共謀罪可決に思う

  • 2017.06.15 Thursday
  • 20:12

15日午前7時「共謀罪」(「 テロ等準備罪 」)可決の報道がなされた。まず夜通しやってたんだとオドロいた。しかしながら昨今の国会の中の議論にはうんざりしている。かつて民主党をずっと支持してきたじぶんが現民進党をうっとおしく思うようになり、近頃はそれを通り越して気持ち悪ささえ感じる。

 

TV番組は時折り垣間見る状況にしかない中で、映し出される野党議員(特に女性議員)の質問の仕方の品の無さに思いっきり引いてしまう。前の「安保法制」についても今回の「テロ等準備罪法案」についても、正直言うとじぶんは原文を読んでいないしその内容がよく分からない。ただ今の状況ではアンチ野党なので、結果として政権支持の側に立ってしまうことになる。

 

何でこうなってしまったのか、教えてくれ〜と言いたいくらいである。じぶんの政治的スタンスはどちらかと言えば若いころからリベラル寄りだった。反権力、革命的、アウトロー的なものに惹かれた。その度合いが年齢とともに薄れてはきたとしても未だ色合いを残していた。あの民主党政権誕生の頃までは。

 

民主党(現民進党)から自民党の安倍政権に変わっても、選挙では民主党に投票し続けた。三行半をつきつけたのは昨年の参議院選挙においてである。我ながら我慢強さに感心する。しかしそれは坂道を転げ落ちるような勢いである。次の選挙において民進党を外すことだけは決めている。

 

国会で議論される各種法案において、仮に本当の理解というものがあるとして、議員、評論家も含めてどれだけの人たちがその法案の原文及び関連法案を読み込み、そして理解しているのかを訝る。正直にそう思うのである。あの国会でギャーギャー騒ぎ立てる議員さんたちがこの範疇に属する人たちとはとても思えない。情動しか感じられない。もっともある意味ではそれも是なのだが。

 

本当にどうにかならないものかと思う。昨今の国会の議論(質問)は本質の輪郭を明らかにしようとするのではなく、逆に周囲から土埃を被せて本質を意図的に隠そうとしているとしか思えない。もっともその意図すらなく幼児の砂場遊び程度のものでしかないという危険すらある。

 

続く「学園騒動」では、”総理のご意向”という表現があったというメモ?の存在が取り沙汰されているが、些細な我が社会経験を踏まえても、それがどうしたの?という印象しかない。公であれ民であれ、権力者たるもの陰に日向に自分の意向を通そうとするものである。しかしその違法性を問うのは甚だやっかいな行であろう。

 

また、現野党が政権をとったとしても、表ざたになるか否かは別として、「学園騒動」のみならず、様々な「ご意向騒動」の種をまき散らすにちがいないと確信する。むしろ政権慣れをしていない無垢な集団だけになお深刻な問題を引き起こしかねないのではないか。

 

いい加減に、国会で本当の議論(ディベート)を始めてみてはどうか。その中から双方が眼から鱗の核心が現れたとしたら、と想像するだけでわくわくする。複雑化していく人間社会、国会も創発の場でなければならないのだろう。

トランプ大統領は歴史的社会現象か

  • 2017.03.30 Thursday
  • 20:17

三浦瑠璃著『「トランプ時代」の新世界秩序』(潮出版社)

 

2016年11月8日(アメリカ時間)、共和党のドナルド・トランプ候補が民主党のヒラリー・クリントンを下して大統領となった。これは世界中の専門家たちにとってびっくり仰天の出来事だったようだ。大方のマスコミの予想では、ヒラリー・クリントン優勢が当然のような報道になっていた。

 

しかしながら、中には ”トランプは侮れない” と読んでいた少数の専門家がいた。本書の著者・三浦瑠璃氏もその一人だ。ほとんど地デジを見ないので、じぶんが著者を知ったのはネット上の映像コンテンツだったと思う。おじさんたちの中で小気味よい論理展開をする人だなというのが第一印象だった。逆に言うと、おじさんたちの論理は切れ味が悪いということだ。

 

この国も未だ男中心の社会だろう。故にどうしても、おじさんたちは色んなしがらみが多く「常識」に捕らわれやすくなるのだと思われる。しかもこの常識というやつが、普遍性よりは自分が在るコミュニティの土着性の方が強いので厄介なのである。そういう意味では、著者は初めから男たちの常識世界からフリーでいられたのかもしれない。これは著者のアドバンテージだ。

 

ドナルド・トランプという人は素人目にはとてもアクが強い人物に感じられる。それが実態なのか虚構なのかは分からない。著者も安易な結論を差し控えているようにも見える。トランプ氏は衝撃的な暴言?を吐くかと思えば、禁欲的なトランプ・ファミリーという側面を併せ持つ。

 

現地で直接取材をしている著者は、本書のまえがきで、トランプ氏に対する自分の考えが2016年3月のスーパーチューズデー前夜から変わっていないと表現する。多くのマスコミの評価とは反対に、トランプ候補は侮れないという印象を持ち続けたということだろう。

 

アメリカ事情に詳しい著者の解説が色んな切り口でなされているのだが、残念ながらじぶんにはそれらを一つのイメージに整理することはできない。じぶんが理解できた?のは、著者が今回のアメリカの大統領選を「トランプ現象」と称し、世界に波及しうる一つの社会現象として捉えようとしていることである。ある意味で、トランプ大統領は生まれるべきして生まれたという考えだ。


本書のタイトル『「トランプ時代」の新世界秩序』は、その著者の思いをそのまま表現しているのだろう。初めにアメリカ社会の変動があってトランプ大統領が誕生したのであって、トランプ大統領が誕生したがためにアメリカ社会に変動が起きようとしているのではない、という認識が一般的にが欠けているということだ。

 

アメリカは我々が想像する以上に複雑な社会構造を有している。共和党、民主党も簡単に二大政党と表現できるような状況にはない。今回の選挙で取りざたされた男と女、白人と非白人、エスタブリッシュメントとノンエスタブリッシュメントの対立、そして宗教対立までが混在する。さらに、最近はLGBTという記号も一般化し、男女の性差だけでは捉えきれないカオスな社会になってきている。

 

 人々の争いや対立を見据える国際政治学者は、とかく世界を悲観的に見る傾向があるのですが、正直言って、私自身は暗澹たる思いにかられています。世界がこのようなとば口に立ってしまったのは、トランプ氏一人のせいではまったくありません。アメリカは九十年代から十数年の間、自らの単極的な行動によって、世界の秩序をより自由で平和で民主主義的なものに作り変えようとしました。多くの失敗と混乱があったことは確かですが、そこに一定の理想があったことも事実です。世界はこうした試みが、歴史の中で「束の間」に存在した例外的な事象であったことを思い知らされることでしょう。

 

著者は近年の国際政治上で大きな影響力を持ってきた国・アメリカを上のように総括する。旧いアメリカが後退しシン・アメリカが現れる。その象徴がトランプ大統領ということだ。善かれ悪しかれ世界の多くの国がトランプ大統領(アメリカ)の対応をせまられることになる。

 

トランプ大統領はアメリカ・ファーストを唱えているが、著者はアメリカ経済が減速して日本にとって良いことは一つもないと語る。日米にとって、TPPに代わる東アジア経済圏の基本システムをデザインしうるか否かは重要な懸案事項だ。また安全保障では、著者は自分の国がどうありたいのかを前提に日米同盟を再定義することの必要性を説いている。

 

今、本当に議論されなければならない事柄を棚上げにして、三面記事的出来事?に揺れる現国会の状況を見るにつけ、著者の表現を借りれば暗澹たる思いにかられる。与党を全面的に支持できるわけではないが、野党とマスコミの幼稚な言動はあまりに酷過ぎる。現状では、本書で日本に突き付けられた課題は、悔しいがこの国にとって本当に難問であろうと考えざるを得ない。

 

関連投稿: ベビーブーマー大統領誕生 , Now! (2017/01/21)

 


 

「トランプ時代」の新世界秩序

2017年2月 発行(潮新書:amazon

 

著者 三浦瑠璃

国際政治学者。1980年神奈川県生まれ。東京大学農学部卒業。東大公共政策大学院修了。東大大学院法学政治学研究科修了。法学博士。専門は国際政治。現在、東京大学政策ビジョン研究センター講師。著書に『シビリアンの戦争』『日本に絶望している人のための政治入門』

 

 

 

 

ベーシックインカムとヘリコプターマネー

  • 2016.07.30 Saturday
  • 14:13

ベーシックインカムの話を初めて聞いたのはPODCASTで岡田斗司夫氏からである。じぶんが知ったのは数ヶ月前のことだが、岡田氏本人は2011年の ホリエモンとの対談で既にベーシックインカムの話を取り上げている。じぶんの方が随分と遅蒔きながらという話だ。

 

知恵蔵2015の解説

ベーシック・インカム

就労や資産の有無にかかわらず、すべての個人に対して生活に最低限必要な所得を無条件に給付するという社会政策の構想。社会保険や公的扶助などの従来の所得保障制度が何らかの受給資格を設けているのに対して無条件で給付する点、また生活保護や税制における配偶者控除など世帯単位の給付制度もある中で個人単位を原則とする点が特徴である。すべての人に所得を保障することによる貧困問題の解決に加え、受給資格の審査などが不要なため簡素な制度となり管理コストが削減できること、特定の働き方や家族形態を優遇しないため個人の生活スタイルの選択を拡大できることなどが、メリットとして指摘されている。一方で、膨大な財政支出の財源をどうするか、導入によって誰も働かなくなるのではないかなどの批判もあり、論争が繰り広げられてきた。ベーシック・インカムに類する考え方は、資本主義社会の成立期から見られ、1960〜70年代には欧米で議論が展開されてきた。さらに80年代以降、働き方の多様化や非正規雇用・失業の増大、家族形態の多様化、経済活動が引き起こす環境問題の顕在化など、これまでの福祉国家が前提としてきた労働や家族のあり方が変わってきたことを背景に、従来とは異なる考え方の所得保障構想として注目を集めている。

 

一方、ヘリコプターマネーは最近の報道で知った。

 

デジタル大辞泉の解説

ヘリコプター‐マネー(helicopter money)

あたかもヘリコプターから現金をばらまくように、中央銀行あるいは政府が、対価を取らずに大量の貨幣を市中に供給する政策。米国の経済学者フリードマンが著書「貨幣の悪戯」で用いた寓話に由来。中央銀行による国債の引き受けや政府紙幣の発行などがこれにあたる。ヘリコプタードロップ。
[補説]中央銀行は通常、市場に資金を供給する際、対価として民間金融機関が保有する国債や手形などの資産を買い入れる(買いオペレーション)。ヘリコプターマネーの場合、そうした対価を取らずに貨幣を発行するため、中央銀行のバランスシートは債務だけが増え、それに見合う資産は計上されず、債務超過の状態になる。その結果、中央銀行や貨幣に対する信認が損なわれる可能性があるため、平時には行われない。

 

ネットで調べてみると上のような解説文に出合う。読んでも、分かったような分からないような中途半端な気分が残る。しかし、これは経済(マネー)に関する本を読んだり考えたりすると常に付いてくるエモーションである。今回、ベーシックインカムとヘリコプターマネーについて注目したのは、じぶんの知識欲が反応したのではなく、どちらかと言えばより本能的なもの?によるものではないかと今は認識している。

 

左様に、経済(マネー)はじぶんにとって興味深いが不可解な案件なのである。今のじぶんにとって、取り敢えず一人ひとりに一定額のマネーを無条件に支給するというベーシックインカムと、あたかも大量に印刷した紙幣(マネー)をヘリコプターからばらまくという作戦(政策)がこの世界で成立しうる?ということが重要な提示なのである。

 

これが、経済(マネー)とは何ぞや?という疑問の根源に触れることのように思えるからである。そもそも集団妄想であるマネーを着実に社会制度化してきたという人類の歴史がある。初めは物々交換をより便利にする程度であったかもしれないが、ストックに便利なことなどが発見され、どんどんとモノから離れて象徴的な「概念」へと進化?した。そして経済(マネー)は社会の誰も制御できないモンスターへと成長してしまった。

 

ベーシックインカムもヘリコプターマネーも各個人から見れば、何もせずに天から降ってくるお金である。しかし、これで個人の生活が成り立ち、社会的にも矛盾が生じないのであれば万々歳となるのだが、それはいかにも怪しい?と懐疑的になるのである。そもそもマネー(紙幣、コイン、通帳の数字等)には何の力もない。それは紙であり、金属塊であり、データにすぎなく、ある種のサインにすぎないのである。

 

 

 

 

 

 

交差点の信号機(サイン)が直接、歩行者を守ってはくれることはない。サインを見て自らの行動を制御する人あるいはロボットがいるから間接的に歩行者が守られるのである。マネーがあっても、モノを作る人売ってくれる人がいなければ買うことはできない。この最もベーシックな部分が何か誤魔化されているような気がしてならないのである。

マネーとジェンダー

  • 2016.06.18 Saturday
  • 14:56

現代の社会的な事象として、マネー(お金)とジェンダー(社会的性)ほど身近にありながら摩訶不思議なものはない。この二つの事象については判然としないままに一生を終えることになることを確信する。しかも、社会で報道される現象・事件でこの二つの事象に関わるものがどれほど多いかを考えてみれば、この二つの事象が人間にとって絶対的・根源的な存在であることも疑いがいようがない。まさに人間はマネーとジェンダーのために生きているのかと思えるほどだ。

 

しかし、これほど社会的にリアルな存在に思えるマネーとジェンダーだがその実体となると怪しくなる。専門家の間ですら「マネーは共同幻想である」と謂われ、ジェンダーも生物的性と社会的性の間で揺れ、さらにLGBT(性的少数者)も加わり、これもまた社会的幻想なのではないかと思えてくるのである。

 

マネーとジェンダー、両者とも掴みどころのないゴーストのような存在である。しかし、その人間社会を動かすパワーは驚異的なのだ。

 

パナマ文書で注目されたタックス・ヘイブン(租税回避地)には気が遠くなるような巨額のマネーが投資されていると言われる。しかし、このことを一般人が実感することは困難だ。紙幣を持ち込むわけではないと思われるので電子データなのだろう。紙幣でさえ「幻想」と見なされる?のに、この電子化されたマネーとは何ぞやと思わざるをえない。 タックス・ヘイブンに蓄積?されている膨大な電子マネーと、じぶんの銀行口座の預金が同じ性質のものなのかさえ疑う。

 

昨今取り上げられることの多い LGBT(性的少数者)については、正直じぶんの頭は思考停止の状態に陥る。このことに理解を示すことが人権のより良き理解者であるとの社会認識が広まっている中で、対峙的な物言いが難しくなっているのも確かだ。じぶんが理解するところでは LGBT(性的少数者) は昔から存在した。今、それを社会的に公認し社会制度の中に組み入れていこうという運動が世界的な潮流になったということだ。これが歴史的に何か意味があることなのだろうことは想像できるのだが・・・。

 

マネーとジェンダーは人間の脳と社会の相互作用で誕生したゴーストではないか。両者とも社会的パワーが大きいために何か実体があるもののように錯覚してしまうが、我々の脳内現象?と考えるのが最も適切なのではないだろうか。今、目の前の現象が絶対的なものとは考えないほうが良いような気がしている。

 

トランプ旋風の行方

  • 2016.04.26 Tuesday
  • 14:58
日本でも話題になっている米大統領選の予備選挙だが歴史的?な結果になりそうだ。その台風の目は共和党のトランプ氏だ。米国大統領選挙の制度自体に詳しくないのでなお不思議な感覚に襲われるのだが、もしトランプ氏が共和党の代表に選ばれたとしたらと考えると 、たとえそれがエキセントリックなものであったとしても、 アメリカという国のパワーというものを感じる。一方で、これはアメリカ崩壊の始まりだと言う人もいる。

しかし、youtube で見つけた映像に驚いた。ヒコーキ好きなのでこういう映像に目が行ってしまう。トランプ氏のプライベイト・ジェットが紹介されているのだが、タイトルが Donald Trump's Private Air Force One Plane というもの。Air Force One は米国大統領専用機の名称なのでそれを捩ったタイトルを付けたのかもしれない。機体はボーイング757なのだが室内の豪華さと共にその本格的な運用体制に驚く。



昨今落ちぶれたと囁かれるようになったがまだまだアメリカの底力を感じさせる映像だ。ことヒコーキとなると全ての面で日本とアメリカと差は歴然だ。戦後日本はヒコーキの開発製造を規制されてきたのだが、今後この差をどこまで縮めることができるのだろうか。特に民間レベルの中で占めるヒコーキの役割について考えると永遠に縮まらないのではと思ってしまう。

軍用面は言うまでもなくアメリカの民間・市民レベルのヒコーキとの関わりは圧倒的である。それは日常生活から趣味にまで広く浸透している。国土面積も大きく影響しているのかもしれないが、日本ではじぶんが少年の頃からさほど進展しているとは思えない。個人的には残念なことのだが、この国はヒコーキをあまり必要としない文化なのかもしれない。

さてこの映像の中に出てくるトランプ氏なのだが、昨今報道される遊説中のトランプ氏とは全く表情が異なり穏やかだが理知的?なビジネスマンという趣がある。話している内容は英語なので理解できないのだが、こっちの方が普段のトランプ氏なのではないのかという雰囲気を感じさせる。

どちらにしても、このビデオは日本とアメリカの社会経済の規模と質の違いを考えさせてくれる。仮に日本がアメリカの規模に近いGDPを達成したとしても随分と趣の異なる文化の社会になるのではないかと想像する。また、そうあるべきだとも考える。さりながら、アメリカはなお興味深い文化を持つ国であることに間違いない。11月の大統領選挙は注目である。日本としてはトランプ大統領という筋書きも念頭におかなければならないのだろう。

真実は小説よりも奇なり

  • 2016.01.30 Saturday
  • 15:25
大久保 潤・篠原 章著『沖縄の不都合な真実』(新潮社)

沖縄に関する初めての本。序章に、多くの人が持つイメージと異なる沖縄が描かれている、と記載されているがまさにその通りだった。悲惨な沖縄戦を経て、戦後は米軍基地に抑圧され、復帰後は本土との経済格差に苦しみながらも、基地から解放される日を待ち望んでいる海のきれいな南の島−これがじぶんの沖縄に対するイメージだ。これは多くの日本人の持つ沖縄に対するイメージに近いのではないだろうか。

しかし、映画「スターウォーズ」ではないが、沖縄のイメージにもライトサイドとダークサイドがある、と著者らは主張する。本書は、一般的なイメージとは異なる、知られていない(報道されない)側面があることを教えてくれる。あまり報道されない側面の正誤はともかくとしても、なぜそれらは隠蔽されてしまうのか。

著者の結論から言えば、沖縄のある種のエスタブリッシュメント(支配階級)の存在だという。そして、ある種のエスタブリッシュメントとは既得権を守るためには手段を選ばない旧体制の知識人・政治家・組合幹部・財界人である、と著者は確信する。この力が一般的な沖縄のイメージを創出し、ダークサイドが表面化しないように働く。さらに、沖縄のマスコミ、知識人もエスタブリッシュメントに協調しているのだという。まさに、フォースのダークサイドである。

このダークサイドは、沖縄が「公務員優位の階級社会」であり「貧困の島」であることを、「反戦平和の島」「癒しの島」というシールドで覆い隠す。言うまでもなく、エスタブリッシュメントの目的は富と権力である。そして、このエスタブリッシュメントを支えているのが国の「振興資金」であり、復帰以来11兆円が投じられてきたのだという。しかも、そのほとんどが公共事業?に使われたらしいのだが、沖縄の産業振興の役には立たなかったようだ。

著者は、この沖縄の構造 -「公」による「民」の支配 - には歴史的背景があるとする。薩摩藩が琉球(沖縄)を支配下においた頃、琉球には士族(サムレー)と百姓(ハルサー)があった。しかも、人口の六割のハルサーが三割余りのサムレーを養う構図になっていたという。「公」優位は沖縄の伝統というわけだ。

この著者の読み解きがどれほど妥当なものなのか、じぶんには分からない。しかし、常に「真実は小説よりも奇なり」という言葉が念頭にあるじぶんにとって、エーッと思えるほどのモノの方が真実に近いのではないかという誘惑にかられる。このことだけでも小説の題材になりそうな話である。個人的な見解では、著者はダイレクトに表現してはいないが、沖縄のエスタブリッシュメントは目的のためなら、反戦、反米、反政府、反基地、場合によっては親中など何でも利用するということか。

その他、沖縄には「構造的沖縄差別論」とか「琉球独立」とかやっかいな話がある。さてさて、沖縄には二十年近く前に一度しか訪れたことがない。ひめゆりの塔など負の歴史遺産も見学したが、宿泊したリゾートホテルで見た夕陽に感動、そしてテーマパークで見学したエイサーに感激したというようなことが強く記憶に残っている。日本に沖縄という島があるということを”誇り”に思うことができた旅だった。しかし、沖縄の人々にとって、こんな本土人の感傷はうれしくもないことなのだろうかと懸念する。

もし、本書に書いてあること全てが正しいとは限らなくとも、表現されているような構図があることが否定できないとするならば、じぶんの沖縄に対するイメージは大きく変わらざるを得ない。先日、台湾の総統選挙が終わった。民主進歩党の蔡英文氏が総統に選出された。国民党政権下の台湾にも強い「公」優位の構図があることを知った。お隣にある大国も共産党独裁の国?であり圧倒的な「公」優位の構図であることは言うまでもない。

さてそれでは、この国において「公」「民」平等の構図になっているかと問えば、若干の危惧の念がないわけではない。しかし、中国、台湾に見られるような圧倒的状況でないことは言える。しかしながら、この国の中に、歴史で習うような「公」による「民」の強い支配が現に存在するとはショックだった。

ともかく、沖縄が一般にメディアで報道されていることだけからでは窺い知れない複雑な問題を内包している、ことを忘れないようにしなければならないことは確かなようだ。

関連投稿:日本人の”リアリティ(現実性)”が問われる (2012/10/30)
 

沖縄の不都合な真実沖縄の不都合な真実
2015年7月 新潮社発行(amazon
著者 大久保 潤
篠原 章


 

お金に呑み込まれないようにする

  • 2015.12.14 Monday
  • 23:10
今年も師走になった。昔から何となく気忙しい月である。使い古された言い方だが、老いとともに本当に月日の経つのが早くなる。巷間色んな説があるが、こればっかりは各自がそれなりの歳になってから自ら体験してもらうしかない。もうジングルベルか、と瞬く間に一年が過ぎる。

こんな気忙しい月に何もこんなテーマをと思うのだが、新聞の広告欄で気になっていた本で、書店で見つけ買ってしまった。”お金” というタイトルと著者が ”佐藤勝” というのが購入の動機で、その心はと問われれば ”何か引っ掛かる” ということである。

お金に強くなる・・・お金に強くなる生き方
青春出版社(amazon

著者 佐藤 勝
1960年東京生まれ。作家、元外務省主任分析官。85年、同志社大学大学院神学研究科修了。外務省に入省し、在ロシア連邦日本国大使館に勤務。その後、本省国際情報局分析第一課で、主任分析官として対ロシア外交の最前線で活躍。2002年、背任と偽計業務妨害容疑で逮捕、起訴され、09年6月有罪確定。『国家の罠』で第59回毎日出版文化賞特別賞受賞。『自滅する帝国』で新潮ドキュメント賞、大宅壮一ノンフィクション賞受賞。『人に強くなる極意』『ズルさのすすめ』『知の教室』など著書多数。


著者 佐藤勝氏は、じぶんがリアリストと感じる人物の一人である。じぶんの中でリアリストとは、社会に上手にコミットしている人物というよりは、社会のどんなモードの中でも自分の生きる道を探し出せる人物という感じに近い。著者はカルヴァン派の熱心?なキリスト教徒である。大学で神学を学び外交官を目指したという異色?のキャリアを持つ。

一方、 ”お金” はこんなに身近なのに、ほとんどその正体が解らない代物である。「経済」(貨幣経済)が分かりにくいのもこれが一因だろうと思う。本のオビにある言葉−いま世の中で一番強い宗教は、”拝金教”だ−を見たとき、お金の真髄に迫ろうとする著者の意図を感じた。

しかし、本書は意外にもハウツウものだった。”お金” の正体はさておき、とりあえず社会にあって”お金” は不可欠な存在なので、こんな風に考えお付き合いしましょうという本なのである。著者の現実主義的な一面がよく分かる本である。しかし、一般に常識的な考え方とは大いに異なり、著者の精神に強くアレンジされたものとなっている。

現にあるものを、好き嫌いとか、良い悪いで無視しようとすることには無理がある。ともかく対処するしかない。本書は、世間の常識というものが必ずしも考え方の王道ではない、ことを我々に教えてくれる。

まず、日本の労働者の年収だが、平均値のマジックに惑わされて年収500万円くらいが平均的と思われているようだが、現実は年収300万円が中央値であり、これが一般的な日本人の供与所得者の実感に一番近いのではないかと著者は言う。

じぶんも「平均イコール算術平均」という固定観念があり、社会人になってからもほとんどこの概念で通してきた。日本の社会通念がそうなのだろう。平均には、いわゆる平均値以外に中央値、最頻値があることが常識となっていない。これは教育の貧困、特に論理・数学教育の未熟さがもたらしたものだと思う。

この現実から始めなければならない。そもそも、お金を投資や副業で一気に増やそうというのには無理がある。ハウツウ本や自己啓発本があおる努力崇拝主義は危険でもある。頑張ったからといって全ての人が成功するわけではない。と著者は言う。

昔話『わらしべ長者』は資本主義の象徴であると著者は言う。主人公の貧乏な男は、等価交換という資本主義の基本原理にのっとって富を増やしていく。現代において、一般にこのような生き方が理想とされる。

しかし、著者はもう一つの昔話『貧乏神と福の神』を取り上げる。ちょっと乱暴な態度の福の神を追い出して、貧乏神と仲よく、細く長く幸せに暮らしたという夫婦の話だ。歴史的に農業国家、農耕民族の日本のような国には突出した大富豪が育ちにくく、著者も含め日本人はわらしべ長者より福の神を追い出してしまった夫婦の方にシンパシーを感じやすいのかもしれない、と著者は言う。

勿論、著者は大富豪を否定してはいない。ただ、著者は富豪になるには覚悟がいるのだと言う。貧乏神に情けなどかけずに思い切った判断や行動ができるか。ビル・ゲイツも、ロックフェラーも、カーネギーも人生のどこかで必ずその選択をしているはずだ、と著者は言う。大富豪を目指してもいいのである。目指すというのも変だが貧乏な生き方もある。しかし、極貧となるとまた別の話となろう。 

 自分は資本家ではなく、労働力を売っている立場であるという「見極め」。だからこそ収入には限界があるという「見切り」。
 この「見切り」と「見極め」は、諦めや絶望ではありません。むしろこれからのお金に対する向き合い方、つきあい方は、その見極めから始まります。その見極めがあるからこそ、お金とある程度の距離を保ちながら、いい関係を築くことができるのです。


著者は、本書の中で、具体的なお金に対する対処の仕方・考え方を数多く書き記し、お金を考えるために参考になる書籍も十数冊あげている。例えば、お金を投資で運用する場合は、家賃、光熱費、食費を差し引いた「可処分所得」の半分の金額に抑えること、など具体的である。著者の体を通して紡ぎ出された言葉のように思える。

また、著者は、価値がなくならない金への投資、そして究極の投資対象として絵画をあげる。このことは以前耳にしたことのある事案だが、著者は本書でその根拠を説明してはいない。このことはじぶんの関心事でもある。お金(マネー)は共同幻想であると言われる。金も絵画もお金に換算される限り、これらもまた共同幻想である、とじぶんは思うのである。文化的価値はまた別ものではあるが。

例えば、世界中の金塊を東京ドームに集めたとして、一体何が起きるのだろ。これで東京ドームに異次元へのゲートが出現するなどの特異現象が起きるのであれば別だが、世界中の泥棒が金塊を狙って集まるなどという社会現象しか想定できないのであれば、やはり金塊もまた人間の脳内現象、心理現象であるお金と同等と考える他しようがない。稀金属そして貴金属としての経済的価値は消えることはないのだが。

お金には、交換手段、価値尺度、貯蔵の3つの機能があると言われる。お金の便利さと必要性が理解できる。著者の体験談として、ソビエト崩壊のときマールボロが通貨の代わりになったと言う。自分のモノと自分が欲しいモノを交換するのがいかに難しいかを知れば、お金の価値やありがたさが分かるというものだ。

 現代において、お金はすでに神に近い存在になっています。マルクスは早くからお金には物神性(フェティシズム)がつきまとうと言っていますが、まさに資本主義社会はお金を神とあがめるフェティシズムから成り立っているいうこともできます。

最終章で、著者はお金の核心(真髄)に触れてくる。お金を宗教論で捉えるのは適切なベクトルの一つだと思う。このことには個人的にも興味を覚える。しかし、多くの人々は、自分がどっぷりと拝金教に浸かってとをいることなど全く考えていないだろう。しかも、これは善悪の問題ではない。真実なのである。

まだ、一般的な宗教ならば自分が信者であることを認識している。しかしながら、拝金教信者にはほとんど自覚がない。まず、このことを認識することが重要になる。そして、問題は自分がどんな信者を目指すべきかということである。個人的には、宗教は否定しないが、その原理主義的側面には懐疑的である。拝金教についても ” しかり ” である。

個人的な嗜好では、宗教も一神教よりは八百万の神々がおわす世界の方がよいと思っている。よって、拝金教においても、多様な神々(経済・お金の仕組み)が共存する方がいいと考える。だが現実は、拝金教の世界にも多様な神々が存在するのだが、残念ながら世界の一般宗教と同様に神々同士が相争う状況となっている。共存共栄ができないのである。

著者は次のようなコメントで本書を閉じている。

 大切なのは、だからこそ『お金のない生活、社会はどうなるか」と、あり得ない状況を想像してみることです。日ごろ当たり前だと思っていいることや、当然だと考えている前提を疑ってみる。
 同じように、この世に『国家がなくなったら」『会社というものがなくなったら」という問いを発してみると、これまでにない新しい考え方や視座を発見する糸口になるはずです。


まだ若い頃、「お金は血液のようなもので、無いと生きていけない。しかし、決して血液は生きる目的には成りえない」と考えていた。このことを、今、改めて想う。

賢老社会に向けて

  • 2015.11.29 Sunday
  • 15:38
先月、ブログで取り上げた五木寛之著『嫌老社会を超えて』を読んでみた。さて、このテーマは当ブログのどのカテゴリーに入るのだろうかと考えた。先月の投稿の時はカテゴリー「プロローグ」に入れた。その時は、未だ本を読んでいなかったのだが、テーマが当ブログを始めた動機に関わるものであろうと思いカテゴリー「プロローグ」にした。

本書は、老人問題をタブーのままに「心配停止」(著者の造語)にしていると、「嫌老が当たり前の社会」を現出させてしまうと警鐘を鳴らす。そして、これは「道徳では解決できない」と言い切る。では、どうすれば良いのかということで、著者は第5章と第6章で具体的な提唱をしている。ここに注目して、今回の投稿はカテゴリー「社会・経済のはなし」に範疇に入れた。

嫌老社会を超えて嫌老社会を超えて
出版 中央公論新社(amazon

著者 五木寛之
1932年福岡県生まれ。生後まもなく朝鮮にわたり、47年に引き揚げを経験する。52年早稲田大学ロシア文学科入学。57年中退後、PR誌編集長、作詞家、ルポライターなどを経て66年『さらばモスクワ愚連隊』で小説現代新人賞、67年『蒼ざめた馬を見よ』で直木賞、76年『青春の門 筑豊篇』ほかで吉川英治文学賞を受賞。2002年に菊池寛賞を受賞。著書に『蓮如』『大河の一滴』『林住期』『親鸞』など多数。


嫌老という言葉に対し、未だほとんどのシニアは無自覚であろう。だからこそ問題なのである。じぶんもずっと気になっていたことではあるのだが、著者が懸念するように社会の階級闘争まで発展してしまうかもしれないとは考えもしなかった。しかし、それは少し甘い認識だったかもしれない。

さて、先ずは、我々シニアが自分の老いに気づくことから始めなければならない。これが意外に云うは易しなのである。クルマ好きだった著者は、首都高速「羽横線」のカーブで、自分の描いたラインの通りに走ることが出来なくなったと感じたときクルマの運転を止めた。六十歳を超えた頃だという。じぶんは七十を前にしてまだクルマを転がしている。おそらく多くのシニアがそうなのではないか。

少し前、九十を超えたおばあちゃんの軽自動車と高校生のバイクの事故を報じていた。そして、また昨日、94歳が90歳をはねたとのネット・ニュースを見た。こうなってからでは遅い。かように、シニアが自分の老いを認識することは難しいことなのである。まして、世間の嫌老感に気づくのは並大抵なことではないと想像できる。よほど心してかからねば。

著者は、このような世間の状況を憂いながらも、具体的な対応策を提唱している。「老人階級」が世の中に受け入れられる施策として二つ挙げている。一つは、一定以上の収入のある豊かな人びとは年金を返上する。何歳になろうとも働ける人は働く。年金をもらわないことを「損だ」と考えるのではなく、社会に還元すると考える。二つ目は、選挙権の委譲。高齢者は若い世代に選挙権を譲ることである。

総論賛成!、各論になると侃々諤々で収拾がつかないかもしれない。しかしながら、シニア世代がこのようなことに少しでも注意を向けるようになるだけでも、世間の雰囲気が随分と変わってくるのではないだろうか、とじぶんは思う

著者の提案はこれに留まらず、老人問題は現代日本の国のあり方、経済に根ざした課題であるとして、「日本の産業意識の転換」を訴える。この提案はとても興味深い。この所日本のエンジニアリングに注意しているじぶんにとっても、この著者の提案には注目である。さらに、このことは当ブログで初めからテーマの一つにしてきたことなのである。

 ともすれば「社会のお荷物」になりかねない高齢者に、「静かに」していてもらうのではなく、より一層、社会の全面に出て奮闘してもうらう。ただ時間潰しに日銭を稼ぐといった立ち位置ではなく、国力アップの推進役を務めていただきたい。それが、私の理想とする新しい時代の老人像です。日本経済を再生させる主 要メンバーという意味で「大切に」考えていこうではないか、ということなのです。

一言で云えば、上記の著者のコメントとなる。かつて、じぶんも地元の市長宛に、移転する予定の大学施設をシニアの再教育の場として再利用する、という提案をメールでしたことがあった。市長からの返答の手紙は ” 生涯教育の現状と今後の課題 ” というような内容のものだった。限られたメールによる提案で説明不足もあったと思われるが、こちらの意図とは全くかけ離れたものだった。

奇しくも、じぶんの意図したものは著者の提案に近い。カネを持っているのはカネを、知恵を持っているものは知恵を、力を持っているものは力を、それぞれが持つものを提供して社会に役立てようということなのである。そのためには、さび付いた脳のリフレッシュのための学び直しが必要である、というのがマイ・ステートメントなのである。

著者は、一つの具体的イメージを提案する。それは ” 補聴器のポルシェを ” である。クルマ好きの著者らしいキャッチである。普通の人が聞いているのと遜色のない音質の補聴器。幸い、じぶんは未だ必要としてはいないのでこの器具には疎いのだが、品質的にまだまだらしい。

著者は、一流の補聴器ができないのは、開発・製造に当たる人たちに「老人が感じる本当の不便さ」が分かっていないからで、「そこそこいいもの」しかできないのだと言う。ならば、高齢者層をターゲットにした製品のマーケティングや開発は、高齢者にまかせたらどうか。著者はさらに、国もこうした製品の研究開発に予算をつけるべし、と主張する。

その他「老人仕様のクルマ」など、高齢化社会を逆手にとって産業も文化も、国のあり方そのものを老人中心−日本を”老人カルチャー”のメッカに−に考えてみようと言うわけである。画期的な老眼矯正、入れ歯製作技術などの開発が現実となれば、マーケットは世界的なものとなろう。

高齢者にお金を注ぎ込むのではなく、中心となって稼ぎ出してもらう。この ” 逆転の発想 ” は、若者の職を奪うどころか、彼らにより高付加価値の仕事を提供することになるはずだ、と著者は言う。高齢者はできるだけ社会保障の世話にならない覚悟で生きる。若者が「自分も歳をとったら、ああなりたい」と目標になるような老人の姿がある社会、それが賢老社会と著者は言う。

 笑われるのを承知で言えば、私は「この世界がどう変わっていくのか、見ていたい」のです。日本だけではなく、アジアが、世界全体が、この先どのような変貌を遂げていくのかを目撃したい。知りたい。そのために長生きがしたいのです。

こんな著者が ” 「よりよい生き方」の最たるものは「社会貢献」であるはずです ” と語る。同感である。

関連投稿: ショッキングなはなし (2015/09/23)

たかがドローン、されど・・・

  • 2015.10.02 Friday
  • 20:47
ドローンに初めて興味を持ったのは、ネットでフランス・パロット社のAR.DRONEを見てからである。ホビー商品なのだが、その映像に圧倒された。オモチャを超えていると感じた。
参照:秋の気配の中で何故か・・・ (2012/10/20)

ロボットへの関心は子どもの頃からあった。「鉄腕アトム」を見て育った世代でもある。少年期はヒコーキに惹かれ、青年期の終わりにコンピューター(PC)に出合った。壮年期は仕事に追われ、中年期になって人工頭脳(ロボット)と「人間の心」に注目するようになり、そして高年期(老年期)になって「人間の身体」に興味を持った。

現在は、ネット社会のサイバー面とリアル面、そして人間の「心」と「身体」の相関に関心がある。ロボットはその象徴的な存在である。初めて見たドローンは昆虫を感じさせた。それ故、ラジコンというよりロボットという印象が強く、生物研究の大きな助けになるのではないかと思った。

しかし、今、ドローンは実社会で即戦力のメカとして期待され始めている。じぶんも初めから、その可能性を薄々感じてはいたが、こんなに急激に注目されるようになるとは想像もしなかった。小林啓倫著『ドローン・ビジネスの衝撃』を読んで、その早い進化に改めて驚いている。

ドローンビジネスドローン・ビジネスの衝撃
小型無人飛行機が切り開く新たなマーケット
朝日新聞出版(amazon

著者 小林啓倫
日立コンサルティング経営コンサルタント。1973年生まれ。獨協大学卒、筑波大学大学院修士課程修了。システムエンジニアとしてキャリアを積んだ後、米バブソン大学にてMBAを取得。その後外資系コンサルティングファーム、国内ベンチャー企業を経て、2005年から現職。


本書には、ドローンというネーミングの経緯についても書かれている。それによると、1935年に英国海軍が開発した無人標的機DH82B「クイーン・ビー」(女王蜂)に対して、後に米国が開発した無人標的機を「ドローン」(雄蜂)と名付けたことがドローンの始まりであると解説されている。

このネーミングの歴史も興味深いのだが、著者が ”「ドローン」という新しいジャンルが生まれつつある” のではと提唱しているところが興味深く、じぶんも共感できる。無人飛行機とIT技術が結びついて、ネット社会の中に「ドローン」という新しいデバイスが誕生したと考えることも出来る。
※デバイス−ドローンがスマホのようにネット社会の有用なデバイスの一つになるのではないかという予感がある。

本書の中には、色んなドローン開発と周辺環境整備の具体例が示されている。論より証拠で、多くの具体例を示されると本書のサブタイトル「小型無人飛行機が切り開く新たなマーケット」が現実味を帯びてくる。

著者の「ドローンは自動車のない世界に突然電気自動車が現れたようなもの」というドローン観が面白い。そして、電気自動車は構造が比較的単純で、ある程度の技術力があれば誰でも作れてしまう。ところが、この世界には信号機もなく、教習所もなく、法令もない、と著者は言う。つまり、ドローンは比較的簡単に作れる割には高性能なのだが、これを受け入れるための社会環境が、ハード面もソフト面も全く整っていないと言うわけである。

また、ますます高度化するスマホなどの通信端末をエンドユーザーが気軽に使えるのは、技術的な発展だけではなく、通信キャリアが複雑な電波法への対応を引き受け、ユーザーが個々に免許を取らなくても電波を使える仕組みにしていることだ、と著者は言う。ドローンの発展にも同様の課題があると思われる。

さて、初めに述べたように、じぶんは、ドローンをロボットと考えた方が良いと思っている。従って、ドローンの開発、環境の整備を行うにあたってはSF作家アイザック・アシモフの「ロボット三原則」が適用されるべきであると考えている。今、ドローンの実用化に向けて様々な試みがなされていることを知ったが、そのためには、クリアしなければならない技術的、社会的な問題が存在することも分かった。
※ロボット三原則−
「 人間への安全性、命令への服従、自己防衛」を目的とする3つの原則から成る。

しかしながら、こうした雑多な問題があるにもかかわらず、急激に、新旧のドローン関連企業がしのぎを削る状況になっていることには理由があるはずである。もちろんリスクは考えられるにしても、これに関わる人々の中に、ドローンがこのネット社会の未来に不可欠なエレメントになるのではないかという ”読み” あるいは ”感” のようなものがあるのではないだろうか。

じぶんも、初めてドローンの映像を見たときから、何か胸騒ぎのようなものを感じてきた。じぶんの ”感” が人並み以上のものとも思えないが、社会の実際の変動を見ていると ”もしや” という念が生じてくる。
ドローン

関連投稿:妖怪 ” どろーん ” ? (20/1505/23)
     オタクの世界へ (2015/02/15)
     アルゴリズムのはなし (20/1405/21)

韓国のはなし

  • 2015.09.13 Sunday
  • 11:10
安保法案の話もだが、こっちのテーマ「日韓関係」も少々ウンザリ気味だ。刺激的なタイトルの嫌韓本はできるだけ読まないようにしている。この本は元駐韓大使が書いた話題の著書ということで、頑張って読んでみることにした。

日韓対立の真相日韓対立の真相
悟空出版
2015年5月発行

著者 武藤正敏
1948年生まれ。東京都出身。横浜国立大学卒業後、外務省入省。韓国語研修の後、在大韓民国日本国大使館勤務。参事官、公使を歴任。前後してアジア局北東アジア課長、在オーストラリア日本大使館公使、在ホノルル総領事、在クウェート特命全権大使などを務めた後、2010年大韓民国特命全権大使に就任。2012年退任。


現在の日韓は、韓国が日本の歴史認識に反発しているという状況に加え、そうした韓国に日本が「キレている」という状況だという。このことはじぶん自身の認識に近い。これではどっちが正義かなどの議論しても泥沼の状態になるしかないだろう。著者は、朴大統領の「気持ち」は外相レベルや事務当局の会談で静かに伝える方が、はるかに効果的であると語る。しかし、それが出来ない。なぜ?

今、日韓対立の背景に「慰安婦問題」がある。この軋轢には民族の歴史的背景、朴大統領個人の資質・性格もありそうだが、著者は「韓国挺身隊問題対策協議会」(挺対協)の存在が大きいと言う。この組織は「慰安婦問題」に関して、韓国で絶大な影響力を持ち、この組織に対しては韓国政府も無力なのだという。

日本への悪印象を韓国社会に定着させ、彼らが主張する人道的な不法行為に対して法的責任を認めさせ、謝罪と賠償が実現するまで日韓関係を改善するべきではない ” というのがこの団体の主張だというが。この辺りの本当の事情は本書からだけでは窺い知れない。この団体に関わる人々の様々な信念、思想、主張、思惑などが錯綜しているのだろうと想像する。

著者によれば、日本と韓国では、そもそも「歴史」の捉え方が異なる。日本では実証研究を重視するが、韓国では「何が正しい歴史か」という視点から検討が始まる。まず、この違いをお互いに理解することが重要である、と著者は主張する。

著者は、大多数の韓国国民は、挺対協の宣伝活動によって慰安婦問題の実態が捻じ曲げられて伝わっていると考えている。さらに、日本政府も深く関わってきた「アジア女性基金」の活動に関しては、韓国の人々にほとんど理解されていないのだという。この件に関してはじぶん自身も無知だった。

挺対協が、元慰安婦の方が「アジア女性基金」から「償い金」を受け取ることに圧力をかけて止めさせた後に、54人がこれを受け取っているということが実情であり、これらのことは一般に知られていないのだという。

日本は、元慰安婦の賠償請求権が1965年の日韓請求権・経済協力協定によって消滅しているとしているのに対し、韓国側はそれを未解決としている。著者は、慰安婦問題の根底にあるのは、日韓基本条約や請求権協定の解釈上の問題ではなく、これまでの取り組みに対する日韓間の認識の相違であり、それは韓国国内の政治的事情によってもたらされたものだと語る。

一方、日本が慰安婦問題を矮小化しようとすればするほど、かえって国際社会からの反発をまねいてしまう。韓国は戦略として問題を世界に拡散しようとしているので、日本も国際社会が理解できる論理で対抗すべきであると語る。著者は、この国際社会とは米国社会と言い換えてもよい、と現実的な捉え方を提唱する。

著者は「おわりに」の中で次のように述べる。

 日本では、「韓国なんて放っておけ」という声をよく耳にします。これは日本人が「韓国人の多くは半日である」と思い込んでいるからではないでしょうか。
 私にはそうは見えません。現状では、韓国人の「反日」よりも日本人の「嫌韓」のほうが強いように感じられるのです。
 本文でも述べましたが、韓国人の対日観は今もそれほど悪いとは思っていません。目立っているのは、
朴槿惠大統領、反日をあおる政治家、マスコミや一部のNGOです。そのために「政治的関係」がギクシャクしているのです。

さらに。

 私はこうした状況にあるからこそ、人的交流を通じて関係の改善を図るべきと考えています。日韓の地政学的関係、経済関係の緊密さからして、韓国を無視することで彼らを中国よりに追いやることは、日本にとって得策ではありません。

よくよく熟慮すべきことなのかもしれない。

関連投稿:
3.11から2年を迎えて (2013/03/12)

calendar

S M T W T F S
    123
45678910
11121314151617
18192021222324
252627282930 
<< June 2017 >>

selected entries

categories

archives

links

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM