脱地デジのはなし

  • 2017.03.16 Thursday
  • 21:51

『バカの壁の』の養老孟司氏が日本国民が参勤交代−都会と田舎の生活を交互にする−を行えば個人も社会も変わると提唱した。このことに完全に共感するが、同様に全員が脱地デジを行えば個人も社会も変わるとじぶんは思う。当初は脱TVと言っていたのだが、今は脱地デジで充分だと思っている。しかし、参勤交代も脱地デジも出来そうで出来ないということも同じだ。

 

個人的に脱地デジ(地上波TV放送)になったのは2015年の12月なのでもう1年以上前になる。家のTVにはアマゾンのTVスティックとビデオプレーヤーに接続されているがほとんどTVスティック専用の状況だ。

 

 

 

 

 

 

 

TVスティックのアプリの数も多いが、じぶんがよく使っているのは「YouTube」「GYAO!」「NHK WORLD」「YAHOO!」などだ。特に「YouTube」では視聴できる楽曲は膨大なものと推測され、最近、家のTVはジュークボックスと化している。LPレコードで聴いていたころのジャズアルバムも聴けて、青春の頃に通ったジャズ喫茶を思い出す。

 

さて地デジ、つまり地上波テレビのはなしだが、個人的にはほとんど見るに値しないと思っている。もちろん中には優れた番組があろうことは承知のうえだ。先ずその番組を探すことが一仕事である。リサーチにかかる時間とその番組を視聴する時間が要るわけで、これに値する番組もゼロではないだろうがチャレンジする気力も時間もない。

 

まして、ほとんどがバラエティに埋め尽くされている今の地デジ番組にはどう反応していいのやら戸惑いを感じるばかりだ。これらの番組でやられていることはもはや見るものではなく、むしろ視聴者自らが職場で、学校で、家庭で、仲間内で同じことをやればいいのだと思うのである。なにもわざわざ第三者に仕事でやってもらって、それを傍観している必要もなかろうと思う。

 

プロ・スポーツ選手のプレイを観るのと同じだという考えもありかもしれないが、個人的にはバラエティ番組でやられていることがそんな大層なモノとは思えない。勿論、出演者(芸能人等)もやっているうちにそういうことに長けてくるのだろうが、それでもそれが観るべきアート、芸として評価しうるのかということはまた別の話だ。

 

確かに、現在の民間放送のビジネスモデル−スポンサーが番組、CM制作と放送に関わる全費用を負担する−はよく出来ているモデルだと言える。巡りめぐって、最終的に購買というかたちで一般消費者が費用の負担をすることになっている。本来はスポンサーと一般視聴者が主役のモデルなのかもしれないが、実態は中間の制作業界(局、芸能関連)が肥大肥満化しているということだろう。

 

何やら医療関連業界を思わせる。本来は医者と患者の関係こそが主流であるべきところ、中間の医療機関/製薬業界が肥大肥満化する。そして、元々何を目的としたモデルなのかが曖昧なままになってしまう。いつのまにかツール(業界)が主役となってしまったステージになる、何ともやりきれない気持ちだ。

 

放送というメディアも、NHKモデルは論外だが、何か新しいモデルの構築はできないものだろうか。キーは中間業界なのだろう。書籍の出版では「編集」という機能が重要だという。ネットに溢れているコンテンツの脆弱さはこの編集機能が無いことだと言われる。そういう意味で、放送メディアも編集機能を持つキー局のガバナンスが問われるということになるのだろう。

 

と、これは正論だが現実に起動しうるかどうかは疑問だ。結局、社会的に脱地デジ運動にまで高まるようなところまで行かなければ、大組織が変革することは難しいことなのだろうと考えてしまう。

 

関連投稿:NHK問題、と大橋巨泉氏の遺言 (2016/09/03)
     再・脱TVのすすめ (2015/05/14)
     脱TVのすすめ (2011/01/19)

auひかりにしてみたが

  • 2017.03.08 Wednesday
  • 15:05

今月からインターネット接続をCATVからauひかりに切り換えた。長い間、テレビ、インターネット、固定電話をCATVからサービスを受けていたのだが、一昨年の12月にインターネットと固定電話のみのサービスに契約を変更した。契約変更に伴う工事?もあり、その時から我が家では地デジが受信できなくなった。

 

しかしながら、このインターネットと固定電話のみのサービスというものがこのCATV会社にとっては本当に稀なケースのようで会社のスタッフが充分に認識できていなかった。地デジ受信解約の直後にNHKの団体一括支払いがされてしまった。しかも、電話スタッフからの何のエクスキューズすらなく直接NHKと交渉するように言われた。何とかやりとりの末に支払額の一部を取り戻した。CATVもNHKも怖い。

 

このCATV会社には契約変更に伴う業務整理のフローが無いか、もしくは鼻っから地デジなしのサービスは網にかからないようになっているとしか思えない。しかし、サービスメニューの中にちゃんとこのサービスも載っているのである。さらに一年後、CATV会社の調査担当員?らしき人物が来訪して、TV周辺を散々にいじくり回して地デジが受信できないことを確認して、首を傾げながら帰っていった。???。

 

そして先月インターネットが時々接続エラーを起こすようになった。一時的なものかと思ったが収まらず反って頻度が増えていった。はじめはモデムの不良かと思ったが、それにしてはいつの間にか復帰するので変だと思った。事前にauひかりに変えても料金がほとんど変わらないことは調べてあったので、この機会に脱CATVしようと決心した。

 

先にauひかりの申し込みをして、後でCATV解約の電話をすると、電話スタッフは何とか解約を思いとどまらせようとあれやこれやの脅かし?の言葉を並べる。そしてこの時もまた、地デジの話を持ち出してきた。調査員がチェックしていった後にもかかわらず、CATV会社は未だにこちらの契約内容を認識できてはいないらしい。

 

解約まで残り二週間程度だったが、撤去工事が別途発生するということなので、接続エラーの対応を依頼することにした。電話をかけ直すと、この期に及んでまた、電話スタッフはまた地デジの話を持ち出してきた。結局、サービス担当に来てもらうことになったのだが、この時の電話スタッフの終わりの言葉に耳を疑った。もし、電源コンセントが抜けていた場合は有償になります。現状認識ゼロ、何をか言わんやである。この時、解約申し込みをして本当によかったと思った。

 

来訪したサービス担当はまともな青年だった。やはり端末の状況はモニターできるようで、モデムの過去の受信状況を示して、わが家のモデムの信号レベルが ”黄色” (不良)の状況であったことを説明してくれた。そして、てきぱきとケーブル引き込み部分の機器の交換とモデムに装着してあった二つの抵抗器のうち一つを外して帰っていった。この後接続エラーは起きなかった。

 

この後、終わりの支払い(一か月の利用料、撤去費用、電話移転費用)について紙ベースで領収書を出してほしいと電話で依頼すると、その場で回答できずに二度も通話保留にされ、何とか有償(50円/部)で送ってくれることになった。じぶんはそんなに変な依頼をしているとは思っていなかったのだが、電話スタッフ嬢の対応は焦っているふうで早口で落ち着きがなく、先方には何か特別な事情?があるようだ。それにしても疲れる。

 

さて、こんな事情で現在わが家のインターネットはauひかりで接続されている。しかし、これで万々歳かと言えば、こちらはこちらで色々と検討しなければならない案件がありそうだ。成り行きで、今、わが家はスマホ(iPhone×2、タブレット×1)、電気、そしてひかり(インターネット、固定電話)のサービスをauから受けることになった。

 

おまけにポイント還元に惹かれてau-WALLETまで使うようになっている。今さらながら思うのは、身の回りのネット環境の速い進化と複雑化である。気がつかぬ間にその中にどっぷりと浸かって(浸かされて)しまっている。しかしながら、じぶんの受給しているサービスの質と量が消費している時間と金額に見合っているのか否かと考えるとクエスチョンマークがつく。

 

脱地デジには慣れた。ネットから提供される各種映像の量の豊富さは驚愕的である。脱地デジでも ”映像ロス” はあり得ない。ウェブ上のビデオ・サイトも競争が激しく、映画、ドラマ、音楽、スポーツなどのコンテンツが安価に視聴できるようになった。初めはとてもラッキーなことと思ってはみたものの、現実にはさほど利用してはいない。

クラウド化は無条件に社会の進化と評価できるのか。auショップで店員の話を聞きながら、店員自身が自分の話の内容をどれだけ理解しているのだろうかと訝る。顧客側はなおさらである。今回のauひかりは3年契約である。この3年が正念場かと思う。3年後に身の回りのネット環境の整理が不可欠と思いながら、もしかしたら脱ネットもあり得るのだろうかと思いを廻らしている。

iPhone7-Plus 機種変顛末記

  • 2016.12.08 Thursday
  • 19:35

スマホはiPhone5から始めて6へ、そしてバッテリーが弱ってきたのを機会に、今回iPhone7_Plusに機種変することにした。auショップで予約をしてから二週間過ぎて連絡がきた。翌日、6のデータをノートPC(WindowsVista)のiTunesでバックアップをとり、6はauショップで買取りをしてもらい7を受け取って帰る。バックアップしたデータを復元しようとしたのだが、なぜかPCがiPhone7を認知しない(できない)。

 

夜遅かったので翌日にアップルコールセンターに電話をして問い合わせたところ、iPhone7からVistaのiTunesでは対応できないことが判った。もっと早く教えてくれ〜。Windows7以降のPCがあればデータを移行することにより復元可能かもしれないと教わり、その手順書をメールで送ってもらった。ところがその手順書が分かりにくく、取り敢えずフォルダーごと移してみようと思い、USBメモリーで息子のマンションに置いてあるPC(windows10)にコピーした。

 

 

そして、Windows10のiTunesは問題なくiPhone7を認知し接続することができた。復元ボタンを押して復元を試みる。結果は失敗に終わる。しかし電話帳はiCloudから復元できたようで不幸中の幸い。結局、今回は6から7への復元はあきらめ、新しいiPhoneとしてまた一つひとつ設定していくことにした。アプリは再ロードすれば済むのだが、重要性は低いが一部データを失ったのは残念だった。

 

しかし、今回の二日間にわたる顛末からある事実を再認識することになった。それはIT(もしくはICT: Information and Communication Technology )リテラシーということである。現代人は否応なくこのリテラシーを身につけることを要求されているという現実である。

 

今回の機種変顛末の中で、じぶんは、いかに今の携帯端末デバイスのシステム(ハード、ソフト、サービスなど)が複雑なものになっているのかを思い知らされた。さらに、対応してくれたauショップとアップルコールセンターの担当者とのやりとりを思い出すと、よく理解していないもの同士のやりとりだったような気がしている。

 

当方はサービスを受ける(説明を受ける)側で、先方はサービスを提供する(説明する)側のはずなのだが、このことが成立するほどの情報格差が双方になかったように感じられるのである。圧倒的な情報格差があれば問題もあっという間に問題解決できると想像できるのだが、このIT社会の中でサービス提供者も受給者も共にリテラシーが追いついていないように思われる。じぶんも今回は手順書を熟読することを最初から放棄してしまった。

 

iPhoneというとても完成度の高い情報端末デバイスに対するリスペクトと同時に、ITに対するマイナスイメージがちょっと生じてきている。勝手に?複雑化していくこのIT社会って変じゃないのかな、今そんな想いに囚われている。

”ポケモンGO” ゴー!!

  • 2016.07.27 Wednesday
  • 14:49

”ポケモンGO” が人気だ。 人気の異常性にはちょっと驚いているが、しかし、そのゲーム性には特に驚かなかった。これだけスマホのゲームが認知されてきており、スマホの位置情報機能が注目されていれば、こんなゲームが誕生することに時間の問題であり意外性はないと思う。と言うのも、じぶんは三十年以上も前のことになるが、ゲームセンターの仕事をしていたことがあった。任天堂も業務用ゲーム機を作っていた頃の話である。

 

ゲームセンターは多種のゲーム機を店内に並べて遊んでもらうという施設である。しかし、じぶんは店内全体を一つのゲームでアレンジできないか、さらに可能であれば店の周囲も巻き込めないかと妄想していた頃があった。よって、 じぶんにとって ”ポケモンGO” はこの延長線上にある。しかしながら、地球を殆ど網羅する電子マップと位置情報機能を有する携帯型デバイス(スマホなど)が結びつくと、こんなゲームが出来るんだというのにはやはり感動する。

 

http://www.pokemongo.jp/

 

 

 

 

 

 

 

 

 

じぶんはアプリをダウンロードしていないのでゲームの詳細は不明なのだが、メディアの報道や、アプリをダウンロードした家人などの様子からある程度は類推できる。何か新発見があれば「あ〜っ!」とは思うのだが「なに〜っ?」とはならない。やはり意外性が不足しているように思える。

 

全く個人的な考えなのだが、 ”ポケモンGO” はこれだけのメガゲームなのだから、より社会性を包含するような方向に進化していければ良いのではないだろうかと思う。例えば、学習、教育、経済の方向にである。クラウドファンド、電子マネーなどとの相性は悪くないのでは?、と妄想したりするのだが・・・。

アメーバからアベマへ

  • 2016.04.30 Saturday
  • 22:01
今月の11日、AbemaTV(アベマティーヴィー:wikipedia)が 開局した。サイバーエージェントとテレビ朝日が合弁で設立したインターネットテレビ局である。初めは何のこっちゃと思っていたのだがPCでアクセスしてみてインターネットラジオと同じような放送サービスであることが分かった。youtube のようなオンデマンドサービスではない。

abemahttps://abema.tv/

そしてiPhoneのアプリを使ってみて、PCよりスマホの方がより親和性があると思った。こっちの方がメインターゲットなのかもしれない。スマホで画面を指先をスライドさせると、20chほどの番組をまるで雑誌をめくるように眺めることができる。これは嘗てじぶんが理想?のTVメディアと思っていたのでついに来たかと思った。参照: 「TV放送」 ビジネスモデルの転換を (2013/05/29)

嘗てじぶんが思い描いたTVの雑誌化( 「マガジンTV」(造語) )は全てのキー局をタブレット画面で雑誌のようにめくってしまうという発想だったので、コマーシャル収入が源泉である現在のTV局のビジネスモデルが成立しなくなると考えた。しかしAbemaTVの場合は同一局の多チャンネル化なので現行ビジネスモデルでも問題ないのかもしれない。

わが家では昨年末から通常の地デジTV放送が見れなくなった(見えなくした)。その頃はほとんどまともにTV番組を見ることはなくなっていたのだが、現実に停波してしまうと何か妙な違和感(落ち着かない)があることに気づいた。TV放送がなくなっても、ネットでオンデマンドの映像などが視聴できるので ”映像ロス” にはなることはない。しかし全てじぶんがセレクトという行為をしなければならない。オマカセにならないのである。その違和感はラジオで消すことができた。

このことは全く意識することがなかったのだが、どうも放送というのもは現代の ”時の流れ” を作るという役割を担っているのではないかということを思いついた。古くは太陽とか月の運行で ”時の流れ” を感じていたのだと思われるが、時計という道具が発明されてからはまさに機械が時を刻むようになった。そして社会に放送という機能が組み込まれると放送局が ”時の流れ” を作るようになった。長くその社会に住んでいるとそのことを自覚することができなくなる。しかし 停波がその記憶を甦らせてくれる。

そもそも人間の身体には初めっから時を感じる機能が備わっているはずだ。何ら道具を必要としないはずなのだが、文明社会はその役目をメディアに委ねてしまった。あるヨットマンが、ひとり大海の中で日常のメディアから隔離された状況でいることの意味を強く語っていた。じぶんの想像を越える体験談だが、その通りなのだろうと想う。

閑話休題。

AbemaTV のようにTV番組の雑誌化 −雑誌のように映像番組をめくって眺めることができるように編集されたメディア− は一つの方向性を示していると思う。AbemaTV を雑誌にたとえれば日刊紙と言えるかもしれない。あとはビジネスとして成り立つモデルとしてどう作り上げていくかということになるだろう。どちらにしても、NHKを含む現行のTV局は安穏とはしていられない時代を迎えることになるに違いない。

今後、TV番組はスマホでパラパラめくって眺めるぐらいでよいのである。今は過大に評価されすぎている。一方youtubeのように膨大な映像をデータバンクに保管する会社がある。これらの資源を使って映像の雑誌化(日刊、週刊、月刊など)ができるのではないかと想いが巡る。
 

ネット社会の闇を廻って

  • 2016.01.11 Monday
  • 09:48
 七草も終わり正月気分も薄れてきた。自らTV番組を見るというこがめっきり減ってしまったが、その分ネットで配信される映像を見ることが多くなった。TEDもその一つだ。また一つ興味深いものを見てしまった。
TEDそれはエドワード・スノーデン(wikipedia)へのインタビュー・ビデオである。2014年に収録されたもので、ロシアとのネット中継によってなされたものなのだろうか。こういうことが出来るようになったインターネットの技術力と、ネット社会の持つ許容力を思った。

これを見て感じたことは、いろんな社会の出来事に対するじぶんの認識の度合いが如何に低いかということである。しかし、これは驚くべきことではなく、そんなもんだろうと常に思っている。じぶんの知的活動はそこから始まるべきだとも考えている。

まず、エドワード・スノーデン事件?に対するじぶんの知識が皆無に近いことを知った。じぶんは、彼は国の秘密情報をリークしたツワモノぐらいに思っていて、何か政治的背景があるのかもしれないとも思っていた。しかし、真実はアメリカ国内でも意見を二分するようなネット社会の問題であることが分かった。

スノーデンが明らかにしようとしたことは、彼が所属していたNSA(アメリカ国家安全保障局:wikipedia)が、企業をも巻き込んで国民監視?のプログラムを構築・運営しているということのようだ。インターネット社会のダークサイドである。

このことは、以前からじぶんの関心事でもあった。今や、インターネットによって構築される仮想空間はあらゆる情報のアーカイブとなっており、それを巡って玉石混合の数え切れないプログラムが暗躍する空間になっているであろうことは想像できる。また、それが権力者、及びその取り巻きにとってどれほど魅力ある誘惑であるかも想像できる。

スノーデンの行動が、ピュアにインターネット社会の未来を危惧してのことなのかどうか、じぶんに伺い知ることはできない。しかし、彼の提唱が社会にとって重大な問題提起であることは間違いない。今、この国でもマイナンバー制度が施行されようとしている。これもサイバー空間で運用されることになるだろう。

これは善し悪し、好き嫌いでどうにかなるものではない。もはや、誰もがサイバー空間から無縁で生きることはできない。問題はそのダークサイドである。観てきたばかりの『スターウォーズ フォースの覚醒』が頭をよぎる。フォースの光と闇。

フォース

「スター・ウォーズ」の世界では、フォースのライトサイドとダークサイドのバランスを問う。どちらに偏りすぎてもならないとされる。ダークサイドにも存在理由があるというわけだ。そう言えば、悪玉コレステロールと呼ばれる物質がある。しかし、だからと言って、これも体にとって不要なものではないらしい。

さて、このテーマ。今すぐというわけにはいかないだろうが、数多くの試行錯誤を経た後に、何とかサイエンスの範疇に組み入れることができるようにならないものだろうか。今は、そんなことを祈願するばかりだ。

プラットフォームのはなし

  • 2015.11.16 Monday
  • 20:56
プラットフォームと言っても鉄道の話ではない。インターネットの話である。ラジオのトーク番組で著者 尾原和孝啓を知り著書『THE PLATFORM』電子版を購入した。著者は1970年の生まれというから、青年期にインターネットに出合っていることになる。壮年期にインターネットに出合った我々とは全く異なり、完全にネット世代と言えるのかもしれない。

THE PLATFORM
THE PLATFORM
−IT企業なぜ世界を変えるのか?
 
著者 尾原和啓
1970年生まれ。京都大学大学院工学研究科修了。
マッ ケンゼー・アンド・カンパニーにてキャリアをスタートし、NTTドコモのiモード事業立ち上げ支援、リクルート(2回)、Google、楽天(執行役員) などの事業企画、投資、新規事業などに従事。十二職目となる現在は、インドネシアのバリ島に居を構え、日本と往復をしながらIT企業の役員などを務める。 初の著書『ITビジネスの原理』はAmazon.co.jp「Kindle本(ビジネス・経済)」2014年の年間ランキング第7位に入るロングセラーと なった。「TED」カンファレンスの日本オーディションに関わるなど、米国シリコンバレーのIT事業にも詳しい。


著者のプロフィールで、著者が1999年にスタートしたNTTドコモのiモード事業に関わっていることを知って、ほんのちょっと身近な人物に思えた。と言うのは、じぶんが、95年辺りから普及を始めたインターネットに興味を持ち始めたころは、ターミナルはPCが主体で携帯電話でインターネット・サービスが使えるというのは画期的なサービスだった。スマホの走りだったのである。当然、じぶんも強い関心を持った。実際にiモードを利用することはなかったが。

当時、このiモードの開発秘話はとても興味深かった。特に、開発リーダーである松永真理氏の印象が強く残っている。他に、夏野剛氏の名前は記憶にあるのだが、残念ながらそれ以外の主たる人物たちの名前が思い浮かばない。それで、著者 尾原氏もこのプロジェクトのメンバーの一人だったということに心が動いたのである。

さて、この著者 尾原和啓の説くプラットフォーム論は脳内に響く。じぶんもインターネット創成期から来るべきネット社会(インターネット社会)に関心を寄せてきた。しかし、サラリーマン生活から足を洗ってからは、ネット社会の本質への関心が日に日に薄れてきていたのだ、と本書を読んで気がついた。

ネット社会にとって「プラットフォーム」が重要な概念であるという認識はあった。著者はプラットフォームを「個人や企業などのプレイヤーが参加することではじめて価値を持ち、また参加者が増えれば増えるほど価値が増幅する、主にIT企業が展開するインターネットを指す」と定義し、さらに「もともと、ハードウェアやOSなど、コンピューターを動作させるための基本的な環境や設定を意味していた」と語る。

代表的なグローバル・プラットフォームとして、アメリカのグーグル、アップル、フェースブック、そしてアマゾン、マイクロソフト、ツイッターをあげる。さらに、独自に発展した日本型プラットフォームとして、リクルート、iモード、楽天をあげるのである。さらに、著者は「プラットフォームが世界を変える」と提唱している。

確かに、インターネットが人間社会に与えた影響は大きい。創成期はまだまだインターネットに懐疑的な人たちが多かったと思われるが、さすがに今は、多くの人たちがその影響力を認めざるえなくなっているのではないだろうか。勿論、その認識の度合いは人によるが。

じぶんも、ネット社会に対し意識的に気を配ってきたつもりだったが、青年期からインターネットに浸かってきた世代に比べれば、やはり埋めきれない溝があるように思う。本書を読んで、著者のライフスタイルにリアリティを感じられなくなっているのである。

著者は、プラットフォームの運営には共有価値観−企業の社員が共通して持っている価値観−が不可欠であるとして、グーグル、アップル、フェイスブックを例に読み解いてゆく。かつて、創造的な企業を評してヴィジョナリーという言葉が使われたが、これと著者の共有価値観とは近い概念ではないかと想像する。

これは、どんな企業においても大切なものだと思うのだが、プラットフォーム企業においては尚一層のこと重要なポイントになるということなのだろうか。確かに著者が言うように、素人目にも、グーグル、アップル、フェイスブックには強いヴィジョン(価値観)が作用しているように思われる。

しかし、今じぶんは、共有価値観が社会的成功(富と名誉)を超えて機能するような個人、組織が本当に存在し得るのだろうかと疑う。じぶんも五十歳ぐらいまでは、ヴィジョナリーということに、もっとリアリティを感じていたように思う。それだけ、じぶんも老いてしまったということなのだろう。だが、本当に共有価値観が優位の個人、組織に対する尊敬の念は未だ消えてはいない。

さりながら、その共有価値観が社会に与える影響がどのようなものであるかについては、著者ほど楽観的ではない。ただ、著者の以下のメッセージは、明るいネット社会の到来を期待できるのかもしれないと思わせてくれる。

 「教養」を意味する「リベラルアーツ(liberal arts)」という言葉がありますが、その原義は「人を自由にする学問」ということです。同じ意味において、私はプラットフォームの知識を「現代のリベラルアーツである」と考えているのです。

著者は、日本には特有のプラットフォームが育っており、それは「B to B to C」 モデルであるという。プラットフォームは参加する企業と顧客の間に立ち、円滑に取引が行えるようにサポートをすることをミッションとする。

日本型プラットフォームは、iモードの着メロや待ち受け画面などのコンテンツが象徴的だが、他人とのちょっとした違いを楽しむ「コミュニケーション消費」であると著者は説く。さらに、こうした運営手法がグーグルやアップルとの違いであるとも言う。

また、楽天の店舗ページのデザインに見られるように、「検索」より「探索」を志向するという特徴は、日本が大きくリードしている手法なのだという。楽天のトップページには、Shopping is Entertainment! というキャッチが創業期から掲げられているとのことだが、著者はこれが楽天とアマゾンとの大きな違いであると言う。そう言えば、楽天のページはドンキのようにゴチャゴチャしているという印象がある。

アマゾンと楽天の違いを考えたことがなかった。アマゾンは時々利用するが、楽天はほとんど利用したことがない。個人的にはウッカリである。著者は、目的がはっきりしている状態で商品を探すためのインターフェースと、目的が必ずしもはっきりしない状態でなんとなく商品を買いたくなるインターフェースは、まったく別のロジックなのだと言い切る

さらに、あまり知られていないことらしいが、楽天の品揃えはアマゾンよりもはるかに多いと著者は言う。楽天に出店している店舗同士は自由競争もあるが、横のつながりも強く、互いのノウハウを共有している。著者は、このことにより、自分がもっとも勝ちやすい場所を探してそれぞれが棲み分けるようになり、結果として品揃えが異常なほど充実しているのだと語る。

 ですから日本のワイン好きはアマゾンではなく楽天に向かいます。五大シャトーの200万円のビンテージワインから、一本700円のリーズナブルなチリワインまで、きっちりとそろえる楽天のロングテール力は、じつは扱う単位を「店舗」にしたからこその結果です。 人間を介在させた方が、じつはプラットフォームとしても効率がよいという現象が起きているのです。

じぶんもアマゾンと楽天の違いに注目してみたいと思うようになった。それには楽天を利用してみるのが一番手っ取り早いと思うのだが、先ずは楽天のホームページへの訪問回数を増やすことが先決か。

著者は、これら日本型プラットフォームの成り立ちは、前述の「コミュニケーション消費」が強力に発達している日本人に帰因すると考えている。そして、この「コミュニケーション消費」が、今後世界に広がっていくであろうと著者は予告する。これが日本のビジネスチャンスになり得ると考えられるのだが、日本型プラットフォームにアドバンテージがあったというのは、じぶんにとっても意外な発見だった。

 今までのように宗教や国家が「自己実現」に向かうなんらかの大きな物語を提供してくれることもあるかもしれませんが、プラットフォームの時代にあった「自己実現」があるはずです。そのヒントが楽天、グループアイドル、ニコニコ動画について説明したような、ハイコンテクストを背景とするような過剰な「コミュニケーション消費」にあります。自己実現のプラットフォームを可能にするヒントとして、日本という国が持つプラットフォームの特殊性が活きてくるのではないか、と私は考えているのです。

Amazonよ何処へ

  • 2015.04.28 Tuesday
  • 10:52
二年前に iPhone5 を入手、半年後に Kindle を買った。iPhone5 で直ぐ始めたのが電子ブックで、Kindleには英語の本を集めた。Amazonで無料もしくは安価で英語の電子ブックが手に入る。ドクター苫米地の説に従って英語の本のライブラリーを作ってみようと思った。

Kindle は辞書を内蔵しているので、電子ブックから直に辞書の検索ができる。これもドクター苫米地の説に従って「英英辞書」にしてみた。初めて通常の価格で買った電子ブックが『The Hunt for Red October』だ。著者のトム・クランシーが亡くなったとのニュースに思わず購入のボタンをクリックしてしまった。映画のストーリーを思い出しながら何とか読み終えた。おそらく、かなりの思い違いと勘違いの箇所があると思う。

そして二冊目が『The Everything Store』だ。Amazonの創立者ジェフ・ベゾスの物語である。一通り読み終えるのに5ヶ月かかった。毎日読んでいたわけではないにしても長すぎた。理解度はと問えば、漢文の書を読むよりはマシかもしれないという気がしている。そもそも、じぶんが英語の本を読んでみようと思い立ったのは、言葉(日本語)を抑制(※)してみたいということと、英文で得られるかもしれないナレッジを期待してのことだ。昨今流行りの英語ブームとは全く無縁のものである。言語としての英語の面白さについては、また別途に整理してみたいと思っている。

The Everything StoreTHE EVERYTHING STORE
Little, Brown and Company(amazon

Author: BRAD STONE
Brad Stone has covered Amazon and technology in Silicon Valley for such publications as Newsweek and the New York Times . He is a senior writer for Bloomberg Businessweek and lives in San Francisco.

さて、『The Everything Store』だが、理解度は置いといて、それなりに愉しめた。まず、新刊本を原語(英語)で読むなどということは生まれて初めてのことだ。これもドクター苫米地の推奨によるが、できるだけ翻訳しないようにした。それでも{脳}は勝手に自分の知っている日本語に変換しようとし、自分の知らない単語・フレーズに出くわすと{脳}は勝手に固まる。そんな時は、理解できなくても、何とか文章を味わえるように努力した。こんな状況だが、本書が描こうとしたコンテンツを、おぼろげにでも捉えることができたのではないかと思っている。

biological という単語がある。biological father,mother という使い方があるのを知ったのは、スタンフォード大学卒業式での有名なスティーブ・ジョブスのスピーチからである。実父、実母と訳すのだろうか、それでも何となくニュアンスの違いがあるような気がする。じぶんは、そのあまりにダイレクトな表現に驚き感心した。スティーブ・ジョブスもジェフ・ベゾスも biological father に縁がなかった。

これは、別に、先進的な起業家になるには義父に育てられる方が良いというような話ではない。人種のるつぼのアメリカという国では、離婚・養子縁組などはごくごく当たり前の社会制度なのではないか、とじぶんは解釈した。本書のジェフ・ベゾスの生い立ちを読んでいてそんな気がしてきたのである。若くして結婚した母親は出産して離婚する。そして、キューバ革命を機に亡命してきた男性と再婚して、ジェフはベゾスを名のるようになる。この家庭でジェフ・ベゾスはしっかりと育ち(?)世界有数の創業者の一人となった。

たしか、評論家 岡田斗司夫氏のトークの中に出てきた話だったと思う。それも誰かの受売りだったと記憶しているのだが、” 70年前のアメリカとの戦争は企業と官僚の戦いだった ” というものである。その時は上手い事を言うと思った。不思議と共感できたのである。今回『The Everything Store』を読んで、そのことを再確認できた思いがする。これは広く言えばカルチャー、具体的には教育、社会規範の違いなのだろうと感じた。

 Jeff and his siblings grew up observing their father’s tireless work ethic and his frequent expressions of love for America and its opportunities and freedoms.

本書の中の一節である。” 親の背中を見て子は育つ ” と言うが、まさにジェフは義父の背中を見て育った。アメリカという国のチャンスとフリーダム(自由)を信じて懸命に働く父親を見つめながら。こうした風土で育まれた人々によって支えられてきた UNITED STATES は、じぶんが思う以上にビジネスライクな社会風土を作り上げた。思うに、戦争でさえビジネスライクにやり遂げてしまう国なのかもしれない。先のアメリカとの戦争に対しては色んな言説があるが、企業と官僚の戦いだったというのも、意外に的を射た話なのかもしれない。

このジェフ・ベゾフと Amazon のストーリーは、じぶんにとって、アメリカ・ビジネス社会の再現ストーリーのように映った。本書には、アメリカの有名無名の会社の名前が数多く出てくる。さらに、それらの会社に係る多くの個人名が頻繁に記される。日本において、同じような伝記モノでこんな表現がなされるだろうか。

ボーイング、マイクロソフト、ウォルマート、バーンズ・アンド・ノーブル、コストコ、アップル、グーグル、イーベー等々その他多くの錚々たる企業名と関係者の名前が出てくる。それほどにベゾスとAmazonに係る企業と人物たちが多岐に亘っているということだ。しかも、それらの関係が実にダイナミックなのである。群雄割拠というか、企業を戦国の諸藩に喩えてもよいのではと思えるほどに、生き残りをかけて知略をつくす。

戦国時代と異なるのは「賢臣は二君に仕えず」ということはない。企業も個人もダイナミックにその拠るべきところを変えていく。まるで企業と個人が対等の位置にいるように見えてくる。その善し悪しは問わない。しかし、このダイナミックさがあの国の力の源泉の一つであろうと確信する。しかし、日本のあり方を問うのはまた別の課題となるだろう。創立者 ジェフ・ベゾス個人のビジョンへの傲慢なまでの強い執着に圧倒される。

 Bezos’s goal is and always has been to take all the inconvenience out of online shopping and deliver products and services to customers in the most efficient manner possible.

目的のためには手段を選ばず、という意思が感じられる。本書のタイトルではないが文字通り THe Everything Store を目指している。Everything はまさに有形無形のすべてである。このことを実現するために、ベゾスは始めっから、単なるリテーラーではなくテクノロジー・カンパニーであることにこだわり続けた。AWS(Amazon Web Services)はその象徴的存在だ。

 Amazon Web Services, or AWS, is today in the business of selling basic computer infrastructure like storage, databases, and raw computing power. The service is woven into the fabric of daily life in Silicon Valley and the broader technology community. Startups like Pinterest and Instagram rent space and cycles on Amazon’s computers and run their operations over the Internet as if the high- powered servers were sitting in the backs of their own offices. Even large companies rely on AWS― Netflix, for example, uses it to stream movies to its customers. AWS helped introduce the ethereal concept known as the cloud, and it is viewed as so vital to the future fortunes of technology startups that venture capitalists often give gift certificates for it to their new entrepreneurs. Various divisions of the U.S. government, such as NASA and the Central Intelligence Agency, are high- profile AWS customers as well. Though Amazon keeps AWS’s financial performance and profitability a secret, analysts at Morgan Stanley estimate that in 2012, it brought in $2.2 billion in revenue.

所謂、クラウド・コンピューティング・サービスである。自前のシステムとサーバーを持たなくとも、そんなシステムを所有しているかのようなサービスを受給できる。アメリカ政府、NASAもこのサービスを利用しているというのだから驚きだ。記憶に間違いがなければ、日本の政府関連組織も時間とコストを理由にAWS を利用したことがある、と聞いたことがある。

しかも、これらは Amazon が目指すゴールであって、ベゾス個人の目標はまた別にあることを思わせる件(くだり)がある。

 He has vast ambitions― not only for Amazon, but to push the boundaries of science and remake the media. In addition to funding his own rocket company, Blue Origin, Bezos acquired the ailing Washington Post newspaper company in August 2013 for $250 million in a deal that stunned the media industry.

少年時代からの宇宙への夢も忘れていなかった。その大きな野望のために大きな富を必要とする。もしかしたら、こっちの方が本命なのかもしれない。長年Amazon を取材してきた著者 ブラッド・ストーンが、本書の終わりに Amazon の未来を予言している。

Amazonは、プレミアム会員のために、当日もしくは翌日配達のサービスに移行するか? YES。
Amazonは、いつか専用のデリバリー用トラックを所有するか? YES。
Amazonは、食料品にまでサービスを広げるか。YES。
Amazonは、スマホ、ネット接続テレビジョンを導入するか? YES。
Amazonは、ウェブサイト販売をより多くの国に展開するか。 YES。
Amazonは、メーカーから製品を買い続けるか。 NO。
Antitrusut の専門家は、Amazon を注視するようになるか。 YES。

これらの予言は現実となるのだろう。そして、著者の締めの文章の中にあるメッセージの一部だが、下手に訳すより、そのまま味わう方がよい気がする。

 These are not fever dreams. They are near inevitabilities. It’s an easy prediction to make― that Jeff Bezos will do what he has always done. He will attempt to move faster, work his employees harder, make bolder bets, and pursue both big inventions and small ones, all to achieve his grand vision for Amazon― that it be not just an everything store, but ultimately an everything company. Amazon may be the most beguiling company that ever existed, and it is just getting started. It is both missionary and mercenary, and throughout the history of business and other human affairs, that has always been a potent combination.


関連投稿:英語を通して言語の本質を知る (2014/09/10)
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※言葉(日本語)を抑制するといっても否定的な意味ではない。むしろ、じぶんの母語である日本語をリフレッシュできないだろうか、という思いがある。

iPhone6 を手に入れました

  • 2014.10.18 Saturday
  • 14:20
iPhone6 に機種変した。iPhone5 を使い始めて1年9ヶ月、少しバッテリーが弱ってきたのと、メインスイッチに不具合がありどうしようかと思っていた。そんな時に iPhone6 の予約が始まり、auショップに相談すると今だとクーポンが使え、且つ現機種の下取りもありお得ですとのはなし。そして、その夜、ネットから予約を入れた。

予約直後に自動で確認メールが届いたが、その後一週間経っても何の連絡もない。そんなに予約が殺到しているのかと思いながら、その後、使用中の iPhone5 に「アップルケアサービス」を付けていたことを思いだした。スイッチ不良なら無料交換できるかもしれないことに気がつき、アップルサービスの店に行ってみようと考えていた矢先、夜7時過ぎに au から入荷したとのメールが届いた。予約から11日目の連絡だった。どうするか迷ったが、翌日午後手続きの予約を入れた。

iPhone6機種変の予約の時、iPhone6 にするか Plus にするか迷ったのだが、結局 iPhone6 にした。実際に使い始めてみて、今はこれで良かったと実感している。Plus では持てあましていたかもしれない。

機種変を考え始めた動機は、じぶんのスマホの使い方にあった。これはガラ系の頃からだったのだが、携帯電話というより PDA(携帯情報端末)としての使い方が中心だった。スマホに替えてからは、なおその傾向が強まった。

特に電子書籍リーダーとして使うようになってから、もう少し画面の大きいものが欲しいと思うようになった。しかしながら、今の iPhone5 の手軽なサイズもモバイル機器としては捨てがたい。いっそのこと、携帯電話はガラ系に戻して、別に iPad のようなタブレットを別に購入しようかと考えてみたこともあったが、今回、成り行きで iPhone6 になった。

使い始めて5日目になるが、今の感想は good! である。画面が4インチから4.7インチになりブックリーダーとして快適になった。iPhon5 のコンパクトさは失われたが、じぶんにとって片手で操作できるギリギリのサイズである。さらに、容量を 16G から 64G に増やしたので、カメラ、 iPod としてフルに使っても容量に全く問題がなくなった。とりあえず、Podcast を iPod Classic から移行した。

しかし、ネット環境の進歩という背景があるとしても、ここまでパーソナルなデバイスが進化することは想像できなかった。35年前、パーソナルコンピューター(PC)に魅了され、ちょくちょく秋葉原のショップを覗いていたころを思い出す。日本ではまだ皆無に近かった「PC体験教室」に二日間通った。その頃、ビル・ゲーツもスティーブ・ジョブスももっと身近に感じられる若者たちだった。

20年前、インターネットが本格的に普及を始め、PCのさらなる進歩が始まった。驚きは携帯電話の進化だ。NTTドコモのiモードに始まるパーソナル・デバイスの進化はユビキタス(wikipedia)社会への予感を感じさせるものだった。そして、アップルの iPhone が革命を起こした。タッチスクリーンで全てができる。今やこれが標準になった。

じぶんがスマホを使うようになったのは2年前からで正直衝撃的だった。初めてPCに触れた時以上かもしれない。IT社会に対して関心を持ち始めたのは95年頃からだったが、スマホを使うようになって初めて、そのIT社会の到来を実感するようになった。まだ、この歳になってもIT社会に対する興味はつきない。今は、iPhone6 が尚その興味を促進させるような気もしている。しかし同時に、この関心が人生の終わりまで続くのかどうかに関しては疑問を感じている。

それは加齢による好奇心の枯渇が原因と言うより、IT社会が志向する社会が抱えるであろう課題(資源、エネルギーなど)に気が滅入ってしまうかもしれない、という予感があるわけで。IT社会には ” 行け行けドンドン ” という ” 業 ” がある。今、リアル社会が主に「経済の停滞」を理由に何やらスッキリしない状況だ。そのリアル社会の停滞を無限のヴァーチャル世界で解決をはかるという意図があるとすれば、ITの性格を考慮すると歯止めが効かないと考えざるをえない。

しかも、進展するIT社会を支えるためにどれほどのリアル社会の資源が消費されるのかは想像を超える。IT社会にはリアル社会以上に ” 抑制の仕組み ” が必要と思われるのだが、技術的、法的な対応が間に合うのだろうか。今、そんなことが気になっている。

Appleの挑戦

  • 2014.04.26 Saturday
  • 19:58
4月22日の読売新聞の一面に載ったAppleの広告が目を引いた。

すべての
企業に
真似してほしい
アイデアが
あります。


メガソーラー発電施設の画像と「再生可能エネルギー100%で、すべてのデータセンターが動いたら、どんなに嬉しいことでしょう」という表現がある。アップルの公式サイトでも同じメッセージを発信している。

アップルの公式サイト
     https://www.apple.com/jp/environment/

Appleは環境への付加の軽減を優先して考えています、とのメッセージであり且つ広告であると思われる。特に、Appleのデータセンターが再生可能エネルギーを100%使って稼働していることを強調している。じぶんも、個人的にインターネットの恩恵を受けた生活をしており、さらに、将来に渡ってますますその人間社会で果たすであろう役割に期待するところであり、その意味でも、予てからデータセンターの電源は気になる事象だった。

インターネットが作り出すサイバースペース、特にデータセンターの電力消費はどの位のものなのだろうか。AppleのみならずAmazonを初め、世界には多数のデータセンターが存在するはずだ。真偽のほどは分からないが、日本にある自販機だけで原発一基分の電力を消費する、と言われたことがあった。世界のデータセンターの消費する電力については想像を絶する。これで良いのか、iPhone を操作しながら時折そんな疑問にとらわれる。

そんな中、今回のAppleの広告に惹かれる。すべての企業に真似してほしいアイデアがあります。確かに、魅力的なメッセージである。しかし、Apple製品の製造と出荷が増えているにかかわらず、製品一台あたり温室効果ガス排出量が着実に減っている、とのコメントには???と思ってしまう。単体の排出量は減っても総量は増え続けるのではないのか。

やはり、これはAppleによる新しいゲーム開始の宣言なのだろうか。環境問題さえビジネスゲームにしてしまう。じぶんも、最早そのことを ” 汚い ” と単純に思うほど純な世代でもない。 ” 一寸の虫にも五分の魂 ” とまでは行かなくとも、せめて一分の魂の欠片でもあれば良し。Appleは個人的に注目する企業の一つである。世界を少しでも良い方法へ導く他力になってほしいと願う。

昨日、来日していたオバマ大統領が羽田から韓国に向かった。一連の報道を見ていると、やはりこれもポリティクスゲームなんだ、とひとり納得する。日本では ” 尖閣は日米安保対象である ” と、韓国では ” 慰安婦は人権侵害である ” とのメッセージを遺す。日本では北朝鮮拉致被害者と面談しており、バランスはとったということか。人権問題すら一つのゲーム要素に過ぎない。

今や国家(ソブリン)も、企業(グローバルカンパニー)と同レベルの世界を構成するコミュニティ要素であるとする説もある。これからの世界は、USA、EU、Japan、China、Korea、Google,Apple、Amazonなどのゲーマーが繰り広げるフィールドと化すのだろうか。どっちにしても、ゲーマーは自分の勝ちを最優先にするはずだ。さらに、このゲームではサイバースペースの果たす役割が過小評価されることはない。

関連投稿:F35から (2013/12/19)
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