施設の見学もままならず、”書”と”映像”で妄想を逞しくするしかない。そんな事には意味がないという声が聞こえて来そうだがそんな事はない。何か科学的発見があると、「それは何の役にたつのか」 という質問がよく聞かれるというが、それは愚問である。

ある事実の発見、理論の構築の最大の効果は人間の「脳」への影響である。発見、理論そのものが直ぐに何らかの経済的成果を生み出すことはない。しかし、確実に周囲の人びとの 「脳」 に影響を与える。そして、それは人びとの行動に変化を起こし次の発見、開発へとつながるのである。

アインシュタインのエネルギーと質量の等価性を表す関係式 E = mcは原子爆弾の原理と言われるが、この関係式を書いた紙と原子爆弾の材料を箱に詰めて熱を加えれば原子爆弾ができるという訳ではない。この関係式を読み解いた 「脳」 が人びとに行動を起こさせ、様々な他の理論、実験の試行の後に原子爆弾ができたのである。これはいつも善い結果を生むわけではないという証でもあるが。

しかしながら、新たな宇宙観は人間の 「脳」 を動かす。これらが一部の専門家のみならず多くの一般庶民の 「常識」 となったとき、社会を動かす大きな力となると信じる。時間を要するかもしれないが、古くから急がば回れとも言う。

またまた ヒッグス粒子のはなし

  • 2012.07.05 Thursday
  • 20:48
朝刊一面に ”「ヒッグス粒子」発見” の記事が躍る。昨年12月の ”「ヒッグス粒子」発見か” の記事から7ヶ月でクエスチョンマークが取れた。

素粒子は物質を構成する最小単位とみられる粒子である。ヒッグス粒子は標準理論で予言された素粒子17種類のなかで、今まで唯一発見できなかったものだ。これで標準理論が完成する。と、新聞記事の受売りだが、われわれ素人にとって一番の難関は 「粒子」 という言葉である。

「粒子」 というから、物質を細かく砕いた物とイメージしがちだが、素粒子物理学ではまったく次元の違うものだ。しかし、このことを説明している記事は見当たらない。われわれが生きているこの物質世界に適用してきた言葉を、まったく次元の異なる世界のモノに再利用する(せざるえない)というのは、言語が持つ優秀な可塑性(※)を意味すると同時にその限界をも現しているように思える。

それゆえ、物理学は素粒子世界の構築に「数学モデル」を頼みとするしかないのだろう。専門家はそれでいいとして、われわれ素人はどうすればいいか。言語による記述でどこまで物理世界を表現できるものなのか。やはり、数学的リテラシーは欠かせないものなのか。欠かせないとしたらどの程度まで必要なのか。

物理学に関心はあるが、色んな意味で余裕のない個人として、どんな選択肢があるのかな〜。今朝の新聞記事を見て、またまたこんなことを考えてしまうのでした。

しかし、今回のヒッグス粒子の発見は、ヒッグス粒子が他の素粒子に「質量」(動きにくさ) を与えたという説を後押しするものであり、少年の頃に 「質量」 に興味をもったじぶんとしては興味津々である。


関連投稿  ヒッグス粒子を99.98%の確率で発見した !!! (2011/12/14)
        質量の起源 ヒッグス粒子?? (2011/12/08)


※ 可塑性 − ここでは可塑性という言葉を使ったが、他に順応性、適応性、冗長性などの方が適切なのかなという迷いがある。

この世の理(ことわり)を知りたい

  • 2012.06.14 Thursday
  • 17:44
この世の理(ことわり)を知りたい” というのは青年期からの願望だった。今、熟年期を迎え、終わりまでの時間が決して多くはないことを意識するようになってから、なおその気持ちが強くなってきている。 面倒なことは一切関知せず ”ピンピンコロリ” で人生を終えたいと願う人が多いだろうことは想像できる。しかし、じぶんは面倒覚悟で、じぶんが今まで生きてきた”この世”、そしてそう遠くない将来去っていくだろう ”この世" の理(ことわり) を知りたいと思う。

まず、そんな完全な 「理」 があるかどうかさえ分からない。どんな学問、宗教も完全に充足させてくれるものでないことは、凡々たるじぶんにも推測できる。しかし、じぶんには ”分からないことを知る” ことも重要なのである。結局、般若心経の 「色即是空空即是色」 が結論だったでも良い。残された時間で、今じぶんが感じ取っている 「理」 を少しでも豊かなものすることが願いである。

「理」 の道しるべの一つが ”物の理” つまり 「物理」 だが、この学び直しのきっかけとなったのが リサ・ランドール+若田光一著 『NHK未来への提言 リサ・ランドール 異次元は存在する』 だ。この本に触発されてリサ・ランドール著 『ワープする宇宙 5次元世界の謎』 を手に入れたのだがずっと積ん読状態だった。

リサ・ランドールワープする宇宙


図はじぶんの「4次元時空のイメージ」だ。はっきりと、いつ頃からなのかは分からないのだが、物理世界というとこんなイメージが浮かぶ。

4次元時空縦、横、高さの空間に時間が流れている。なぜか、時間は左から右へ流れる。逆ではない。どうして、こんなイメージを持つようになったのかは分からない。また、このことを他人と話をしたことがないので、じぶん以外の人がどんなイメージを持っているのかも知らない。


しかし、こんなシンプルなイメージがじぶんの宇宙観、社会観、歴史観の基礎になっている。そして、現代物理学の提唱を顧慮すれば、この稚拙なイメージが何の役にも立たないことは明瞭、むしろ新しい宇宙観を認識するには弊害になるとしか思えない。

むしろ、4次元時空は空間(縦、横、高さ)と時間の関数である、というように ”記号” で捉える方が妥当なのかもしれない。地球から宇宙を観測すれば多くの恒星、銀河は遠く離れており、光の速度で伝えられる観測結果は全て過去のものであり、宇宙空間に過去と現在が混在(?)する。こんな宇宙をどうイメージするのが良いのか皆目見当がつかない。

もう一つの現代物理学の側面は ”巨大な実験施設と極微な対象粒子” である。
CERN
欧州原子核研究機構おうしゅうげんしかくけんきゅうきこう、CERN) という世界最大規模の素粒子物理学の研究所がある。スイスのジュネーヴ郊外でフランスと国境地帯にあり、そこには大型ハドロン衝突型加速器のための全周約27 kmの地下トンネルがある。

この巨大加速器で皀┘優襯ー同士の陽子を種突させ、これまでにない高エネルギーでの素粒子反応を観測できるということらしい。通常の物理世界にはない空間を人工的に作り出すということのようだ。

なぜ、このような光学的手法では捉えることのできない世界を観測する必要があるのかということに関しては、今までの勉強(?)から次のように理解している。

この世(物理世界)はヒエラルキー構造から成る。素粒子から原子、分子、物質、地球、太陽系、銀河、宇宙と各階層ごとに物理法則が考えられる。しかし、人類(物理学者)は各階層に共通した ”普遍的な 法則” を夢見ている。この法則を探求するステージとして、要素が複雑な大きな世界より余計な影響を排除できるピュアな極微の世界を選んだ。

これがじぶんの理解の範疇だが、間違えているかもしれない。今後、どんな風に変容していくのか楽しみでもある。ことほどさように、素人にとって現代物理学はやっかいである。そんなやっかいなものに何故学びたいと思うのか。後付けになるが、じぶん自身を揺るがせたいのかもしれない。長い社会人生活で身体に付いた垢(常識)を洗い落としたい。もう役割は終えた。

”物理学の学び” の目標を ”新聞記事を理解できる” に置いているのだが、これはこれで容易ではない。4月の読売新聞に 『「神の粒子」発見 最終段階』 の記事が載った。

その中に 昨年末に公表されたのは、ATLASは最大99.9%、CMSは同99.5%の確率で1250億電子ボルト前後(陽子約130個分の質量に相当)の質量のヒッグス粒子を見つけたという結果。今年に入ってデータを分析し直したところ、ATLASは99.4%に、CMSは99.7%になったというが、どちらも”発見”と結論づけるには確率が足りないという。 (中略) どれくらいの確率で結論を出してよいかは、研究分野によりまちまちだ。この素粒子実験の分野では99.9999%以上になって初めて”発見”と結論づけるのが流儀だ。 とある。

上記の文を、試験問題の問いに答える程度に記憶することは可能だが、その本質の理解にはほど遠い。まして、じぶん自身を揺るがすには何か ”確信” のようなものが不可欠である。できれば、そこまで行きたい。


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      宇宙飛行士と物理学者  (2011/06/26)

金環日食 天体ショー

  • 2012.05.21 Monday
  • 17:18
今朝は家人が早起きでバタバタしている。何事かと思いきや、今日は歴史的(?)な天体ショーの日だった。日本は、一日中「金環日食」に浮かれた。TVも朝から晩まで「金環日食」の話題。TV局も話題ができてラッキーな一日だったろう。

ただ本当に残念なことに、TV番組のほとんどが天体ショーとそれに付随する話題で終わってしまっ金環日食た。日食が動物にどんな影響を与えるかといった事例もあったが、ほとんどは新年を迎える時と同じカウントダウン・イベントと化し、結婚式に天体ショーをフィーチャーしたとか、一般の人からの芸術的写真(?)を紹介するとかのお祭り騒ぎに終始した。

これらの事自体は決して悪いわけではないのだが、せっかく貴重な自然現象を体験できる日なので、より物質的、物理的視点での捉え方が必要だったのではないかと思った。人は誕生と同時に社会の中で育ち、「人工的社会通念」を身につける。特にマスコミが発達した現代は、あらゆる感覚、感情が社会の中でバーチャルなものにアレンジされてしまう。

それ故、時折、肉体を持った存在であることを認識する所作が必要となる。これらは意識的に行わないとその機を失う。人間には、3.11東日本大震災のような痛ましい体験をしないと身体的感覚が甦らないという業がある。肉体は地球という星を構成する原子から成っている。ある意味、地球の一部と考えられなくもない。その地球が一部を構成する太陽系の中での貴重な天文現象を体験することができる日、日本人が自分の物質性を体感できる貴重な一日だったわけだ。単に社会的イベントで終わってしまったのはもったいない。

今日の「金環日食」は、本州で見られたものとしては1883年10月31日に東北地方を中心に見られたものから、実に129年ぶりの金環日食とか、次に東京で見られるのは300年後とか言われている。現象を秒単位で捉えることができる天文学はすごいという思いと、宇宙は正に「コスモス」(秩序整然とした統一体)なんだという考えが交叉する。

一方、宇宙の始まりは「カオス」(すべてが混沌(こんとん)としている状態)であり、宇宙の本質は「カオス」の方ではないかという考え方がある。現に最先端の物理学は宇宙を 「不確実な確率的世界」 と捉えている。われわれが、今日体験した現象は「カオス」の中から表出した「コスモス」の貴重な現象、それはあたかも心の「無意識」が生んだ「意識」の論理性のようなもの。

この現象の奥底に、まだまだ「意識」では捉えきれない ”「カオス」の宇宙” があることに想いを馳せる。そんな一日になればいいのにと思ったのでした。

ワープする宇宙

  • 2012.03.08 Thursday
  • 22:03
リサ・ランドール著 『ワープする宇宙』 (amazon)、原題が Warped Passages で "歪曲した余剰次元" の意味らしい。青年期に読んだ 『ガモフ全集』 以来のまともな物理学の本だ。英米の大学のテキストに使われているというので本格的なものだが、ほとんど数式が使われていないので、元々一般向けに書かれたものだろう。

物理学者というと、お茶の水博士を思い浮かべてしまう世代にとっては、女性の物理学者というだけで意外におもうが、写真のような美人と知ると、根拠はないのだが、なお不思議な感じがする。

ワープする宇宙著者紹介 Lisa Randall
ハーバード大学卒業。理論物理学者。現在ハーバード大学物理学教授(2007年現在)。専門は素粒子物理学、ひも理論、宇宙論。プリンストン大学で終身在職権をもつ最初の女性教授となる。また、マサチューセッツ工科大学およびハーバード大学においても理論物理学者として終身在職権をもつ初の女性教授として迎えられる。1999年「ワープした余剰次元」という理論を発表し、一躍注目を集める。

数式はほとんど使われてはいないのだが、正直、読み切れない。後半の、著者が本当に伝えたいところまでたどり着けないのである。と言って、決してつまらないのではない。興味はそそられるのだが、ついていけないのである。しかし、前半の現代の物理学の歴史と考え方は興味深い内容だ。現代の物理学の概要を初めて知ることができた。

じぶんが物理学に興味を持ったのは高校生の頃で、ニュートン力学がきっかけである。「質量」というパラメーターを ”捉えた” と感じたとことを、今でも記憶している。ニュートンの"運動第二法則" F=ma (F:力 m:質量 a:加速度) の質量m は、物質の根源的なものであり、それが地球上では”重さ” を生起する。少年はその感覚に魅せられた。

このささやかな体験が物理、数学に対する興味へと向かわせたのだが、残念ながら、その後のじぶんの人生はその好奇心を満たすような方向には行かなかった。しかし、社会人になってからも、この”物理世界の仕組み”対する関心は消えず、折に触れ、一般初心者向けの物理関連書には目を通してきた。「相対性理論」もそれで知った。

じぶんの人生においてもう一度 ”学び” の機会があれば、物理学もその対象の一つしたいと思っていた。この本をそのスタートにしたいという思いがある。べつに専門化を目指すわけではなく、じぶんの年齢のことも考えると ”学びの方法” に工夫がいる。具体的策は見えないが、ただ、あの少年の頃のように、現代物理学の神髄の一端を感じとったと思える体験をしてみたい。これは、多くの人が旅行に求める感覚と同じようなものだと思う。旅人も何かの体験を求めて旅に出る。

さて、この本の内容で驚いたのは、あの少年の頃に感じた「質量」というパラメーターが現代物理学にとって途方もなく重要な概念だったということである。あの頃は、にニュートン運動方程式のm(質量)を単純に重力の作用する重さに結びつけていただけのだが、実際は「慣性質量」と「重力質量」という異なる概念であり、結果として等価であることが照明されたということらしい。

著者は 「アインシュタインのような天才がいなかったら、これを認識して解明するのはかなわなかったかもしれない」 とつづっている。後に、「一般相対性理論」にまで発展する元となった重要な概念だったのである。平凡な少年の知性ではそんなことを理解できるわけもなく、ただ、あの時 「物理世界の重要な特性」 の気配を一瞬感じ取ったのだろうか。老齢の身の今、そんな妄想に耽っている。

著者は現代の物理学を次のように捉えている。

 物理学者の夢は、できるだけ簡素な規則とできるだけ少ない基礎的な要素であらゆる観測結果を説明できる理論だ。一部の物理学者は、シンプルでエレガントな統一理論 −それを用いればどんな素粒子物理学の実験結果でも予言できる− を究極の目標としている。


さらに、著者は 「悩ましいことに、この世界は複雑なのである。実際の宇宙は、理論上で理想的に記述されるほど純粋で単純で秩序正しくはない」 と補足する。物理学者は夢と現実の間を彷徨う旅人なのかもしれない。しかし、これは物理学者のみならず道を究めようとする人々に共通の生き方なのかもしれない。

さて、この本を読んでじぶんが捉えた現代物理学のイメージである。(下図)
これは現時点でのじぶんの物理学に対するイメージで、これからどんどん変化していくものである。最終的に、どこまでこのイメージをじぶんの頭の中で拡大、整理し、想像&創造できるかが楽しみである。これ一つを考えただけでも余生は決して長くはない。
現代物理学のイメージ

著者リサ・ランドール氏の専門は素粒子物理学なので、原子を構成する素粒子の階層が主な研究範囲なのだが、その関心は宇宙全体に向かっている。素粒子を研究対象にしたのには理由があり次のように述べている。

 私たちが微小な距離スケールを研究するのは、素粒子がこのスケールで相互作用を果たしていて、自然界の基本的な力を整理しやすいからである。大きな距離スケールだと、基本構成要素が合体して合成物となるため、基礎となる物理法則が絡み合って見えにくい。
 小さな距離スケールが興味深いのは、新しい原理や関係性がこのスケールで適用されるからだ。


また、「物質はマトリョーシカ人形ではない。同じものの入れ子ではない。距離が縮まるごとに、まったく新しいものが現れる」 と、巨大なスケールの宇宙の階層とは異なる微小な距離スケール階層の不思議さを説く。

前記したように、本書はほとんど数式なしで書かれている。数学に馴染みの薄い我々にはとっつき易いというメリットにはなるが、反面、物理を言葉だけで表現することの限界も感じてしまう。言葉という言語は非常に冗長性があるので、却って意味を捉えきれないという欠点がある。本書は翻訳本であるがゆえになおさらである。

英語力をつけて原本を読むか、はたまた数学力をつけて、せめて巻末の注釈”数学ノート”を理解できるようにするか。どちらかと言えば、まだ後者の方が可能性ありか。さてこの先どうなるか、自分自身でも分からない。

ケセラーセラー・・・・なるようになるさ。


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ヒッグス粒子を99.98%の確率で発見した !!!

  • 2011.12.14 Wednesday
  • 16:54
12月8日投稿「質量の起源 ヒッグス粒子??」 の続編。本日の読売新聞一面記事に 「ヒッグス粒子の存在 確率99.98%」 が載る。前回の記事から一週間で、発見か?から、ほぼ間違いない!の発表に変わった。関連記事が三面にも載っておりビッグニュースである。

しかし、この記事は書いた記者を含め、読者にどれだけ理解されるのだろう。じぶんも記事を日本語として読むことはできる。分からない用語あればネット等で調べ、その説明をまた日本語として読むことはできる。しかし、日本語として読めたことが必ずしも”理解した”ことにはならない。

今回の実験は、ニュートン力学の証明のための実験などとは比較できる代物ではないはず。物を高所から落とすとか、物同士を衝突させるとか、そういう次元の話ではないだろう。そう、まず ”次元の違う話” であることを理解することが先決のような気がする。

我々一般人の頭の中は、おそらく ”ニュートン力学的思考” が機能するようになっている。そして、新聞記事は限られた誌面で、一般人にも理解できるようにと、 ”ニュートン力学的思考” で表現される。しかし、それが却って”真実”から離れていってしまう要因になっているような気がする。

実に厄介で悩ましい問題である。しかし、そういう ”次元の違う話” があるんだということを、我々が知ることが大事なのだと思う。それには、永く社会問題になっている「学校教育」の在り方、そして大人たちの「学びの環境」が問われる。

このような記事が一般紙に大きく取り上げられることは非常に良いことだと思われる。しかしながら、難しい問題かもしれないが、記事の書き方を工夫して、現世界と異なる ”次元の違う話” を上手く伝えることのできる方法を編み出して欲しいものだ。

質量の起源 ヒッグス粒子??

  • 2011.12.08 Thursday
  • 19:47
読売新聞の一面に、 「ヒッグス粒子」発見か の記事。

 物質を構成する素粒子に質量を与えたされる未知の粒子「ヒッグス粒子」を見つけた可能性が高まり、ジュネーブ郊外にある欧州合同原子核研究機関(CERN)は13日、緊急の記者会見を開く。
 「神の子」の粒子とも呼ばれるヒッグス粒子は、現代物理学の基礎である標準理論を説明する粒子の一つで、世界の物理学者が40年以上探索を続けてきた。存在が確認されれば世紀の大発見となる。

 CERN - wikipedia   ヒッグス粒子 - wikipedia

9月も 「光より速い素粒子」 の記事が一面を賑わしたが、またまた”物理関連記事”が一面に躍り出る。しかし、この記事を読んで意味を理解できる人物は専門家か、その道を目指している学生たちか、どちらにしても一般の人たちにはチンプンカンプンであろう。しかも、今回もまた、欧州合同原子核研究機関(CERN)が関わる。偶然とは思えない。

自分は、好奇心から、今、一冊の物理学書を読んでいるのだが、ヒッグス粒子という用語は知っているがその意味するところはほとんど理解できていない。「ips細胞」などは医療に結びつくということで、一般人たちにもアピールの度合いが大きいと思われるが、「物理理論」に関することなどは、やはり注目されにくいに違いない。

しかしながら、我々のふだんの生活には関係ないと思われる「物理理論」があって、原子爆弾が作られた。そして原発へとつながった。兵器ではない原発の事故で、今、この国の自然環境は大きく変わった。
すべては{脳}の変革から始まる。科学の基礎理論は人の{脳}を変革する力がある。そして、いつかそれが地球上に具現化する。

我々一市民もその変化に無頓着であってはならないと思う。一流スポーツ選手のような技を身につけることができなくても、いろいろな補助、サポートでそれに近いことを疑似体験することは可能だ。科学の世界においても、すぐれた科学者と考えを共有できなくても、さまざまなサポートがあれば、その考え方を疑似体験(共感)する方法があるかもしれない。本来、学校はそれを目的にする施設だと思うのだが成功しているとは言いがたい。

自然科学の目的はこの宇宙の構造を解明することだとする考え方があるが、一方じぶんは、宇宙は人間に ”思い通りの姿” を見せてくれる 「融通無碍の存在」 なのではないかという想いがある。理論は尊重するが捉われない、そんな心境が大事なのでないか。

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